いつの間にか、目標がないと生きていけない人になってしまったような気がする。

 

 目標は私を支えてくれる原動力である。設定された目標を達成することしか考えてない生活を自ら喜んで選んだ。むしろこれ以外の生き方は私にはどうしても納得できない、まるで人間味を失ったロボットのような私だった。

 

 思い返せば、私は誰も歩んだことのない道を歩んでいて、誰にも想像できない無数の困難を乗り越えてここまでやってきた。一人で留学しに行ったら自分に頼るしかない、予想できない未来に対抗する術として、計画を立てるしかない。


 パスポートが期限切れ、飛行機チケットがキャンセルされ、大事な試験がキャンセルされ、ビザの手続きが間に合わない、ホームレス状態になりニューヨークの街並みを彷徨うこともあった。

 今は軽々しく言えるが、当時高校生だった私はそのような困難に圧倒されずに生きていくこと自体は奇跡としか思えない。

 

 

 17歳の頃、人生初めて設定した大きな目標は、ある大学に入るということ。そこから逆算して、資格試験、大学の入試、面接など、目標を達成するためにやらなければならないことを羅列し計画を立てる。

 

 予想されてない出来事が怖いのでありとあらゆる可能性を事前に考えておく。まだ何一つ目標も達成できなかった17歳の私は、過度な思考や将来への不安でたくさんのエネルギーを消耗した。

 

 にもかかわらず、進学のことしか目に見えなかった頃の生活は今よりもっと単純、必死に走れば目標に近づいて自分の成長を実感することができる。あの頃の私は多分、成功したいというわけではなく失敗したくない、失敗への恐怖に駆られて頑張ってきた。もちろん大学に現役合格できないのは死に至ることわけではないのに、目標を達成できないのは死んでしまうくらい怖かったと、あの頃の私はそう思い込んでいた。

 

 それはここまでの人生において一番大変な時期かもしれない。第一志望に入らなければならないという決死の覚悟で頑張っていた日々に、私は自分にしか分からない最高な幸せを見出した。

 

 今は未来の不確定性を認め、余計なことを考えずにいられるようになると、生活もちょっとだけ気楽になった。それは成長というか、現実に頭を下げたのかが分からない。今はひとまず休憩を取りつつ以前の生活を振り返ると、あの時の私に戻れるなら戻りたいと、たまには思っている。

 

 結果としては、現役生で第一志望に合格することができ、目標を立派に達成した。しかし、自分なりに頑張って良い結果を得て、人生初めて大きなことを成し遂げたのに、それに喜びや達成感を覚えたことなく、むしろ虚無感に包まれて茫然自失となった。

 

 

 そのような憂鬱な日々は長続きしなかった。新しい大学生活への憧れや期待がある程度私を支えてくれた。大学は設計課題の連続なので、誰かが決めたテーマに沿って良い作品を作ることは唯一の目標になった。

 

 私は強いプレッシャーを覚えるたびに予想以上の力を発揮できる。締切までの二週間、誰とも話さずに朝から夜まで一人でコツコツと計画を進めると、大学受験に忙殺された頃に戻った気持ちになった。心身共にへとへとになったが、私は自分にしか分からない最高な幸せをもう一度味わったことができた。

 

 

 最近気付いたのは、目標が不明瞭になることより怖いことはない。目標は心細い自分を支える、自分を麻痺するために、自ら作り上げた幻や偽った希望のようなものが分かった。それがないと私は文字通りに生きていけない。

 

 それはよいか悪いかは別として、私にとって、それ以上の正しい生き方がない

 

 自分の変なところこそが、私を成功に導いてくれると確信する。しばらく迷っていたら、また新しい目標を追いかける生活に戻る私だった。