広島県福山市で、「家族関係」や「人間関係」で悩んでいる方々のカウンセリングと、子供たちの学習支援をしている『たあさん』です。

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随分と久しぶりに書き込みをします。

 

今年の夏以降は、仕事量が増えて自由に使える時間が少なくなり、

 

嬉しい悲鳴をあげていました。

 

また、本の出版が決まって、文章の校正などに時間がかかりました。

 

11月に出版された拙著について、以下にご紹介します。

 

 

 

  ※  出版について

 

「対人恐怖症を乗り越えて ~赤ん坊の私が大人になるまでに経験し学んだこと~」 ≪横路忠征 著≫

 

というタイトルで、文芸社より刊行されることが決まりました。これまで私が書きためてきた文章に加筆・修正を加えたものです。

 

 

『ある日、可愛がっていたペットの犬「アケ」が私をジッと見詰めた時に、突然アケが私を批判しているように感じた。それが始まりだった。』

 

『自分の人生を肯定的に捉えるには、どんな経験にも意味があり、失敗や挫折からも学ぶ事が必ずあると信じることが必要だと思う。私は本書を読む人が、自分自身の感情や考えをありのままに感じ、それらをそのまま認め、受け入れられるようになることを願っている。』

 

(以上、『まえがき』より)

 

 

お買い求めは、一般書店での注文が可能です。[税込 770円]

 

また、本の宅配システム「ブックサービス」(TEL 0120-299-625)での

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本日は、拙著のご紹介でした。

よろしくお願いしまーす。

広島県福山市で、「家族関係」や「人間関係」で悩んでいる方々のカウンセリングと、子供たちの学習支援をしている『たあさん』です。(https://kazoku-to-kyouiku.com

 

 

今年に入って、新型コロナウィルスのオミクロン株という変異種が猛威を振るっています。
感染力が強い上に症状の軽い人が多いので、感染に気付かないまま、あるいは風邪だろうという思い込みのまま、他の人に感染している事例が多くあるように思われます。

 

テレビ等での報道を見ると、専門家の間でも意見の違うことが多く、我々素人は右往左往するばかりです。
現時点で、「まん延防止等重点措置」の適用地域は全国36都道府県に及んでいます。

ここ広島県では、沖縄県・山口県と共に全国に先駆けて適用になり、当初は1月9日~31日の予定でしたが、延長されて2月20日までということになり、その後再延長されて3月6日までということになっています。

広島県全体では少し減少してきている様子ですが、増えたり減ったりを繰り返していて、まだ予断を許さない状況です。

 

当初、沖縄・山口・広島でオミクロン株が拡がったのは、米軍基地が近くにあり、そこから感染が拡がったからですが、アメリカを始めとして欧米の人たちは、感染の拡大を抑止するために自分の行動を自粛するよりも、自分の自由な意思で行動する傾向が強いことを思い知らされました。

 

特にアメリカでは1日に100万人以上が感染している状況下でも、ニューヨーク市などでは、テレビで見る限りマスクをしないで歩いている人が大勢いました。

しかも、マスク装着やワクチン接種の義務化に反対する人たちが集団でデモ行進している様子を見た時、日本とのあまりの違いにショックすら受けました。

 

フランスでもデモが起きたとのことですが、やはり自由と平等を求めて革命を起こした国だけのことはあるなぁと、妙に感心したりもしました。

ニューヨークにある自由の女神像は、アメリカのそういう価値観(自由と民主主義)の象徴にもなっていますが、その像を造ったのはフランスです。

その理想とした自由と民主主義が浸透した結果、経済的に豊かになり、人々の往来が増大し、そのことによってコロナウィルスの感染が急速に拡大してきたというのは皮肉なことです。

地球温暖化や異常気象、生態系の崩壊についても然(しか)りです。

 

自由・平等・民主主義といった理念が間違っているとは思いませんが、何事にも長所と短所があるということです。

科学の進歩についても当然そうです。

 

 

コロナ感染の予防策としては、マスク・手洗い・うがい・人混みを避ける、等がずっと言われ続けています。

しかし、それらを守っていても感染することがあるようです。

 

外出自粛はあまり言われなくなりましたが、やはり不安があるので、外出を控えている人は多いですね。
それによって、運動不足になったり、気分が落ち込んだり、食べ過ぎたりといった影響も出ているようです。

適度な運動(自然の中を歩く、ヨガやストレッチ、スクワットなど)や、オンラインなどで人との交流をするのが良いようです。

私も、これらをできるだけ実行しています。

 

旅行や音楽・スポーツなどの娯楽については以前ほど規制が強くはないですが、オミクロン株の感染拡大によって中止や延期にしたり、入場者制限をして実施したりしているケースが多いようです。

しかし、これほど感染が長引くと、そういった活動を生業(なりわい)としている人にとっては死活問題です。

一部の有名人は別として、本業だけでは収入が足りず、副業を始めている人も多いことでしょう。

 

ところで、日本では外出時にマスクをしている人がほとんどですが、これは他者と同じような行動を取るのが良いとされる価値観や、他人に迷惑をかけてはいけないという思いが強い国民性を反映しているように思います。

