二つ考えたい。

1.  震災に遭って考えたこと。

 震災当時、神戸市バスの中でこんな会話があちこちから聞こえてきました。

 婦人同士の会話です。
 「おたくは  いかがでしたか?」
 「家が潰れて  ありません。」
 「そうなんですか?   わたしもです。家が潰れてしまいました。」

お二人とも穏やかに話しておられましたが、他府県の人が聞かれたら 驚かれる会話でした。

教室では  しっかりした可愛い女の子が私に話し掛けてきました。

「先生、世の中で一番怖いの何か知ってる?」真面目にたずねてきました。

私も  真面目に考えて地震?   雷?   など 答えました。

小さな可愛い女の子は「 違う。借金なんやで。借金は大変なんや。」

思いがけない真剣な顔での答えにびっくりしました。

こんな小さな子供まで 借金で  胸を傷めているなんて。家族内で話し合っておられたのでしょう。それを聞いて心配していたのでしょう。

当時  二重ローンを組まざるを得ない状況がたくさんありました。

で、私は、一体どのくらいの復興支援がなされるのか、海外では個人補償がどの位か気になりました。 

支援額は 当時約10兆円、神戸市の人口がだいたい120万人、(数字が違っていたらごめんなさい。) 約100万人被災したとして大まかに計算すると

10兆円➗100万は一人1000万円になる計算でした。4人家族だとざっと4000万円入る額。

残念ながら個人補償はありませんでした。

アメリカは 災害に遭うと  ところによっては一家族600万円の補償があると聞きました。

神戸の前に奥尻島が被災し、一家族、約600万円の見舞い金が募金より支払われたと聞きました。神戸の後でなく良かった、奥尻島だけでも個人補償ができ良かったと思いました。

税金は、厳しい災害が起きた時に個人を救うために使うようになってほしいと痛切に思いまし た。  

子どもなりにとても借金のことを心配している様子を目にし、考えさせられました。東北の震災もずっと気になっています。さっさと個人補償をし、賢い国民に委ねるべき。

原発は厳しすぎる。復興が進んでいない。 キュリー婦人の夫は、馬車ではなく放射線が原因で亡くなったのでは?と言われています。厳しい。

2.最近の話です。 

欧州の銀行が金融緩和をすると発表した時、銀行の総裁に二十歳前後の女の子が「金融緩和はお金持ちが余計お金持ちになるだけ。……」と言って、紙吹雪を彼女は総裁にぶつけました。

ぶつけるのはともかく、金融緩和を疑問に思っていた私は、彼女は偉い、放送局も偉いと思いました。私と同じ考えの子がいてうれしかった。

税金で金融緩和と言う名のもと、株価を支えているのでは?

今回中国の政府が5兆円の金融緩和をし株価を支えた?  1500億円ではなく、その33倍強の5兆円も政府が乗り出すなんて……。

でもね、日本では  中国政府が金融緩和する前に……日本政府は、30+60、90兆円もの金融緩和をしていました。

国民の数は少ないのに、借金は多いのに。株をしている15%の人に90兆円。

株は  自社株以外は80才すぎて  遊び金ですべきです。

借金してまでは……すべきでない。上がった、下がったと目くじらたてることとなり………。子供には見せたくない姿となります。やはり  遊びです。

人生そんなに長くない。勝った、負けたの生活もほどほどに ご恩返しの時間を取るべき。

政府が介入は幼稚です。卑怯です。勝つ人がいれば必ず負ける人が出る。それがまさか国民?

子どもも損をしているのでは?…。楽してのお金は身につきません。汗を流して、生産してのお金は輝いています。賢い国民にならなくては。

億兆のお金はとんでもないお金でした。計算  結構難しかった。間違っていたらごめんなさい。0をいっぱい書いての計算にトライを。

今株に年金も投じているので  失敗したら85%からも税金をとり穴埋めすることのないよう多くの子供たちを路頭に迷わすことのないようにと願います。

私たち  大人の責任です。勉強して賢い国民になるしかありません。

年金も投入したので、負けたら運用した団体の個々の個人財産没収又は、日々上がった、下がったを公開しなければまた大損をする。

真面目に地道に暮らしている人の生活がますます苦しくなる。年金での株運用で一時儲かったかもしれないけれど今は損をしている気がします。

年金機構の二の舞になるのでは?

