前期授業の設計課題から解放され、大学に入って初めての夏休み期間に私はかつてないほどの自由を手に入れた。思い返せばあの頃の私は自分が勝手に決めた研究テーマのために、図書館に閉じこもる日々を送っていた。

 

 最初は都市計画から入って、そこから建築そのものについて真剣に勉強し始めた。「建築とは何か」などの根源的な問題に対して建築の本に限りがあると感じて、知らず知らずのうちに哲学の本を手に取った。

 

 本を読んで知識を習得することが好きだが、本を読むという行為自体が好きって言い切れない。目的のない読書は私は絶対しない。

 

 大学で習得した知識を生かして建築を設計する、建築家として生きていく学生とは違い、私の場合は、建築を勉強することと知識を習得すること自体は目的なのである。

 

 それ故に私は建築家に向いてないかもしれない。

 

 休日が終わり、大学に戻ってから最初の課題は完全に建築からかけ離れていた。「石」を自由に表現するというテーマに対して、多くの学生は抽象絵画、油絵や彫刻などをやると同時に、私は石とその周りの空間を研究し、5000字以上の研究論文を芸術作品として完成させた。

 

 それは完全に理論上の話で成り立つ、コンセプトとしての芸術作品であった。インプットだけの夏休みで蓄えた知識は溢れ出して芸術になった。思う通りに、観る者にほぼ受け入れなかったが、私は心ゆくまで楽しんでいたのでそれで充分だ。

 

 その時から、建築家ではなく建築学者、或いは学問を研究する人になろうとしていた。

 

 建築の世界の広さを知って自分の非力さを痛感した。気づいたら研究しきれないテーマがいっぱい残って、書きたい文書も書かないままにブログの下書きに置き去りにした。

 

 一時的に難しいことが良いことだと思い込んでたが、二つの設計課題を通じて、今はまさに真逆な方向、ミニマムを研鑽することにした。以前の記事にも載せたように、私は「自分」を見つけた。最小限の操作で需要を満たせるような建築は、これからの設計課題で挑戦してみたい。

 

 いずれにしても、2023年はここまでの人生で一番刺激的な一年間で、色々な意味で大きな勉強になった。

 

 知識が積んでいくうちに気持ちも目標も変わりつつある。このままでは大学を卒業した後、何一つ得たこともないという悲惨な結末になってしまう。大学一年で充分に足し算してから引き算することの大事さにようやく気づいた。残りの三年間は一つのテーマを深くまで研鑽しなければならないと、自分に言い聞かせる。

 

 2022年12月21日、ちょうど一年前の私は第一志望校の入学試験を受け、あっという間に憧れの大学に入学してから一年間経った。

 

 大学の建築学科に進学したばかりの頃、建築ではなくいきなり彫刻の課題に入って、生々しいコンクリートの塊と向き合うことになった。最終講評・採点後、作るのに5週間合計100時間かけて大事にしていた自分の作品は10分で壊したら何の変哲もないコンクリートの欠片になってしまった。

 

 作業中に削り落とした「要らない」、「不要な」コンクリートと丁寧に扱って「作品」となるコンクリートは、本質的な違いがないと、私はそれに気づいたら物質的なものを信じなくなったような気がする。

 

 五月のゴールデンウイークでは、家に閉じこもって近代建築史マップを作成した。建築に関する自主研究の始まりを象徴するそのマップは今でも大事にしている。知識を蓄えることの喜びを初めて知った。

 

 その後、「彫刻とは何か」「建築とは何か」「芸術とは何か」など、物事の根源を問い続け習慣を身につけた。ここまでは建築や芸術にしか興味を持っていないが、建築や芸術の本質を探究して自分なりの答えを出そうとするたびに、最終的に哲学にたどり着いた。それ故に、哲学を勉強するようになるのは当たり前のこと。学部を卒業して大学院で哲学を専門にしようと、考えたこともある。

 

 

 美大生の私からすると、一般的な大学とは違い、美大は知識を習得する場ではなく自分を高める場所、作品を制作するための場所である。インプットせずにアウトプットばかり求められるという。私のような、本当に芸術に強い関心を持って表現したいことや作りたい作品がいっぱいある学生にとって、美大は間違いなく天国だ。一方、なんとなく美大に入っちゃった学生や専門知識を習得したい学生からすると、色々な意味で美大での生活は楽しくないと、個人的にはそう思っている。美大に対する評価は両極端に分けられるのはまさにその理由による。

