美大受験の頃は辛かった。絵をたくさん描いたとしても、その背後にある構図や透視図法の原理、良い絵になる条件は知らない、絵画に対して山ほどの疑問を抱えたままに鉛筆デッサンをひたすら練習していた日々だった。

 

 美術塾に通っていない、私を導いてくれる先生もいない、まるで暗闇に包まれたようで心細かった私はあの頃に遭った無数の困難をどうやって乗り越えたのかが、今はもう覚えていない。

 

 幸いなことに、計画通りに自力で第一志望の美大に合格した。新しい知識を学び始めると同時に受験時代から心の中にずっと抱えている疑問を、次々と解決することにした。

 

 まずは不明点だらけの透視図法。建築学科を目指し、平面上に空間を作る立体構成をたくさん練習したらなんとなく正しく見えるパースを描けるようになったが、それを支配する数学的原理や透視図法の仕組みを完全に解明したのは、つい最近のことだった。

 

 

 (二年前の練習の一部、今の私ならどこが間違っているか、どうやって修正できるかが、はっきりと分かるようになった。)

 

 

 一年生後期、授業「図法・製図」を取ることをきっかけに透視図法の自主研究を行っていた。授業のない日に何回も国立国会図書館へ足を運び、マニアックな研究論文を読んで研究し続けたら透視図法を知り尽くしたと言ってもいいくらい、かなり深いところまでたどり着いた。

 

 「空間上に立方体の対角線」「二つの消点だけで三点透視立方体の描き方」「一つの消点だけで三点透視立方体の描き方」「消点を使わずに三点透視立方体の描き方」のような、どんな本にも載ってないし役に立たない、でも面白い。

 

 そんなことを心ゆくまで研究したら透視図法を正しく描くのにとどまらず、透視図法を遊ぶ余裕さえあった。

 

 

 新学期が始まり、四か月分の研究成果で先生をびっくりさせたこともある。しかも一番嬉しかったのは私をずっと悩ませる疑問の一つを、自分の努力で完全に解明したということだ。

 

 絵画に関する問題は数学・幾何学など、絵画以外の知識で解決することができた。

 

 

 長い間に私はモノクロ線画しかやっていなくて、色彩に対してある種の恐怖をずっと覚えていたが、つい最近線画の表現力に限界を感じて、将来の可能性を広げるために色彩を学ばざるを得ないことに気づいた。

 

 今年三月から、すでにカラーマーカーで着彩してみて大きな一歩を踏み出したが、線画に慣れてきた私にとって色彩は未知なる領域であり、ここまで積んできた経験はほぼ役に立たなかった。そして、五月から自分が模索していくうちに自分だけでは解決できない問題に直面して、色彩学について真剣に学んでここまでやってきた。

 

 人間は地球に快適に住んでいても、絶えずに宇宙開発を進めることと同じように、コンフォートゾーンを脱出して新たなことを挑戦する精神は大事。最近描いた絵は私の中で満足していない作品がほとんどで、一時的にレベルが下がってしまうことが分かっている。しかし、それは将来への投資として私は今やっていることに価値があると、私はそう確信しつつ頑張っているのである。

 

 研究を積み重ねて、私が意識した最も重要なことの一つとしては、色彩と線画(モノクロ)を共存させることは不可能。線の個性、濃淡やリズム感を強調したいのならば、色彩はシンプルでなければならない。美しい色彩を中心にしたら、線の存在感を弱め、色と一体化させなければならない。どっちも強い場合、良い結果は得られない。

 

 

 

(芸術家・田島大介の線画、もし着彩したら魅力を失ってしまう。)

 

 

 

(一方、美しい色彩を表現する写実絵画に線を入れると変になる。) 

 

 

 

(芸術家・池田学の線画、線と色を両立させたように見えるが、画幅は非常に大きいので、それぞれの線が色に溶け込んで見えなくなる。実に色彩は主役である。)

 

 

 すなわち、今の私にとって必要なのは全く異なる視点から絵画を見直すこと。あえてここまでの経験を捨てて初心者としてゼロから学ぶという。

 

