関 東 大 震 災 100 年
今年の9月1日は大正12年の関東大震災からちょうど100年になった。今後30年以内に70~80パーセントの確率で南海トラフで大地震が発生するだろうと予測されている。東京はこのトラフ(溝)の北端に隣接しているので、東京の住人としては大震災から100年という数字に怖い思いを否定できない。そこで江戸時代以降の江戸(東京)と周辺の大地震を調べてみた。手元にある『日本史年表』(岩波書店)によると、大地震は元禄・安政の大地震と関東大震災、それに富士山や浅間山の大噴火があった。(年表)1703 元禄16(11)南関東大地震、江戸市中の被害大、小田原城破損、江戸大火、湯島天神・聖堂など罹災1704 宝永1(1-3)浅間山噴火(7)諸国洪水、利根川出水による被害甚大1707 宝永4(10)宝永地震 (11)富士山噴火、宝永山できる。武・相・駿各国の被害甚大宝永地震は、東海道沖から南海道沖を震源域とした史上最大級の地震と言われ、連動して富士山の噴火となったようだ。もちろん江戸にも大きな被害が出た。この4年前の元禄大地震はその前兆だったのだろうか。なお、1585 天正13年に近畿・東海地方に大地震と津波が、1596 文禄5年には近畿地方に大地震が発生し、余震は翌年に及んだと伝えている。(年表)1783 天明3(7)浅間山大噴火、熱泥流・降灰で大被害この大噴火は、熱泥流で村が埋没し、川を堰き止めて大洪水となるなど、江戸周辺地域に大きな被害が出たので知られている。大地震ではないが関係の深い大災害と言えるのではないだろうか。(関連記事 参照)(年表)1853 嘉永6(2)関東に地震1854 嘉永7(6)近畿地方に大地震 (11)大地震、東海道の交通途絶、下田に大津波1855 安政2(10)江戸大地震(安政大地震)、破壊家焼失14,346戸、町人死者4,000人余 (11)江戸町会所、窮民381,000人へ施米を始める。嘉永の大地震も南海トラフに発生した巨大地震で、トラフの北端に隣接する江戸にも大地震が発生して大きな被害が出ている。(年表)1888 明治21(7)磐梯山大噴火、死者444人1891 明治24(10)岐阜・愛知県に大地震(濃尾大地震)、全壊焼失142,177戸、死者7,273人1896 明治29(6)三陸地震津波、死者27,122人、流失、全半壊8,891戸、船被害7,032隻明治時代になると大きな災害としては上の三つが知られているが、東京は比較的穏やかだった。しかし大正になって起きたのが関東大震災である。(年表)1923 大正12(9)関東大震災、死者不明142,807人、全壊焼失575,394戸。京浜地区に戒厳令江戸(東京)では、元禄大地震から安政大地震までが152年、安政大地震から関東大震災までが68年となる。上の元禄大地震も安政大地震も南海トラフに発生した巨大地震との関連が考えられるようだから、関東大震災から100年という数字は、大変怖い、不気味な数字といえそうなことが分かる。なお1585・1596年の近畿・東海地方の大地震から1707年の宝永大地震の間も約100年である。いつ来るか分からない大地震に常に備えているというのも、物心両面で大きな負担で、コロナ禍と厳しい残暑を合わせて、「助けてくれ」と悲鳴を上げたくなる気分になる。それでも都心や近郊の再開発がどんどん進められて街の景観は変化を続けている。はたして10年後、20年後の東京はどうなっているのだろうか。写真は庭のスダチの木と実。四国の徳島県の特産だが東京でも立派に育つ。今が食べごろでどんな料理でもその味と香りを楽しめる。もちろんお酒にも。木で熟したものは店で買うものとはちょっと違うのが自慢。 関連記事 → 浅間山大やけ