手を通して伝えて行く辺りが似ています。
アロマをしていても、自然と流れるし、アロマをしていなくても、生活の様々なシーンで活用しています。
日本には、手当てと言う素敵な言葉があります。
手を当ててもらっただけで、治った気持ちになります。
そこに、アロマやレイキの相乗効果が加われば、更に癒しのパワーも強まります。
我が家の子供達は気付いているのか、いないのか(笑)
先日、知人のお土産でリンゴを沢山頂きました。
沢山頂いたから・・・皆さんにお裾分けしました。
それを見ていた娘はとても不満げです(笑)
「どうして、私にはくれないのに、みんなにあげちゃうの???」
と。
我が家の娘は面白い位に表情豊かで、怒ると頬をプク~と膨らませます。
それから、面白い事が起こりました。
私の脳裏に真っ赤な林檎が浮かぶのです。
最初は、気のせいかと思っていました。
でも、ふと、娘の方を見ると、こちらをジ~と見て、目を逸らしません。
「え???」
あ!そうか!!!これだ!!!
と、すぐに気付きました。
そうです。
娘が、テレパシーで、
「リンゴをくれ!!!」
と送っていたのです。
そんな馬鹿な話あるかっ!!!って思われそうですが、AC(アニマルコミュニケーション)に行くと、そういう練習をします。
その時と同じ感じです。
娘は何度もそうやって私にテレパシーを送ってくれていたのに、その感覚を掴めないでいる私が気付かな過ぎなのです。
最近では、アロマを使って、毎日テレパシーが通じます様に!っておでこをくっつけたりしているから、余計に通じやすいのかもしれません。
娘は、本当に、本当に、リンゴが欲しかったみたいです。
ACに行っていた頃は、静かな環境でテレパシーの練習をしていましたが、現実、なかなか静かに落ち着いて練習する環境ではないと言い訳しながら、サボっていました。
でも、そうではなく、やっぱり、繋がり、信頼関係なんだなぁと、実感した出来事でした。
そして、私達はみんなで仲良く、リンゴを剥いて食べました![]()
娘もシャリシャリと美味しそうな音を立てながら嬉しそうにリンゴを食べていました(^-^)/
我が家の娘は、猫に似ていると言われる事があります。
それは、何というか、猫好きの方には失礼な言い方ですが、気紛れな態度や、人の側を通る時の仕草や、丸くなって布団の上に乗る姿・・・様々な仕草が似ているのです。
そして、あまり、犬と言う生き物に興味が無く、どちらかと言うと、単独行動や、人間と居る方が好き。
あまり犬と交流を持たずに育ててしまったせいもあるのかもしれませんが、のんびりおっとりさんです。
お散歩に行くと、猫や鳥に異様な反応を示す事がありました。
電柱の上や電線の上の鳥をじ~と見上げている事があったり、猫を探してみたり・・・。
そして、昨日の事です。
相方がパソコン上で猫の映像を観ていた時の事です。
娘が側に寄って行って画面の中の猫に釘付けになりました。
そのまま身動きもせずにずっと、猫を追っています。
しまいには、パソコンの裏を探し回ったりしていました。
「お誕生日には猫をプレゼントしよう!」
と相方が言い出しました。
おいおいおい( ̄_ ̄ i)
玩具じゃないんだから![]()
以前、ホームセンターのペットショップで白くてブルーアイの子猫に出会いました。
他の子猫達が娘に威嚇している中、その子だけは、興味津々で側に寄って来て、こう言いました。
「ママ?」
未だ若かった娘は、
「ママ?やめてよ!」
とそっぽを向いてしましましたが、今ならどうなのかなぁと思い出す事があります。
娘と私の前世での繋がりは幾つか覚えている事もあるのですが、その中に猫だった時期があるのかは、未だ分かりません。
もしかしたら、猫だった時期もあるのかもしれません。
そのせいか、どうかは分かりませんが、娘は猫好きな様です![]()
桜の話の続きです。
桜を愛でる人、桜を疎ましく思う人・・・様々な思いがあるのだと感じました。
その事から、ふと思い出した事があります。
私の住む街には桜の名所が沢山あります。
その桜の花の話になった時に、一人だけ、
「桜?何処にあるの?」
と言って周りを驚かせた方がいらっしゃいました。
その方は、毎日通勤で有名な桜通りを利用していました。
何年もその桜通りを通っていました。
でも・・・。
その桜通りの桜にただの一度も気付かなかった!と言うのです。
一同ビックリです。
桜の花も、桜の花びらも、全く気付かないで、何年も通っていたと言うのです。
冗談かと思ったのですが、本当でした。
先日、その方が連れ添ったパートナーとお別れになったと風の噂で聞いた時に、人の価値観の違いについて思いました。
もしかしたら、桜への思いの違いの様に、小さな違いの様に見えて、大きな価値観の違いに後から気付いた時に、こうした別れは訪れるのかもしれないなぁと思いました。
桜の木を始め、私達にも、動植物にも寒い季節がやって来ます。
寒い季節を乗り越えて咲く花は綺麗です。
私達も、寒い季節や、辛い事を沢山乗り越えて花の様に、綺麗に咲き誇れたらいいですね。
子供達とお散歩をしていると、様々な方と出会います。
様々な方に話し掛けられます。
普段、きっと、私単独だったら何の接点も無さそうな方からも声を掛けられたり、挨拶を交わしています。
それは、きっと、この子達の特技でしょう。