 自分の進むべき方向が正しいか否かが分からないゆえに不安になるのは正直なところ、幸いなことに、ネットで調べたら非常に役に立つ知識がいっぱいある。独学が好きな私にありがたいこと。また、モネやミュシャをはじめとして、自分の模範となる先駆者もたくさん見つけた。彼らの作品を研究して大きな勉強になった。

 

 平日は学校の建築設計課題に取り組み、暇があったら色彩の世界に飛び込んで古典絵画の美を味わう私だった。

 

 

 大学二年生の最初の設計課題があっという間に終わった。提出・講評が終わったらすぐ次の設計課題に移り、ひとまず休憩する時間もほぼなかった。

 

 二年生になると、みんなはcgやデジタル技術を駆使して図面を描くようになり、手描きでプレゼンボードを作る人は、私一人しかいなかった。自分が堅持していることには意味があるかどうかは別として、お絵描きが好きだというたった一つの理由で、私はこれからも手描きをやり続けるつもり。しかしたまにはちょっとした寂しさを覚えたことがある、それだけ。

 

 道具の使い方から構図・色彩の配置、創作の正しい流れまで、この冬休みにいろいろ学んで準備してきたおかげで、大学一年生より何倍も質の良いプレボを作成することができた。

 

 

 しかし、今回出来上がったのは私が思う「美しい」作品とはまた程遠い。建築の図面を美しく描きたいというのは、最初から間違っている方向かもしれない。そう思っている私はこれからの設計課題では全然違うことを挑戦してみたい。

 

 以下は最近の考え事。

 

 建築学科には、「建築」という言葉を聞くと興奮するほど建築に情熱を持つ学生がたくさんいる、大学一年生の私もその一員。にもかかわらず、大学一年生の終わり頃からいろいろ反省していくうちに、自分の本心に従うことにした。結局、私は建築が好きのではなく、建築の絵を描くのが好きで、美大建築学科に入ったわけ。

 

 入学試験の面接では私は噓をついた。「建築の力で人々を幸せにして、より快適に過ごせるような空間を作るために建築学科に入りたい」と、自信満々にきれいな言葉を口にしたが、あの時の私建築とは何か、建築のできることは何かが全くわからなかった。

 

 建築学科に入ってから経験したことやある程度学んできた知識によって、人々を幸せにする建築がある一方、人々を苦しませる、強制させる、困惑させる建築もたくさんあることが分かった。当然なことに、それを作った傲慢な建築家たちもたくさんいる。そして今受けている建築教育はまさにあのような建築家を量産していると、私は考える。

 

 建築に幻滅したのではなく、むしろ建築の世界の実像を見ていろいろ反省してきた私だった。今後、建築を批判する文書で幾つかの例を挙げつつ論じたくて、ここでは話を展開するつもりはない。

 

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 二年後、大学を卒業した私を後悔させたくないという気持ちがあって、先生たちの評価を得るようなものより、自分が良いと思う、自分が満足するような作品を作りたい。

 

 もし私の居場所は建築業界じゃなくなっても、私は自分が良いと思う、自分が満足するような作品を作りたい。

 

 

 美大に入って建築を真剣に勉強し始める前に、高校時代は留学生としてニューヨークで暮らしていた私だった。

 

 大学の授業で紹介されたニューヨークの名建築、たまたま私とすれ違った名作が取り上げられる。昔よく行く場所の隣にあるあの変な形をしている建築は、そんなに高く評価された建築巨匠による作品だと聞いて、今の私はびっくりしたこともある。

 

 あの時は建築に対する知識を一切持たず、門外漢の目で名建築から何一つ得ようとしてもどうしょうもない。残念なことに、ニューヨークという素晴らしい場所、名建築に囲まれて過ごした四年間では建築の勉強になることはほぼなかった。

 

 それ故に、大学一年生の頃は空っぽな頭で建築を見るのが怖くて、しっかりと勉強してから外出て建築を見学する癖を身につけた。

 

 

 (去年七月、東京国際フォーラム、初期のコンペ案から出来上がるまでの流れを把握し、資料をいっぱい持って見学に行った。)

 

 大学一年生の私はほとんどの時間を読書に充て、実際に訪ねた建築は数少なかった。

 

