・まずは界隈情報
三矢さんのブログより、とても素晴らしい記事でございます。
ブロ主のDeeeさんもおっしゃったけど、
在日コリアンを「朝鮮人」と呼ぶことは避けた方がいいらしい。
また、北朝鮮などという国はない。
わたしは昭和人間だから、親が言ったような
「朝鮮人」という言葉をつい使うてしまいがちですが。
(主人も使っている)
昭和20年代産まれの人に対していちいち
「それは差別ですよ」とは言わないけど、
自分は気をつけたいです。
在日コリアンの友人は、朝鮮学校で「朝鮮人(チョソンサラㇺ)としての矜持と自負心」をよく教わったと語っております。
それゆえ『朝鮮人』という単語自体は、当事者のコリアンにとって「誇るべきもの」としての意識のもと、決して差別用語ではないと言います。
問題なのは、その表現が「使われる文脈」であり、韓国人や朝鮮人、はたまた日本人や中国人であろうと、同種の問題は起こりえることで、こと朝鮮人という単語にフォーカスして考えるなら、「日本人が使う場合の朝鮮人」と、「当事者(在日コリアン)の意識する朝鮮人」で、“微妙なニュアンスの違い”があるのか、寅さんの映画(1970年代)で、どの回か忘れましたが、大学で教員をするマドンナに対して、世界中の言語で「おなら」の発音を問うくだりで、最後に寅さんが「朝鮮語では何ていうんだい?」と質問して、当時ご家族と一緒に見ていた在日コリアンの友人方は、あの寅さんが朝鮮と言ったと、逆に“とてつもない親近感”を覚えたそうです。
続けて、「北朝鮮という国はない」というのは大正解でございます。
‐シリーズ・明かされる『満鮮史』 その12(北朝鮮の表記問題や満州避難民のこと)‐
中国や台湾が『支那』という言葉を嫌ったように、DPRK政府も「北朝鮮」という表記をせず、『朝鮮民主主義人民共和国=朝鮮(共和国)』とするのが適切であるとします。
昔はもっと酷い言い方で「北鮮」という、帝国時代の植民地意識の名残りから、朝鮮半島を露骨に貶める表現が平気でなされておりました。
それは現在でも変わらず、東南中国海を「シナ海」とするのも同様であり、今回の三矢さんのコラムは、普段私たちが気が付かないところに『差別』が潜んでいることを気づかせて下さった、とても貴重な記事であり、HN「バンコクジジイ」は、Michikoさんと一緒に通報した、とんでもないヘイトスピーカー(ネトウヨ)です。
それでは本題と参ります。
・歴史のおさらい 【北東アジア近代史編】
The Rise of Japanese Empire - YouTube
過去の記事で、福沢諭吉の『脱亜論』について、少し触れさせて頂きました。
‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その7(開化派と甲申政変)‐
そこでは「アジア東方の悪友を謝絶する」として、その「絶縁」を殊にする記述でしたが、実際は「西洋人がこれに接するの風にしたがって処分すべき」という、『割亜論』という帝国主義的な趣をなお一層強調する文章でした。
福沢諭吉 『明治24年(1891年)頃の肖像』 Wikiより
「今は競争世界で・・・・・・人の隙に付け入らんとするの時節なれば、理非にも何も疑うことはない、少しでも土地を奪えば、暖まりこそすれ何の寒きことがあるものか。遠慮に及ばぬ『さっさ』と取りて暖まるがよい」(⑲711)。
「火災〔=西洋列強がもたらす火〕の防御を堅固にせんと欲すれば・・・・・・時宜により〔近隣の主人を〕強いてこれ〔=石室〕を作らしむる可なり。・・・・・・事情切迫に及ぶときは、無遠慮にその地面を押領して、わが手をもって〔石室を〕新築するも可なり」(⑤187)。
「支那国<清>・・・・・・自立を得ずしてはたして〔=予想どおり〕諸外国人の手に落つることならば、わが日本人にして袖手〔=袖に手を入れて〕傍観するの理なし。我もまた奮起してともに中原〔=中国河北省〕に鹿を追わんのみ」(⑤313)
「食むものは文明の国人にして食まるるものは不文の国とあれば、わが日本国はその食む者の列に加わりて、文明国人とともに良餌をもとめん」(⑨195f.)
