ブログ記事の更新が遅れて申し訳ありませんでした。
※前回の記事『‐辛淑玉文書を読む その3‐』(https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12332879437.html)
辛淑玉『Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ』(4/7) pic.twitter.com/80AAjv0qAM
— ニライカナイφ★ (@niraikanai07) 2016年5月18日
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https://togetter.com/li/976995
今回で文章は中間地点に差し掛かります。
辛淑玉氏はリンチに関わったB氏が、その後何事もなかったように「日常生活」に戻る姿を、関東大震災における朝鮮人虐殺の当事者たちや、アジア・太平洋戦争でたくさんの人を殺してきた日本軍兵士(皇軍兵士)となぞらえ、これ自体は非常に適格な表現だと思います。
シリーズ記事で繰り返し述べるように、どのような理由があれ、一人の人間を寄ってたかってリンチし、それによって重傷を負わせたことそのものは、疑いようもない犯罪で、内輪のもめごとなどで済まされる話ではありません。
今から10年前(2007年)にあった時津風部屋の力士集団暴行殺害事件でも、世間では大きな注目を集め、適切な批判が多く寄せられました。
リンチという、極めて卑劣かつ残虐な行為において、どうしてそれが公にされず、他者からの批判すら許されないような“界隈のリベラル”の雰囲気に、私は納得がいきません。どのような立場・集団であろうと、事件を起こせば、それが内外に公開され、法的かつ社会的批判を受けると思うのは、一般の認識として当然でしょう。
そして辛氏は続けて、Mさんがなぜ今回の事件を大々的にしなかったことについて述べています。
「もし自分以外でまた同じことが起きたら、カウンター中で、少しでも自分たちと異なる考えの者、あるいは下手を打った者に対して、見せしめのようなリンチをしてもいいという流れができてしまったら」
「次は『人が死ぬ』ということを、彼(Mさん)」は肌で感じたのだろうと思えてならないのです」
「そうなったら、もうカウンターなど存在すら許されないと」
これも極めて妥当な認識でしょう。
私自体は、差別デモに反対ですし、あのようなおぞましい集団に対抗する人たちが居なければならないと思っています。もちろん暴力を用いない方法で。しかしながら、『しばき隊』のような人たちが「一線を越えた」ことによって、健全な思いで活動されている人に多大な迷惑をかけたことは事実です。
その後も、辛淑玉氏は「加害者三人」に対する批判と、Mさんに対する真摯な記述がみられただけに、私自身も「もったいないな」と、もう李信恵氏の在特会や保守速報に対する裁判も終了した現在、今こそ事の真相をつまびらかにして、内外の批判を受けて更生すべきだと思います。