公教育に30年奉職し、下野。持病とパワーハラスメント等で、初心を頓挫。『教學 相長ズ』を信条とす。芭蕉・唐詩・漱石を愛す。'94年より、吟友會事務局長に就任。三部作・一筆啓上・一期一会・琴線に…。出版・明治書院(国語)・正進社(道徳)等。書歴は合算55年目。
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テーマ『元・教師として』 大学の授業は男子学生に比べ、概ね女子学生の方が真面目に授業に臨む。(我々世代と言うか、私個人の見解である。)新型コロナウイルスの問題を抜きにして、'77年に卒業したわけだが、その後の学生の姿、学問に対する姿勢は、判らない。 【教員免許証】は、私達世代の中には、【嫁入り道具】の一つにする学生が居なくはなかった。しかし、免許証を持つことと、実際に教師となって現場に立ったか立たなかったでは、雲泥の差なのである。反感を呼びそうな物言いをすれば、教職過程の完備されている私大、あるいは、国公立私立大学の中に教員養成学部や学科があり、履修して単位が取れれば、誰だって教員免許状は持てる。 婚活サイトのグループにも、「教員免許状を持っています」のそれがある。教職を取った背景には、取らなかった学生よりかは、忙しさが違う。評価対象になることは、教師にならなかったなら、単位をたくさん取りましたで賞くらいの褒めことばくらいで充分である。私立高等学校に教授の口効きで就職したなら、【採用試験を通過】した価値は付かない。縁故就職でも同じ。 免許状だけを盾に取り、鼻高々なんて付加価値はゼロである。 私は【採用試験】で1年浪人したが、アルバイトをしながら、試験勉強はした。500人規模の町工場的な所で汗を流した。難関だったことは言うまでもない。【小学校教師に女性が多くなった背景】とか【教師の質の低下】の問題はここでは語らない。
テーマ『作品』 取り立てて説明はいたしません。
テーマ『つれづれに』 昨日、上の甥っ子の結婚祝いのメールを送信した。すると、「ユーザー不明」の自動配信がリターンされて来た。私は妹経由で、長男の許に届く手配を願った。その後の音沙汰がない。妹は、頼まれたことをしてくれたのか、こちらは判らない。甥っ子に届いたのかも判らない。結婚祝いと言っても、長くかかった【入籍祝い】と言ったほうが正確だ。実際は、年上彼女の所に転がり込み、同棲をずっとしていた甥っ子だった。【今時の有り様】で、彼女はバツイチなのだ。私は古めかしく、既成の日本漢詩を贈った。木村岳風とある物もあれば、私の流派では、源 八岳ともある。以下のそのコピーである。 結婚を祝す詩 木村岳風良縁成立誓神明結得偕老同穴盟親戚朋友罩心祝叉祈隆隆家運榮相励相援供苦楽勿忘此日此時情既成の漢詩です。先々週だったかな?お母さんから伺いました。ご結婚・入籍、おめでとう。最近はお互いにお目にかかってなくて、ご無沙汰しています。漢詩の読み方は、良縁成立して神明に誓かふ結び得たり偕老同穴の契り親戚朋友心を罩<コ>めて祝し叉祈る隆々たる家運の栄を 相励まし相援<タス>けて苦楽を供にす忘るる勿<ナ>かれ此の日此の時の情※キーワード、調べるとしたら、「偕老同穴の契り」だネ。これは私が書いた書。添え書きは、 「人は一生の中でどの道を歩くか迷ふ/しかしながら選んだ道にそいそう間違いはない/」 過ぎたから、こんな境地やことばが頭に浮かんだり、至ったりする。慶亮君の道も、選ぶべくして選んだ道で、パートナーも出逢うべくして出逢い、夫婦になるべくしてなったことだと思います。お幸せに。 と、こう結んだ。伯父から甥への書簡同格のメールである。何もリアクションのない、親子・妹と甥であれば、私は許さない。マナー違反、道義違反も甚だしい。
