源俊賢は源高明の子で、母は藤原師輔の娘(兼家の姉妹)。道長とは従兄弟同士であり、かつ道長の次妻源明子の異母兄でもあります。権大納言に昇り、一条朝で四納言と称された能吏四人衆の一人として道長政権を支えました(その一方で、自らを蔵人頭に抜擢してくれた道隆に対する恩義を忘れず、道長政権下にあっても中関白家との良好な関係を維持した)。四納言の一人藤原行成とはとりわけ親交があり、長徳元年(995年)、俊賢が蔵人頭から参議に昇進した際、後任の蔵人頭に行成を推挙したことが後の行成の出世の契機となりました(行成はこれを多として終生俊賢に敬意を払い、位階が彼を超えてもその上席には座らなかったとのこと。また、俊賢の子顕基を女婿に迎えている)。

 

俊賢の家系からは平安末期まで公卿を輩出したものの、その後は堂上家に列することなく終わりました。なお、鳥獣戯画の作者とされる鳥羽僧正覚猷は俊賢の孫です。