日本が作った防衛義勇軍訓練施設、Museum PETA博物館 | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
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Bogorにある日本軍に関わる施設
Museum PETA

日本が占領時にBogorに防衛義勇軍(PETA) を作り、その教育訓練センターだった建物を、

元PETA役員でもあったスハルト大統領が1995年に博物館として開館した


1943年10月3日に日本軍による最初の訓練が開始され、初めて軍としての将校教育が確立され、有名な将校の輩出場所となった陸軍教育センターはジャワ・ボエイ義勇軍カンブ・キュウ・イク・タイと名付けられた。

ジャワ防衛義勇軍史 (南方軍政関係史料)

博物館の入口には、
「第二次世界大戦の戦火の中、『祖国防衛軍』のこの大地で、インドネシアの国民兵精神が生まれた」という碑文
とPETA 役員としてのスディルマン将軍の像とTKR司令官スプリヤディの像があります。

スディルマン将軍も名前は有名だけど、実際どんな活躍した人かはよく知らない...🤔🤔



PETA軍の結成から植民地主義者との戦いまでの行動を描いたレリーフ

この建物自体は1745年にオランダ植民地政府によって建てられて、オランダ総督の衛兵や従業員の兵舎または住居として使用されていました。

アーチ型の入り口はいると左右対称で、スプリヤディ館とスディルマン館と名前がついた2 つの部屋には、独立闘争のPETA の歴史を紹介するジオラマが 14 個あります。


最初の部屋は独立前に日本が作った頃のPETA 軍の役割を説明

これカタカナでも書いてある

公文書館に保管されている日本占領時に発行された雑誌、1944年の“DJAWA BAROE“ の1ページ

『祖国防衛軍』

国土防衛軍将校候補者訓練では、ジャワ全土から選ばれたエリート、貴族など選ばれた人々が、大日本軍将校の指導の下で優れた訓練と教育を受ける。

彼らは、輝かしい祖国防衛軍の名誉と勝利を確実にするために、日夜身体を鍛え、身体を磨き続けています。

 

組織は日本式の役職名がついていて、☝️DAIDANCHO

大団長:大隊長(現:中佐) 
 中団長:中隊長(現:大尉) 
 小団長:小隊長(現:中尉)
分団長

の階級の将校1609名をここで教育しました。


1943年頃のPETA訓練センターでの訓練活動の様子
士官候補生たちが、精神、肉体、軍事技術という3つの基本分野に分かれて訓練を受けているところ
タンゲランにある「青年道場」訓練センターを卒業した若者と新入生が、この施設の助手教官として配属された。

奥の屋根付きの土俵で相撲をしている
DAIDANKI(大団旗)
〈緑〉:農業、希望、肥沃、インドネシア諸島の宗教的シンボル
〈白〉:神聖、清浄、純粋、セピ・イン・パムリ
〈赤〉:勇敢、献身、火、熱意
〈真紫〉:武陵源、優れた、堅実、古き、真に。
〈月〉:美しさ、愛、純粋。
〈太陽〉:精神

〈星〉:献身、誠実、真摯、力。
〈支えとなる木〉:神聖な性質、永遠。柱、導き。

大団旗は、CHUDANCHO(中団長)
 Mutakat Huripがデザインした

ちょっと旭日旗を思わせる

これは本物

博物館には戦争装備、ライフル、大砲、その他の武器など多くのコレクションが収蔵されています。


PETAが関わっていた独立前夜のスカルノ誘拐事件
祖国防衛義勇軍(PETA)
1944-1945

と書いてある

半円形記念碑の内側の壁には、インドネシア各地の部隊のPETA軍将校の名前が書いてあります

各部隊のパネルに書かれた役職や部隊名は日本語で、その頃は日本語の役職がそのまま使われていたので、その説明もある
【インドネシア語用語解説】
インドネシア語:

日本語
DAN YON(DY) - DAIDANCHO大団長
DAN TON(DT)-SHODANCHO小団長
Markas Batalyon-HONBU DAITAI 
                               本部大隊
Persenjataan-HEIKI 兵器
Keuangan-KEIRI 経理
ZENI-KEGI 👈️これ何の日本語がわからないけど、インドネシア語の方のだと"エンジニア"ということみたい
KOMANDO WILAYAH-CIKU SIREIBU
                                     地区司令部

記念碑の外側にはぐるりと、PETA の歴史を描いたレリーフがあります

ジオラマにもあった、訓練の相撲の様子や
日の丸を前に整列しているところ、Rengasdenklok誘拐事件からスカルノ邸前での独立宣言など

この博物館の敷地は広く、柵で区切られて、門も別ですが、となりは軍の施設で、ここは今もおそらく訓練の時に宿舎として使うこともあるんだと思います。
軍の管轄の施設の割には、中は歩き回れる

軍人も敷地内にチラホラいて
Kantinもありました
学校の遠足とかでくることが多んだろうと思います。 
なんも予約がない時は〈OPEN〉にはなってるけど経費削減で、電気もついてない状態

軍の施設だけど、のんびりしてて良い

Museum PETA

Jl. Jend. Sudirman No.35, RT.01/RW.05, Pabaton, Kecamatan Bogor Tengah, Kota Bogor, Jawa Barat 

軍の施設なので土日はお休み

平日8:00〜14:30
書いてはないけど、この手の施設は昔みたいに金曜日のお昼はお祈り時間もあるから入れない可能性がある