ふと思うこと
だいぶ前の話になるが、体にいわゆる「障害」があるため車椅子で生活している有名人が、エレベーターのないビルの2階にある料理店に連絡もなしに行き、さらには店員に2階の店舗へ自分を抱えて行くよう要求したという。そこまで聞くだけでもなかなかのものだが、さらにその有名人は、入店を断られたことに腹を立て、ツイッターに店の実名を晒して批判を書き込んだという。
ここまで聞いて思うことは、何のことはない、その有名人の考え方そのものが「障害」だということである。勿論、そこにどんな背景があったとしてもだ。大人としての良識を備えた人間とは到底思えない。
聞けばその有名人は、今までお店でそのような対応をされたことがなかったらしい。周りが配慮してくれていたことに気が付かずに生活してきたことこそが、本当の意味での彼の「障害」を生み出している。
幼い子供を連れて外食に行く時、行きたい店に子供用の椅子があるか、幼い子が行ってもよい雰囲気の店なのかどうか、よほど常識のない親でなければ必ず事前に調べるだろう。それがわからない場合は事前に連絡をして聞くだろう。それが当たり前である。どの店に行っても幼い子供に対応してくれる世の中などありえないし、そうでなくてはいけない訳でも勿論ない。よほど厚顔無恥な人間でなければ、店側にも様々な事情があることは想像できるはずだ。
自分に合わせて世の中が変化していくことなどありえない。だが、上記の有名人のように、それをバリアフリーと勘違いしている人も残念ながらいる。彼らが望んでいるのは「障害」にやさしい世界ではなく、いわゆる「自分」にやさしい世界なのだ。もしくは「自分と同じような障害をもっている人々」かもしれない。でも、世間的に言われている「障害」にはとても数えきれない種類がある。その全てに対応した世界?余計あり得るわけがない。
様々な特徴をもった人達がお互いを認め合い、お互いに配慮して助け合う世界がバリアフリーなのではないのか。配慮してもらうことの前に、自分もまた配慮されていること、相手に配慮することを忘れてはいけない。
僕の持論だが、「障害」という言葉が「人と違う」「変わっている」「足りない」「苦手」等を表すのだとしたら、人間誰しも「障害」をもっていると思う。勿論、生きにくさや辛さは人それぞれだし、皆を一緒くたにすることは無論できない。いわゆる重い(何をもって重いのか軽いのか、それも見方によって線引きが変わるだろうけど)といわれる障害をもつ人の気持ちを僕が完全に理解することは、現時点では難しいだろう。
ただ言えることは、僕の中では「障害者」と「健常者」という区別はない。言っておくが僕は聖人でもなんでもないし、綺麗事でこう言っているわけではない。つまるところ、世間で言われている「障害者」だろうが「健常者」だろうが、嫌な奴は嫌な奴だし、いい奴はいい奴なのだ。
少し極端な言い方に聞こえるかもしれないが誤解を恐れず言わせてもらうと…例えば僕から見て、体や脳に障害があっても一生懸命生きてて人に優しくできる奴は皆尊敬できる「健常者」だし、いわゆるどこにも障害がないと言われる奴でも人に優しくない厚顔無恥な奴は皆「障害者」なのだ。そういう意味では、人間誰しも(勿論自分も)油断すると「障害者」になる可能性はあるのだと思う。今までもそうであるし、そして勿論これからも。
自分のいわゆる「障害」というか、「生きにくさ」とは何なのか、それはどこにあるのか。おそらく大多数の人達が抱えているであろうそれを考えることは大切であると思っている。それを考えることで、苦手を克服できるかもしれないし、あるいは得意なことを見つける手掛かりになるかもしれない。さらには、それをきっかけとして人の生きにくさにも気づいてあげられるかもしれない。
自分もまあまあいい歳に差し掛かってきているが、そこについてはまだまだ探求中である。一体いつまで探求することになるのか…。正直面倒臭いけれども、少しだけ楽しくもある…気がする。
結局のところ、「障害」なんてものは言葉でしか存在しない。
自分と向き合い、そして他人にもちゃんと目を向けられるかどうか。自分が配慮されていることを知り、そして他人にも配慮をしてあげられるかどうか。
