広島県福山市で、「家族関係」や「人間関係」で悩んでいる方々のカウンセリングと、子供たちの学習支援をしている『たあさん』です。(https://kazoku-to-kyouiku.com

 

 

 

 

年が明けて一か月余りが経ちました。今年もよろしくお願いします。

 

 

今回から、皆さんが読みやすいように、行間をあけて書いてみることにしました。

私自身も、この方が読みやすいと思います。

 

 

さて、今年に入って、新型コロナウイルスの話題でもちきりです。

中国での感染は、かなりの勢いで広がっているようです。

 

 

日本国内では、大型クルーズ船を除いては現在25名の感染者がいるとのことですが、死者は出ていないようです。

死者の数で言うと、交通事故によるものが年間4,000人弱(1日平均10人程)、自殺によるものが2003年の35,000人よりはかなり減ったとは言え、2019年は20,000人程(1日平均50人余り)です。

こちらの方が余程深刻だと思いますが、人間、未知のものに対する不安の方が大きいのでしょうね。

 

 

私個人は、異常気象の方に、より大きな関心を持っています。

昨年と今年、ここ中国地方では冬に雪が降らなくなっています。

 

 

スキー場は雪不足に悩み、雪かきなどの除雪作業に悩まされてきた人の中には、そういう作業が必要なくなって良かったと思っている方もおられるようです。

 

 

私の故郷は中国山地のど真ん中の雪の多い所で、私が子供の頃は、ほぼ毎年1m前後の積雪がありました。

学校が休みの日には、家の横の坂道でスキーやソリで遊んでいました。

 

 

近くの神社の前の長い坂道では、急斜面に雪を固めてジャンプ台を作り、上手な子はジャンプの距離を競ったりして、毎年のように子供たちが集まって遊んでいました。

また家の庭にかまくらを作り、その中に七輪を持ち込んで餅を焼いて食べたりもしました。

 

 

小・中学校では、毎年近くのスキー場で1日かけてスキー教室が開かれ、スキーを楽しんだ記憶があります。

中学校には学校にスキーがたくさん保管してあり、体育に時間に、雪の積もった校庭をノルディックスキー風にグルグル歩いて回るという授業もありました。懐かしい想い出の1つです。

 

 

最も雪が多かったのは昭和38年(1963年)1月で、一週間くらい雪が降り続き、最大3mほどの積雪があったと記憶しています。

その時は、平屋建てだった我が家は屋根まで雪に埋まり、玄関からトンネルを掘って外に出ていました。家の中は昼間も夜のように真っ暗で、一日中白熱電球を灯していました。

 

 

 

 

それが、1970年位から積雪量が徐々に減り始め、1990年頃にはお正月に積雪がない年がありました。

その時、90歳を超えていた祖母が「こんな年は生まれて初めてだ」と言っていたのが印象に残っています。

今から30年ほど前の話です。

 

 

それ以後は、お正月に積雪があったりなかったりの繰り返しで、徐々にない年の方が多くなっていきました。

それでも、さすがに1月中旬になると、もともと降水量の多い所なので30cm~50cm位の積雪がありました。

それが、今年は1月半ばになっても積雪がないのです。(地元にいる姉に確認しました)

 

 

全国的に見ると、北陸地方より北では冬型の気圧配置が周期的に強まり、かなり雪が降っているようです。

しかし温暖化の影響でしょうが、湿気の多い雪で解けやすく、すぐに解けて消えていってしまうようで、スキー場や雪祭りの会場などでは雪を確保するのに苦労していると、ニュース番組で報道していました。

 

 

地球温暖化の影響については、以前から度々(たびたび)触れてきましたが、看過できない喫緊の問題です。それは、世界中の国々で問題視されています。

 

 

1997年12月に京都で行なわれた国連主催の「地球温暖化防止 京都会議(COP3)」で「京都議定書」が採択され、二酸化炭素やメタンガスなどの温室効果ガスの排出量を国ごとに減らすことが定められました。

しかし、中国やインドは参加しておらず、その後アメリカも離脱したため、有名無実の内容となっています。

 

 

また日本では、2011年3月に東日本大震災による原発事故が発生し、原発停止による電力の不足分を火力(しかも二酸化炭素排出量の多い石炭火力)発電所増設でまかなうことになり、議定書に書かれている削減義務を守ることができない状況となりました。

 

 

自然エネルギーを利用した「太陽光発電」や「風力発電」なども増設されているようですが、天候に左右されるし、コストもかかり、不足分を補うには足りないのが実状のようです。

 

 

 

 

このような状況の中、2015年12月にはフランスのパリで「COP21」が開かれ、地球全体の平均気温の上昇を産業革命前に比べて2度未満(できれば1.5度未満)に抑えるという長期目標「パリ協定」が定められました。

ただし温室効果ガスの削減目標は各国に委ねられています。

 

 

そして、昨年12月にはスペインのマドリードで「COP25」が開催されました。

それには、スウェーデンの16歳の少女グレタ・トゥーンベリさんを始めとした世界の若者たちも参加し、大人たちに対策の強化を訴えて、大きな話題となりました。

 

 

しかし各国の利害の対立などから、パリ協定の具体的な実施策については合意を得ることができず、次年度以降の会議に持ち越されることになりました。

 

 

