東京と九州を結ぶ最後の特急「はやぶさ」が2009年3月のダイヤ改正で消えてから15年になる。一方 3月16日には北陸新幹線が敦賀まで延びて東京との時間が短縮されることを喜ぶ声が大きい。しかしかねてから思うのだが、スピードと東京集中はそんなに大切なことなのかと。こんなことを言うと、忙しい世の中で現役でない年寄りの世迷言と笑われそうだが、やはり一度立ち止まって考えてみることも必要だと思う。

 

つい最近のことだが、東京駅を出た新幹線の列車が大宮駅の手前で架線事故のために長時間止まってしまったことがあった。その結果大宮から先の北陸・上越・東北3方面の新幹線がみな止まってしまった。東京・大宮間はともかく、その先は大宮駅折返しでどうして動かすことが出来ないのだろうと思った人が多いのではないだろうか。私もその一人だが、テレビの報道によると、乗務員の配置が出来ない、折返し駅での車内の清掃が出来ないためということだった。

 

東京に住んでいると人身事故のために電車が止まることはよくある。JRも私鉄も事故がおきるとその場所がどこであれ全線が止まってしまうのが今では当たり前になっている。どうやらシステム優先で乗客は二の次と言えそうだ。もう少し柔軟な対応ができるシステムをなぜ考えないのだろうかと思う。

 

また、電車やバスの廃線や減便がよくニュースになる。急に極端にバスの便が減って高齢者は生活ができなくなりそうだといったことなど。こうした交通機関は企業としての採算もあるだろうが、なによりも乗客優先、沿線の人々の生活といった公共性の維持こそがまず考えられなくてはならないと思う。国や自治体が今以上に配慮しなければならない問題だろう。

 

というようなことを考えていた時に出会ったのが、原武史さんの「見直される夜行列車、復活を」という文章だった(『朝日新聞』2023年12月23日)。原さんは近現代の天皇を中心とする政治史の研究者だが、若い頃からの鉄道ファンで「歴史のダイヤグラム」といった文章を新聞に連載している。

 

ある時、歌手の八代亜紀さん(2023年12月30日に急逝された)と話された時に、八代さんは地方公演の時に利用した寝台特急の復活への思いを語られたと言う。そして「八代さんの言葉はいよいよ現実味を帯びている。時代がようやく、スピードだけを売りにしないサービスを求めるようになってきたからだ。インバウンドが拡大すれば、「リタイア組」ばかりか外国人にも夜行列車が広く受け入れられるだろう。いや日本の出張族にも、夜行復活は朗報になる。」と書いている。

 

私は若い頃から山登りをしてきたが、山梨県や長野県の山に登る時には新宿発の夜行列車を利用するのが当たり前だった。週末の深夜の新宿駅は登山客で大混雑だった。また、北海道や九州への旅には夜行寝台列車の利用が多かった。時には普通席に我慢して。飛行機やマイカーの利用はまだ身近ではなかった。

 

こうした夜行の乗り物はもう過去のもので必要ないのだろうか。しかし、今も東京駅前や新宿駅前などのバスターミナルからは驚くような遠方への高速夜行バスが発着している。高速道路網の整備がこうした状況を実現しているのだろうが、安くて、時間の節約になるこうした移動手段が今も求められているということだろう。バスよりも鉄道の方がはるかに安全だろうに。

 

 

 

 

原武史さんの先の文章は、初めにヨーロッパでは夜行列車が復活しているとその状況を紹介している。昨年5月にはブリュッセルからベルリンへ、12月にはパリとベルリンを結ぶ夜行列車が復活し、2021年12月にはパリとウィーン間に14年ぶりに夜行列車が復活したと。

 

そしてその背景には「「飛び恥(フライト・シェイム)」という意識の広がりだ。温室効果ガスを多く排出する航空機での移動を恥じる一方、排出量が少なく、ゆったりと移動できる夜行ならではの旅が見直されているのだ。」と書いている。日本でも豪華な観光列車ばかりではなく、実用的な夜行列車の復活があってもいいのではないだろうか。

 

いささか脱線するが、原さんのこの部分は、昔ウィーンからパリ行きの特急に乗った時のことを思い出させてくれた。朝 9時にウィーンを出る特急モーツァルト号に乗り、途中リンツを経てザルツブルクに着いたのは午前11時58分だった。私が乗ったのはここまでだが、この特急列車がパリに到着するのはその日の午後10時20分の予定とあった。

 

ザルツブルク(Salzburg)は言うまでもなくモーツァルト(Mozart 1756-91)の生まれた町だが、先ごろ亡くなった小澤征爾さん(2月6日没、88歳)が師事したカラヤン(Karajan 1908-89)の生誕地でもある。私はウィーンではモーツァルトの墓に詣で、美術史美術館を訪ね、国立歌劇場の公演に行ったりした。小澤さんはウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの指揮を2002年にしている。また2002年から2010年にはウィーン国立歌劇場の音楽監督もしている。(謹んで故小澤さん、故八代さんのご冥福をお祈りします。)(写真はモーツァルト号の時刻表の一部分)