とにかく財布が寂しくなりました。今からでも勉強は大切です。なのに経済学部を減らすつもりなんて……。年金の株への運用を減らすべき。年金が減れば子供に頼ることになってしまい 迷惑をかけてしまう。

お隣の国、中国の人は日本の年寄りが頑張っていることを頼もしく見てくださっています。

長寿はいいこと。世界の見本になりたい。七福神のお一人はお年寄りなのです。

なんだか頑張らなくてはいけない気がします。
 税金と教育、あんまり関係ない。

私もそう思っていました。でもおおいに関係あったのです。

数年前、ひとクラスの人数が上限40人から35人になりました。( 一年生だけですが。)  現場では少しでも目が行き届くので大喜び、少しだけゆとりができました。(ドイツではひとクラス26人で一人補助教員も居ると聞いています。)

ところが今年になって、財務省から35人クラスにしても効果がでていないので40人にもどすかもという意見が聞こえてきました。

びっくりです。

財務省のお役人、一度一年生の担任をすればいい。どれだけ一年生が一生懸命生活し、担任を頼っているかがわかる。(実は、頼っているのは一番がお家の人、二番が担任です。だからお家の人との信頼関係は大切)

低学年では嫌がらず尋ねてくれます。高学年ではプライドが邪魔をします。

ひとクラスの人数が少ないほうが行き届いた教育ができます。

財務省曰く、少しでも節約しなければいけないので40人学級にもどすとのこと。日本全体で節約できる費用はおよそ70億円。小さな節約でも大切とのことでした。

これからできる国立競技場は1500億円オーバー。35人学級に必要な費用の約20年分、なんか税金の使い方を考えてしまいました。

小さな子どもは投票できないから粗末に扱われてるなとおもってしまいました。

税金の使い方への関心は深める必要があります。

実は私は20年まえの震災の時に税金に関心を持つようになりました。神戸の学校に勤務していたので考えさせられました。

またの機会に記したいとおもいます。

税金は弱った人々に使っているかネットの普及で情報が得やすくなりました。兆や億の計算はややこしいけれど。

娘が 五年生の終わり位の頃 いきなり悲しい一言がありました。

娘  「お母さん、私 塾で叩かれててん。」
私  「え!‼️     うそお~。、、、いつから?」
娘  「2年前から。」
私  「えーーー。なんでもっとはやく言わないの?」

がっかりでした。多分課題もちゃんとせず、塾で娘は賑やかだった のでは?とは思いましたが、まさか叩かれていたとは。

出席板でたたかれていたとのことでした。、、悲しかった。

その話のあと 娘はすぐ塾をやめました。

子どもは親が心配するので、親が心配するようなことは言いたがりせん。それなりに気をつけていたつもりだったのですが。かわいそうなことした、申し訳なかったと思いました。

ここ最近、いじめが問題になっていますが子どもは親にはなかなか心配事は話しません。親が心配することがわかっているから、心配をかけたくないから。

周りの人たちが親より先に気付くケースが多い。教師の介入は必要です。優しい子はいじめが気になるので優しい子がこっそり報告してくれることが結構ありました。ありがたかった。

最近、世間では、能力主義が言われていますが、教育現場ではある年代まで年功序列のシステムが落ち着く。能力主義だと今現場は、異常に忙しいので若い人に先の見通しを伝えるゆとりがないため個人主義となる。

大事なことも伝えることをしなくなる、また、年配は危ない状態を経験したり見てきているので、危険回避ができる。

しかし、若い人は経験も少なく、先がみえないため、まともにぶつかり辞めざるをえなくなり立ち直りに時間がかかる。

年功序列だと評価を気にせず、忙しい中でもお互い助け合い、なんとか難題を共有しようとし、問題を解決しようとする。

大人の社会もあたたかい環境でないと大人はシビアなので隠す。報告しやすいゆとりのあるつながりのある教室や社会を作ることが必要です。
 
一人でクラスのいじめを処理するのは極めて難しい。たくさんの優しい目があって情報を共有し合って、なんとか解決できる。事が小さいうちに納得のいく解決が大切。

低学年では実は幼稚園のスコップを汚したことが原因になっていたり……。暴力は駄目ですがその前に口の暴力があったり……。

覚えているので大人がゆとりを持ってできるだけこどものそばにいて、話を聞いて、小さいあいだにあれ駄目、これ駄目と教えることが大切です。

学校でも駄目なことは駄目!とけじめを教えることも多い。

小さな時期はすっと注意を受け入れてくれる。その時、子どもはすっきりした顔と 叱られても納得した顔をするのでああこの判断でよかったんだとこどもの顔を見て安心します。