そうした中で、日本は2回も化石賞を受賞しました。

化石賞というのは、地球温暖化問題に取り組む世界120か国1300以上のNGOのネットーワークであるCANインターナショナルが、温暖化対策に消極的な国に与える不名誉な賞です。日本の石炭火力発電所の増設と火力発電設備の海外への輸出が批判されたのです。

 

 

石炭火力発電は経済的には有利であっても、天然ガスによる発電の約2倍の二酸化炭素を排出するため、気候変動の最大の要因の1つとされています。

この日本にとって不名誉な出来事は、国内外のメディアを通して世界に発信され、SNSでも拡散されました。

皆さんもご存知かと思います。

 

 

今回のマドリードでの会議で注目されたのは、現在17歳のグレタ・トゥーンベリさんの行動から広がった若者たちの抗議運動です。

グレタさんは、2018年8月、15歳の時に、スウェーデン語で「気候のための学校ストライキ」と書かれた看板を掲げて毎週金曜日にスウェーデン議会の外で呼びかけるという行動を始めました。

そのことがSNSなどを通じて世界中で知られるようになり、多くの学生が彼女と同様のストライキ運動に参加していきました。

ただし、日本ではその運動はあまり拡がっていないようです。

 

 

その後、国連事務総長のアントニオ・グテーレス氏が、「私の世代は、気候変動の劇的な課題に適切に対応できていない。これは若い人たちに深く感じられている。彼らが怒っているのも不思議ではありません」という声明を出し、グレタさんによって始められた学生たちのストライキ運動を支持する立場を表明しました。

またグレタさんの発言と行動は、母国スウェーデンはもちろんヨーロッパ諸国の国会議員や世界中の科学者、環境保護団体などの支持を集め、広がりを見せているということです。

 

 

 

 

ところで、日本でこの運動が盛り上がらないのはなぜでしょうか?

多くの人が「そうは言っても、お金を稼がないと、この厳しい競争社会の中で生き残れない」、「経済的に豊かになることは、環境問題よりも重要だ」などと考えているからでしょうか?

学校で、競争に勝つことを優先するような教育が行われているからでしょうか?

あるいは、自然環境の危機的な状況をマスコミもあまり報道しないからでしょうか?

 

 

私が感じるのは、日本で、もしグレタさんのような行動を中学生や高校生がとったら、たちまち攻撃されるだろうということです。

「学生の本分は勉強であって、そんな政治的な行動をすることは許されない」、

「彼女には発達障がいや強迫性障がいがあるようだが、そのような偏った考えを持つ人(しかも若者)の言葉を聞く必要はない」、

などという、それこそ差別的な偏見に満ちた声が聞こえて来そうです。

もしかしたら、いじめの対象とされるかも知れません。

 

 

そう考えると、ヨーロッパやアメリカの若者をはじめ、国連事務総長、イギリスの環境担当大臣などが、グレタさんの言葉に耳を傾け、彼女を大人と同様、対等に処遇し、公の場での発言まで認めたことは、多くの日本人との価値観の違いを感じざるを得ません。

 

 

年齢に関係なく、障がいの有無も関係なく、正しいことを主張している声に耳を傾けるということは、重要だと思います。

人は皆、対等に尊重されるべきであり、個人の存在にはかけがえのない貴い価値があると心から信じているから、できることでしょう。

そういう価値観をヨーロッパ諸国の多くの人々は共通に持っているのだと想像します。

 

 

以前に取り上げましたが、イスラム教圏をはじめとした「女性に学校教育は必要ない」と考える差別に対して命を懸けて闘っているマララ・ユスフザイさんの活動が世界で注目されるようになったのも、イギリスの放送局BBCを通してでした。

 

 

 

 

ところで少し話は変わりますが、これまでも「いじめ」については度々触れてきましたが、グレタさんのことを通しても、いろいろと考えさせられます。

 

 

たとえ周囲の人たちと違っていても、集団の和の中に馴染めなくても、その個人には価値があり、その声が正しいことを主張しているのであれば耳を傾け、尊重しなければならないという価値観が根付いていけば、いじめは減っていくだろうと思うのです。

 

 

日本の多くの学校では、皆と同じ行動をとり、全体の和を乱さないことが良いこととされてきました。

同じ年齢の子供たちが、ほぼ同じ内容の教育を受け、国の検定を受けた教科書が教えられています。

また、細かい規則が定められ、全体の秩序と規律を守ることが優先されます。

そういう教育が、日本の高度経済成長を成し遂げ、現在の日本社会をつくってきた訳ですから、全てを否定することはできないとは思います。

 

 

一方で、オランダには9歳の大学生、ローラン・シモンズ君がおり、カナダには14歳の大学生、大川翔君がいるそうですが、日本ではあり得ないことです。

 

 

9歳で数学検定1級を取得した安藤匠吾君が、昨年話題になりましたが、彼は日本の大学で学ぶことはできません。年齢制限があるからです。

それで、安藤君は「オンライン学習塾」や「ユーチューブ」などを使って、好きな数学を学習しているそうです。そして、「将来は数学の知識を生かして、地球温暖化を止める研究をしたい」と話しているとのことです。

 

 

一人ひとりの人間が、それぞれの個性や能力を活かして生きていくためには、周囲の理解や協力が必要です。

それぞれが自分の正しいと思うことを表明する機会が与えられ、その意見が尊重され(もちろん、反対意見もあって当然ですが)、持っている能力を開花させていける環境が備えられれば、自分の人生を活き活きと楽しんで生きられる人が増え、この世界はもっと住みやすい場所になるのではないかと考えています。