娘が四年生の終わり頃、とんでもない正しい一言を言いました。それは、 とてもショックな正しい一言でした。

    娘  「お母さん、私、幼稚園位の頃、お母さんが誰かわからなかったんやで。私のお母さんはおばあちゃんやと思ってた。」
 
私はそれなりに育児をしていたつもりだったので、 とてもショックで涙がでそうになりました。

でも納得しました。幼稚園の頃  娘は 私の言うことをきかず、やりににくかったのです。娘は私を母と認識できなかったのだから、母とは思わない人の言うことなんかきけない、きかなくて当然だったのです。「母だ。」と口だけでは駄目で、母をしなければ認識ができないんだと思いました。

悲しかったけれど納得した瞬間でした。

私の母は子どもが大好きで子どもに優しく対応します。母は最初の子どもを死産し、小さな亡き骸を見送った悲しい経験があるため余計に子どもを大切にしました。私たち姉弟も大切に育てられました。父の協力を得て。

だから母は孫にも優しく、よく話をきき孫を大事にしました。

私は?というと仕事が終わって母に礼を言って、娘を連れて帰ると時間もゆとりもないので「はやく食べなさい、はやく片づけなさい。」イライライラ、イライライラ、「はやく準備しなさい、はやく風呂にはいりなさい。はやく寝なさい。」ゆとりがないので命令口調、はやく、はやくの連発…………やっと寝た。

そこへ 旦那が帰宅。イライライラ、喧嘩も始まります。

娘はそんな私を母とは認識せず、優しく落ち着いて話を聞く私の母を母と認識したのです。

私はやりにくく、なんでかなあと当時、悩んでいました。まさか私を母と思っていなかったとは………。当然私は娘の母やと思っていたので、、、び、びっくりでした。

でも 娘の私を母と思ってなかったと言う一言をきき、私は納得しました。私は怒ってばかりで手抜き育児、でも娘の母は当然私やと、当然の考えをしていました。娘はそうは認識してなかった。娘にとって母は形だけの私ではなく、孫をおもい、孫のために時間をかけ世話をした私の母でした。

今思うとそれが小さな子どもにとっては当然だったのです。私はこわいだけの口やかましいおばさんでした。母ではなかったのです。とてもショックでした。やりにくくて当然だったのです。

娘はよくみていたのです。ショックでしばらく考えこんでしまいましたが考えさせられた一言でした。娘が私の言うことをきけなかった理由に気付いた瞬間でした。子どもはうまく口では表現できませんが鋭く正義感が強くよく観ています。子どもに教えられた強烈な一言でした。

今でもおばあちゃんの方がよさそうでして……。

育児より仕事のほうが楽でおもしろい。仕事は はやく結果が出て、ちょっと頑張れば評価が出てお金まで入る。育児は24時間休みなし、できて当たり前、子どもが失敗するとあの人なにしてるん?と冷たい視線、当然 無報酬、今では優しい目もなければ優しい言葉も少なくなった。

お母さんたちは頑張っています。私は教師時代、いよいよ困ったときにはお母さんに了解をとってお父さんに文句をいいに行っていました。

お母さんたちは頑張っています、倒れる一歩手前まで。

お母さんたちには感謝あるのみでした。子どもをしっかりみて可愛がっています。子どもは本当にかわいいです。

お父さんもこどものそばにいてしっかり可愛がってください。純粋なので教わることが多いのです。

子育ては子どもが3才になるまでは休みなし、仕事の5倍しんどい。

日中、母親は裁判官の役、警察の役、クリーニングの事業者の役、医者の役、栄養士の役他一人何役もこなしています。

三年間は本当に大変。子どもがおとなしいときは熱を出しています。叱ってばかりだとこわいおばさんにまちがわれます。さんざんです。

でも娘の一言効きました。反省。