♪カンタンなんだよ こ・ん・な・の♪
「何やってるんだろ?」と一瞬思いましたが・・・
♪カンタンなんだよ こ・ん・な・の♪
フリですよ、フリ。踊っているのです。
心の中で歌っているのでしょうね。
いい姿勢じゃないですか。自分に言い聞かせてから問題を解くのだから・・・。
それよりも、その手の動きに気づいた自分が怖い・・・。
* * *
こんなことを書くと、この曲を知っている人からは「お前オタクだろ」といわれそうなのですが、私は全くアニメには興味がありません。ガンダムだって見ていないし、千と千尋の神隠しだって見ていない。もちろん「涼宮ハルヒの憂鬱」だって見たことはない。
知っているのは、ニコニコ動画で若者たちが踊っている様子だけ。
すっかり地球環境に優しくない体型になってしまった自分としては、せめて「踊ってみた」くらいチェックして、気持ちだけでも若々しく踊ろうかと(実際には画面を見ているだけで全く動けません)。だから「ハレ晴レユカイ」とか「阿部子」「やらないか」くらいはわかります。
ニコニコ動画を知らない人には何が何だかわからないでしょうが、簡単に言うと「いろいろな曲に合わせて踊った映像が公開されている」ということです。で、その中で多くの人に踊られている曲の一つに、このフレーズが出てくる「ハレ晴レユカイ」があるのです。先日「フィリピンの刑務所で囚人たちがこの曲を踊っている」というネタがTVで放送されていましたので、かなり一般的なものになってきたのでしょうか。
「アニメの曲に合わせて踊る(+コスプレ)→映像公開」
と聞くと、多くの人がオタクの人々をイメージすると思います。もちろん私だってそう思います。人の目を気にしながら、自分の部屋で踊っている人たちを見れば。
でも、最近の映像の中には、大学の学園祭で踊っている様子はもちろん、
・高校の体育祭(!) →文化祭は言うに及ばず
・中学の三送会 →「三年生を送る会」のこと
で踊っている様子もあって、ちょっとビックリ。
数多くアップされている高校の映像では、
「体育祭のクラス演技で踊る→終了後飛び入りを募る→100人以上が出てきて皆でもう一回踊る」とか、
「文化祭で踊る→大賞受賞→表彰の席でアンコール→女の先生も飛び入りで踊る(しかもうまい)」
など、私の学生時代には想像できなかったような状況を見ることができ、もう「オタクの世界の出来事」と言い切るには無理があるような気がしています。
しかも、こうした「学校行事で踊ってみた」人々は基本的にみんなうまい。中学の映像なんて、三送会でありながらちゃんとコスプレまでしていて「オタクのにおい」がしてくるのだけど、踊ってみると半端なくうまいのです。
踊っている人たちは、私のイメージする「オタク」とは全く別の人種です。
踊りのうまいオタクが増えているのか
すでにオタクの枠を越えた文化になりつつあるのか
私には理解ができません。
* * *
ちょっとだけまじめな話をすると、
数学を指導する者である限り、歳をとって最も気をつけなければならないのは、この「若者(学生・生徒)の感覚を理解できなくなってしまうこと」だと、昔から考えてきました。我々が常識と思っていることでも、世代が違えば常識ではなくなっていることなんていくらでもある。特に数学を指導するにあたっては、うまく言葉に出来ないが「感覚」で伝えることが必ずある。だから、その対象となる世代の考え方とか動向とかをつかんで、若者の周波数に私が合わせておく必要があるということです。
「わかりやすく伝える」ための工夫とは、話術とかテクニックだけではなく、この「感覚」が大きいと考えます。
最もカンタンに言えば、文章題で
「太郎君と花子さん」が出てきても今の子どもにはイメージがわくのだろうか?
とっかかりとして何と言う名前に変えれば食いつきがよくなるか?