綺麗事ではなく、それが全てだと思う今日この頃。
ren
幼馴染みと僕
勝手に書くと怒られそうだが、彼はブログなんてものはきっと見ないだろう。
こんな僕にも、親友と呼べる人は一応いる。その一人が、現在飲食業界で働いているその幼馴染みだ。
彼との出会いは小学校。一番古くから付き合いのある友人である。正直、小学校時代はさほど仲が良かったわけではない。お互いにとって「その他の友人A」くらいの存在だった。
急激に仲が良くなったのは中学校に入って同じ部活に入ってから。なぜ仲良くなったかと言われれば、家が同じ方向で毎日一緒に登下校してたことが大きい。しかしそれ以外の理由はあまり見当たらない。なぜなら彼と僕は性格が全く似ていないからだ。
僕は短気で血の気が多く、そして内向的。彼は大らかで平和主義者、そして社交的。彼の周りにはいつもたくさんの人がいた。そんな彼がなぜ僕なんかと仲良くしてくれたのか今でもよくわからない。ただ、僕は彼といると心地良かったし、気張らず自然体でいられた。
何より、出会ってから今まで、彼とはケンカをしたことがない。言い争いすらもないのだ。それは相性というよりは彼の大らかな性格によるところが大きいだろうけど、短気な僕からしてみれば奇跡的なことなのだ。
彼は人気者だったが、僕から見ると少し変わっていた。中学生の頃から映画をこよなく愛していた。当時、彼の家で何度か「僕らの七日間戦争」と、伊丹十三監督の「たんぽぽ」を観せてもらったことを覚えている。何となくおもしろかった記憶はあるが、彼のように何度も何度もヘビロテで観る感覚は正直よくわからなかった。
中学校時代、彼とは一緒のクラスになることはなかった。それでも仲は良く、自分のクラスにイマイチ馴染めなかった僕は、大半を彼のクラスで過ごしていた。彼を慕うクラスの友人もやはり少し変わっている人が多かったが、違うクラスの僕に対しても普通に接してくれる人達ばかりだった。お笑いも好きだった彼は、クラスの友達と漫才をやることもあった。内向的な僕からしてみれば、周りの目を気にせずやりたいことを何でもやる彼はとにかくまぶしかった。
彼が彼たる所以は、彼の両親にもある。特に彼のお母さんは、僕が今まで会ってきた人間の中で一番優しい人だったと思う。
例えば、僕が日曜の朝10:00に彼の家に遊びに行く約束をして時間通りに着くと、彼がまだ寝ていることが度々あった。そんな時、彼のお母さんはいつも「ごめんね~まだ寝てるの~」と困ったように言うだけで、決して彼を起こそうとはしなかった。彼のお母さんは、彼にも僕にも、どんな人に対しても同じように優しかった。他にも優しいエピソードはいくらでもあるが、ここでは割愛する。
彼は、お母さんに怒られたことがないらしかった。それでも彼は真っ直ぐ、実直に育っている。その優しいお母さんは既にこの世を去っている。彼は自分の母のことを当然のように「最高のお母さんだよ」と話す。彼のお母さんを思い出す時、笑顔以外の顔は思い出せない。
彼とはバンドを組んだり、ライブを観に行ったり、一緒に泊まりがけで勉強をしたりと、大いに青春を謳歌した。
しかし、進学先の高校は別々だった。寂しかったが、別々の学校になっても交流は続いた。
大学も当然別々。僕は東京、彼は北海道の地方。さらに距離は遠くなったけど、疎遠になることはなかった。
お互い就職の時期になり、それでもフラフラしていた僕は彼に軽い気持ちで進路を聞いた。彼からは意外な、でも彼らしい答えが返ってきた。
彼は、前述の中学生の頃に観た伊丹十三監督の映画「たんぽぽ」に影響を受け、飲食業界で働くことをかなり前から決めていた。ちなみに映画「たんぽぽ」とは、食通のトラック運転手が、さびれたラーメン屋を行列のできるラーメン屋に成長させるまでを描いた映画である。
僕は妙に納得し、応援する、と伝えた。こんな時期に目標の決まらない自分に比べ、当然のように自分の信じた道をまっすぐに走っていく彼は、やはりまぶしかった。
彼の就職先は関西地方だった。彼が地元を発つ直前に会った時、彼は「遠くないうちに必ず店長になるから」と話し、僕と握手を交わした。これから簡単には会えなくなることを感じて、僕は少し泣いた。でも、彼はとてもかっこよかった。