テーマ『シニアライフ』 昨夜から今日にかけては、よく寝た。本来なら、車のディーラーへ、6ヶ月点検で13:00には納車する予定だったが、寝込みの着信には気付かず、/17日、日曜日にずらしてもらった。一週間の疲れがどっと土曜日に現れたことになる。 そりぁ無理もない。66歳が、【庭仕事】をしての、【屋外で、書作品の練習】もしたり、【ブログを更新】したり、不定期と決め込んでいるが、敷地内に設置した【松華版に原稿を考えては200文字前後に纏めたり】少なくも、【4つのノルマ】がある訳で、はたから見たら、「一体、あのジジイは、いつ寝ているんだろう?」と、疑問を持たれても不思議でない。 加えて、TSUTAYAからDVDをレンタルしてきて、同じ作品を何回も観る。昨夜も、『君は月夜かに光り輝く』を最初から最後まで見た。 まみず;「苦しいよ」「心が苦しいよ。」「卓也君って、たまに優しいネ。」 卓也;「たまには余計だよ。」 まみず;「もう、生きたくって、生きたくってしょうがないよ。」 卓也;「まみず、君のことが好きだ。」 まみず;「そんなこと言われても困る。だって、私も卓也君のこと好きだから。」 このへんの台詞は諳じて、何め見ないで書ける。 【66歳が、青春恋愛ドラマを観ても、何等、処罰される法】も、ないだろう。皆、等しく17、8歳を通り過ぎてきたんだ。
テーマ『作品』「天地人」 私は武田双雲氏のここ10年くらいの書への取り組みを感心していない。従って、揮毫された作品もさることながら、文字も嫌いだ。起筆、終筆のあざといラインが好きになれない。興味のある方は大河ドラマ『天地人』の題字を見てみるがいい。私の指摘した箇所は、まるで、竜か鯰の髭が伸びたようなラインになっている。書の好みは人それぞれで、それがいいと言う方もいよう。私の揮毫したものは、5枚以内くらいで公開に踏み切った。
テーマ『シニアライフ』 題目「おじさんとおじいさんの境目はどこ?」 近所の幼児や小学生からは、かろうじて、「おじさん」と呼ばれている。而こうして、「おじさん」がいつ、「おじいさん」に変わるか、冷や冷やものでいる。私に子どもがいて、見映えとして、祖父↔️孫の関係に見えれば、間違いなく、「おじいさん❗️」と、呼ばれるに違いない。ただ、何処にも、孫らしき幼児を連れて歩いていない。だから、未だ、「おじさん」なのかもしれない。 近頃、「爪」や「手の甲に老人特有のシワ」を発見した。 「爪の老化」は、10本の指の爪、殆んどに、【縦のシワ】が入り、爪そのものに、凹凸を感じる。未だ、「おじいさん」と呼ばれたくはないから、ヤスリで、このシワを平にしている。 ドラッグストアーで、透明のマニキュアや、除光液、ヤスリをひと揃え買ったが、長続きしない。 手の甲の独特のシワは、ヒアルロン酸入りのクリームか何か付ければ、回避できるだろうが、そこまではてが回らない。 どうやら、「おじさん」と「おじいさん」の境目は、手入れをするかしないかで、5年~10年の差が出るのかもしれない。
テーマ『映画・DVD』 「君は月夜に光り輝く」 不自然に思えた点。 実際には存在しない病気に冒されていた渡良瀬まみずの【発光病】は、不治の病で、治療法も確立されていない、二十歳までは生きられない。 ここは理解できたが、それほどに難病ならば、普通、10万人に1人の確率で発症とか、何十万人に1人の確率で発症といった病気だろう。卓也を取り巻く精々、100人の中に、友達の兄貴がやはり【発光病】だったこと。100人足らずの中に2人も登場していることに無理がある。