 

  彫刻課題が終わってからようやく建築の勉強が始まった。製図やCADの使い方くらい、建築を設計するのに最低限の知識を与えてからとりあえずやってみるという教育方針は美大らしくてかなり刺激的だったが、基礎を築かず、独自のアイデアと建築家としての作家性を重視することが良いか否かが分からない。

 

 美大建築学科で受けている教育について批判したくなり、文書を書くために一時的に建築教育の歴史や各国の建築教育システムの研究に没頭したこともある。

 

 基礎知識を持ってない学生にとって、授業に追いつけないのは想像に難くない。それ故に、できる学生とできない学生もはっきりと分かれられている。クラスメイトの中では建築専門の高校を卒業した優秀な学生がいる。建築に詳しくなってから自分を高めるために美大に入るのは正しい歩み道であると、私は思う。

 

 私は彼に及ばないが、ここまで積んできた予備知識は大学一年生にとって充分である。私が作った作品は今年のオープンキャンパスで展示されることになり、私も前期では代表者として早稲田大学の教授にプレゼンを行い、後期では代表者として東京大学の教授にプレゼンを行った。自分なりに頑張って、良い結果を得た。

 

 前期授業の終わり頃、今年六月に明治大学へ足を運び、日本の大学から優れた卒業設計を一堂に集めた盛大な建築お祭り「学生設計優秀作品展」に行って大きな勉強になった。自分の小学校のリニューアルや祖父のための建築など、自分自身の経験を卒業制作の出発点にする学生が多かった。私自身の経験に基づいて面白い建築ができそうな気がして、大学一年生の頃に既に卒業制作を考案し始めた。

 

 最初に思い付いたのは未来都市の計画案のようなもの、子供の頃からずっと高層ビルに囲まれた生活を送っていて、のどかな田舎暮らしは私とは無縁の生活だった。高校時代にニューヨークで過ごした四年間、そして今は大都市の東京に移住した。そんな私は現代都市を研究したくなるのは当たり前のこと。

 

 建築学科の場合、ほとんどの人が卒業制作で大きな模型を出すことになるが、私は模型に興味ない。前述のように、物質的なものを信じない故に最初から模型を作るつもりはない。卒業制作といえるような作品は一冊の本、或いは私自身は「作品」であるべきだと、私は思う。

 

 前期授業が終わってから、やるべきことは三つまで絞った。そして、これからの三年間をかけて大きなものを研究することにした。

 

 続き…

 

 設計課題に没頭する忙しい日々から解放され、久しぶりに「美大建築」シリーズを更新できるようになった。

 

 芸術でも設計でも、作品だけにはどうしても誤魔化せない。設計課題が出されるたびに生活の全部は自分の設計案に飽和していて、一週間くらい誰とも話さずに設計・製作を進めることもあった。

 

 校内にある空き地にギャラリーを作るという、一つ目の設計課題に取り組む頃は、私はコールハースやアイゼンマンを読んで、彼らの難解な建築論に夢中になってた。そこから大きいの影響を受けて、自分も「そもそもギャラリーとは何?」「ギャラリーの新しい在り方を提案したい」「ギャラリーを再定義する」など、ややこしい理論上の話を設計の出発点にした。

 

 思う通りに、私は中間発表に猛烈な批判を浴びた。先生たちは全員建築家、つまり、ものを作る人なので、理論より実践に注目する。案を出さずに独自の建築論を熱く語る大学一年生を批判したくなるのは想像に難くない。

 

 先生たちの話が納得できるけど、建築論の研究を諦めるつもりはない。これから建築家ではなく実践を触れずに建築理論をひたすら研究する学者になるかもしれない。幅広い建築の分野には私の居場所はきっとあると信じる。

 

 失敗から学んだのは、作った建物を裏付けるアイデアは簡単でなければならない。もしそれは一言で説明できるほど簡単なアイデアではないのならば、役に立たないアイデアとして使わないほうが良いのである。

 