といったことまで気にしている、ということです。自分の思いいれタップリに「松中君と今日子さん」ではまったく意味がなく、「今は何がヒットするのか」ということまで意識してきた、ということ(それを努力しなければならないところがオヤジのつらいところですが)。
で、ニコニコ動画もそのアンテナの一つして軽く見ていたのですが、見れば見るほど、
深い 深すぎる
私には理解できないことが多すぎる。
一つだけ理解できたことがあるとすれば、どうやらこれらの学校の中に「埼玉県」が多いということ。
さいたまの学校・先生は寛容だ。
「よく許すよなぁ」
まずここから入るのだから、ニコニコで踊る若者の感覚を理解するなんて、
♪カンタンなんだよ こ・ん・な・の♪
とはいきません。
でも、若者にとってはこの感覚を持っているのが普通かもしれない。このギャップを恐れているのは、それだけ私が歳をとったということなのでしょう。
↓これならカラオケで歌っても大丈夫かもしれません。
手ごたえを感じた日
東大の入試問題 (正八面体)の検索でこのブログにたどり着く人が、いまだに多いようです。
昨日の中2「放課後チャレンジ講座」にTVカメラが入るということで(鹿児島ローカルでしか流れません)、PRを兼ねてテーマを立体にしてみました。
①立方体の切り口の確認
②正多面体の相互関係
③見取り図を元にして切り口を復元(昔の筑駒の問題)
④東大の入試問題
⑤立方体の対角線を床面に垂直になるように立てて、真上から光をあてたときの影(慶應志木・北大)
の順番で100分授業。
なんとなんと、④、⑤をともに自力(ノーヒント)で解いてしまった生徒がいて、こっちがビックリ!
「何でこんな影になるの?」と説明させようとすれば、そこはまだお子様。
うまく説明する言語能力が伴っていないので、「うまく説明できないんですけど、とにかくこんな風になるんですよ」と。
その様子を見て、他の男子連中は「負けるもんか!」と競争してくれるので雰囲気は良い。女子連中はマイペースで試行錯誤しているが最終的にはいいところまでくる。
この中学、四谷や日能研の偏差値だと「ランク外」なんだけどね・・・。
この中2の子供たちでいえば、駿台受ければ3科偏差値67とか63とか取ってくる生徒がいる。九州地区の進学塾が主催した模試を受ければ上位100傑に5名入ってくる。
この学校の生徒たち、本当に将来楽しみ。
ちなみに昨日、この生徒が最も苦しんだのは
立方体の切り口の問題で切り口が自分の正面を向かない
もの。いままでの授業ではいつも切り口が自分の正面を向く形しかやらせていなかったそうなので、わざと意地悪してみました。
「切り口なんて楽勝だよ」とナメてかかった男子連中には、よい刺激になったことでしょう。
自分で立方体の向きを変えてしまえばよい
ということには自力で気づかなかったのでした・・・。
不健康
今週はずっと、月末の締切ラッシュと格闘中。
たった今、入試問題の解説2校分の原稿が終了して送信したところです。
土曜と日曜で、高数+週明けの放課後講座の原稿を作ります。
昨晩は現実逃避を兼ねて、18:00から21:30までホークス戦の中継を見てしまいました。
今日土曜日も18:00試合開始です。結局見てしまいそうです。
とりあえず今から寝て、14:00仕事再開ということで。
あっ、嫁さんが起き始めました。怒られる前にパソコンを切らないと。
フィレンツェの大聖堂壁に落書き
何気なくニュースサイトを見ていると、こんな記事が。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
岐阜市の市立女子短大(松田之利学長)は24日、学生6人が今年2月に海外研修旅行でイタリア・フィレンツェ市を訪れた際、13世紀から15世紀にかけて建設された「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きしたと発表した。
同短大はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を学長厳重注意処分にした。
発表によると、6人はいずれも現在2年生。大聖堂の大理石の壁に縦約30センチ、横約20センチにわたって、日付や自分の名前、短大名などを油性マジックで落書きした。 同3月、日本人旅行者が発見、同短大に連絡して発覚した。6人は「気分が高揚して書いてしまった」などと話しているという。
同短大は修復費用の負担を申し出たが、大聖堂側から「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。