テーマ『作品』 実は、筆を持っての作業は一年の上、室内から、屋外へと移動した。書道となると、室内の机の上でとか、畳の部屋に下敷きを敷いてが定番のスタイルだろうが、「屋外で書いたらどういうことになるだろう」の興味もあって、家の屋根と【犬走り】といって、敷地の平面から20cmの高さにコンクリートで、家を地震の災害から、樹木に例えるなら、大地に根を張り、家屋を支える部分がある。その【犬走り】に下敷きを敷き、筆を執っている。まぁ、その心境が今日の作品である。
テーマ『映画・DVD』 タイトル「次世代に椅子を譲った脇役達」---長谷京、優香、及川博光 北村匠海があと40年、50年俳優業を続けていたら、生前の三國連太郎や現在の佐藤浩市のような、寡黙でことばを語らずとも演技する【渋めの俳優】になるに違いない感触を『君は月夜に光り輝く』で確信した。 また、竹内結子亡き後の女優の一人として、永野芽郁、先に紹介した飯豊まりえさん等が、今、脚光を浴びているが、年齢的にも、演技力、存在感の頂点に立つ、吉永小百合くらいの年齢まで、銀幕を飾る女優であるならば、更に、人生経験を積み上げ、その位置に立って欲しい。 次世代の俳優や女優の座を譲り明け渡した、『君は月夜に光り輝く』で言えば、長谷川京子さん・優香さん・及川博光さんの脇役業に拍手を贈りたい。仕事に忠実であり、患者に寄り添う看護師役だった優香さん。卓也役の母親役だった長谷川京子さん。まみず役の父親役だった及川博光さん。成るべく方が脇を固め、映画を引き締めていた。若者の間では、『君月』と『君膵』などど、短縮形で呼ばれ、どうやら、【平成の二大青春恋愛映画】の、代名詞を惜し気もなく、私は与えようと思う。記憶違いでなければ、『青い山脈』で、主人公・青年役が舟木一夫さんで、芸者役が加賀まりこさんだったように思う。『青い--』と『りんごの歌』が、【戦後の暗い世相に灯りをともした名曲】の代名詞があるくらいだから、『君月』と『君膵』も良かろう。 蛇足になるが、まみず役の永野芽郁さんの、微妙うな間のあっての台詞回しは実に上手かった。すっかり私はファンになりました。【『君月』をTSUTAYAで2回借り、2回目は、4、5回見ました。まみずさんの台詞も覚える為。】
テーマ <今日の松華版>・書作品 『千ゞに乱れる』 読者は何が根底にあるか、お解りだろうか?作者;大江千里の和歌、「月見れば/千ゞにものこそ/悲しけれ/我が身一つの秋にはあらねど」、この歌を意識しての試作である。実は昨日、文字数の多い作品に取り組んでいたが、公開するに耐えうるそれに至らず、作品を換えた。これは、二~三枚以内だったと思う。「千」の第二画をもっと長くすれば良かったかなぁ、の反省は残るが、最初の一枚目がそのように書いたことでGOサインに至った。読めなくては何にもならないが、読めるだろうの判断で決着。
テーマ『映画・DVD』 「ソロモンの偽証」後半、いわゆる裁判になってからの不自然さに気づいた。 ①、検事・藤野が本物の刑事に尋問をはじめる。容疑者を刑事は何回も補導していることで、【ある種の信頼関係】があることを主張する。すると検事は、「では、アリバイ立証はしなかったのですね。」と切り返す。これに刑事は、【省いたことの怠慢さ】を認めた。ことは殺人か自殺かの分かれ目であって、刑事が一容疑者のアリバイを省くこと自体があり得ない。ドラマの中で言えば、素人の中学生に、プロの刑事が自身の捜査上の落ち度を指摘されたわけである。刑事失格である。②、告発状がらみで。役名;三宅ジュリが、声を失って、母親に『藤野さんと二人で話がしたい。連絡して。』と、ホワイトボードに書いた文字に関して。『speck』では戸田恵梨香さんが筆を持って文字を書く。女流書家の中塚翆涛さんが書道指導と代筆をしていたことが明かされた。