【東浩紀×奥田愛基(SEALDs)】SEALDSは暴力!?⇒『団結』してしまうことで失われる多様な価値感【津田大介】民主主義ってどれだ?④

https://www.youtube.com/watch?v=uAp57J0lTEI

 

この中で東氏は、野間さんが初期のころに行っていた「カウンター活動」については、まったく否定しておりません。むしろ肯定的に捉えています。

 

その理由は「実感があった」からです。続いて東氏は、政治においても「実感」が大切とし、イデオロギーに暴走すると、とんでもないことになると述べられております。

 

つまり目の前で、在特会の連中が在日コリアンの店に押し掛けて、乱暴狼藉を行うことついて、しっかりとカウンターが駆けつけて、そこでしっかりとレイシストに「おかしいだろ!」と指摘する。

 

これ自体は、「実感」という最も大切な基準のもと、その中で暴言があろうとも、今目の前で苦しんでいるマイノリティが居れば、否定されることはないということです。

 

さらに東氏は、在特会が拡声器を持って、在日コリアンに対して、激烈なヘイトスピーチを繰り出している時、それを実行力ある形で押さえること自体も否定しないとしています。

 

つまりそれは「どっちもどっち論」ではないということです。

 

しかしある時期から、しばき隊などのカウンター界隈が、本来の「実感」とは外れ、非常に抽象的な左翼(リベラル)狩りに転向していったことを端的にご指摘されています。

 

それは差別問題に取り組んでいた人なら、絶対に知っておかなくてはならない、しばき隊内部における『内ゲバリンチ事件』が記憶に新しいでしょう。とある在日コリアンのカウンターが、右翼から金をもらっているのではないかとした、同じ日本人カウンターのMさんを、李信恵氏・LK氏・B氏が夜の酒場に呼び出して、そこで長きにわたる間、惨たらしいリンチを加え続け、あまつさえしばき隊トップの野間さんや、同じ界隈に属する関西有名大学教授のKM氏が、ツイッターで被害者Mさんの実名や所属を晒して、セカンドリンチを加えた事実です。

 

話は動画内部にもどりますが、ここで東氏が重要なことを述べられていて、ある界隈の『神輿』となっている存在が、その立場に甘んじて、現在の立場を存続し続ければ、たちまち多くの人々の信頼を失う結果になるとおっしゃられたことです。

 

無論、しばき隊の『神輿』であるシールズにせよ、独善的な歴史観や、韓国人研究者鄭氏に対する誹謗中傷や人権侵害など、野間氏らと同一になって過ちを犯している事実から類推しても、もはや彼らが一心同体であると見るのは妥当な見方だと思います。

 

拙ブログにおいても、しばき隊に関するリンチ事件の経緯を、七回のシリーズ記事にて述べさせていただきましたが、その中で英語ブロガーのMichikoさんとの議論で、彼らがなぜ暴走してしまったのか、また多くのリベラルは、なぜこの問題について無関心なのかについても、真剣に分析を重ね、氏のお言葉を借りると「誰かに盲目的についていくのは、友情でも、尊敬でも、師弟愛でもない」「間違ったときに、おかしいと言ってあげることこそが、友情であり、敬意であり、師匠への恩返である」と言うことや、リンチ被害を受けたMさんは「おかしいと思ったことを、おかしいと言った」がゆえに、そのような酷い目に遭われたということ。

 

こうした状況は、しばき隊批判に否定的なリベラルについても同様で、自分たちにとって不快な議論は、一切シャットアウトにして、「異論を唱えた人」に対して、集団による嫌がらせや、事実に基づかない一方的な主張を繰り返して、人格攻撃にまで繰り出すという事実から類推しても、広い意味での一般性を持ち、日本のリベラルが今後再生を果たしていくためにも、絶対に避けては通れない問題です。

 

常に私たちに求められるのは、感情や集団の掟などではなく、「冷静な分析」なのです。

 

海外や日本国内の反差別運動に詳しいMichikoさんは、しばき隊の活動を長きにわたりウォッチし続け、2013年の最初のころの雰囲気と、こういうふうになってしまったあとの状態は、一致しない。両者を一緒「正しい」とか、「いいじゃないか」などという評価をすることは、不可能とされたことです。

 

初期のしばき隊の活動は、先の東浩紀氏がご指摘されたような、在特会やレイシストたちによる「お散歩」(在日コリアンいじめ)への掣肘であり、続いてMichikoさんは、彼らの行動の動機は「自分たちの住んでいる社会をマシなものにするため」だったのであって、公衆便所の掃除とか、落書き消しと同じ理由だったことや、最初のころは、メンバーは日本人だけであり、それは在日コリアンの人々を巻き込んで、貸しを作ってはならないためで、「社会に責任のある者として、自分たちの社会をマシにするためにやる」ということだったのです。ゆえに日本人だけであり、動機は「自分たちのため」としたのです。

 

これこそが、正しい市民活動の在り方で、初期の野間さんも、そうしたた『正しい目的』を繰り返し述べていました。動画19分10秒ごろに、東氏がご指摘していることですが、仮にその人たちに「実感があった」(福島差別とシールズ動員の例)としても、ちゃんとした目的がなければ、容易に差別や暴力を伴う表現になる。つまり、短絡的な被害者意識なるものによって、自分はこれで「正しい」と思っていることについて、本当にそうなのかという、「落ち着いた時間を設けてじっくり熟考する」という『理性』によるブレーキが必要なのです。

 

その中で、自分たちは「どこが基盤」「誰のためにやっているのか」という一つの問いかけを通じ、底の浅い動員や集団心理に囚われないとしました。

 

「ヘイトスピーチは日本人の問題」として受け止め、その『後始末』は、日本人である「自分たち自身」が行うことをモットーにしていました。

マイノリティを直接的に「守る」という形ではなく、運動としても非常にわかりやすく、両者にとって「貸し借りなし」の健全なものとして活動していたものが、運動が拡大していくにつれ、いつの間にか辛淑玉氏や李信恵さんらの「一部の在日コリアン」の意識と折り重なる形で、「マイノリティを守る組織」へと変貌していきました。

あの事件で、一部のマイノリティの人たちが、個別的人生の中でこしらえた「過度な被害者意識」と、本来マイノリティが背負ってきた「被害の歴史」を織り交ぜる形で、自分たちの蛮行の正当化し、本来関係のない大勢の在日コリアンの印象を汚したことについて、この先も批判を続けていかなくてはならないことや、日本人であっても「そのような陥穽」におちいること。そうした誰もが気を付けなければならない問題として、このリンチ事件は歴史の教訓とすべきなのです。

 

 

<参考資料>

 

・【東浩紀×奥田愛基(SEALDs)】SEALDSは暴力!?⇒『団結』してしまうことで失われる多様な価値感【津田大介】民主主義ってどれだ?④

 

https://www.youtube.com/watch?v=uAp57J0lTEI

 

・同『‐辛淑玉文書を読む その1‐』~『 ‐辛淑玉文書を読む その7‐』

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12332234737.html

 

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12332624357.html

 

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12332879437.html

 

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12334124908.html

 

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12334655432.html

 

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12334908082.html

 

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12335166981.html