 一方、自分のアイデアを表現するのに無用な造形も一切いらない。造形先行主義も避けるべきだ。自分の建築の見どころを敢えて切り捨てるのに大きな勇気がいる。そして、頭を悩ませて考え出したアイデアやコンセプトを敢えて使わないのに、もっと大きな勇気がいる。

 

 全身の勇気をかき集めて、ギャラリーを完成させた。この建築設計課題を通じて、「設計」を分かったような気になった。

 

 建築の機能と構造、更に時間の制限も含めて、限られた二週間で表現しきれない部分が必ずあると覚悟しながら理論と実践、コンセプトと造形を両方同時に考案しなければならない。建築設計というのはこういう大変なことだ。

 

 このギャラリーは参考作品として選ばれ、私も85人の中でわずか3人の出展者になった。来訪者の東大教授の前でプレゼンを行って、講評の頃に「建築のバランスがいい」と、かなり良い評価を得て嬉しかった。

 

 

 

 次の設計課題は学校の近くにある公園にカフェを設計することであった。ギャラリー設計課題で「設計」を分かったとしたら、カフェ設計課題では私は「自分」を見つけた。

 

 以下は詳しい記事:

 

 

 ここまで三つの設計課題で自分が一番満足していて一番いいと思うカフェは、唯一に参考作品として選ばれなかった作品だ。

 

 クラス全員の中で「トップ5%」にならなければ失敗だとは言い切れないが、大学に入って初めて失敗を味わった。一時的に落ち込んでいたが、そのおかげで参考作品への執着がなくなった私は真の自由を手に入れた。また一つ参考作品を設計することより、自分がやりたいことを見つけたことには価値があると思う。

 

  二つ設計課題が無事完了、と同時に大学一年生の終わりを迎えた。「美大建築」シリーズ1も、ここで終わりにするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今まで自分の建築に「何になりたいのか」を問い続け、大学一年生最後の設計課題で納得できるような答えをようやく見出した。

 

 人間は表現するために生きているもの、建築は表現本能から誕生するもの。建築は思想であり、アイデアであり、精神である。それは極めて個人的なものなので、私は建築を設計する際に一番重要視しているのは自分の内面を深掘りして、他人のアイデアに汚染されずに自分自身が「表現したい」ことを忠実に表現することである。

 

 自分の思想の結晶である建築が出来上がるまで突き詰めて考案する必要がある。スケッチブックにドゥードゥルしている時、私はある瞬間、「これだ」という確信に至った瞬間、最高な喜びを感じる瞬間を期待している。しかしこの瞬間がすぐに来てほしくない。このように建築を考えるのに知識ではなく直感、美意識、或いはセンスのようなものに頼るしかない。私は自分の直感を信じる、自分の直感こそが最も正確で、最も厳密な感覚だと信じる。私は美しいものと美しくないものを見分けることができると信じる、私は美しいものを作り出すことができると信じる。

 

 長年に芸術と付き合ってから身につけた直感は言葉にできない、測り得ないものである。その直感は私の建築を私の建築にする重要不可欠な要素である。その直感は共通の美、或いは秩序に直結するような、はかなくて数値化できないものである。

 

 これからは小難しい哲学の話をしよう。建築家のルイス・カーンは「Order Is.」(秩序は。)と言ったことがある。「バナナは果物。」「私は大学一年生。」「ルイスカーンは建築巨匠。」「「aはb。」…のような、ものに定義づける、分類する構文と同じく、「秩序は。」は文法的な間違いがない、一つcoherentな構文として成立する。ここでカーンが言いたいのは「秩序」はまさに真理にようなもの、それ以上に説明する必要がなく、うまく説明できる言葉もないほど明らかなもの。すなわち、自明性があるものという。

 

 パルメニデスが言う「神」、ハイデッガーが言う「存在」、カーンが言う「秩序」。私が知っている限り、哲学におけるこの三つの言葉にしか自明性がない。(ほかにもあったら教えてほしい!)私が思うのは、秩序は一般的な認識より深くて人間の思想のトン底に潜むものであり、計り知れないものである。カーンの建築論を読んで、「秩序」という言葉は注意深く使わなければならないような、極めて魅惑的で危険なものだと分かった。秩序=規則正しくて美しいというのは浅はかな思い込みにすぎない。秩序(order)には元々命令の意味合いも含めていて、神から直接に受けた命令、神託のようなものだと考える。