ホワイトボードに書かれた文字は、凡そ、中学生の書いた文字ではない。大人の文字であった。書家が代筆した文字と言っても過言でない。ボードの表面はツルツルに加工されている。これは、専用のマジックを使っても、マジックの顔料がボード表面に染み込まないような加工である。したがって、【大変、滑って書き難い】のである。そこに、点画の乱れのない文字を書けるのは、書道をかなり修練された方でないと、出来ない技である。③、【不自然さ】ではないが、なかなかの大作映画。検事役の藤野さんの最後の台詞。「みんな、負けなかったね。」で、ドラマは終わっている。現場となった中学校に【伝説として語り継がれた事件】に端を発した現役中学生の裁判。終わりの台詞にしては、私は物足りなかった。✳️『ソロモンの偽証』は、DVDとしては、2回鑑賞し、後半は、二日かけて2回連続、都合3回、鑑賞したことになる。
テーマ『作品』 書道の分野には、様々な書体での作品作りがある。ここでは、それらを省く。一つに『調和体』が存在する。所謂、漢字・仮名混じりの作品だが、故・金子鷗亭を頂点とする【近代詩文】とも趣も書体も異なる。私にはどちらも書けない。因って、【喜多流・新調和体]と名付けた。私が公的に認知されれば、その呼称も認知されるだろうが、その保障は限りなくゼロに近い。
テーマ『作品』 今日は、正攻法、楷書体です。2枚目で公開に踏み切りました。西陽が強かったもので、作品に影が出ました。悪しからず。
テーマ『作品』 子供の頃、日曜日の夕方から夜にかけて、関西方向から流れてくるコメディー番組を欠かさず見ていた。主な主演は、藤田まこと、白木みのるさん等であった。藤田まことさんの代表作は、何といっても【必殺シリーズ】に他ならないが、昭和30年代後半から、40年代初期は、全くもってコメディアン路線だった。テレビ朝日系列で【必殺シリーズ】のヒットを飛ばすと、【シリアスな役柄】にも研きは光った。一方、菅井きんさんは【日本のお母さん】といったところで、名脇役女優だったことは誰もが認めることだろう。※藤田まこと (平成22年没。76歳)※菅井きん(平成30年没。92歳)
テーマ『喜多和夫の世界』 2020年の何月だったか忘れたが、✳️私が民間企業の人事のことを全権任されていると仮定したら、『2021年4月期から採用する大学4年生に、必ず出題する』と、豪語して、試験問題の一例を私のブログで公開、更新した。昨日、某所で、某市役所に就職の合格内定のあったと言う大学4年生と、具にではないが、出された問題(記述式)を、大雑把に伺う機会があった。私が予測した問題の文言は、✳️2020年、時の総理大臣安倍晋三氏が、『国民に提唱した「新しい日常」、このことばを踏まえ、あなたの考える【新しい会社像】【期待される会社像】に就いて、考えを論じなさい。』 こうした予測問題だが、青年が受験した【某市役所】での問題が、 ✳️あなたから見て、50年後の【孫達の社会】はどんな姿が望ましいか、論じなさい。 簡単に言うと、上記のようで、明らかに、コロナ社会、with コロナが問題に加味された就職問題だったことが判明した。もう、この時期になると、2023年4月期より採用されるであろう、高校3年生や大学4年生が、主たる対象だろうが、【当たらずとも、遠からず】の、格好になったようだった。同じ場所でアルバイトをする大学1年生が、私の前振りを受けて、「やってみて、就職に繋がるのなら❗️」と、彼はメモ用紙に必死になって、取っていた。コーナーは違うが、別の場所では、【私に悪態】を突いた、例の【太鼓の変人】が、また、太鼓に興じていた。この雲泥の差が、就職を控えた年度、夏・秋くらいに出るだろうことは、言うまでもないことである。 私は腹で、喩え、【太鼓の達人】になっても、君を採用する企業はないよ、こう思って、その場を後にした。