この『人に迷惑をかけてはいけない』という思いは、過剰な干渉から人を守るといった良い面もあるのですが、一方で他者との関わりを避ける傾向や、人々の孤立化を進める結果にもなります。

 

コロナ禍で人と会うことを控えざるを得ない今は、特に孤独や孤立で苦しんでいる方々が多くおられるでしょう。

孤独・孤立・そして孤独死は、大きな社会問題です。

日本では、「孤独・孤立対策担当大臣」を内閣官房に置いて相談業務の充実などに力を入れていますが、対処療法的な対応に終始し、根本的な解決に向かっているとは思えません。

 

 

あまり知られていないことですが、日本は老人の自殺率が高いことが統計的に分かっています。先進国の中ではトップレベルです。

しかも、独り暮らしや夫婦だけの世帯よりも、多世代同居家族として暮らしているお年寄りの方が自殺率が高いのです。

このことは『人に迷惑をかけてはいけない』という思いの強さを現わしているように思います。

 

歳をとると、誰かの役に立っていると感じることよりも、誰かの世話になっている、誰かに負担をかけている、といった思いになることが多くなりがちです。

でも、人の世話になったり、誰かに心配してもらったりすることは、生きている限り当然起こることです。

 

私たちはお互いに助け合いながら生きているのですから、世話を受ける人はそれを当然のこととして喜んで受け取り、世話をする側は必要としている人に与えることでその人が喜ぶ姿を見て嬉しく感じる、というような関係になれればいいなと思います。

 

欧米では、頻繁にホームパーティーを開いたり、ボランティア活動で他者と関わったり、必要としている人や団体を積極的に支援したりといった行動を、若い人たちも含めて多くの人たちが自主的に行なっています。

聖書には、キリストが最も大切なこととして「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と語られたことが何度も書かれています。

私自身も、そうありたいと願っています。

 

「愛する」とは具体的にどういうことでしょうか?考えてみました。

「肯定的な関心を持つこと」、「その人の気持ちや考えを理解し大切にすること」、「人が必要としているものを可能な限り提供すること」、「尊敬の気持ちを持って接すること」、「喜びや悲しみを共有すること」、などでしょうか。

 

そういった良い面は取り入れて、できるだけ多くの人が喜びや幸福感を感じながら生きることができる社会になればいいなぁと思っています。

そして、生きることに希望を持ち続けたいと思います。

 

広島県福山市で、「家族関係」や「人間関係」で悩んでいる方々のカウンセリングと、子供たちの学習支援をしている『たあさん』です。(https://kazoku-to-kyouiku.com

 

 

話しは少しさかのぼりますが、今年10月26日に秋篠宮ご夫妻の長女眞子さんが小室圭さんと結婚して皇室を離れました。

そして、渡米されるまでの約1か月間は東京都・渋谷区内のマンションで生活され、現在はアメリカ・ニューヨーク市で生活されています。

 

出国時には多くの報道陣が押し寄せ、厳重な警護をされている様子がテレビ等に映し出されました。

眞子さん・圭さん共にお元気そうで、他人ごとながら少しホッとしました。

 

それにしても、ここまでたどり着くためにどれほどの心労を重ね、どれほどの忍耐が必要だったであろうと、お二人に対して同情を禁じ得ません。

 

当人たちには責任の無い家族内の問題や、圭さんの母親に関する金銭トラブルについてマスコミで盛んに報じられ、まるで圭さんの人格にも問題があるかのような印象を与えていたように感じました。

 

そんな中、圭さんは努力してアメリカのロースクール(法学の大学院)を卒業し、ニューヨーク市の弁護士事務所への就職も決まっています。

残念ながら、1回目の弁護士資格試験には受からなかったようですが、努力家の彼のことですから、受かるまで受験し続けることでしょう。

 

その間、真子さんは周囲からのバッシングに耐え、複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、それでも結婚の意志を貫いたのは、余程強い思いがあったのだろうと推測します。

お元気そうな姿がテレビに映し出されたので、複雑性PTSDというのは詐病ではないかとの報道も一部でされているようですが、そんな報道は更に二次的トラウマにもなり得るので、大きな問題だと思います。

 

 

最近、性的被害を受けたことを告発した伊藤詩織さんが、インターネット上で誹謗中傷を受け、それを名誉棄損として訴えた事件がありました。

11月30日に東京地裁で判決が言い渡され、伊藤さんの訴えが認められました。

当然の判決だと思います。

 

 

実際に起こった可能性のある出来事を、何も知らない第三者が自分の思い込みによって、当事者の必死の告発を誹謗中傷し、あたかも虚偽の告発であるかのような書き込みをすることは、決して許してはならない行為だと思います。

それは被害者を、更に二次被害に遭わせるような行為だからです。

 

それによって、更にトラウマ(心的外傷)を受けることが数多くあります。

 

 

眞子さんや圭さんに対する誹謗中傷は、やはり二次被害を与えるような行為でしょう。

 