 

 私は建築を設計するとき、秩序を意図的に作り出すことができない、極限まで案を深めて秩序の降臨を願って待ち続けるだけ。第三課題でそれを一度しか体験したことがない。あの時「光のカフェ」をテーマにして、採光のために屋根に開け口を設計したいのに、その形はどうしても納得できなかった。50個ほどの案を並んで見比べた後、無意識に引いた二本の線には真の秩序が見えてきた。あの瞬間、「これだけでいい、これ以上に余計な設計は要らない」という確信に至った。長い間に暗闇の中を彷徨い続けた末に一筋の光が見えたような、なかなか貴重な体験だった。

 

 出来上がったのは極めて実験的な建築、ここまで三つの設計課題で一番満足している作品であった。

 

 

 

 秩序は極めて単純で力強いものであり、シンプルかつ豊富な空間には必ず秩序が宿っている。秩序の正体は何かがまだ分からないが、それに近づく方法は「引き算」することだと、私は思う。

 

 建築の外観を工夫して、如何にかっこよくて目立つように設計するのは建築デザインにおける一番簡単なことだと考える。正解がない建築の世界において美しい造形が数え切れないほどあるので、ただただ表面に浮いているものに手を加えれば加えるほど、建築の本質から遠ざかっていき、秩序がなくなってしまう。

 

 それ故に、「引き算」することは重要になる。より少ないことは良いこと。建築論は分かりやすくなければならない、建築が簡単なのに建築論が難しいなんてありえないはず。建築論を難しくしたのは現代の建築家だ。自分が考えるコンセプト、すなわち自分が表現したいことに対して明確な認識を持ってないのならば、雑多な手法を強引に組み合わせ、出来上がった建築は一見豊富だったが、実は美しくない。

 

 ここで足し算する建築家たちを批判しようとは思わないが、ゲーリーやアールトをはじめとして、豊かさを保ちながら秩序を確保するのに優れている建築家たちもいる。私からすると、引き算より足し算の方は難易度が遥かに上回っている。しかも両方とも言葉にできないセンスが必要とされる。

 

 建築学校で感覚を養い、本を読んで知識を増やすだけで建築士の資格を取り、ある程度の巨匠になれるが、センスがないと偉大な建築家には絶対になれない。前者の最高峰はイオ・ミン・ペイやノーマン・フォスターだとしたら、後者にはゲーリーのほか、ミース・ファン・デル・ローエ、カルロ・スカルパ、ルイス・カーンがいた。

 

 それ故に引き算するためのセンスを磨くことを、これからの目標にした。

 

 振り返れば、大学に入ったばかりの頃、貪欲に駆られて建築の本をいっぱい読んでいたこともあるが、あちこちに見回った後、ぼんやりとした印象しか残っていなかった。人間たるもの、世の中の知識をすべて占有することはできるわけがない。自分の限界を痛感したのにほぼ半年かかった。

 

 その時、引き算の必要性に気づいてから、より単純なものを追求するようになり、結局こういう「建築的思考」はある種の人生哲学であることも分かった。ここまでの人生において、知識や体験を求めるために世界中に旅し続け、大学卒業後また一つ新しい国へと留学しに行きたく、日本に長居するつもりはなかったが、最近は安定している生活に憧れているようになった。ここまで足し算しかしない生活より、シンプルな暮らし方も悪くないかもしれないと思うようになった。

 

 私にとって、設計課題をやること自体は目的ではない。最初から私は評価を得るような建築を設計しようとは1ミリも思っていなかった。以前言ったように、設計するプロセスは自分を探す旅だといっても過言ではない。大学一年生を通じて引き算を覚えたのは、何より価値があることだ。

 

 

  二週間にわたった休日の後に、先週月曜日に学校に戻り、後期授業に移った。これからの六週間には二つの設計課題があり、今は大学校内にある空き地にギャラリーを設計する課題に取り組んでいる。先輩から聞いた話によって、大学一年生は一番忙しくて、二、三年生になったら比較的に余裕があるらしい。

 

