東京の地下鉄銀座線に乗り虎ノ門駅で降りると、渋谷行のホームに大きな壁画があるのに気づく。柱の多い薄暗いホームに明るく輝いている壁画に近づくと、壁画と思った作品は実は立体的な作品だった。タイトルは 「白い虎が見ている」、作者は中谷ミチコさん(1981年生)、2020年とある。

 

この作品は壁画ではなくてやはり彫刻なのだろう。昔からレリーフ(浮彫)というのはあるが、この作品はその反対、凹型の群像のレリーフと言えばいいのだろうか。凸型のレリーフを造って、それから凹型の作品を造ったように見えるが、実際はそう簡単ではない。左右が逆になってしまうから、原型となるレリーフはあらかじめそれを頭に入れておかなくてはならない。

 

その上にこの作品には色が着けられているので、完成するまでには相当の苦労と時間がかかったことだろう(全体に散らばっている黒は作品を照らす光線による影である)

 

もう一つ気づくのは、立体の作品は観る者との位置関係で作品の形が変わっていくのが特色だが、この凹型の作品の場合はその変化が大きいと言える。作品の右側に添えられた小さな説明板には 「凹型のレリーフが引き起こす錯視によって、見る人の身体の動きに乗じて向きを変え、その人を見つめ返します。「空洞」 であり、「不在」 であるという矛盾を孕みながら、視点によって異なる表情を見せるその像は、前を通る一人一人との間に親密な関係性を生み出す、新しい公共彫刻となるでしょう。」 と書いてある。芸術家が常に求める創造、新しい彫刻に注目という訳だ。

 

しかしこうした彫刻としての新しさと同時に、作品のタイトル 「白い虎が見ている」 とはどういう意味なのか、虎の仮面の12名の女性群像は何を意味しているのか、といった点についても知りたいと思うが、何の説明もない。作品を観る者は、説明しなくても分からなくてはいけないのだろうか。

 

「群像」 の作品というと、私などは彫刻ではロダンの 「カレーの市民」、絵画では青木繁の 「海の幸」 を思い浮かべるが、これらの作品が何を表現しようとしているのかは、説明されなくても想像することができる。しかし、この 「白い虎が見ている」 はどうだろうか。

 

ある人の書いた文章に、「虎ノ門駅の彫刻をつくっているときは、ずっと 「原爆の図」 の幽霊を背負っているような感覚だったんです。そんな中谷さんの告白を聞いたときには、少なからず驚いた。」 とあり、「虎ノ門駅の仕事の話があったのは、ちょうど福島で原発事故をあつかった彫刻の設置が問題になっていたニ〇一八年頃で、パブリックアートそのものにも疑念があって。私にみんなのためのアートなんてつくれるのかなって思ったんですけど、こっそり個人的な記憶をひそませて、日本のどまんなかの駅のホームの雑踏にもぐりこませるなら、可能じゃないかって考えなおしました。」 という中谷さんの言葉も伝えている。なお、中谷さんは原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)を何回も訪れていることも伝えている。(注)

 

こうした作品にたいする作者の思いが、何も知らないで観る人たちにどのようにしたら伝わるのか。なにもこの作品に限らないが、芸術をめぐる永遠の課題かもしれない。

 

) 「帰る場所」 岡村幸宣 『図書』 岩波書店 2022年9月 参照