注意した後、2~3日は 喧嘩した子どもたちの様子をしっかりみています。低学年では、結構、どっちもどっちが多い。

よく話を聞き、様子を見ることが必要で、どとらも可愛いと思い、教師や周りの大人のゆとりが正しい判断を導きます。

高学年ではいじめる側にほとんど問題あり。いじめられる側は交通事故に合うようなもの。いじめられる側には問題が少ない。

仲良しのモデルはある程度似通っていますが、喧嘩の理由はそれぞれ。正しい判断ができたかは しばらく子どもたちを見守る必要があります。

教師の振る舞いがいじめの見本になっていることも……。

娘の一言  当時とてもこたえました。

うーーーん。もう我慢していることないかな。いくつになっても子どものことは心配デス。

孫のことも もっと心配デ~_~;☎️🎒⏰……心配ばかりでやっぱり年をとりました。
 娘が四年生の終わり頃、とんでもない正しい一言を言いました。それは、 とてもショックな正しい一言でした。

    娘  「お母さん、私、幼稚園位の頃、お母さんが誰かわからなかったんやで。私のお母さんはおばあちゃんやと思ってた。」
 
私はそれなりに育児をしていたつもりだったので、 とてもショックで涙がでそうになりました。

でも納得しました。幼稚園の頃  娘は 私の言うことをきかず、やりににくかったのです。娘は私を母と認識できなかったのだから、母とは思わない人の言うことなんかきけない、きかなくて当然だったのです。「母だ。」と口だけでは駄目で、母をしなければ認識ができないんだと思いました。

悲しかったけれど納得した瞬間でした。

私の母は子どもが大好きで子どもに優しく対応します。母は最初の子どもを死産し、小さな亡き骸を見送った悲しい経験があるため余計に子どもを大切にしました。私たち姉弟も大切に育てられました。父の協力を得て。

だから母は孫にも優しく、よく話をきき孫を大事にしました。

私は?というと仕事が終わって母に礼を言って、娘を連れて帰ると時間もゆとりもないので「はやく食べなさい、はやく片づけなさい。」イライライラ、イライライラ、「はやく準備しなさい、はやく風呂にはいりなさい。はやく寝なさい。」ゆとりがないので命令口調、はやく、はやくの連発…………やっと寝た。

そこへ 旦那が帰宅。イライライラ、喧嘩も始まります。

娘はそんな私を母とは認識せず、優しく落ち着いて話を聞く私の母を母と認識したのです。

私はやりにくく、なんでかなあと当時、悩んでいました。まさか私を母と思っていなかったとは………。当然私は娘の母やと思っていたので、、、び、びっくりでした。

でも 娘の私を母と思ってなかったと言う一言をきき、私は納得しました。私は怒ってばかりで手抜き育児、でも娘の母は当然私やと、当然の考えをしていました。娘はそうは認識してなかった。娘にとって母は形だけの私ではなく、孫をおもい、孫のために時間をかけ世話をした私の母でした。

今思うとそれが小さな子どもにとっては当然だったのです。私はこわいだけの口やかましいおばさんでした。母ではなかったのです。とてもショックでした。やりにくくて当然だったのです。

娘はよくみていたのです。ショックでしばらく考えこんでしまいましたが考えさせられた一言でした。娘が私の言うことをきけなかった理由に気付いた瞬間でした。子どもはうまく口では表現できませんが鋭く正義感が強くよく観ています。子どもに教えられた強烈な一言でした。

今でもおばあちゃんの方がよさそうでして……。

育児より仕事のほうが楽でおもしろい。仕事は はやく結果が出て、ちょっと頑張れば評価が出てお金まで入る。育児は24時間休みなし、できて当たり前、子どもが失敗するとあの人なにしてるん?と冷たい視線、当然 無報酬、今では優しい目もなければ優しい言葉も少なくなった。

