広島県福山市で、「家族関係」や「人間関係」で悩んでいる方々のカウンセリングと、子供たちの学習支援をしている『たあさん』です。
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忙しい日々が続き(心の中が)、なかなかブログ記事を書くことができませんでした。
やっと一段落ついて、書こうという気持ちになり書いています。
今年の元日の夕方、パソコンをつついていたら突然、「北陸地方で大きな地震が発生して津波警報が各地に出ている」というテロップが画面に現れました。
『年明け早々地震か!』と驚いてテレビをつけると、NHKも民放もすべてのテレビ局が地震のニュースを放送していました。
私の頭には、東日本大震災の記憶が甦ってきました。(今日3月11日は東日本大震災発生から13年目の日です。)
テレビでは、津波の情報を中心に「○○(地名)に何cmの津波が到達しました」とか「△△に1.2m以上の津波が押し寄せている模様です」とか言っていました。この時点では、被害の状況がほとんど分かっていなかったのです。
のちに分かったのは、震源の近くでは最大6mを超える津波が地震発生直後に襲っていたということでした。
また、海底が広い範囲に渡って隆起していて、最大4m程度隆起したとのことです。
そして、道路がいたる所で寸断されたり陥没したり隆起したりして、車が通れなくなり、数多くの集落が孤立しました。
水道管も壊れて水が出なくなり、家屋は壊れ、海岸線の隆起によって船も出せなくなり、逃げようにも逃げられなくなった人たちが大勢いたということが次第に分かってきました。
しかも真冬で寒さが厳しく、停電によって電気を使うこともできず、生きているだけで精一杯の過酷な状況に置かれた方々が大勢おられたようです。
そして翌1月2日の夕刻、今度は羽田空港で重大な事故が発生したとのニュースが流れてきました。
「これは今年は大変な年になるかも知れない」という思いが脳裏に浮かびました。
この事故も地震に関係していて、被災地に物資を運ぶために羽田空港を飛び立とうとしていた海上保安庁の飛行機が誤って滑走路に侵入したところに、日本航空(JAL)の旅客機が着陸して来て衝突したのでした。
この事故では、旅客機のCA(客室乗務員)の的確な誘導によって乗客乗員379人全員の命が助かりましたが、海上保安庁の小型機の乗務員6人の内5人が亡くなりました。
羽田空港の過密な離着陸の合間に、普段は飛ばないはずの海上保安庁の飛行機が離陸しようとした際に起きた人為的なミスによる事故でした。
大雨や地震のような自然災害は止めようがありません。
地震発生から2か月以上が経った現在も1万人程の方々が避難所生活をしておられ、避難所以外の壊れた自宅や車の中などで生活している方々も数千人おられるとのことです。
自治体はホテルや旅館への二次避難も勧めているようですが、多くの住民は生まれ育った土地を離れることを嫌がり、二次避難所などへの移住はあまり進んでいないといいます。
やはり、慣れ親しんだ土地や友人知人と離れることにはかなりのストレスを感じるものでしょう。
阪神淡路大震災や東日本大震災でも、避難先で孤独死した人たちが多くおられました。
そんな精神的にも物理的にも過酷な状況に置かれるよりも、生活は不便でも友人や知人たちと助け合って生活した方が気持ちは遥かに楽だろうと想像します。
また、ペットを飼っておられる方や介護を必要とする家族を抱えている方も、他の人に迷惑をかけてはいけないと考えて避難所外で過ごしておられる方が多いとのことです。
そういった方々への支援も必要です。
被災された人たちが何を必要としておられるのか、当事者からよく話を聞いて、それにそった支援をしていかなくてはなりません。
自然の力はとてつもなく大きいものです。人間がそれを止めることはできませんし、それと闘うこともできません。
できるのは、自然の力を前にして何に備えれば良いのかを考えて準備し、被害を最小限に抑えるためには何をすれば良いのかを知っておくことでしょう。
北陸地方で今回のような大地震が起きたのは、過去6,000年間で4回だということです。
つまり、1,500年に一度位の頻度で起きる地震だったのです。1,500年前というと日本はまだ古墳時代でした。
そもそも日本列島全体が地震と火山活動によってできたのですから、頻度の多い少ないはあるにしても、日本のどこであろうと絶対に地震が起きない場所は無いということです。
私が住んでいる瀬戸内海の真ん中あたりは比較的自然災害が少ない場所です。
過去に地震があった証拠である断層も少ないし、あっても小規模なものです。
しかし長い周期で見ればいつ地震が起きてもおかしくはないし、大地震が起きないという確証もありません。
油断は禁物だと思っています。
今回の能登半島地震による被害を受けている方々に、どんな支援ができるのか考えてみました。
私にできることは僅かしかないと思います。
直接現地に行ってお手伝いすることは、日々の生活に追われ、体力もあまりない私にはできそうにありません。
現地で病気になったり倒れたりしたら、私が支援してもらわなくてはなりません。
道路や水道などインフラの復興にはお金がかかります。仕事を失った人たちには生活費が必要です。
私の居住地にある市役所の支所に募金箱が設置されましたので、気持ちばかりの募金をしました。
そして、もし家を失って住む所が無くなった人が来られたら、狭いですが職場の事務所に住んでもらおうかと考えています。