前回「風に揺れるジーンズ」で紹介したジーンズストリートの終るところに塩田(えんでん)王野﨑家の広大な邸宅が建っている(国重要文化財指定 2006年)。敷地面積約3000坪、建物延床面積約1000坪というとてつもない広さである。建物や庭園などが創建当時に近い形で保存されているのは珍しいことだろう。(写真2)
大きな長屋門から邸宅内に入ると左手に表書院が建っている。客を迎える建物で、広い2つの部屋があり庭には茶室がある。客は専用の御成門(おなりもん)から出入りしたそうだ。(写真3-5)
表書院の奥に建つ横長の大きな建物がこの野﨑家の住まい(おもや、主屋、母屋)で、9つの座敷が連続してあり、その長さ23間(けん)、約42mに及ぶという。(写真6)
この住まいの横に5つの土蔵が並ぶ眺めがなんとも素晴らしい。皆同じような姿だが、窓と外壁の造りがそれぞれ異なって変化を楽しむようなセンスが魅力的。
左端のやや大きな蔵は内蔵といい、出入り口が住まいの側にあり、後ろに小さな夜具蔵があることから、住まいでの生活に必要な調度品のための蔵かと思われる。この右に大蔵・書類蔵・新蔵・岡蔵の順に4つの蔵が並んでいる。どれも本瓦葺きの切妻屋根の妻側を正面とするが、窓と外壁の造りに個性がある。上から白い漆喰(しっくい)の壁、その下に帯のようになまこ壁、下半分は焼き板を縦に貼っている。なまこ壁とは正方形の平瓦を並べて目地(めじ)に漆喰をかまぼこのように盛り上げる造りだが、平瓦の置き方によって2種類の模様となる。倉敷ではどの造りもあちこちで見られるので、この土蔵群はまるで外壁の見本展示場のようでもある。(写真1,7)
ではこのような大邸宅を造り上げた野﨑武左衛門(1789-1864)の富の源泉はどのようなものであったのだろうか。それは19世紀前半期の児島周辺の大規模な塩田開発と藩命による大干拓事業にあった。その功績で大庄屋になり大邸宅を造った。江戸時代も終りの時期にあたる(1868年が明治元年)。
その富がいかに大きなものであったかは、明治の世の中になって1890 明治23年に議会制度が始まると、武左衛門の孫武吉郎が 3期16年間貴族院議員を務めたことからも想像できる。当時の貴族院令をみると、貴族院議員は、皇族・華族・学識者・多額納税者からなり、多額納税者は各府県で候補者15人から1人が選ばれて任期は7年とされた。野﨑武吉郎は岡山県でただ一人の多額納税者貴族院議員だったことが分かる。
(下の写真は岡山藩主からいただいた享保雛。邸宅内のあちこちに飾ってあった雛人形の一つ)