大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観や環境の保全が義務付けられている。(6月24日読売新聞)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
で、いろいろ検索していると、現代社会は恐ろしいですね。
その落書きの画像だってすぐに拾えてしまう・・・。
おそらくワイドショーなんかでは、コメンテーターが「日本人として恥ずかしい」などと仰るのでしょうが、少なくとも私のようないいかげんな人間には、そんなことを言う資格はありません。
ただ、ただですね・・・
自分自身が大学生に接している感覚をあてはめると、
おそらく「物事の善悪」とか、「この落書きをしたらどうなるか」とか、
全く考えていなかったのだろうなぁと推測してしまいます。
授業中の携帯電話だって、「なぜダメか」を彼らに説いても治らない。
「見たいから」「メールが来たから」
自分で自分をコントロールするストッパーがついていないわけですよ。
「高揚して書いてしまった」って、ようするにノリでやったということですから。
言葉は悪いけど、「本能のまま生きてる」んじゃないかと思ってしまいます。
「ちょっと待てよ」と自分のやっていることを客観視する習慣は、やはり中学生くらいまでにつけないと手遅れになるような気がします。勉強でもお小遣いの管理でも、題材は何でもよいのだけど
もしも今コレをやってしまったら、この後の展開はどうなるのだろう
という想像力や自制心は、子どもが親の言う事にシブシブでも従ううちに身につけさせるべきだと思います。
この娘たちの結婚式のとき、エピソードとして紹介されたら凄いなぁ。
新婦は優秀な成績で大学を卒業しましたが、世界遺産であるフィレンツェの大聖堂壁に落書きをするというユニークで怖いもの知らずな一面もあり・・・・
ガッカリした話(久々に福岡へ戻る2)
すっかり書き忘れていたのだが、3月の終わりに福岡の実家へ帰った。
理由は友人の結婚式に出席するため。
この友人とは、改めて数えてみると32年の付き合いになる。ということは実家が築32年ということ。
実はこの友人、引越しで転校してきたばかりの私に「いっしょに遊ぼうよ」と最初に声をかけてくれた人なのだ。本人はすっかり覚えていないようだが、最初の頃は色々と親切にしてくれたものだった(最初の頃はね、最初は!)。
その後街全体が人口急増期に入り、小学校新設に伴い一旦別々の小学校に。中1で同じクラスになるも、中学校新設に伴いまた別々の中学校に。そして高校でまた再開と、ちょっと不思議な展開を経て今に至るのである。
* * *
という経緯があるものだから、この結婚式は私に「昔を思い出させる」キッカケとしては充分だった。父や母も同様で、彼らにとっても久々に聞いた○○君(友人の名前ね)の名をキッカケに、珍しく親子3人で昔話をすることになった。
ここで私は、長年にわたる疑問を両親に投げかけることにした。それは、
なんでこの街を選んだのか???
ということである。引っ越した当時は本当になんにもなく、最寄駅までのバスは1時間に1本か2本、夏は窓を開けていればクワガタやカブトムシが飛び込んでくるような環境だった。ところが、その後始まった急激な開発により、電車・バスの便も比較にならないほどよくなり、車でも都市高速を使えばヤフードームまで40分程度でアクセスできる夢のような環境に変わってしまっている。あえて聞くようなヤボなことはしないが、資産価値が目減りしたということはないだろう。
つまりこの父親には、
「先見の明」があったのではないのか?
と、私は長く思っていた。そういう背景があったから自分がマンションを買うときにも、「先々便利になっていく可能性」を考えて場所選びをしたのである。
で、お答え。
正直ね、「オォォ!」とうなるような答えを期待していましたよ。親と子ではなく、大人対大人としてね。
帰ってきた答え、聞きたいですか?
トイレが水洗だったから
だそうです。どうやらあの時代、少々安めの住宅はどこも「和式のボットン便所」だったらしくて、自分たちの予算でようやく見つけた水洗トイレの家に、すぐに飛びついたそうです。
やっぱり親子ですよ、親子。自分もマンションを買うとき「腹痛を我慢して帰ってきたときに、ギリギリで間に合うように」という理由を優先しようとしましたから。
自分が子供の頃思い描いていた「大人」のイメージって、
思慮深くて完璧、一言でいえば「凄い」
だったですよ。でも、今自分が大人になって、色々なことが見えてくるとわかることがある。
大人だってたいしたことないよ・・・