広島県福山市で、「家族関係」や「人間関係」で悩んでいる方々のカウンセリングと、子供たちの学習支援をしている『たあさん』です。(https://kazoku-to-kyouiku.com)

 

 

 さて、前回の続編のような話です。

 最近、「教育虐待」という言葉が聞かれるようになりました。子供への虐待と言えば、「身体的虐待」「精神的虐待」「性的虐待」「ネグレクト(育児放棄)」の4つでしたが、1つ追加されたような形ですね。あるいは「精神的虐待」の中に含まれるのかもしれません。

 子供は勉強があまり得意ではなく、勉強をすることに苦痛を感じているにも関わらず、親が自分の子供を有名中学・高校や有名大学に入れるために勉強を強いることを指します。問題が解けない時には暴力を振るう親もいるようです。

 そして、目標とする学校に入れないと、バカ呼ばわりされたり、人格を否定されるような言葉を浴びせられたリ、無視されたり、暴力を受けたりするのです。

 

 どんな親がそうなりやすいかと言うと、いわゆる有名大学を出た人が多く、自分の子供には最低でも○○大学には入ってほしいなどと思っている人です。そういう人がすべてそうなる訳ではなく、人間の価値は学歴や職業や年収などの社会的評価によって決まると信じ込んでいる人がなりやすいようです。

 

 私が続けてきた自助グループやカウンセリングに、そういう教育虐待を受けて育った人が時々来られます。そして、中学受験、高校受験、大学受験での挫折で、自分の人生は失敗だった、自分はダメ人間だと思っていることを語られます。

 でも、そういう人たちは、特別優秀という訳ではないにしても、客観的に見て力を持っている人であり、個性豊かな魅力的な人たちなのです。ただ、自分の人生は良い人生ではないと思い込んで、消してしまいたいとさえ思っている方が多くおられます。とても、もったいない話です。

 

 

 話は変わりますが、2014年に、史上最年少の17歳でノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんは、女性も男性と対等に教育を受ける権利を持っていることを、命を懸けて主張し続けています。

 パキスタン人のマララさんは、10歳の時にイスラム過激派によって教育を受ける権利を奪われます。そして翌年、イギリスのBBCにその窮状を訴え、BBCの協力を得て、自分を含む、教育を受けることを禁じられている世界中の子供たちが、平等に教育を受けることができるようにと世界に向けて主張し、世界中の共感を得ていきました。

 

 しかし2012年、学校からの帰宅途中、過激派によって頭部に2発の銃弾を受けて生死の淵を彷徨(さまよ)いました。

 その後、イギリスで治療を受けて奇跡的に命をとりとめ、今でも世界中の子供たちが等しく教育を受けられるようにと、国際会議や国連などで演説し、貧しい子供たちに勉学のための資金提供などを続けています。

 2019年3月には、国際女性会議出席のため来日し、世界中の子供たちが良い教育を受けられるように協力を求める演説をしています。

 

 教育を受けられず、文字が読めず、計算もできず、自分で仕事をして生きていくために必要な知識を得る機会を奪われた人たちにとって、教育を受けることは生きていくために必要不可欠なことでしょう。学ぶ機会が与えられ、そのための準備ができていれば、喜んで自らどんどん学んでいくでしょう。学ぶことは喜びであり、かつ権利であることを実感できるでしょう。

 

 

 今の日本においてはどうでしょうか? 学ぶことは喜びだと言える人が、どの位いるでしょうか?

 義務教育は無償で受けることができ、高校進学率は98%を超え、大学進学率も50%を超えました。しかし、喜びを感じながら学んでいる人よりも、残念ですが、苦痛を感じながら学ぶことを強いられている人が多いのが実情です。もったいないことです。

 多くの税金の使用や親の投資にもかかわらず、勉強嫌いの人たちが量産されています。もちろん、そうではない人たちもいるので100%の人が勉強嫌いだという訳ではありませんが、国公立大学に入るために苦手な数学や古文などに悪戦苦闘している人は大勢います。

 そして、劣等感と挫折感に打ちひしがれている人が多くいます。この現状は、何とかしなくてはいけないと思います。

 

 スポーツでも勉強でも、人よりも優れていることや1番になることを目標にすると、学ぶことや生きることが苦しいものになります。

 自分は自分らしく、自分が心から望んでいることを実現するために生きる。他の人との比較ではなく、唯一の自分として生きる。

 そのためには、学ぶ内容を自分で決められるようなシステムが必要だと思います。人間の人生は十人十色、みんな違っていて良いのですから。

 

 人と人が協力して行なわなければできないこともいろいろありますが、生き方、学ぶ内容、目標とすることは、それぞれの個人が決めて良いのです。生きる主体は個人なのですから、何を学び、どう生きるかは、親も含めて他者が決めることではないのです。