※傍点はアンダーライン
『天は人の下に人を造る 「福沢諭吉神話」を超えて』
杉田聡著 インパクト出版会 146頁より
帝国主義の礼讃、常に保護国や植民地を求める姿勢と合わせて、露英や日本を重ねた「強大文明国の保護」によって、あらゆる搾取と迫害・虐殺を是とする思想でもって『朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す』という論説を書きました。
膨張と拡大、支配と搾取が資本主義の本質ならば、財界の御用番たる福沢は、遠慮なく称揚するし、新しい一万円と五千円札のヤバい連中を論ずる以前に、すでに福沢諭吉が、とんでもないヘイトスピーカーな帝国主義者である時点で、日本が『過去と向き合っていない』事実を歴然と浮き出たせている。
それまでチョンマゲを結っていた武士でありながら、中国人(満州族の男性風習である辮髪)を「豚の尾」になぞらえ「豚尾」や「チャンチャン」と罵り、自らの社説(時事新報)においては、この種のヘイトスピーチを繰り返している。
『中国の子どもたちに「餌付け」をする英国貴婦人たち』
https://twitter.com/julialeejulia3/status/1264139010949230593/video/1
※ツイッターの方では、なぜか『アカウントが凍結』をされていて、動画が視聴できなくなっております。
福沢は、かつてイギリス人が東洋人を「獣視」することを怒っておきながら、今日本が「一等国になった」と思う瞬間から、今度は自ら清国人を獣視する、ご都合主義を展開する有様である。
さらに福沢は、「腐ったような穢ねえ老爺<じじい>」、「木虱<ダニ>が移る」、「じじむさく、穢ない」、「生まれてこの年にいたるまで、湯に入ったことがないので、身のまわりに変な臭気を放ち」といった差別的な表現を用いている(⑭571=212)。他に、「孑孑<ボウフラ>」、「豚犬」、「乞食」、「蚤<のみ>の移る」などという言葉を用いる場合もある
※<>は筆者注
『天は人の下に人を造る 「福沢諭吉神話」を超えて』
杉田聡著 インパクト出版会 168頁より
これが教育者?近代民主主義の祖?単なる品性下劣な無頼漢なんだが。
ちなみに、「一等国民」とされる日本人も、イギリス人(イザベラバード)から、散々コケにされている。
差別に終わりなどないのだ。
福沢の暴言はまだまだ続く、
中国人・中国兵を称して「豚尾」(⑧439=87)、「豚尾児」(⑭568,⑭584=240、⑮42)、「豚尾奴」(⑭624)、「豚尾兵」(⑮94)、「豚尾兵と名づくる一種の悪獣」(⑮47)、「腐敗・惰弱の豚兵」(⑮64)、「流民乞食」(⑩69)、「乞食流民」「下郎輩」(⑭574)、「腐敗」「孑孑」(⑮80,ルビは福沢)、等と記す。
・・・・・・・。
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことである。
‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その13(ころして、おかして、やきましたとさ)‐
こんなネトウヨじみた奴を、“日本の顔”と称して、最高額紙幣に載せてしまう国の民度を疑うばかりだが、そうした中国人に対する激烈なまでの差別意識と敵対意識が醸成された結果、旅順虐殺(1894年)を引き起こし、軍人出身の三浦悟朗が、日本軍部と結託の末「大陸浪人」と呼ばれた朝鮮支配をねらう壮士と共謀して(壮士側の首謀者は、以前から福沢と関係が深かった岡本柳之助)、朝鮮王宮に忍び込んで明成皇后を惨殺し、その後遺体を凌辱(死姦)し、かつ裏山で焼き捨てるという『歴史上未曽有の凶悪事件』(内田定槌・漢城領事〔当時〕)を起こしたときも、「一時の遊戯・・・・・・野外の遊興、無益の殺傷として見るべきのみ」(『天は人の下に人を造る 「福沢諭吉神話」を超えて』 杉田聡著 インパクト出版会 177頁より)などと、信じられないような書きぶりは、殺された皇后は“ただの昆虫”であり、子どもが無意味に虫を殺す論理で嘲笑っている。
このジジイ、完全に頭がイカれている。
あまつさえ、朝鮮は「車夫・馬丁の国」、「糞土の牆〔=腐った土の壁、転じて怠け者の巣窟〕」と揶揄し、日清戦争後の台湾割譲においては、現地の台湾人を「一人も余さず殺戮して醜類を殲ぼすべし」と、ナチス顔負けのジェノサイド(大虐殺)を提唱した。
<参考資料>
・悪鬼滅殺 仕事は介護と子育て支援。日・韓・中・沖縄の平和。愛知県春日井市 『あなたがこの世界の片隅に生まれた理由”アジアの純真2009年片嶋一貴監督作品”』記事
・Youtube動画 『The Rise of Japanese Empire』
・『天は人の下に人を造る 「福沢諭吉神話」を超えて』 杉田聡著 インパクト出版会
<ツイッター>
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https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As
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