数年後、彼はあれよという間に副店長になり、その数年後には本当に店長になる。あれよという間などと簡単に書いてしまったが、彼が社会人になってから経験した日々は、僕の想像を超えた過酷なものだった。上司には厳しく当たられ、睡眠時間も微々たるものだった。だが、彼は強い。どんな時も彼の信念が揺らぐことはなかった。
常に気持ちが揺らいでいる僕のような人間から見れば、彼はさながらスーパーマンだった。僕にとっては、僕が歩めなかった人生を歩んでくれているもう一人の自分のような存在だった。彼のような人間になりたかった、と僕は常々思っていた。
彼は現在も独身である。モテない筈はないが、単純に忙しすぎるのだ。
僕の結婚式では、僕の親族席に座ってもらった。少し申し訳ない気もしたが、彼の席はそこ以外考えられなかった。彼は一切文句も言わず、それどころか「光栄だ」と言って普通に座ってくれた。
そして、彼は祝福の言葉と共に、僕のことを羨ましいと言った。僕にとってそれはとても意外な言葉だった。だって、羨ましいのは僕のほうなのに。
その時僕は初めて気づいた。僕が彼の人生を羨ましいと思っていたのと同じように、彼もまた僕の人生を誰よりも好意的に見守ってくれていたのだということに。僕にとってそうであるように、彼にとっては僕が、違う人生を歩むもう一人の自分であったのだ。
彼とは現在でも、年に一度くらいのペースで会っている。忙しくてなかなか会えないけど、不思議と寂しいという気持ちはない。年に一度でも会えることが嬉しい。
もともと自分のことが嫌いだった僕だけど、彼が羨ましいと言う人生を歩んでいる以上、悲観しているわけにはいかない。
彼の言葉のおかげで自分のことがちょっとだけ好きになれた僕は、もう一つの人生に憧れながらも、今の自分の人生を懸命に生きようと思うようになった。
彼にはまだ先の夢がある。ここでは詳しく書かないが、彼ならきっといつか実現するだろう。その時は、どんな形であれ僕も関われたらいいな…と密かに思っている。二つの人生がそこでまた交わることができるとしたら、そんなに嬉しいことはない。
いつかそんな日が来ることを、僕は勝手に夢見ている。
すごくお薦めです(漫画の話です)
この度僕が強くお薦めするのはこの漫画です。

個人的な感想を言うと、近年読んだ漫画の中では最高傑作と言っていいと思います(今のところ)。
ただ、音楽をかじったことのある僕自身の経験から、この作品をよりおもしろいと感じている部分もあるかもしれません。
この漫画の題材は「ジャズ」です。しかし僕自身は全くジャズを聴かないし、今まで聴いたこともほぼない人間だということを付け加えておきます。それでもすごく面白い漫画なんですよ。
音楽漫画と呼ばれるものは数多くありますが、今までに面白いと感じたのは「のだめカンタービレ」だけでした。音楽漫画は他にもいろいろ読みましたが、個人的には正直どれもつまらなかったです。
何故つまらないかというと、読んでいても「音」が伝わってこないんです。音楽を描く漫画で音が伝わってこないのって致命的では?と僕としては思ってしまうんですが、「のだめカンタービレ」では初めて漫画から音が伝わってくる感覚を味わいました。
そこに関しては、のだめカンタービレは僕の専門でもあるクラシックを題材にした漫画だったので、描かれている曲や音を想像しやすかった部分もあると思います。
しかし今回ご紹介した「BLUE GIANT」については、前述の通り作中に出てくる曲に関する僕の知識はほぼ皆無です。なのにちゃんと絵から「音」を感じるんですよね。これってホントにすごいことだと思うんです。ただ、僕にもっとジャズの知識があって曲のことも知っていれば、きっと今の何倍も楽しく読めるんだろうな~と思うとそこはちょっとばかり悔しいです。ジャズ自体には今もさほど興味は湧かないけど、この漫画を読んでいると少し聴いてみようかな~という気になります。