 先週からその忙しさを実感し、前期授業の住宅設計課題より忙しい日々を送ってブログ更新も辞めざるを得なかった。設計課題に忙殺されていて勉強や読書の時間がなくなり、インプットなしてアウトプットばかり求める教育方針を疑ったことは何度もあった。

 

 大学に入ってから二つ目の設計課題が担当している三人の新しい先生がいた。前回の課題と比べて格段に厳しくなったような気がする。

 

 あまりにも忙しくて一週間くらいに一言も喋らなかったが、このような生活は意外と楽しかった。自分の世界に閉じこもって自分の設計に向き合い、自分と対話することができるからだ。

 

 私は自分の案が否定される瞬間を期待している、否定されるたびにより良い案を考え出せる自分を信じているのである。

 

 私に一番いらないものは褒め言葉だ。褒められるたびにイライラする。何の役にも立たない評価より問題点を指摘してほしい、常にプレッシャーを抱えて生きいてきたい。思えば今までは「難しいこそやってみたい」と「役に立つか否かは別として知識を増やしたい」という気持ちで難解な建築論を多く読み、何の役にも立たない透視学も研鑽している。勉強して身につけた知識を活かすのではなく、勉強すること自体は目的なのである。休憩することなく永遠に前へと進まなければならない、自らシーシュポスの苦行を喜んで選んだ。

 

 それ故に、設計課題の時間制限は非常に厳しいことはむしろ望ましい。ddlに追われるような環境にいると私は生きているのを実感する。

 

 前回の住宅設計課題では「デザインする」のではなく「デザインを試す」、ただ建築で遊んでいたが、今回は真剣に設計を考案することができたと思う。今回のギャラリー設計課題をきっかけとなり、実践を通じて「設計」のやり方、或いは建築的な考え方を少しだけ悟りが開いて、建築家の生涯において大きな一歩を踏み出した。

 

 この作品は私にとってただの建築設計案よりもっと大きなものであり、マイルストーンのようなものであった。

 

 設計課題に没頭していた時、限られた時間の中で一つのことを突き詰めて考える、深い思考に沈むと、目の前の建築案にとどまらず、つい将来の目標などの大きなことを考えたこともある。前回の住宅設計課題に取り組んだ時、私はここからやるべきことを明確にしたが、今回の設計課題を通じてそれを見直すことができた。

 

 反省の繰り返しで得た教訓に基づいて、建築を設計することの本質は生活哲学のようなものだと思う。設計するプロセスは自分を探す旅だといっても過言ではない、その確信に至ったのである。

 

 Try again. Fail again. Fail better.

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が一番好きな建築家はずっとI.M.ペイだったが、最近、建築巨匠のルイス・カーンはその支配的地位に揺さぶりをかけた。

 

 光の魅力を述べ、人々に感動を与えるような建築を設計しつつ建築の精神性について難解な建築論を多く発表したルイス・カーン建築家の中の哲学者として高く評価された。彼の世の中に数え切れないほどの遺産を残し、私もカーンに私淑する敬虔な信者の一人として、カーンの思想の深さに感銘したことが何度もあった。

 

 ルイス・カーンはレンガやコンクリートと相談したことがある。レンガが「私はアーチ構造になりたい」と言い、「私は大理石になりたい」と、コンクリートは返事した。材料の本音を聞いてカーンは頷いた。カーンは何かを設計するというより、構造や空間のあるべき姿を見出し、そのまま表現しようとする建築家である。「建築は表現本能から「出現します」。なぜなら、我々はまさにただ一つの目的のために、つまり表現するために生きているからです。」と、カーンは述べた。

 

 石は石の性格を持つ、木は木の性格をもつ。彼らのような個性の強い素材とは違い、コンクリートは無表情で、型枠の形によってどんな形にもなりえるような性質がある。

 

 それ故に、コンクリートの性格、或いはコンクリートのあるべき姿は当時の建築巨匠も例外なく、誰にも分からなかった。コンクリートは20世紀初普及し始めたばかりの頃、ペレはその表面に花の模様を作り、フランク・ロイドはそれをレンガとして扱って、コルビュジェはその柔軟性を示すためにくにゃくにゃしている屋根を多く設計したが、どっちでもコンクリートの本性とはまた違う。

 

