今回は観光の目的の一つとしてMajapahit Hotelに宿泊
変なとこばっかり攻めてるわけではありません、ちゃんとスラバヤといえば....みたいなとこも今回は押さえてます
タクシーでも名前だけで地図みないで行けるほど有名
スラバヤ出身のIbuには
「なんであんな古いホテルに泊まるんだ、シェラトン、ヒルトンいっぱいあるのに」と言われたけども.. .
Majapahit Hotel自体が観光なんやって!
あんなに写真撮ったのに、腕前がポンコツすぎて、ホテルの素敵さがわかる写真があんまりない



シンガポールのラッフルズホテルやペナンのイースタン&オリエンタルホテルなどの創設者として有名なSarkies兄弟が1900年に1000㎡の土地を購入、

息子が❮Hotel oranje❯として1910年6月1日に建設が始まり、1911年7月1日に開業しました。
1930年代にレストランやお店があるアールデコ様式のロビーが造られ、グランドオープニングには、スウェーデンの王女やベルギー皇太子、チャップリンが参加するパーティが行われた
日本軍がスラバヤを占領した三年間は❮やまとホテル❯に改名され、東ジャワ日本軍本部があったそう
ホテルの中には昔のホテルやスラバヤの町の風景の写真が飾ってあります
その中でも特にスラバヤ内のいろんなところで見る写真

Majapahit Hotelで起きた歴史的な出来事
【やまとホテル事件】
インドネシア独立宣言直後の9月19日、再度の占領を狙ってスラバヤにいた連合国のオランダ人がやまとホテルの北西の塔にオランダの国旗🇳🇱を掲げた事で、住民代表がホテルに抗議し揉み合いとなり、双方死者が出る事態となった。
これに激昂した若者民兵グループがやまとホテルの屋上に登り、🇳🇱国旗の青い部分を引き裂いてインドネシア🇮🇩国旗として掲げ直した。
この事件は独立運動を象徴する事件でインドネシア独立戦争の前哨戦のスラバヤ戦争へのきっかけとなる
ロビーラウンジにもその時の様子を描いた絵があります。
オランダの旗の青いところを裂いたため、普通の旗より細長い赤白のインドネシアの国旗となってます。
やまとホテル事件のあとは❮Hotel Merdeka❯に名前を変更
1946年、Sarkies兄弟が再び経営に戻りルーカス▪マーティン▪サーキースホテルに(LMS)に変更しました。
1969年に新しい経営者がマジャパヒットと名付けました

夜はこのホテルの前の道が若者が集まるスポットになってます。
裏の川Kalimasや公園もライトがついて、「歩行者天国にすればいいのに」ってくらい週末は人がいっぱい。

信号はありますが、警備の人や警察もいて夜のスポットになってます。

日曜日はホテルの前の道はCar Free Day
ジャカルタと違って完全に止めてるわけではないので、ホテルに言ってタクシー呼んでもらえば、誘導してくれます。
(ちなみにブルーバードアプリは使えます)

日曜日朝のカーフリーのときにもホテルレストランからパンや飲み物の販売をやってました。
毎食インドネシア料理だとちょっとしんどいので、朝食ビュッフェだけじゃなく、お昼と夜にもホテルレストランを利用しましたが

やっぱり観光客慣れしているので、どんな人が来ても美味しい安定の味
スラバヤの町自体は小さいので、観光の途中に休憩にもどったりしやすい場所にある。
Google Mapで道路が赤や茶色でも❮いつもと比べて❯なので、ジャカルタの茶色や赤とは違って、【全然動いてる】交通渋滞をプラスしても、行ったり来たり、ぐるぐるまわったりが気にならない
立地としてもやっぱりいい場所にあると思う
Hotel Majapahit Surabaya