次世代を担う子供たちの現在そして未来 -57ページ目

全然気づいていなかったが

今年は2013年。


西暦に4種類の数字が使われている年は,1987年以来26年ぶりなんだって。


さらに,4つの数字を入れ替えて続き番号(2013→0,1,2,3)になるのは,なんと1432年(1432→1,2,3,4)以来のことなんだと。


 ツイッター流れてきたのですが,あまりにびっくりしたのでアップしておきます。全く気にしていなかったので正直ショック。早く気づいていれば,年賀状クイズの問題にしてたのに。


ちなみに,2013=3×11×61と素因数分解できることは,特に受験生諸君は頭にいれておこう。



新年は歯痛とともに

 皆様,明けましておめでとうございます。


 2012年はブログの更新が滞りがちで,twitterとfacebookへの書き込みが多くなっておりました。今年はできる限りブログの更新を増やしていきたいと思いますので,今後とも宜しくお願いいたします。



 さて,この数日間ですが歯痛に悩まされておりました。


12月28日の夜に,歯の詰め物が取れてしまったのです(詰め物が取れたことに気づいたのが遅れたために惨事が・・・)。


 食事の際に,何を食べてもしみて痛いわけです。とりあえず食事をやめて鎮痛薬を飲み,年齢から「歯周病かな?」と思いながら鏡とにらめっこ。


 翌29日。歯を磨くときも,患部付近では激痛が走ります。しみる箇所が歯茎付近だったこともあり,歯周病と信じて疑わず,嫁に抗生物質を出してもらって仕事に向かいます。


そう,この日から世間の歯医者さんはお休みなのです。


とにかく1週間乗り切ればいいや


 このときの私の考えは,大変甘いものでありました。授業前に鎮痛薬を飲むと,なんとか授業前後は大丈夫。痛くないうちに,バクバク食事をしておくしかありません。幸い,水気を含まないものであれば痛みが出ないので,ひたすらパン食でありました。


30日。授業最終日を何とか乗り越え,抗生物質と鎮痛薬で「イケる!」と思ったのもつかの間,翌日大惨事がやってきたのです。


31日。薬を飲んでから歯を磨き,何も食べずに嫁の実家へ。すっかりおなじみになりつつあったルーティンをこなしていたものの,昼食では「ほうれん草の水気」でさえ激痛を伴うようになりました。


そして,激痛の箇所がいままでとは違います。


歯茎? とんでもない。


明らかに歯の奥,虫歯のときの激痛でした。


ここで初めて,自分で「詰め物が取れている」ことに気づいたのです。


 時すでに遅し。2012年最後の夕食は,通常の1/4サイズにカットした焼餅を2つだけ。痛む歯に触らないよう,チョビチョビと食べるしかありません。もちろん年越しソバなんてもってのほか。薬を飲むための水を含むだけでも,全身を硬直させるほどの痛みと闘うハメになってしまいました。


 そして新年。朝10時に家を出て,向かった先はもちろん「休日診療の歯科」でした。診てもらった第一声が「これは我慢したでしょう,痛いですよね」でした。応急処置しかしないところなので,受付と診察室には仕切りがありません。嫁の爆笑が聞こえたあと,歯茎に麻酔注射を打たれ再び身体が硬直・・・。


 とにかく歯痛をナメてはいけませんね。歯が痛いと,とにかく集中力を欠きます。パソコンに向かって原稿執筆なんてムリムリ。薬で1週間何とか乗り切ろう,なんて考えは通用しませんね。

 


今年は身体に気をつけろ


という暗示だと思うことにします。皆様もお気をつけください。



「想定外」という言い訳をしないために(2)

この記事は,『ぶんぶんどりむ』2012年5月号に寄稿したものの蔵出しです。


●「想定外」という言い訳をしないために
 

 この一年我々は,「想定外」という言い訳をイヤというほど聞いてきました。これからの日本を背負って立つ子どもたちには,これ以上「想定外」という言い訳は使ってほしくないと心から願っています。
 だからこそ原発関係者が会見で口にした「これほど大きな津波が来るとは思わなかった」といった,「『根拠のない常識』を疑う習慣」をまず親が身につけ,子どもたちに伝えていく必要を強く感じるのです。

 
 例えば数学の学習に関して挙げると,勉強しなければならない理由を「入試で必要だから」と答える生徒の比率は決して低くありません。そして最善の勉強方法については,前述のように「試験範囲を何度も何度もチェックして,出来る限りミスをしないこと」だと,まじめに答える生徒も毎年います。

