今回泊まったのは、すごい古いクラッシックなホテルで立地が良い!!
しかも安い!
Hotel Savoy Homann Bandung
バンドンはアジア•アフリカ会議の際に約1500人の参加者のために大小14軒のホテル、31軒のコテージを用意し、また国内外のジャーナリスト約500人用の宿泊施設も用意していました。
場所が会議場の斜め前なので、会議の時にスカルノ、中国の周恩来、カンボジアのシアヌーク殿下などが代表者のほとんどが宿泊したホテル。
ロビーには1965年4月16日〜24日のAA会議のページにスカルノ、ネルー、周恩来やシアヌーク殿下、エジプトのナセルのサイン入りの宿泊名簿が「Golden Book」として展示されています
喜劇王チャップリンが1927年に宿泊した時に弾いたピアノ
に似てる。
これはロビーにある地図ですが、インドネシアのオランダ統治時代に発展した街は鉄道の開通の歴史でもあると説明がある。
バンドンの経済はバタビアからボゴール、チアンジュールを経由してバンドンにまでの鉄道の開通とともに、茶園の所有者が農園の製品をバタビアに送るために使用することで成長
ここはその頃1871年に建てられたA. ホーマンというドイツ人家族が所有する家で、茅葺きの屋根と竹で編んだ壁の高床式の家でしたが、ホテルとして改装。
バンドンは、中部ジャワや東ジャワの砂糖農園起業家をはじめ、多くの起業家が訪れる都市の一つとなりましたが、当時バンドンにはホテルがなかったため、多くの人がこのホテルを利用するようになった。
この宿泊施設はオランダ東インド総督Herman Willem Daendelsによって建てられたジャラン・ラヤ・ポストの前にあったため、ホテル・ポス・ロードと呼ばれていました。
Daendelsが敷設したジャワ島内1000kmに及ぶ郵便道路のことです。
ホテルの斜め前にバンドンの0ポイント地点(Titik Nol)があるんですが
The Centre Of Bandung 0 Km Monument
Daendels提督がこのあたりにバンドンの政府を設立することを決めたことがバンドン市の始まりということで、スカルノ大統領、初代西ジャワ州知事、Daendels提督の胸像があります。
そういう場所にあるホテルなんですが、
1910 年に古いホテルは取り壊され、ゴシック建築様式の新しいホテルが建てられました。
グランド ホテル ホーマンに名前を変更し、1938 年に建物は再び取り壊され、モダンな国際スタイルの新しいホテルに建て替えられました。
「浜辺の波」をイメージにデザインしたもので、現在は文化遺産に登録されているため変更することはできません。
この扉の向こうに
•THE PALACE ROOM
• EMBASSY ROOM
•CONSULATE ROOM
• ASIA AFRICA BOOM
特別な部屋が4つあります。
AA会議の時にスカルノ一家が泊まった部屋や大統領補佐官が泊まった部屋で、今は一般人も宿泊可能
朝食ビュッフェはここなんですが、今はガラスの屋根がついているのですが、もともとは中庭だったと思う。
その時に使われたホール
ちょっと古めかしい..といえばそうなんだけど、重みがあるという感じ
このホテルで行われたAA会議のあとの晩餐会で使われた食器とか、お土産に配られたものが
残してあります。
2015年のAA会議60周年の時には、当時のようにこのホテルから出発してジョコウィ夫妻と、各国首脳が会議場までパレードしました。
古いけど、Braga通りまで50mくらいで歩けるし、安い!
バンドンは他にも高級ホテルいろいろあるけど、カフェもあるので立ち寄って見て欲しい。
Hotel Savoy Homann Bandung
Jl. Asia Afrika No.112, Cikawao, Kec. Lengkong, Kota Bandung, Jawa Barat