オランダ植民地時代の建物【Bandung⑩】 | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

メインの通りにあるし、バンドンは一方通行の道が多いから中心部にいると何度も前を通るので気になる!

のとなりにあるオランダ植民地時代の建物

Warenhuis De Vries

もとは住宅だったようですが、1879 年からSosiet Concordiaが使用していましたが、1895 年にSocieteit Concordia は現在の Gedung Merdeka(アジア•アフリカ会議博物館)に移転

1899 年にバンドンに来たオランダ人で、バンドン市の 1,500 人目のヨーロッパ人居住者として記録されたアンドレアス•デ•フリーズがオーナーのデパートDe Vries Shop になりました。


到着当初De Vriesは、Jalan Raya Post (Grote Postweg)の端に小さな食料品店を開きました。

(現在Alun alunの前にあるBank BRIのところ)

その後ホーマン ホテルの西側に建物を借りて事業を移転、

バンドン初のデパート、初のモールであるTokoデ フリース はとても有名になりました。

デ・フリース氏が経営するこの店では、食品、衣類、靴、医薬品など、さまざまな生活必需品を取り扱っています。

建物のぐるり、この屋根の下のところのフレームにはシガレン(葉巻)、kunst boek en apierhandel (美術・書籍・紙の店)、インポート、
などと書かれています。
デ・フリース・ビルは1909年と1920年に改修工事が行われ、ホテル側の塔はその時に作ったものらしい。
その改装の後くらいから

Braga通りが発展し始めたために、衰退した。


1945年の独立後この旧 De Vries ショップの建物は写真館、レストランなどで使用されていましたが、 1990年代には使われなくなり荒廃した状態になりました。
2005 年に所有者は OCBC銀行に変わりましたが、2010 年にようやく政府から、<文化遺産の建物の元の形を変えずに改修する>許可がおりました。

夜になるとカメラを持った人がここらへんからBraga通りにいっぱいいて、ヨーロッパの街並みを背景に写真を撮る商売をしています。

向かい側のスタバもヨーロッパ風の建物

その近く、ホテルの前にある建物
見た感じボロボロなんですが
Pikiran Rakyat

この建物は文化遺産に指定されています。

De Kock, Sparkes & Co オフィス正面
1921年にイギリス人の輸入品小売会社De Kock, Sparkes & Co のオフィスとして使われました。
この輸入会社はHall's Distemperの塗料、消毒剤や防腐剤、 Solignum ウッドケア液など輸入の建築資材、木材加工の薬品の販売で、バンドンからスカブミまで、西ジャワの多くの地域に支店を開設。


いくつか違う会社が所有者になり、1971 年になって、1950年設立の西ジャワ、バンドンからバンテン州をカバーする最大の新聞社 PT Mind Rakyat Bandung による所有になりました。

道路沿いには昔の新聞の印刷機がオブジェとして置かれてます。

これもJl.Asia Afrika沿いにあるので、遠くから見たら「乗り物かな?」と思って気になるので、見に行ったら印刷機だった。

この通り前回は歩かなかったけど、歩ける道だし、徒歩圏内にいろいろあって楽しい

Jl. Asia Afrika 

最近「あれどうだっけ?」と調べたりしたことを読み返す時、どこに書いたか、いつ書いたか探せないことがあるので、

テーマを西ジャワ、中部ジャワと少し細かくわけました。




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