(スラバヤ⑪)英雄記念塔と11月10日博物館 | sehari-hari~ジャカルタ生活日記と日本のインドネシアネタ

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2017年4月~インドネシアのジャカルタへ

ジャカルタのいろいろな情報話題を日記として記録→2022年8月に本帰国しましたが、
2023年9月から再度ジャカルタ生活へ

正直なところ...


インドネシア独立前後の歴史は、土地勘とか頭にない間は、本を読んでもとちょっと難しかった

インドネシア人の名前も長かったり難しいし


いろんな博物館や史跡をまわって、ようやく最近繋がってきたところなのです


駐車場なところにレリーフがあって、そこは日本軍時代の出来事を描いています。


【日本統治時代の強制労働】

日本統治時代、インドネシア人は過酷な労働を強いられ、防衛砦や倉庫、道路などを建設し、その労働をする人は”ロウムシャ”と呼ばれていました。

1943年、日本軍を助けて一緒に戦うためにインドネシア人の青年に軍事訓練を行う。

日本政府は経済政策を発表し、日本人を支援するための収穫物を提供することとなった。


レリーフにこんな感じのことが書いてあります。

インドネシア独立についての博物館や史跡に来ると、どうしても日本との関わりについてでてくる。

それはそれで歴史の一つとして..

入ったら、独立宣言を読むスカルノ初代大統領とハッタのモニュメント
スラバヤにはこれ!!
英雄記念塔Tugu Pahlawan

英雄記念碑は、1945年11月10日の日本の支配とオランダ軍を含む連合国軍からインドネシアの独立を守るためのスラバヤの戦いで重要な意味がある場所に建てられました。

1951年11月10日の英雄の日を記念してスカルノ大統領によって定礎


 当初、モニュメントの高さは1945年の建国に合わせて45mの予定でしたが、設計上の問題によりこの高さを維持できないことがわかり、最終的に45ヤードとして41.15mになった。

10か月間建設された記念碑は、1952年11月10日にスカルノ大統領によって落成式が行われた

塔は円錐をギザギザにした柱になっていて、11 の突起と 10 の凹み(11 月 10 日の意味をこめて)になっています。


この形!

またこの形!


スカルノはこのオベリスクのような塔の形が好きなんですねー


モナスの定礎は1961年だから、モナスよりも前にスラバヤの英雄記念塔がたったわけです


ジャカルタの稲妻記念塔、モナス、スラバヤの英雄記念塔も計画自体は同じ頃だと思うので、よっぽどこの形が好きにちがいない


英雄記念塔の地下に第4代大統領によって作られた

11月10日博物館

Museum Sepuluh Nopember

ここも

入場料払うところでサイトに登録すれば入れます

空いているとしても登録はやらないといけないです

スラバヤの昔の様子と、主に日本占領時代から独立戦争の写真資料やレリーフ、実際使われた武器などなどあります。


(布告)我々インドネシア国民は権力の移譲などに関する事が行われた時点で、ここにインドネシアの独立を宣言する


日本の指導部は布告宣言のスラバヤ中に放送するのを阻止しようとしたが、マスコミは布告の文面をジャワ語やマドゥーラ語など、日本人には理解しにくい現地の言葉を使用して宣言文を放送しました。

オランダ統治~独立戦争までのスラバヤや東ジャワの出来事をジオラマで再現しています。

ジオラマに紙芝居みたいな説明映像がついていますが、これに「日本語」がちゃんとあるのがすごい!!

観光と言うには重いテーマですが、広場としてもちゃんと整備されてますし、地下の博物館は見たらよくわかる!



この英雄記念塔の道路の向かいに寄りたいスポットがもうひとつあったのですが、時間的に断念した

東ジャワ州知事庁舎

ここには

スラバヤ0ポイント地点

Titik Nol Surabayaがある

新しい首都カリマンタンのヌサンタラにもまずは大統領が行って、Titik Nolを制定しましたけと、そこにも「Titik  Nol 」と看板ができてます。


スラバヤにもオランダ統治時代に制定された0ポイント地点があります。

以前は小さなポールだけしかなかったのですが、

東ジャワ州が開発、経済の改善や地域の助力などがレベルが高いと評価され、国から2010~2015に連続で

Parasamya Purnakarya Nugraha賞を受賞した記念にスラバヤTitik Nol地点に2018年12月にモニュメントを建てました。

それで以前はわかりにくかった0ポイント地点の指標も目だつスポットになったらしい

(Google mapからお借りしました)
Tugu Nolの看板と指標

そのモニュメントは

バリのGWKの巨大な像を作ったアーティスト、ニョマン ヌアルタが作ったものです。

 ⬆️東ジャワの民俗文化、Remo Dance、Reog Ponorogo、Karapan Sapi、Gandrung Dance をひとつに表現したものだそうです。

この人の作品はジャカルタの身近なとこにいろいろあって

モナスの前の噴水から博物館に行くところにあるPatung Kuda Arjuna Wijaya
国立博物館にあるこの渦巻きのモニュメントもそうだし、アート好きなパクウォングループがGandaria City Mallにもひとつ作品をおいてあった。


というのもあってTitik Nol Surabayaに立ち寄りたかったけど、英雄記念塔からは直接アクセスできる横断歩道がなくて(ちょっぴり道路幅が広い。一人なら行くけど家族連れなゎんで...)、英雄記念塔周りは一方通行でまたもう一周しないといけないので車窓から眺めるだけにした。

ほんとは寄りたかったー

Tugu Pahlawan
Museum Sepuluh Nopember
博物館は月曜日は休館日です。

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