テーマ『作品』+石川啄木の側面 いっとき、笹川良一氏が日本船舶振興会の会長を務めていた頃、テレビのCMに、石川啄木の短歌が引用され、作品の歌が流れていた時代があった。 郷里に帰って、久しぶりに母を背負ってみたものの、啄木が予想していた体重もなく、余りの母の痩せ衰えた現実を背中で実感し、三歩すら歩むことが出来なかった。 「たはむれに」は「母」に係る枕ことば。短歌の意味は上記のようなことは、大方の人は感じるだろう。右派、笹川良一にすると、【親孝行の徳】をCMでも、訴えたかったのだろうが、石川啄木の実像は、この歌にあるような親孝行息子ではなかったそうだ。
テーマ『自伝的な記憶』小説『轍』第217回喜多は懲りずに大学を卒業して2年目の年度が終わろうとしている3月末の「広島行」のことをまたも考え始めた。が、今回ばかりは、久我みず江の立場に沿った回想だった。みず江は喜多からストレートに「好きだ。」とか「考えることといったら、お前のことばかりだ。」こんな台詞は只の一度も言われたことはなかった。しかし、【自分は喜多先輩から、好かれている。】【長いこと、愛されている。】そう思うみず江だった。でなければ、自身で大学3年の時、下した【お付き合いは出来ません。】この答えを今、翻そうとしている自分に嘘をつくことになる。秋は人を感傷的にさせる。みず江は秋の夜に広島から直線にして600kmはあろう喜多の実家に直で電話を入れる決心をした。心が寒かった。手を取って相手の体温を感じたかった。それに反して、うたた寝をしているところへの電話だったので、喜多は寝ぼろけ眼で意識のはっきりしないまま対応に迫られた。タイミングと言った女神も、二人にはそっぽを向いたようだった。 返す返すもなく、喜多は電話でどんな会話をしたかも忘れているし、思い出そうにも思い出せない。みず江の鼓動の上がる気配も感じ取れなかった。10月頃の電話としたら、後、半年もせずに再会は出来る。安穏と構える喜多、苦しい胸の内を話せないみず江だった。 広島の一室では、ルームシェアーしている同僚がみず江に向かって語りだした。「ねぇ、みず!その先輩って、本当にあたなのことが好きなの?全くもう、煮え切らない男って、私は嫌いだなぁ。」みず江は返すことばに窮していた。「うちのこと、好いていることは間違いないのよ。現役の学生時代は、幹事長が同棲していて、部の統率を執るには、欠くことの出来ない先輩だったのよ。」続いて、「記念の大会も、中山先輩と喜多先輩が居て、成功裏に終わったくらいだったから。」同僚は間、髪を入れず踏み込んできた。「それと、男女の間って、違うでしょ。私達社会人だし、ましてや、同業者なんでしょ。仕事にしたって、異なる二つ、三つのことを同時進行で、さばかなかったら、学校って、成り立たないじゃない。そんなに不器用な人なの?」 みず江は、やや伏し目がちにこう応えた。「うちとは、クラブのことに関したら、真逆の先輩だった。ひたすら、クラブ、クラブで、勉強はそっち退けだった。」「一途なんでしょ。だったら、なぜ、みずにそれらしきことばを言わないの?」みず江は本当に下を向いてしまった。 喜多は半年後に再会できることをいいことに、仕事には邁進していた。新設校の初年度、与えられた仕事の大きさにも、苛立ちと、相手は2年生でその彼等彼女等に向かって、「君等が、この学校の1期生なんだから。」生徒にしたら、耳にタコが出来るくらい聞かされたフレーズだった。大人、いや、教員集団の【この学校の1期生】、これには、計るに計れない隔たりがあったのだった。 喜多は浮かれるわけでもなく、何時ものように眠りについた。