この子達が人と私を繋いでくれているのです。
これって、凄い事だと思います。
お散歩道で、出会うのは沢山の人ばかりではありません。
木々も鳥も、わんこも、沢山出会います。
そんな中、素敵な木との出会いもありました。
桜の季節よりも早く、桜よりも濃い桃色の桜の様な木。
「一体、あの木は何て言うのだろう?」
と気になっていました。
ある日、その木の隣の畑のお婆ちゃんと子供達が話をしました。
そこで、私も挨拶をしながら、あの木について聞いてみました。
その木は、「オウミカンザクラ」と言うのだと、そのおばあちゃんは教えてくれました。
市役所か、県の人だったかが、珍しい木だからと言って調べてくれたのだと話してくれました。
私は、その木の名前を知った事が嬉しくて、お散歩の時に、知ったかぶりでその木について話しました。
きっと、そのうち、保存樹に指定されたりするんだろうなぁと楽しみにしていました。
でも、先日の事です。
その畑の向こう側がアスファルトになっているのに気が付きました。
見上げると、オウミカンザクラがありません。
「え???」
と思って、地面を見ると、オウミカンザクラは横たわっていました。
切られてしまったのです。
桜は、とても美しい花です。
でも、花が散った時、花が終われば毛虫、それが過ぎれば落ち葉・・・とても管理が難しいと、桜並木の付近の住民の方々がこぼしていました。
桜並木の木々は次々道路拡張の為に姿を消しています。
それとは、全く無関係かもしれないけれど、オウミカンザクラも姿を消しました。
勿論、私はそこの土地の持ち主でもなければ、桜並木の住民でもないので、その立場の気持ちは分からないし、勝手な事を言っているかもしれません。
ただ、桜を愛でる傍観者でしかありません。
でも、桜を植えたのは人間、伐採するのも人間。
と、思うと、何だか複雑な気持ちです。
子供達との散歩道の風景が変わって行きます。
今度の春は、ちょっと、寂しい春になりそうです。
桜の話はまた続く・・・。
確実に、木々が倒され、資源環境に変化が起こっています。
確実に、毎年毎年新しい家や建物が建っています。
それだけ、お家を建てる人が多いんだなぁってしみじみ感じます。
私は、ある一定の場所に家を建てる事ってあまり好きではありませんでした。
固定資産税とか掛かるし、維持費は掛かるし、ずっと、一生そこに住まなければいけないって事に違和感を感じていました。
でも、本来、生き物は家族を作り、巣を作り、子孫繁栄させて行く生き物だから、巣を求める気持ちとしては同じ事なのかなぁと思いました。
私の場合、家族と一緒であれば、そこが住処なので、何処でも構わない気もするのですが、生き物の本能の姿の一つなのかもしれないなぁとふと感じこの頃です。
一緒に遊べる森や林や空き地は減りましたが、それだけ、人が帰る巣が増えている、それだけ幸せの形があるって事なのかもしれません。
実は、アニマルコミュニケーション(略してAC)を学んでいた時期があります(現在お休み中です
)
何故かって言ったら、勿論、娘と話がしたかったから!
娘と話をしながらちゃんと家族の事を話したかったから。
その頃の私は、未だ本当に全くの初心者で、気付かない間に娘をワガママ放題に育て上げていたみたいです。
そして、本当に娘に対して依存症でした。
それは、今でも変わりは無い事ですが、自覚が無いかって、すっごく重要な事で。
その頃の私には、自覚が無かった気がします。
話は戻りますが、それでも、娘と共に一生懸命通って、練習して・・・いました。
お話する事も出来ていました。
でも、いざ、現実社会(普段の生活)に戻ってしまうと甘えが出て来てなかなか会話が出来ていないのが現状でした。
でもね・・・。
そんな中でも不思議な事がありました。
同期だった方は、もうきっとプロになってご活躍している事と思います。
私は、無理をせずに、自分のペースでやって行こうと決めて、ACの本を読んだり、野生の動物達と練習をしたり…なんてしていました。
本を読む時に、娘が膝の上に居るのですが、アロマをした後に、まったりとした就寝前の時間です。
本を読んでいると、私の頭の中に、誰かが一緒に読んでいる「声」が聞こえて来るのです。
それは、一緒に「音読」してくれている感じです。
それも、読んでいて、これは参考になる!って本の時だけ。
そのうち、それが娘なのだと気付きました。
って、気付くのすっごく遅過ぎなんですけれど・・・。
それは、娘の「声」でした。
でも、それは、私にしか聞こえていませんでしたし、娘も、膝の上で声を出したりもしていません。
ACの感じ方はひとそれぞれです。
耳で聞える人も、感覚で感じる人も、映像で見える方も・・・その全ての方も・・・それぞれです。
私の場合、未だそのどれも曖昧でまだらで、未熟なのですが、何となく「これなんだ!!!」ってのは体験しています。
そのACに私に大きな手助けを、貢献をしてくれているのが、アロマオイルです。
娘の大好きなアロマオイルを塗布してからだと、「話」をしやすいのです。
今では、毎朝の儀式の様に、娘のおでこに、息子のおでこに、そして、自分のおでこに、オイルを塗って、おでこをくっつけて・・・テレパシーを感じる(今日も感じられるといいね!!!って思いで!)事から一日が始まります。
お互いから香るアロマオイルに癒されながら、今日一日が始まるのです。