 何も知らないままに建築を見学するより、まずは予備知識を増やし、専門家の目で建築を見る方が良い、むしろそれは建築の勉強に唯一の正解だと、昔の私はずっと思い込んでいた。にもかかわらず、それは違うと、最近思うようになった。

 

 建築素人だからこそ、知識や評価などの雑音を一切気にせず、より単純な目で建築を見ることができ、自分の本音を聞こえるのである。ある意味でそれはいいことかもしれない。

 

 一方、知識の勉強には限りがない、世の中の全ての建築の本を読み終えてから実際に建築を見に行くほどのばかばかしいことはない。ここで矛盾が生むのである。事前に準備しなければならない、でもどもまで準備すれば良いのかが分からない。

 

 

 昔、スケッチブックを手にとって外で写生するのは大好きだったが、絵をどんどん描いていくうちに自分の限界を感じて、知識を求めるようになる。構図、コントラスト、配色、バランス…たくさん学んだのに、「今の私はまだ知識不足で準備ができていない」と思い、外で絵を描くのが怖くなったこともあった。

 

 全身の勇気をかき集めて外に出ると、構図のルールや知識で頭がいっぱいになって何を描くべきかがわからなくなってしまう。このような「知識の呪い」には、最近よく悩まされている。

 

 その根本的な原因は、準備しないと行動できない完璧主義に他ならないと、私は自覚している。それをどうやって克服するのか、私に一つ大きな課題になるだろう。

 

 

 家でひたすら勉強して、ゴールデンウイークはあっという間に過ぎ去った。

 

 振り返れば一年前のゴールデンウイーク、まさに今のように、自分の研究に没頭して、近代建築史マップを作成したのだ。

 

 

 

 一年前に書いたブログを再び開いたら、小学生レベルの文書しか描けない昔の自分にびっくりした私だった。自分を批判するのが大好きで、世界で私に一番厳しい人は私自身に他ならないかもしれない。

 

 ある意味でそれは良いことかもしれない、この一年間着実に成長したからだ。一年前は建築に限らずありとあらゆる分野に興味を持ち、貪欲なままに知識をいっぱい吸収していた。そして、自分の限界を感じてからいろいろ反省していくうちに、一つの専門分野を突き詰めて研究することにした。その気づきに至るまで一年間かかった。

 

 大学一年生の私は、知らないことがない「神」になろうとしていたが、二年生の私は「職人」になることにした。

 

 時々自分の好奇心や知識欲を抑え、敢えて「学ばない」ように、時間をより重要なことに充てる二年生の私だった。

 

 

 

 大学二年生最初の住宅設計課題は順調だった。

 

 建築ことを忘れて思うままに絵を描きまくった冬休みを過ごしたのに、建築に対するセンスを失うことがなく、むしろ一層高まったような気がする。設計が始まってから今までのプロセスはスムーズに進んでいる、大学一年生の頃に体験したことのない爽快感だった。

 

 昨日、三回目のエスキスでは決定案を先生に見せたら製作に移ることにした。提出まで二週間があり、かつてないほどの余裕を手に入れたら私はより良いものを作れるような自信を持つようになった。

 

 

 建築設計課題と並行して行うお絵描きの自主研究も怠らない。

 

 翼をもらった瞬間、空を飛びたくなる衝動と同じように、絵を「描ける」ようになったら、他人の目で世界を観察し、他人の手を借りて絵を描くのではなく、「自分ならではの絵」を描きたくなるのは当然のこと。「創作」という欲望は、私の中ではほかの基本的欲求より大きく膨らんでいる。

 

 

 

 

 ずっと前から私の頭には世界一美しい女のイメージがある。美大生なので、いっそ描き出してみようと思ったら、何枚を描いて見比べても、「なんか違うなぁ。」と思ったのだ。なぜなら、私のイデアから生み出した世界一美しい女のイメージはアイデア、或いは想像。それは世界に存在しない、絵にできないし現実を落とし込むこともできない想像からだ。それに気づいたら世界一美しい女を描くことを諦めたが、あの美しくて完璧な女の曖昧なイメージは変わらないまま今でも私の頭に残っている。

 

