【最古•レジェンド】ヨーロッパ料理Braga Permai【Bandung⑥】 | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

観光スポットで、夜は若者の街って感じのBraga通り

AA会議の古い建物から入る道、その頃からある建物が多い。

ここと近い場所にあるレジェンドのレストラン


夜の写真でわかりにくいけど、赤いパラソルが目印の 
Braga Permai Bandung
このあたりに飲食店が立ち並ぶ前、1918年創業のヨーロッパ料理レストランです。

L. van Bogerijenが植民地時代のオランダ人役人のための食事の場所Maison Bogerijenとして1918年に開店しました。

当初はTugu Bragaがある交差点の東側(写真右の建物あたりか、撮影してる側のどちらか)にありましたが、

その真ん中に1923年に移転

【Societeit Concordia】から始まるこの通りは、役人とヨーロッパ人上流階級の娯楽や買い物などために計画したエリアで、Parijs van Javaと呼ばれていました。

現地人は別の所が繁華街。


オランダ東インド会社や政府の公式晩餐会も行われた広くて高級なレストランになりました。

植民地時代の公式晩餐会では、通常ゲストにはビュッフェ(Rijstaffel)が提供されます。

大きな皿で提供され、ウェイターによって取り分けられました。 

その時のメニューが今もいくつか残っています。
当時の外観

店の正面にオランダ女王から送られたエンブレムがついてます。

1931年に王室から送られたものです。

1901年にウィルヘルミナ女王の結婚で作られたケーキを国外で提供するのを許可された唯一の店でした。


植民地時代が終わって、1950年代に名前をオランダ名からBraga Permaiに変えました。


建物は1960年代の火災で再建されたものですが、バンドン市の文化遺産建造物として登録されています。
この建物には火災前の2つのお店の名前で文化遺産登録されています
レストランの【Maison Bogerijen】と【KELLER'S MODEMAGAZIJN】

この通りはヨーロッパ人のためのブティックやレストランが集まっていて、この当時パリ以外ではオランダ領東インドのBraga通りにしか見られない洋服店が多くありました。

パリから来たいくつかの仕立て屋の一つがKELLER'S MODEMAGAZIJN


「火災によって再建」とありますが、全部消失してはないようで、一部残して修復したようです。


創業当時からあるメニュー

オリジナルのチキンマッシュルームクリームスープ

Zuppa zuppa
オリジナルにパイ生地を乗せたもの


インドネシア料理だけじゃなく、洋食も種類が多いからか、欧米人の観光客とか、ビジネスマンの会食などグループが多かった。
バンドンに住んでるっぽい日本人のテーブルもありました。

創業 100 周年

バター・フライド・チキン
このメニューは植民地時代からあるもので、オランダ人がLembang(バンドンの山の方で牧場が多かった)で乳牛を飼育していました。
そこでとれた牛乳は自家製バターに加工され、それを使っていました

小皿に入ってるのが溶かしバターです。


当時のお店の様子も展示されてます。

バンドンは他の都地方都市よりカフェとか多いので、子供が一緒でも食べるものには困らないけど、ここは選択肢も多いのでオススメ。

エアコン付き室内席が少しなので、昼間は暑いかもしれない



Braga Permai Bandung

Jl. Braga No.58, Braga, Kec. Sumur Bandung, Kota Bandung, Jawa Barat


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