作者の石塚真一さんは、有名なところでは実写映画にもなった「岳」の作者でもあります。岳も読ませていただきましたが、この方は作中人物の人となりや心情の描き方が独特で天才的です。アメリカに住んでいた経験もあるとのことで、そのせいでジャズが身近であったり、日本人的ではない感性が育ったりという部分があるのではなかろうかと勝手に推測しています。
余談ですが…BLUE GIANTとのだめカンタービレ、漫画としてはどちらも非常に面白く秀逸です。ただ、のだめカンタービレは笑える漫画なので、音楽というカテゴリは同じでもBLUE GIANTとはかなり趣が異なりますね…。
BLUE GIANTの既刊は現在8巻までです。このままいくと自分の中の傑作漫画ランキングがかなり変動する予感がします。
持論ですが、漫画でも小説でも曲でも、そういった作品は過程も勿論ですが何よりも終わり方が大切だと思っています。傑作になるか駄作になるかも終わり方一つでガラっと変わってしまいます。BLUE GIANTの今後の展開と、そして兎にも角にも終わり方に大いに期待したいと思います。
追記:
初めは勢いでこの記事を書いてアップしてしまい、所々文章に拙い部分がありましたので訂正しました。あと、僕が感じるBLUE GIANTの最大の魅力は「夢(特に音楽の夢)への向き合い方が明確に描かれている」という点です。夢が大成するにせよしないにせよ、その正しい向き合い方にはさほど選択肢はない。ただ、その正しい向き合い方にいかに早く気づき、そしてひたすらに真っ直ぐ正しいほうを選択し続けられるかどうか。無論僕はそれができなかった人間ですけどね。
この漫画の主人公は、読んでいると何だか王道少年漫画に出てくるバカ正直で真っ直ぐなヒーローみたいな印象を受けます。一見すると「実際こんな奴いるの?」みたいな。ですが、実際に正しく夢に向き合い続けている実在の人物に抱く僕の印象っていうのは、この主人公そのものです。有名人でいうとイチローさんかな。あとは、身近で言うと僕の大学時代の先生や、飲食業界で働いている幼馴染み。その方々に共通するのは、若い十代の頃から考え方や物腰が完成されていて、歳をとっても価値観や容姿にブレがないこと。…まあ、その話はいつかまた書けたらと思ってます。
追記が本編並に長くなっちゃってすみません…
ren
いろいろと振り返ってみる
今年ももうすぐ終わろうとしていますね。
今年もいろいろなことがありましたが、何にしても娘2人(人間と猫)の存在に救われた1年でした。
この2人を見ていると、この世に生まれてくることって幸せなことなんだな、と感じることができます。
辛いことや嫌なことがあっても、この2人のおかげでいつもそのことに気づかされます。
本当に感謝です。
そして2人の近況はというと…
1日1回の投薬と月1回の通院は欠かせませんが、おかげさまで元気にしています。
命を救ってくださった動物病院の先生には本当に感謝してもしきれません。
1日1回の投薬については、いつも18:00頃にお薬をあげるんですが、その時間になると
自分から寄ってきて「お薬の時間ですよ」と知らせに来てくれます。さらに、錠剤の薬を差し出すと
なんと自分で飲んでくれるんですよ!偉いでしょう!?もうずいぶん前からそうしてくれています。
誰よりもリリさん本人ががんばっているという証拠ですよね。
最近では、人間の妹がお転婆なのでいろいろとストレスを溜めてはいるようですが…
たまに触らせてあげたり、うるさくしてると注意しに行ったり、授乳の時や寝ている時に様子を
見に行ったり…。なんだかんだ言ってしっかり「お姉さん」してます。
ちなみに…初めてうちに人間の妹が来た時は、「にゃ~~~~~~~!」と今まで聞いたことも
ないような大きな長い鳴き声を出し、しっぽをビリビリビリ~~~ッ!と震わせました。
ですがその後は何事もなかったかのようにごく普通に、自然に振る舞っていました。
妹がお腹の中にいた頃から、「もう少ししたらこの子がお腹から出てきてうちに来るんだよ」と
よく話していたので、その話と実際に見た妹とが「つながった」衝撃だったのでは…と
maiさんと勝手に解釈しています(その話の出所は漫画「ガラスの仮面」の中に出てくる
「奇跡の人」のくだりです。分かる方には分かるはず…)。
妹・ミミさん(ニックネームです)