お母さんたちは頑張っています。私は教師時代、いよいよ困ったときにはお母さんに了解をとってお父さんに文句をいいに行っていました。

お母さんたちは頑張っています、倒れる一歩手前まで。

お母さんたちには感謝あるのみでした。子どもをしっかりみて可愛がっています。子どもは本当にかわいいです。

お父さんもこどものそばにいてしっかり可愛がってください。純粋なので教わることが多いのです。

子育ては子どもが3才になるまでは休みなし、仕事の5倍しんどい。

日中、母親は裁判官の役、警察の役、クリーニングの事業者の役、医者の役、栄養士の役他一人何役もこなしています。

三年間は本当に大変。子どもがおとなしいときは熱を出しています。叱ってばかりだとこわいおばさんにまちがわれます。さんざんです。

でも娘の一言効きました。反省。
小学校低学年ではトラブルの相手が人間とは限りません。

朝、教室に行くと血相を変えて男の子が逃げてきました。
「恐かった。にらまれた。」
私  「え‼️  大丈夫?    どこでにらまれたの?」
生徒   「池のそば。」
私  「柵の中には入らなかったよね。魚  いた?」
生徒    「うん、入らなかった。魚いたよ。」
私  「大きかった?」
生徒     「うん。うん。大きかった。上から鳥がきて歩いてきて、上からにらまれた。」
私   「え!!こわかったでしょう。鳥さん上から 魚つかむ子いないか見張っていたのかも。」

どうやら140cm前後の首のほそ~いあおさぎにライバルと間違われてにらまれてきたようです。一年生だとまだまだ小さいのでさぎのほうが歩いて来ていばって上からにらんだようです。

背も子供よりちょっとだけ高く威厳があり言葉も通じないのでこわかったようです。言うと安心したのか、  「こわかったね。助けに行くからね。」の私の声を聞くかきかないかのうちにまた元気に運動場にむかいました。

青さぎの姿はもうありませんでした。

「かまれた。」と教室に帰ってきた子、ありんこにかまれていました。しっかり説明をしてくれるので助かりました。

休日の次の日、ざりがにの話題になったので、私が、「はさまれなかった?大丈夫やった?」と尋ねると、生徒「はさまれた。でも大丈夫やった。」などなど。低学年は小さいので他の生き物のこわさを時々味わっています。

話を聞くと安心した顔をしてくれます。話を聞いてかわいいなと思ったことがたびたびでした。
12月になるとサンタさんの話題でにぎやかです。

少女A:「サンタさん いると思う?」
少女B: 「いるに決まっているよ。」
少女A: 「なんで?」
少女B: 「だって、あんな高いの買ってくれないもん。」
少女A: 「ほんまやねぇ。」

そばにいた男の子が間髪いれず、「いるに決まってるやん。僕なんかふまれたんやでぇ~~。ぜったいいるよ。」

と言いい、自信を持って私をみたので    

「いると思うよ。」
とだめおししておきました。みんな納得しうれしそうな笑顔で運動場へ向かいました。

サンタさんも大変。でも踏まないでね。低学年はまだまだメルヘンの世界。
いっぱい夢を描いてほしいと思いました。
子どもの観察力は鋭い。完敗という体験話です。

小学校低学年位までの子は口で上手に表現できないぶん、よ~く観察しています。本当にびっくりするくらい。例をあげますね。本当の話です。

教師時代、頭の髪がクチャクチャになりよく休みの日カットにいきました。月曜日ひっそり教室に入るのですが100%指摘されます。「あれ!髪違う。」「前髪短い。」「似合ってるよ。」「髪切った!!」賑やかです。

服をかえると「服が違う。」もちろんこれぐらいは驚かないのですが、たまに薄くマニュキアを塗っていくと「今日はマニュキア塗ってるねぇ。」とおしゃまな女の子からの指摘。運動靴をかえると「運動靴かえた!!」,元気な男の子が指摘します。口紅の色をかえると「今日は、口紅の色が違うねぇ!!」

びっくりです。  「ひえぇ~!!   私忘れてたのに!!」まさに頭のてっぺんから足の先までの鋭い的確な指摘に驚くことが多かった。よく見ているのです。ごまかしはききません。

毎日が真剣勝負でしたが可愛くて嘘がない楽しい日々でした。低学年を多く受け持ったからかもしれませんが、どの子も本当にかわいかった。

そんなこんなでヤイヤイこどもに言う前に先生が鍛える姿を子どもに見せることは大事です。子どもは真似も上手で楽しんでいます。マニュキア塗って行った日にはあちこちで女の子が赤鉛筆で爪を塗っておりました。苦笑いの私は次の日リムーバーのお世話になりました。

でも大人は艶が無くなるので大人はおしゃれも必要よ~と言っとかなくっちゃと思ったり、、、。鍛える姿を見せるのは効果があります。本当によくみています。

三学期の終わり頃にはあちこちにミニ私が出現、あちこちで「ま!いいか!!。」   「だめ、だめ、だめ。」慌てる私がいます。でもどの子もかわいい。ひと周り大きくなった子どもたちをほほえましくたくましく感じながらながめていました。