この件に関して、眞子さんの父親である秋篠宮殿下が、先日記者会見で次のように話されていました。

 

「今ネットによる誹謗中傷で深く傷ついてる人もいますし、そして、またそれによって命を落としたという人もいるわけですね。…… 誹謗中傷、つまり深く人を傷つけるような言葉というのは、これは雑誌であれネットであれ、私としてはそういう言葉は許容できるものではありません。」

 

 

ネット上の記事には誰でも匿名で投稿できるため、自己の承認欲求や嫉妬などから出てくる誹謗中傷、嘲笑などが混じっています。

それらを放置しておくのは良くないでしょう。

それによって傷付く人が居て、時には自死にまで追い詰められることもあるからです。

 

そういう嫌がらせに対して、誰でも告発ができ、すぐにそうした記事を削除できるような仕組みを作るべきでしょう。

 

 

皇室の話に戻りますが、私はこれまでも、皇室に生まれたら自由はないだろうと思っていましたが、これほど個人としての意思を犠牲にしなくてはならない環境なのかと、改めて感じさせられました。

個人の意思や感情よりも、公的な役割の方が優先されるのですね。

法的な位置付けにより、選挙権も被選挙権もなく、職業選択の自由や居住の自由も限られています。

 

学問の自由はある程度保証されているようですが、逆に大学等で何かを専門的に学んで発表しなくてはならないというプレッシャーがあるようにも思います。(もちろん、誰か専属の専門家を付けてのことだとは思いますが。)

 

思想・信条の自由はあっても、それを公に表明することはできません。

 

そして、結婚の自由は…。

 

皇室では(皇室に限らないかも知れませんが)、特に女性が我慢しなくてはならないようです。

 

 

振り返ると、昭和天皇までは、結婚は皇族(または旧華族)出身同士で行なわれ、周囲が決めていたようです。

それが第二次大戦後、天皇の位置付けが「日本国民統合の象徴」と憲法で新たに定められ、天皇の「人間宣言」によって、国民のひとりとして(象徴天皇という特別な位置付けですが)結婚の自由も認められたはずです。

 

そして平成天皇(現在の上皇)は、初めて民間人であった美智子様と恋愛を通して結婚されました。

その結婚は当時、日本中に大きく報道され話題になりました。
(ちょうどテレビが普及し始めた頃で、パレードの様子がテレビ中継されました。)

 

結婚後は、皇室の伝統的子育て(乳母制度、傅育官制度)をやめて、母乳で育て、子供たちが御両親と一緒に生活するように改められました。

皇室内部ではかなり批判があったようですが、美智子様と当時の皇太子はその意志を貫かれました。

真子様は、この意志の強さを受け継いでいるようにも思われます。

 

そして現在の令和天皇は、いろいろと紆余曲折あった後、やはり民間人であった雅子様と結婚されました。

しかし、結婚前はキャリアウーマンとして活躍していた雅子様は、皇室に入ってからの環境の激変によって適応障害や鬱病を発症し、皇太子妃としての公務ができない状態にまで追い込まれました。

 

ちょうど当時のイギリスでは、チャールズ皇太子が民間人のダイアナ妃と結婚し、その後離婚、そしてダイアナ妃は事故死というショッキングなニュースが駆け巡っていた頃でしたから、イギリスと日本の皇室の違いや共通点などを対比して考えたりしたものです。

 

 

皇室に限りませんが、日本では女性の能力が男性に比べて劣っている、あるいは女性は男性に従うべきだというような考え方がいまだに強いようです。

また、家事・育児・親の世話などは女性がするものだという価値観は、私の周囲の地域社会にも根強くあります。

 

おそらくそうした価値観(文化?)が原因で、女性議員の数は極端に少なく、東京五輪の最初の大会組織委員会会長だった森喜朗氏のような発言が飛び出し(辞任に追い込まれたのは国際大会だったからでしょうが)、女性は天皇になれない(あるいは女系天皇は認めない)という状況になっているのではないでしょうか。

 

 

女性に限らず、子供や、何らかの障がいを持つ人、在日外国人など、社会的に弱い立場にある人の権利が守られていないと感じます。

 

中国やアフガニスタンなどにおける人権蹂躙とも言える出来事に対しても意見を表明しておかなくてはいけないでしょうが、日本国内の人権問題にも、もっともっと目を向けて意見をしていかなくてはならないと思います。

 

性別や年齢によらず、出自や社会的立場によらず、職業や収入によらず、障がいの有無によらず、何かができるかどうかによらず、外見によらず、神様が愛する存在として造られた人間を大切にすることが、すなわち人権を大事にすることだと思います。

 

全ての人が生まれながらに持っている「基本的人権」とは、もともと人間は神様に似たものとして造られ、神様に愛され、お互いに愛し合う存在として生かされているのだから、お互いに人として尊重し合うことを意味します。
また、お互いに愛する価値がある者として接し、生きる価値がある者として尊重し、それぞれの人が持っている権利や自由そして個性を大切にすることを意味します。

 

これらのことを心に留めて、生きていきたいと思います。