1歳になりました。絶好調に元気で、歩き回るというか、もう走り回っています。
最近では、人語はまだしゃべりませんが、かなり話を理解しており会話ができるようになってきました。先日、こんなことがありました。
ミミをお風呂に入れていた時の話。 ミミは湯船の中でお気に入りのアヒルの人形を使って
夢中になって遊んでいました。少し眠そうな様子になってきたところで「もう上がる?」と聞くと、
「うん」と言って頷くミミ。「じゃあ、アヒルさんもう終わりにしようか」と言うと「うん」とまた頷き、
アヒルの人形を湯船のふちにそっと置いたではありませんか。さらには自分で風呂場のドアに
向かって行き、湯船から這い上ろうとまでしていました。
こんな感じで、言葉は話せなくともこちらの話を理解して「うん」「いや」を駆使し、
会話ができるようになってきています。赤ちゃんってホントすごいですよねぇ…。
あと、ミミは姉・リリのことが大大大好きで、姿を見るだけでも毎回満面の笑みを見せて喜びます。
「リリが好きということは猫が好きなのかな~」と思い、先日、とあるホームセンター内にある
ペットショップに連れて行き、そこにいる看板猫さんに会わせてみることにしました。
当然喜ぶものと思っていましたが…なんとミミさん、まさかの無表情・ノーリアクションでした…!
ちなみにそこの看板猫さんは三毛の長毛でガタイも良く、リリさんとは違うタイプの猫でした。
さらにそこにいた他の仔猫ちゃん達にも会わせてみましたが、こちらもイマイチのリアクションでした…。
そこで導き出される答えとしては、ミミが愛してやまないのは「猫」ではなく、やはり
「姉のリリ」だということなのではないでしょうか。可愛い動物としてではなく、
お姉さんとして慕っているのではないかと。
少し前にミミを動物園に連れて行った時には、動物のことは基本好きらしく
大半の動物は興味津々にじっと見ていたんですが、笑顔で見ていたのは
唯一「サーバルキャット」だけでした。
肝心のサーバルキャットの写りがイマイチですが…
このサーバルキャットさん、大きさは猫と中型犬の中間くらいで、色は黒が多めの斑模様、
そして動きはまさに「猫」といった感じなんです。何を言いたいかと言いますと、動物園の中で
このサーバルキャットさんが一番「姉のリリ」に見た目が似ているんですね。
なので、ミミ的にはおそらく「お姉ちゃんの仲間に違いない!」と思って嬉しくなったんだと思われます。
そう、ホームセンターにいた看板猫さんよりも、サーバルキャットさんのほうがよっぽど
リリに似ていたわけですね…。
と、年末に何だかとりとめのない話ばかりで申し訳ないですが、最後に…
川を遡上している鮭です。10月に小樽の観光地のど真ん中あたりで撮りました。
この様子を見た観光客の方々の大半はこれを鮭とは分からずに、
「なんかでっかい魚がいる。ボラ?」とか、「鮭?まさか~!鮭が泳いでるわけないよ~」
という会話があちこちから聞こえていました。
それもそのはず、観光地の真ん中にある川を鮭が泳いでいるなんてこと、普通誰も知りませんよね。
ですが実は、鮭が川を遡上している様子は、札幌やその近郊の小樽、千歳あたりでは
わりと普通に見られるんです。
ただ、勿論どの川でも遡上するわけではないので、見られるポイントと時期を分かっていないと
見ることは難しいと思います。僕自身も手稲区に引越してきてから近所の川で初めて見ました。
なかなか迫力のある光景ですので、ちょうど良い時期に札幌やその近郊にお越しの際には
ぜひご覧になっていただきたいと思います。
なんだかダラダラと長文になってしまい、そうこうしているうちに年明けももう間近ですね…。
来年も皆様にとって良いお年になりますように。
最後の最後に…
小樽のマスコット「消防犬ぶん公」クリスマスバージョンとミミさん。
私も写ってしまっているのでお目汚しにならないよう少々加工しております。
来年も変わらずマイペース更新となってしまうと思いますが、
懲りずにお付き合いいただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
ren