死ぬまで勉強、自分を鍛えたいなと思います。でも昼寝が増えた最近の私はメガネ探しに忙しい日々を送っています。若い頃の5分の1しかはかどりません。目の良かった私は眼鏡探しは致命的、探しているうちに何をするのか忘れたりヤバい日々が続きます。

いずれ80になる私を想像すると今はまだ若い。頑張って鍛えなくっちゃ。年を重ねるのも楽しいよと言えるように。

子どもたちの観察力には完敗の話でした。

自分を鍛えること

これも結構難しい。まず最強の敵である自分の怠け心と闘い、次に 移り気と闘い、そして時間との闘い。

私はほとんど完敗、ま、いいかとすぐ妥協してしまう。で、どれもこれも中途半端、ねずみに生まれてたらかじるの上手だから出世したのにと時々思います。

鍛える難しい。とにかく続けることが大事です。続けるには 好きなことに挑戦するといいです。

若い頃私はお茶、お花、ランニング、英会話、エレクトーンに挑戦しました。この中で鍛えられたと痛切に感じたのはどれだと思いますか?

私にとって難しく知らず知らず鍛えられたのはエレクトーンでした。足でトントトーンと弾きながら左手は伴奏、右手で旋律。これは人間のなせる技ではない、弾ける人がおかしい、うまくできない私がまともだと自分にいい聞かせ、一人納得していました。

人間技のようにはおもえない、絶対できないと思いました。手は簡単な伴奏、ドドソソララソ、 でもその中に足が全然入る事ができません。自分の足なのに。入る人がおかしいいつもの自分を正当化する私がいました。

難しくてできませんでした。暇があれば挑戦しました。電車の中でもひっそり練習しました。手と足がバラバラで全然うまくいきませんでした。電車の中の変な人となっていたかも。

エレクトーン教室ではすっかり落ちこぼれ。でも先生が優しくて通うのが嫌にはなりませんでした。あきらめかけた頃 手と足が合うようになりました。うれしかった。

継続すなわち鍛える?ことはすごいし楽しいと思いました。楽器に挑戦することは自分との闘いです。つたない自分を知ることができます。自分を鍛えるいい道具の一つです。

鍛える、すなわち自分の心との闘いそして継続することです。継続は力なり。自分の拙さに気付き謙虚になります。謙虚になると他の人のことも大切になり楽しいですよ。

これから夕方活動つまり夕活が導入されます。有意義活動、フラワーアレンジメント、ロッククライミング他スポーツ、音楽などなど有活は楽しいです。自分の怠け心他と闘い、自分を鍛えることは楽しいです。

楽しいと感じるまでには時間がかかりますが。自分を鍛えている人は輝いています。自分を鍛えている人も大好きです。

強敵なる自分を鍛えて輝いてください。スタートするのに遅いはありません。
🎀信頼できる人をみつけるのは結構難しい。難しくて当たり前。

ではどうすれば見つけることができるか?

肩書きに関係なく同性の優しい人をみつけてください。

優しい人はよく人を見ています。優しい人のそばは居心地いいです。

ネットやメールではなく直接会って話をし、心地よい雰囲気を味わってください。

でも優しい人が去ることもある。そばにいるとこの人を傷付けてしまうと思った時、優しい人は迷わず去って行きます。

その時は、その優しい人を恨まず、自分の至らぬ点を反省して次の優しい人を見つけてください。

そしてその人と信頼関係を日々築いてください。優しい言葉も忘れずに。楽しい人生を歩んでください。

まず スタート。スタートで遅いということはありません。本当に。

私は優しい人が大好きです。次は 自分を鍛えることについて時間ができればお話したいです。
子育ては手さぐり。だから不安で大変です。

一人で悩まないで信頼できる人に相談すると自信を持つことができます。

同じ環境の子どもは一人もいない。それぞれ違います。

でも子どもは本来はピュアで一生懸命、とてもかわいい存在です。そのことを忘れず、どうしていいかわからないときはしっかり子どもを抱きしめてやってほしい。

「もういいよ.」と言ったときが巣立ちのとき、喜んで離れて見守ってください。

自信を持って子どもに接すると必ず自立します。人は一人では生きることが難しい。

実は子どもは上手に言えないぶん、大人をしっかりみています。ふらふらしている大人を鋭く見抜きます。

自信がなくなったら、大人の私たちは信頼できる人を見つけると楽になります。信頼できる人を見つける方法を次の機会にお知らせできたらと考えています。

教師時代、子どもを教えているつもりが教えられ、親御さんを支えているつもりが支えられていると感じました。

信頼できる人にたくさん出会うことができました。信頼できる人のそばにいるのは楽しいです。