 型枠の継ぎ目やセパレーターの穴は出来上がったコンクリートの表面に忠実に反映する。そのような特徴こそはコンクリートの本性であるならば、消さずにそのまま表現すべきであると、コンクリートの本音に耳を傾けたカーンはその発見に至った。そして、1951年のソーク生物研究所にカーンは初めて打ち放しコンクリートを仕上げ表現として、コンクリートの真の姿、コンクリートの願望、コンクリートの本来の在り方を示した。

 

 

 その思想の延長線上に立つもう一人の建築巨匠は、安藤忠雄だった。

 

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 2023年においてもカーンのやり遂げたことには計り知れない価値があると思う。「Louis Kahn, The importance of a drawing」という本を読むのをきっかけとなり、カーンが私に教えてくれた最も大事なことを分かった。

 

 コンピューターは人間の脳(Brain)と同様に計り知れるものである。脳でもコンピューターでも今のAIでも機械的なものに過ぎない。一方、計り知れないもの、つまり人間の心には「精神」が宿っていて、脳には宿らない。発想、欲望、発見などの計り知れないものはすべて人間ならではの「精神」であり、人間の心に所属する。

 

 あるものが計り得ないものにより深く束縛されればされるほど、その価値は深く存続し続ける。カーンの建築や哲学的思考はまさにそのような価値に満ちている。

 

 私からすると、建築より輝いているのはカーンのスケッチである。AI時代において建築家にとって手書きに価値があるか否かという、大学で建築を勉強し始めてからずっと悩んでいた問題の答えはカーンの遺産に潜んでいると、私はようやくそれに気づいた。

 

 今のAIも含めて、コンピューターやCADは手描きを代替するのではなく建築家をより自由にするための新しい道具である。デジタル製図の本性は精密さや効率、一方、手描きの本性は人間ならではの曖昧さや計り知れないものの価値。フリーハンドでデジタルのような精密さを求めること自体は手描きの本性に相反するなので望ましくない。手段にとらわれずに自分が表現したいことにふさわしい形式を選んで、道具の本性を生かすことこそが重要なのである。

 

 その確信に至ったら、カーン思想の深さに折伏された私も迷うことなく自分が正しいと信じる道を歩みだすことができるようになった。ある意味では憧れの建築家だけではなく人生の師としてルイス・カーンは私にとって格別な存在なのである。

 

 

 建築は芸術に他ならないと、私は確信する。それを前提にして論じていくつもり。

 

 建築は空間芸術である。絵画や彫刻はただ空間のイメージ、幻想の空間にとどまり、人が実際に体験できるような空間を扱うことは建築にしかできない。

 

 空間をゼロから作り出すというわけではなく、物質的なものや構造体でそもそもそこに存在する空間を人々に意識させることは建築家の仕事。オブジェクトとしての建物が無くても建築は成り立つというポストモダン的な考え方は第二部分で詳しく述べる前に、一般的な認識としての建築、或いは建築デザインに目を向けよう。

 

 建築を設計するプロセスには常に客観的に考えなければならない。絵画や彫刻など、作者のアイデアや美意識によって作られ、極めて主観的なものは芸術という。つまり、自分の問題を解決するための手段は芸術であり、他人の問題を解決するための手段は設計である。

 

 それ故に、建築を作る際に何らかの根拠が必要不可欠。地形や採光などの制限や矛盾している諸問題を客観的な根拠に転換し、それに基づいた設計案でクライアントを納得させるのは建築家に求められる能力。すなわち、客観的な根拠に基づいて解決策を提案するための考え方は「建築的思考」なのである。

 

 歴史に振り返ると、パンテオン、ピラミッド、ゴシック教会など、大昔の建築は「神」のために作ったものであったが、ルネッサンス時代において、かつて神を盲信していた人々のは人間至上主義を注目し、「人」のために「人」にふさわしい建築の在り方を考え始めた。20世紀初頭の「装飾は犯罪である」という思潮の影響で古典建築を全般に否定し、コンクリート、ガラス、鉄鋼などの新材料で前例のない建築様式を模索し始めた建築家たちは、よく誤解されると、私は思う。彼らは古典建築にある装飾そのものを狙うのではなく、その背後にある堅苦しい建築様式を否定しようとすることで建築に自由を与えたのである。

 

