去年に続き、二年連続で訪れた夏の京都。
去年訪れた時には、
京都を代表する三つの門といわれる「京都三大門」を巡りました。
その時は知恩院、南禅寺、東本願寺の三門を観て回ったのですが、
ネットで調べる限り、東本願寺ではなく、仁和寺を入れる説の方が有力のようです。
という訳で、今年の京都旅行は、去年訪れなかった仁和寺を詣でる事からスタートしました。
嵐電北野線の「御室仁和寺」で下車。
平安時代の西暦888年、宇多天皇によって開かれた仁和寺。
宇多天皇は、退位した後も仁和寺を住居として修行に励みました。
その後も、皇族が仁和寺の歴代門跡を務め続けた事から、
仁和寺は「御室」と呼ばれるようになり、それが現在の駅名にもなっています。
駅を出ると、約200メートルの直線の先に、大きな門が見えます。
これが「京都三大門」の一つで、重要文化財に指定されている二王門。
最初に建てられた門は、室町時代に起きた「応仁の乱」の戦火によって焼失。
現在の門は、江戸時代初期、德川三代将軍・家光公の寄進によって建てられましたが、
その建築様式は平安時代の伝統である「和様」になっています。
高さは約20メートルで、「京都三大門」に数えられている他の門よりは低いのですが、
堂々たる風格を漂わせる立派な門です。
門の両側を固めているのは、阿形と吽形、二体の金剛力士像。
左右から鋭い睨みを利かされながら門を潜ると、
次にある「中門」まで何も遮る物が無い、見通しの良い光景。
この仁王門から見る光景が、仁和寺の中でも屈指の美しさという声も多いそうです。
本堂に向かうには、このまま直進していけばいいのですが、
その前に立ち寄るべき場所は、仁王門を抜けてすぐ左側にある「御殿」と呼ばれる区域。
平安時代、寺の創始者である宇多天皇が、
退位後、この寺で修行するにあたり、僧坊(住居)を構えたのが、この場所。
「御室」と呼ばれた僧坊は、京都御所から移設されてきた建物でしたが、
残念ながら、明治20年に焼失してしまいました。
現在の建物の多くは、明治末期から大正時代に再建されたものですが、
平安時代の宮殿を忠実に再現しており、
明治以降に建てられた宮殿建築の中では傑作と評価されています。
ここを見学するには拝観料が必要。
江戸時代以前に建てられた国宝や重要文化財を観るのは無料なのに、
明治以降に建てられたものを入るのは有料…という少し不思議な気持ちになります(笑)。
大玄関で靴を脱ぎ、御殿の中へ。
個人使用に限り、建物内でも写真撮影は自由です。
これが、もっと古い時代に建てられた建物で、国宝や重要文化財に指定されていると、
全く撮影が許されなくなるんですよね。
渡り廊下を抜けた先にあったのは「白書院」。
襖絵には、松を題材とした四季折々の光景が描かれています。
このような中世の邸宅や寺院では、
玄関に近い場所に作られた表向きの書院である「白書院」は、
襖絵なども華やかで、来客への対応などにも使われていたようです。
一方、さらに渡り廊下を奥に進んだ先にあった「黒書院」は、
襖絵なども控えめになっていて、よりプライベート空間としての意味合いが強く感じます。
「白書院」と比べると、ここまで入ってこられる人間は限定されていたようです。
この「御殿」の見所の一つは、「北庭」と「南庭」という、それぞれ趣の違う二つの庭園。
白書院から見える「南庭」は、
敷き詰められた白砂にシンプルな砂紋のついた、いかにも京都らしい静かな庭園。
一方、黒書院を抜けた先にある「北庭」は、
大きな池を中心に、豊かな緑の木々と石組による華やかな日本庭園。
遠くに見える五重塔が、良いアクセントになっています。
春は桜、秋は紅葉で満たされ、また違った美しさがあるんでしょうね。
ちょうど観光客も少ない時で、周りは静寂に包まれていました。
天気に恵まれ、日差しは強いものの、日陰は涼しく、風通しも良くて快適。
廊下に座り込み、この景色を眺めながら、しばらく何も考えずに佇んでいると、
そのまま昼寝でもしたくなってきます。
…おっと、危ない、危ない。
こんな所で寝転んだら、とんでもなく迷惑な観光客になってしまうところでした(笑)。
この仁和寺を訪れた目的の一つ、五重塔を観る為に、先へと進む事にしました。
(仁和寺 後編へ続く)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
<2017年夏 京都旅>