 
 これらは「根拠のない常識」の最たる例であり,目的と手段を取り違えている典型だと私は思います。勉強に限ってみても,こうした「根拠のない常識」に基づいた行動習慣の積み重ねによって「(範囲のある)定期テストだと大丈夫だけど,(範囲のない)実力テストになると弱い」「一度習ったパターン問題だと解けるけれど,自分でヒントを見つけたり今まで習った知識を組み合わせて解く発展問題は弱い」といった傾向を持つ生徒が,特にこの10年あまりの間に(つまり「ゆとり世代」の教育を受けている世代に),私の周辺でも大量に登場していることをお伝えしなければなりません。


 定期テスト前の試験範囲丸暗記にしても,中学・高校と教科数が増えるにつれて必ず限界が来ます。「覚えること」が勉強だと誤解すれば,問題文を一読して自分に理解ができなければそこで手が止まり思考停止になります。「覚えていない自分が悪い」と考え諦めることは自然であり,自分で何かヒントを見つける練習をしていなければ,とっさに出来るはずがないからです。


 そんな状況の中で自分たちの能力や限界を超えてしまえば,すべてそれは「想定外」の一言で片付いてしまいます。「想定外」が産まれる土壌は,実は小中学生のときから周辺にゴロゴロところがっているということを,保護者の皆様にはしっかりと認識していただきたいのです。


●正解のない時代を生き抜くには
 

 かつて共通一次試験が実施されていた頃には,数学において「答えの桁数とマーク欄の数が合っていなかった」時代がありました。例えば「43」と答えるのに,マーク欄が3桁分用意してあって「4」,「3」に続いて,空欄を示すマークを塗らなければならなかったのです。当時の学生は否応なくですが「ちょっと待てよ,本当か?」と一歩立ち止まり疑う習慣を,こうした場面でも試されていたのです。


 こうした経験を持つ方々にとってみれば,試験の問題が難しすぎて試験中から多くの生徒たちが動揺した,試験会場や廊下で泣き出す生徒が複数いた,他の教科にも影響したといった,いまどきの中学生に関する報告は信じられないものでしょう。


 しかし,これは決して大げさな例ではありません。こうした中学生はたくさんいて,すでに社会人として活躍している世代にも及んでいます。この弱さは中学生に限ったことではなく,日本全体の傾向だと考えておくべきでしょう。これから中学・高校と成長していく子どもたちにとっては,「グローバル化社会に対応するための使える英語」も大事ですが,その一方で正解のない時代を生き抜く「ちょっとやそっとでは動じないタフな思考習慣」の育成も必要だと思います。


長野の中学生が陥った「想定外の事態」に対する対処能力の低さには,「普通は教師が事前に指導しておくものでしょう」という一般論では済まない深刻な状況が隠れているのです。

「想定外」という言い訳をしないために(1)

この記事は,『ぶんぶんどりむ』2012年5月号に寄稿したものの蔵出しです。


 長野県教職員組合が,今春行われた長野県の公立高校入試において,数学の問題が全体を通して過去にない難解な問題だったとして,県教育委員会に抗議する異例の声明を発表しました。県教組によると,数学の試験が全体的に難解であったため,試験中から多くの生徒たちが動揺しており,調査によると試験会場や廊下で泣き出す生徒が複数見られたほか,他の教科にも影響したとの報告が生徒たちから寄せられたというのです。 (平均点は30.12点:報道はコチラ


●本当に「泣き出すほど」難しい問題だったのか
 

 県教組では「現行の学習指導要領を逸脱している」と判断し,県教委に抗議し外部評価を行うよう申し入れたそうです。書記長は「難解な問題を否定するものではないが、すべての問題を難しくすることは不適切だ」とコメントを出しているようです。
 

 さて,実際の難易度はどうであったのか,私も問題を解いてみました。その結果「指導要領を逸脱しているとは思えないが,教科書レベルを超えた問題が多数出題されていることは事実。50分という制限時間の中で一定の得点を得るには,それなりのレベルの類題を事前に解いていないとつらいだろう」と考えます。今回の出題レベルが今後のスタンダードになるとするならば,学校で扱う問題のレベルを上げない限り,塾に通う生徒とそうでない生徒の差が広がることが容易に予想されます。


●この騒ぎの背景は他人事ではない
 

 今回の騒動が起こったきっかけとして,実は「脱ゆとり」の影響を無視するわけにはいきません。今春の高校入学者から新学習指導要領がスタートするため,前年までの「ゆとりカリキュラムの入試問題のレベル」とは一線を画した「新指導要領を前提とした入試問題のレベル」を,来年以降のことを見据えて前倒しで提示したと考えることは,決して不自然ではないからです。生徒は過去問を通して入試問題の傾向を研究しますから,この結果によって「来年からはきちんと勉強しないとまずいぞ」と危機感を植えつける効果は充分に達せられたと思います。
 

