(仁和寺 前編から続く)
じっとり汗ばむ陽気の下、「御殿」の美しい庭園を後にした私は、
本堂への参拝を目指し、まっすぐ伸びる参道を進みます。
室町時代に起きた「応仁の乱」で多くの建物が焼失した仁和寺ですが、
江戸時代初期に再興を迎え、建築物も再建されました。
その多くは現在、国宝や重要文化財に指定されており、
寺の中心地へと繋がる中門も、その一つ。
仁王門と比べると地味に見える門ですが、国の重要文化財。
今は色褪せているものの、かつては鮮やかな朱色で塗られていたと思われる八脚門です。
四天王の多聞天、持国天が左右両サイドに立って、きっちり睨みを利かさせています。
中門を潜り抜けると、すぐ左側に生い茂っているのは、約200本の桜の木々。
梅の林は梅林(ばいりん)ですが、桜の林は桜林(おうりん)でしたっけ?
「御室桜」と呼ばれる遅咲きの桜は、江戸時代の頃から庶民の目を楽しませてきました。
これだけの木々が一斉に満開の桜を咲かせたら、かなりの壮観な光景でしょうね~。
こんな暑い季節に訪れても、その華やかさを想像する事しか出来ません。
そんな御室桜の向こう側に、千手観音菩薩を祀った「観音堂」があるはずなのですが…
残念ながら、現在、工事中。
2020年の東京五輪の時に大勢訪れるであろう外国人観光客を迎える為に、
京都・奈良の寺院では、一斉に修繕工事が行われているようです。
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本堂に向けて一直線に伸びる参道から外れ、ちょっと脇道へ。
お目当ての五重塔がありますが、あえて近寄らず、後の楽しみに取っておきます。
大好物は、最後に食べるタイプなので(笑)。
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五重塔を避けるように迂回して、さらに奥へと進んでいくと、
仁和寺を守護する神々を祀った社、「九所明神」がありました。
本殿、左殿、右殿といった三棟が並び、
名前通り、京都各所の9ヵ所にある神社から分祀された明神様が祀られています。
九所明神が最初に設けられたのは鎌倉時代だといわれていますが、
現在の社が建てられたのは江戸時代初期。
これだけ多くの明神様が集まった御利益があるのか、
江戸時代から現在まで、大きな火災や天災、戦災に見舞われる事は無かったそうです。
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九所明神を立ち去り、次に訪れたのは、
仏教の経典が収められている「経蔵」。
江戸時代初期に作られた経蔵の内部には、経典を納めた八面体の書架(輪蔵)があり、
その周囲には釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩などの像が据えられているそうです。
ここで再び参道へと引き返し、改めて本堂へと向かいます。
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仁和寺の御本尊である阿弥陀三尊を祀る「金堂」は、
江戸時代初期、京都御所にあった紫宸殿を移築してきたものです。
(紫宸殿=即位式などの公的儀式などが行われる御殿)
現在残されている紫宸殿の中では最も古いもので、
当時の宮殿建築を伝える貴重な建築物として、国宝に指定されています。
今回の旅で、最初に拝見する国宝建築物ですが…
…おやおや?
びっしり並んだ板で固められた金堂。
もしかして、ここも修繕中ですか。
堂内には阿弥陀三尊像に加え、四天王像や梵天像も安置されており、
壁面には鮮やかな極彩色による浄土図、観音図が描かれているそうです。
その内部は観る事が叶わないとしても、せめて外観くらいは普通に観たかったなぁ。
まあ、仕方ない事だとは分かっていても、
はるばる京都まで来たのに、ちょっと損した気分ですよね…。
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「鐘楼」といえば、大きな鐘の吊られた櫓を想像しますが、
仁和寺の「鐘楼」は、肝心の鐘が外側から全く見えません。
ここが鐘楼だと教えてもらわないと、全く別の建物だと思うでしょうね。
鐘の周りが壁に取り囲まれている構造で、ちゃんと鐘の音は響き渡るんでしょうかね。
室内だけでワンワンと反響しちゃいそうな気がします(笑)。
下半分は黒い板張りの「袴腰」になっていますが、
江戸時代に作られた鐘楼の中でも、これだけ袴腰の部分が大きいものは珍しいそうです。
見るからに保存状態も良好で、国の重要文化財に指定されています。
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最後に訪れたのは、仁和寺の北西の端にある「御影堂」。
「御影堂」といえば、各宗派の宗祖や寺院の開祖などが祀られている仏堂ですが、
ここには、仁和寺の開祖である宇多天皇、真言宗の宗祖である弘法大師(空海)などが
堂内に祀られています。
「金堂」は京都御所の紫宸殿を移築したものですが、
こちらの「御影堂」は、御所から清涼殿の一部を賜ったもの。
(清涼殿=天皇が日常の生活を過ごす宮殿)
移築したのが一部だったのに加え、何度か改築も行われているので、
御所の宮殿だった面影はあまり感じられませんが、
使われている金具などは当時のモノが残されています。
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<2017年夏 京都旅>