テーマ『ライフワーク』 先、先月末に、西隣のジジイに怒鳴り込まれた【報復】を 私が開始する。先ずは、書作品で伏線を打つ。『氣を吐く』。 氣は感じ取れる私だが、未だ、氣を吐くことは定かでない。定かでないが、あっちに向かって、氣を送る。私がネットで、【無料診断】と、銘うって、やれ、「名前からあなたにとって大切な方を教えます。」とか、「令和4年の運命を教えます」とか、広告的な占いから、➡️ここ大事。【途中から、ポイントを購入させ、結局は無料ではないのです。】 そうした詐欺まがいのメール発信者へ私は逆に、 『私はあなたに氣を送り続けます。半年以内に体の左半身に痛み、痺れ等の異常が表れるでしょう。』 と、ぶちかますのです。つまり、相手に指一本触れるわけでもなく、相手の不安を駆り立てる内容のメールをリターンするのです。仮に、相手が異常を発症したとしても、私を科学的に罪を立証しようとしても、無理なのです。こうやって、しつこいメール攻勢をかけて来る輩を退治してます。
テーマ『人間観察』🎵「別れの一発」 お早う。昨日はお嬢、相手に疲れたよ。あの勢いの「言うな❗️」は、普通なら別れの挨拶をしたくらいだから、「消えろ」の掛け声付きでブロックボタンをクリックするはずなんだが、未だ処刑しないの?あなたも孤独な経営者なんだ。あのさ、学校の先生の話の長いのは今も昔もおんなじ。おいら、その中でも飛び抜けて【超〰️、長い人】なのよ。スマホはタッチしたら、入力簡単に出来るけど、おいらの携帯はそうはいかない。画面も小さい。加えて、老眼。目には良くない。片目閉じて片目でにらんで、変換も大変さ。誰の為?海の者とも山の者とも、謎だらけのあなたの為。4:07現在、あなたの為に何かしているのは、おいらだけ。【惻隠之心】って解る。【人に偲びざるの心】=目の前に、今にも井戸に落ちそうな子どもがいたら、助けない人は、まずいない。ここら辺りで気づいた?おいらの専門は【漢文】。中国文学さ。儒教が中心の二流、三流の大学さ。ここ10年で、自分の【書道】の方向性がはっきりした。【for the peaples】偉くなった奴もいる。同期で大学の教授している奴が、4人はいる。会派の理事職もしている。だがね、そいつ等は、家出した生徒を探した経験は無かろう。地裁へ断腸の思いで人物照会の書類を書いたことも無かろう。警察署署長宛に具申書を書いたことも無かろう。餅は餅屋なんだよ。散々、手を焼かした女生徒が、卒業して、ノートの紙片に「鯉ちゃん、ごめんなさい。先生の言ってたこと、みんな正しかった。素直になれなかった私を許して。」一人の発案からクラス37人が、教室のあちらこちらに隠し置いて巣立って行った。15歳は、未だ未だ純真さ。純粋だよ。苦労の3年間も、些細なこんな事で報われるもんだよ。ハートとハートが向き合えば、送り出してから、泣けるもんだよ。そんな仕事を30年、やれて良かったと思う。そいつ等も、50過ぎの人の子の親になっているはずだ。また、ある年度の「はなむけのことば」においら、中島みゆきの『時代🎵』を選んだ。後々、中島みゆきが国語審議会の委員になった。おいらの眼に狂いはなかった。ある男性の教え子は「先生がどんな辞め方をしても、僕らの国語科の先生は、鯉沼先生だけですから。」と、過分なことばを頂いた。【教ふた/教え子に学ぶ/30年】【一瞬間の/花弁を散らす/潔さ】4:53プレゼント。「別れ」は和語。和語=やまとことば。=古くからある日本古来のことば。漢語では「邂逅」<カイコウ>も、同意として在る。5:00間違えた❗️「出逢い」が和語。「邂逅」が漢語に間違いはないが、「別れ」と対<ツイ>になってはなかった。