 次に,一般的に公立高校の入試対策として考えられている「難易度が高くないので『減点勝負』,ミスしたらだめ」という「根拠のない常識」が影響しています。決して難しい問題を出題してはいけないわけではないのですが,トップレベル校から学力困難校と呼ばれるところまでが同一の問題を使用する地域が多数あることで現実には難しい問題を出題しにくくなっていることや,トップレベルの学校の合格ラインが9割を超えるような状況となり,「難しいことを自分なりに解きほぐして解決する能力」よりも「どの教科も万遍無く仕上げて苦手を作らず,ミスを少なくする能力」を磨くほうがより合格に近づくだろうという分析が,「根拠のない常識」を作り出しているのです。
 

 だから今年の受験生について言えば,こうした「常識」に基づいて準備していた人ほど,当日の動揺は大きかったと推測できます。一生懸命に勉強してきた人は悔しかったことでしょう。まさしく「想定外」のことが起こって,実力が出せなかったのでしょうから。
 

 そして,この傾向は高校受験であれ中学受験であれ,「脱ゆとり」の浸透とともに今後全国的に広がっていくことでしょう。世の中からのメッセージが入試問題に籠められるのは当然のことなのです。


(つづく)


子どもたちよ,理系に進め(2)

この記事は,『ぶんぶんどりむ』2012年12月号に寄稿したものの蔵出しです。


●求められる「理系の新しい役割」


 3人目の登壇者は大学准教授の方でした。彼女は「科学コミュニケーション」という新分野の必要性を話し,この分野には女性の進出が求められていると力説されました。

 この分野は「科学と社会のよりよい未来設計図を描く」ために不可欠だといいます。震災後の日本で考えると,地震予知や放射線といった事柄を通して科学者の説明が国民にとってわかりにくかったり不安を解消するまでに至らなかったりという事例があったこと,最近イタリアで「地震予知にからんだ学者に『安全宣言を出した政府をとめなかったこと』が問われ実刑判決が出た」件を例に挙げていました。 

 

 その上で,これらを解決するためには科学者が変わる(説明能力の向上など)必要があること,科学者に対する倫理教育も今後必要になること,そしてこれらを担う役割やポジションが空いていることを意識して勉強してほしいというメッセージを発信していました。


また,女性ならではの視点として,


「(彼女の)母世代は,外で仕事をすること自体少なかった。私の世代では,女性が仕事を持つことは普通になったが,まだまだ理系の仕事に携わっている人は少ない。だから,私の子ども世代においては,理系分野に女性が進出することが普通になっていてほしい。そのためには,今から社会に出て行こうとする女性たちの積極性に期待する」


と力説されていました。

 確かに理系の仕事といえば,白衣を着て研究室にこもっている姿を想像しがちですが,この科学コミュニケーションという新分野においては,理系の知識もさることながら,情報発信力や表現力といった文系理系の枠を超えた資質が要求されます。「これならやれる!」と考える人も多いのではないでしょうか。



●文理選択における数学の影響

 私が中学生や高校生と接している限り,文系理系の進路選択の際に「数学」との相性が大きく影響するケースをよく目にします。「数学が苦手だから(切り捨てて)文系」といった選択をする人は,特に女子に多く見られるのですが,はたしてこの方々はどうだったのでしょうか。


 意外なことに3人とも「数学は得意ではなかった」と答えました。むしろ国語や社会のほうが得意だったという答えを聞いて,参加していた子どもたちもびっくりしていたほどです。

 そして3人が口を揃えて言っていたのは


「進路選択では自分の興味関心を優先させた」

「英語や数学は,その道の専門家になろうとしない限り道具でしかない。最低限のスキルとして使いこなせればいいので,学校の勉強やテストにおいては(合格できるライン)そこそこでかまわない」


ということでした。


 特に南極探検隊の女性の「私は数学が苦手だったが逃げなかった。今考えると,悩んで失敗してそれでも考えたそのプロセスや経験が,今でも活きている」という発言には,私は心の中で拍手を送りました。



最後に,先日ノーベル医学生理学賞を受賞された山中伸弥教授の言葉を紹介します。


若い優秀な人が科学技術を志してくれないと話にならない。iPS細胞だけ見ていてもこんなのは数年で終わるものではなくて,5年,10年,20年とどんどん続いていくものです。そのときに支えてくれる人はいまの高校生であったり,大学生であったり,もっと小学生であったりするわけです。優秀な子どもたちが,どうしたら科学技術に入ってきてくれるのだろうか。


理系に進む子どもたちの芽は,小学生である今この瞬間にも育っているのです。