今回は、2月1日に書くような内容ではない感じです。
受験生のみんなが頑張っている中、ちょっと心に隙間ができたので、
考えたことを書いてみようと思います。
まさにテーマは徒然です。
先日、実家で飼っていた愛猫が亡くなりました。
ちょうど亡くなる直前まで一緒にいることができました。
帰宅してから、15分後に亡くなったと母親から連絡が来ました。
僕が行った時には、すでに下顎呼吸が始まっていて、
目も耳も動かない状態だったので、長くないことはわかっていました。
おじさんが亡くなったときに、
おじさんの下顎呼吸について、父親が語っていたので、
愛猫が亡くなる時にはそばにいて、その瞬間まで見届けたいと思っていたのです。
猫で下顎呼吸が正しくなかったら、知識不足ですみません。
教えていただける方がいらしたら、ぜひ伺いたいです。
愛猫が亡くなった連絡をもらって、
5分くらいだったか、泣いていたのですが、
その直後にふと思い出したことがあったのです。
今から、8年くらい前だと思うのですが、
自宅ではとても反抗期で大変だったのですが、
僕にはとても従順な良い小学校6年生の男の子がいたのです。
ある日、授業中にお母様がやってきて、
「うちの子を帰宅させてください」と言ってきたのです。
確か、12月くらいだったと記憶しています。
正直な気持ちとして、
「この大切な時期に、偏差値の高い学校を目指させといて何を言ってんだか」
と思っていました。
彼も同じ気持ちのような顔をしていました。
その後に、お母様がおっしゃるには、
「小さい頃から一緒に過ごしていた愛犬が最期の時なんです。せめて最期は一緒に居させたい。」と。
それでも僕は、何を言ってんだかと。
犬の死は一瞬だけど、受験勉強は一生を決める!と突っ張っていました。
今思えば、40男にしては、余裕がないものです。
でも、志望校がそれだけ高かったし、届きそうだったという実感を持っていました。
結局、その時には間に合ったとのことで、良かったのです。
でも、その時の気持ちを思い出すことになったのでした。
実家の愛猫なので、一緒に過ごした時間は正味1年もなかったかもしれません。
15年くらい飼っていたのですが。
最初は全然、懐いてくれなくて。
僕が猫アレルギーなので、ありがたいと言えばありがたかったのですが。
最後の3年間くらいは、僕がいくとそばにいてくれたので、
どうしたものかと思っていたくらいです。
で、愛猫が亡くなった時に、その経験を思い出したのです。
あの時、おかしなことを言わなくて良かった。と。
結果的にその子は第二志望に進学したのですが、
当時の社長は喜んで泣いていました。
その時の僕の気持ちとしは、
「この人は第一志望に受かると思ってなかったのか。」
「社長にとっての第一志望は、その子の第二志望だったんだな。」と。
何がともあれ、あの時、彼は家に戻って良かったと思っています。
死に直面すると、決意も新たになることもあります。
きっと、その後の彼の頑張りの一つの要因として、
愛犬の死は間違いなく、あったと思えるのです。
人は経験したことしか理解ができない。
本で擬似体験をすることは可能です。
読書はたくさんして、擬似体験をたくさん積むべきです。
でも、所詮は「擬似体験」でしかないのです。
人生は、何事もなさぬには長いが、
何かをなすには、本当に短い。
最近の人は、スマホのゲームに時間を潰す人が増えています。
先日、久しぶりに朝のラッシュの電車に乗ったら、
ほとんどの人がゲームをしている。
本当に非常に勿体無い。
色々なことを経験して、たくさん勉強して、
幅のある素敵な大人に教え子たちはなってほしいなあと思いつつ、
僕も、もっともっと積極的に、いろんなことに挑戦していこうと思ったのでした。
挑戦を続けている受験生のみんな!
がんばれ!
頑張って開いた道にこそ価値がある!