 数学や幾何学の力を借りて現実世界で「完璧」な作品を作る試みを行った大学一年生の私だった。「完璧」の言い換えは「たった一つの正解」。しかし今はむしろ真逆の方向へと進んでいて、曖昧さを認めつつ不完全なものに潜む言葉にできない美しさ、「無数の正解」を求めるようになったのである。

 

 それ故に最近、印象派について研鑽し始めた。それは半年前の私にとって到底考えられないことだった。

 

 

 四年間は私にとって全然足りてない、このままではあっという間に大学を卒業する予感がある。私は関心の射程を狭めさせなければならず、それによって深いとこまで掘り下げるつもり。

 

 困難と伴う研究、それでも新しい一歩を踏み出さなければならない。疑問があって自分の限界を感じるたびに、知識を学ぶことで自分を高める。物理などの理科とは異なり、絵画、或いは芸術という分野には系統的な知識がないゆえに多くの場合は「経験」に頼るしかない。つまり、絵画を研究しているすべての人の経験は価値があるもので、知識になりえる。いくら本を読んでも答えは見つからないのならば、私こそは、その答えを書き出す第一人者になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 哲学者と芸術家は同じ類の人間だと、私は思う。哲学者は「知」を愛する人だとしたら芸術家は絶えずに「美」を求める人。天才は教えられないと同じように、専門教育を受けても哲学者にも芸術家にもなるわけではない。子供はみんな、哲学者や芸術家である。しかし、成長していくうちに、ほどんどの人は哲学者や芸術家を諦めて凡人になったのだ。

 

 私は絵が結構得意だが、芸術家とはまた程遠い。上手くなるために他人の作品を模写して画力を上げるしかないのに、頑張れば頑張るほど真の芸術からどんどん離れていくような気がする。自分の中でぼんやりとした「美」の正体を探すために遠回りしてばかりの旅、いろいろ悩んだ末、つい最近まで一筋の光が見えてきた。

 

 今年四月17日、偶然見かけた建築は、(良い意味で)私に深刻な影響を与えた。そのおかげで、長い間に私は求め続ける「美」は、こんなに身近にあるのだと分かって、感動した。

 

 大学二年生になったばかりの私は「個人スタイルの確立」を語るのに未だ早いかもしれないが、今まで取り組んできた幾つかの建築設計課題を通じて独自のセンスのようなものは、確かに自分の中で持つようになった。ここまで経験してきた人生、訪ねた国々、積んできた知識や見た美しいものの総和は、私しか作れない作品に注ぎ込む。作品が増えると共に自分のスタイルは自然に形成し、芸術家になるのである。

 

 

 あっという間に美大で建築を学ぶ一年間経って、二年生になった。長い冬休みを経て、いろいろ考え・反省していたうちに、自分が着実に成長したような気がする。

 

 目に映るすべてのものが新鮮に見える一年生の私は、もういなくなった。以前、建築学者になり、最期を迎えるまでに読書し続けて知識や理論の世界に沈む人生を送ることを、私は考えたこともあったが、いろいろ経験し、思考の繰り返しを経て、新しい出発点として、二年生になった私は「知る人」より「やる人」になろうとしている。前述したように、自分しか作れない作品で自分の道を切り開くのだ。

 

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 二年生になると必修授業は主に午後になった。それだけで一年生より時間の余裕が急に増えたように錯覚していたとはいえ、私は相変わらず忙しい日々を送り、何も変わらないような気がする。

 

 運が悪くて取りたい授業は抽選でほぼ落ちてしまい、単位を確保するために興味のない授業でスケジュールをなんとなく埋まった一年生であったが、幸いなことに、今年確定した授業は自分の中で概ね満足している。私は学科内の建築に関与する必修授業以外に写真表現や美術解剖学など、美大しか学べない授業もいっぱい選んだのだ。

 

 将来は建築のほうに進むか、それとも建築を原点として芸術をやるか、今のとこはまだ決まってない。しかしなるべく幅広い知識を習得して、将来の可能性を広げるに越したことはない。

 

 

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 AIが人間を滅ぼすのだ。しかもそのプロセスは既に始まっていると、私は確信する。AIはロボット軍隊を駆使して人間を追い払うシナリオとは異なり、想像力や思考力を放棄して、脳を動かす仕事を全般的にAIに任せた人間は機械の奴隷になることを、自ら喜んで選ぶのである。