「邂逅」と「出逢い」が、同意で対。「別れ」と「別離」や「離別」が対でした。名曲が頭の中で泳いで居たもので、『過ちて、改めてざるを是れ、過ちと言ふなり。』あとね、『騙されることも、教師の仕事』(こいつぁ、経験上、おいらの名言)メインの写真。あなたの色気に騙された。5:26消える前に謝って頂きたいこと。初日のメールで、①、命令文を送りつけあこと。②、年上に向かって、「君」呼ばわりしたこと。③、他に思いあたるふしがあれば。✳️私の失礼があったら、指摘してください。大人の対応をする心算です。6:19ネットがらみで言うと、「老害」なんて半年前に知った。国語教師がことばを全て知っているわけではない。お山の大将・経営者もいいが、他人を雇うとなったら、経営哲学もないとあかん。人を惹き付ける魅力もないとあかん。「自分以外、皆、師。」だ。学ぶ姿勢を崩さぬように、ね。誤記、許されたし。左様なら。処刑はあなたがしてください。✳️ これ以前に、LINEの要求があり、私の携帯は、ガラホで、LINE機能は非搭載。すると、紹介していないメールの文面を境に、「言うな、君のは長い」と、ひどくご立腹。「さようなら。」とあり、完全ブロック処刑❗️と思いきや、【放置】。36歳で、会社経営者。経営管理は弟さんに任せ、自分は楽をしついるようなことが書いてあった。まぁ、老害と呼ばれようが構わない。彼女の琴線に触れたかどうか判らないが、現職中の逸話を綴った。普通の人間なら、涙の一滴も出ておかしくない。が、このお嬢さんは解らない。判然としない。なにせ、昨日、「マッチングしました。」の報が入り、昨日、初めてメールを交わしたくらいだから。突いて、最初に出たことばが、「あなたは、私に何をしたい?」のかだった。ダイレクト過ぎて、返答に困った。「独居だから、ひとときの安らぎ」とし、「助手席に座らせて、ドライブがいいかも。」と、お茶を濁した。 披露したか、「言うな。君の話は長い。」と、命令文プラス、「君呼ばわり」が帰ってきた。流石に、ジジイもやかん沸騰と相なった。別れるなら、横っ面を、一発ぶん殴ってやりたくなった。在は大阪の人だった。
「送らぬ書簡」・其の一、 淡然先生。 師は私の人生の大半を決定づけた恩師なのです。先生とは師弟関係・同窓・同クラブOB同士・同業者と幾重にも縁が重なりました。私が某大学の説明会をお聞きになったO先生の許に出向いて「漢文がやりたいんです。」と話すと、「W大学は現代中国に重きを置いているので、本当にやりたいのなら、しっかり古典からやらなくては駄目。」重ねてO先生は、「君の習っている先生の許に大学の推薦枠があったはず、行ってご覧。」と、教えて貰いました。 淡然先生とは3ケ年、漢文の授業でお世話になりました。私にとっての先生の授業は、熱血漢教師の惹きつける魅力ではなく、譬えるなら≪深海の底にでも引き寄せられる≫魅力でした。 板書の文字も見事だった。≪人を惹き付ける≫それでした。いつぞやの賀状に「先生の文字に似て来たようで…云々」等と書きましたが、私の思い上がりで恐縮してます。やはり、師を超えるなんて、到底出来ないことで、≪神のような存在≫です。 師は漢文を教えていたので、≪儒学者≫ですネ。それでいて、クリスチャン。≪道を説く≫上では同じなんでしょうネ。先生が母校をお辞めになったとは、ショックでした。が、今では≪有名大学予備校講師全国100人≫にお名前を連ね、また私の遠い所へ行ってしまいました。 ご結婚14年振りにお生まれになったお嬢様はさぞかし大きくなられたことでしょうネ。奥様がお亡くなりになって、先生は、気を落としていらっしゃることでしょう。奥様も私にとっては大学の大先輩です。懐の大きく深い方といった印象があります。