 

 「人間は考える葦である」と、私が好きな物理学者・哲学者のパスカルの名言であった。どんなことでも自分で考えずにAIに訊ねるような人間は、本当に人間だろうか、それともただの葦なのかが分からない。賢くなりつつあるAIに飼いならされて思考停止したあげく、人間生まれつきの才能さえ忘れてしまい、葦まで退化した人間が続出する未来が、想像に難くない。

 

 また、AIが芸術分野にも大きなインパクトを与えたのである。AIがなんとなく美しく見える画像を量産し、「美」そのものが氾濫する今の時代において、まさにカメラが誕生した時と同じように、「絵を描く意味は何か」という問いが再び現世の芸術家たちに迫る。

 

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 AIが人間を滅ぼすのだ。しかし人類がこのような危機に直面したのは初めてではない。

 

 歴史を振り返ると、少数派だが、社会変革に流されずに独自の信念を貫く人はどんな時代にもいる。ジョン・ラスキンやウィリアム・モリスは、19世紀産業革命において機械による量産品を反対し、人間の優れた創造力による手作業の価値を強調した。彼らは多分、今の私と同じような心配を抱えているかもしれない。

 

 結果としては、機械が人間の創造力を奪うことはなく、カメラが芸術を滅ぼすこともなかった。逆に、人間の目には見えないディテールを記録することのできるカメラは、「超写実絵画」を発展させ、芸術家たちの強い武器になったのである。

 

 

 (カメラのない時代は、このような、超・写実的な絵は描けない。)

 

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 AIが人間を滅ぼすのだ。しかし人間はAIに負けないと、私は確信する。

 

 機械がなくても人間が美しいものを作れる、カメラがなくても人間が素晴らしい絵を描ける。大昔、コンピューターも望遠鏡も何もなかったのに星々の動きを研究してきた人は、世界を驚かせ続けるのである。

 

 人間には生まれつきの才能があることは、どんな時代でも忘れてはならない。その「才能」は、想像力、創造力、好奇心、個性、信念と情熱の総称だ。

 

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 AIが人間を滅ぼすのだ。我々人間はそれに対抗する術は、絶えずに考え、懐疑して、妄想して、詩を書いて、手を動かして、自分の目で現実世界を見て、心で感じて、AIが教える「正解」と相反しても自分が正しいと思うのならば自分を信じて、自分なりの答えを探し続けることだ。

 

 

 いつの間にか、目標がないと生きていけない人になってしまったような気がする。

 

 目標は私を支えてくれる原動力である。設定された目標を達成することしか考えてない生活を自ら喜んで選んだ。むしろこれ以外の生き方は私にはどうしても納得できない、まるで人間味を失ったロボットのような私だった。

 

 思い返せば、私は誰も歩んだことのない道を歩んでいて、誰にも想像できない無数の困難を乗り越えてここまでやってきた。一人で留学しに行ったら自分に頼るしかない、予想できない未来に対抗する術として、計画を立てるしかない。


 パスポートが期限切れ、飛行機チケットがキャンセルされ、大事な試験がキャンセルされ、ビザの手続きが間に合わない、ホームレス状態になりニューヨークの街並みを彷徨うこともあった。

 今は軽々しく言えるが、当時高校生だった私はそのような困難に圧倒されずに生きていくこと自体は奇跡としか思えない。

 

 

 17歳の頃、人生初めて設定した大きな目標は、ある大学に入るということ。そこから逆算して、資格試験、大学の入試、面接など、目標を達成するためにやらなければならないことを羅列し計画を立てる。

 

 予想されてない出来事が怖いのでありとあらゆる可能性を事前に考えておく。まだ何一つ目標も達成できなかった17歳の私は、過度な思考や将来への不安でたくさんのエネルギーを消耗した。

 

 にもかかわらず、進学のことしか目に見えなかった頃の生活は今よりもっと単純、必死に走れば目標に近づいて自分の成長を実感することができる。あの頃の私は多分、成功したいというわけではなく失敗したくない、失敗への恐怖に駆られて頑張ってきた。もちろん大学に現役合格できないのは死に至ることわけではないのに、目標を達成できないのは死んでしまうくらい怖かったと、あの頃の私はそう思い込んでいた。

 

 それはここまでの人生において一番大変な時期かもしれない。第一志望に入らなければならないという決死の覚悟で頑張っていた日々に、私は自分にしか分からない最高な幸せを見出した。

 

 今は未来の不確定性を認め、余計なことを考えずにいられるようになると、生活もちょっとだけ気楽になった。それは成長というか、現実に頭を下げたのかが分からない。今はひとまず休憩を取りつつ以前の生活を振り返ると、あの時の私に戻れるなら戻りたいと、たまには思っている。

 

 結果としては、現役生で第一志望に合格することができ、目標を立派に達成した。しかし、自分なりに頑張って良い結果を得て、人生初めて大きなことを成し遂げたのに、それに喜びや達成感を覚えたことなく、むしろ虚無感に包まれて茫然自失となった。

 

 

 そのような憂鬱な日々は長続きしなかった。新しい大学生活への憧れや期待がある程度私を支えてくれた。大学は設計課題の連続なので、誰かが決めたテーマに沿って良い作品を作ることは唯一の目標になった。

 

 私は強いプレッシャーを覚えるたびに予想以上の力を発揮できる。締切までの二週間、誰とも話さずに朝から夜まで一人でコツコツと計画を進めると、大学受験に忙殺された頃に戻った気持ちになった。心身共にへとへとになったが、私は自分にしか分からない最高な幸せをもう一度味わったことができた。

 

 

 最近気付いたのは、目標が不明瞭になることより怖いことはない。目標は心細い自分を支える、自分を麻痺するために、自ら作り上げた幻や偽った希望のようなものが分かった。それがないと私は文字通りに生きていけない。

 

 それはよいか悪いかは別として、私にとって、それ以上の正しい生き方がない

 

 自分の変なところこそが、私を成功に導いてくれると確信する。しばらく迷っていたら、また新しい目標を追いかける生活に戻る私だった。

 

 

Chapter1 故郷 

 

空港が好きだ。 

 

私にとって家のような場所。 

 

不特定多数の人を排除し、私と同じく、何らかの目的で、ある目的地へと旅に出る人だけが集まる場所。 

 

空港にいるたびに、故郷に戻ったような気がする、 

 

私の故郷はどこにあるのが分からないくせに。 

 

チェックインし、保安検索を通過して、振り返ればそばには誰もいなくなる、 

 

黙々と前へ歩く見知らぬ人だけ。 

 

私と同じく、世界を飛び回る人。 

 

 

 

肉体的な疲れと軽い眠さ、将来への大きな不安など、ごちゃごちゃ混ぜて何とも言えない虚無感となる 

 

 

普段の生活は暖かい夢のようで、空港でその虚無感に飲み込まれたらようやく現実世界に戻ることができる。

 

 

映画のエンディングに生きる2時間。

 

 

 

空港にいるたびに、世界の広さを実感できるようになる、 

 

世界は一体何かが分からないくせに。 

 

 

 

Chapter2 生活 

 

思えば子供の頃からずっと、 

 

両親と何度も引っ越ししたことがある。 

 

住み慣れた町から馴染みのない町へ引っ越しするたびに、地獄に突き落とされた気分。 

 

恐ろしくて泣き出した子どもの私だった。 

 

しかし、15歳になって、一人でアメリカ行きの飛行機に乗り込んだ私は泣かなかった。 

 

一番泣きたかったはずのとき、私はなぜ泣かなかったんだろう。 

 

もう慣れたかもしれない。 

 

あの頃の私を抱きしめたい気分だった。 

 

 

Chapter3  

 

 

あるところに住む時間が増えるとともに余計なものも増殖してしまう。 

 

無限の価値があると思い込んで、私にとってかけがえのない貴重なものは、引っ越しのため手放さざるを得ない。 

 

三か月前に、何度目の引っ越しはもう覚えていないが、捨てるのに忍びないものを捨て、悲しみは一ミリすら感じていなかった。 

 

もう慣れたかもしれない。 

 

あの頃の私を抱きしめたい気分だった。 

 

0122-2024