 にもかかわらず、速やかに発展していた社会が建築に求めること、つまり社会的需要に満たすために建築に自由を与えたモダニズム時代において、建築が奉仕する対象は「人」から「資本」へ転換した。それ故に「建築的思考」には効率や客観性にしか目を向けなく、最小限のお金で最大限の利益を求めようとし、もともと存在しえない正解に近づくように努力する方向へと発展しつつあった。

 

 社会(macrocosm)的には、建築的思考に基づく合理主義・機能主義は、20世紀世界中のモダニズム建築を味気ないガラスの箱にした。資本主義における多様性や民族性による建築ならではの美しさが価値のないものとなり、廃棄されてしまったのである。

 

 個人(microcosm)的には、建築的思考に囚われて常に客観性を重視する結果、日常生活でさえ常に何らかの根拠に基づいて行動しようとし、意味のないことや目的を達成するのに役に立たないことを全くせず、人間味を失ってしまう。

 

 いずれにしても、私はモダニズム的な建築的思考に対してある種の人間ならではの傲慢さを感じている。その本質は人間の欲望によって生まれた「社会資本」という新たな神を崇めるモダニズムの時代で建築が再び人間の需要からかけ離れていて非人間化されたという。建築的思考を否定しようとは思わないが、建築は「人」のためのものへと還元すべき、そしてどんな考え方でも極端に至らないように注意してほしい。それは自分に言い聞かせることでもある。

 

 

 文章の冒頭に書いてあったように芸術と建築はまた異なっている部分があり、その決定的違いは自由度の問題にあると、私は考える。

 

 建築は鏡のように、ある特定の社会背景において当時の風貌を充実に反映しているものである。戦後の経済回復や社会的需要に応じて誕生したガラスの高層ビル(国際様式建築)は、モダニズム建築のほんのわずかな一部分に過ぎない。四角い箱のような味気ない建築に反発するポストモダンでさえモダニズムの枠組みにあるのである。すなわち、モダニズム建築は「制限の中の自由」であり、ポストモダン建築は「制限のない自由」である。前者は設計だとしたら後者は純粋な芸術、或いは芸術の方に傾いている建築なのである。

 

 ポストモダンの時代において代表的な二人の建築家の例をあげよう。建築家のコールハースは建築を構成するありとあらゆる事象を部品化して建築の表面や社会的現象を鋭く捉え、ほかの分野と混ざり合わせることで建築学をより複雑で複合的な学科にした。一方、建築学者のアイゼンマンは真逆の方向に、材料、様式、機能さえから削り取ってから建築の本質に目を向け、建築学は独立している学科として存続できるか否かについての試みを行った。

 

 アイゼンマンもダイアグラムを批判的道具として建築学をバラバラにした。コールハースも社会の変容を忠実に記述することにとどまり、自分なりの解釈や結論を出さなかった。彼らをはじめとした前衛的な建築家たちのおかげで1980年代において建築業界は大騒ぎで、「建築学は存在しない、建築学は死んだ」という論争が絶えなかった。

 

 もちろん世界中の建物が一瞬で倒壊し、人の住む場所がなくなってしまうというわけではないが、理論上の建築、学問としての建築は危機を迎えたのは否めない。その本質はポストモダンの時代において物質的「建物」から解放されると共に建築家たちはかつてないほどの自由、ほぼ制限のない自由を手に入れた。建築は建築学を批判する、社会を批判する、資本主義を批判するための道具になったという。

 

 ある特定の社会背景で誕生したポストモダン思潮について一つの論文にもできそうなほど極めて複雑なのでここで展開して論じるつもりはない。その結果や影響を簡単にまとめると、モダニズムを否定しようとするポストモダンは無数の問題を提起しただけで、その解決策を考えずにただただ批判するために批判し続け、個人の自由や表現の多様性を過度に強調した末にカオスを建築学や社会にもたらした。

 

 その同時、古典建築への反発としてのモダニズム時代において古典建築の重要性や価値を再び提示した建築家のルイス・カーンがいた。

 

 平面図を見てすぐ分かると思うが、カーンはまさにポストモダンと真逆の方向へと建築を再考していた。古典建築を重訳する(新古典主義ではない)のに表層構造にとどまった隈研吾とは違い、カーンは深層構造や建築内部に潜む先在性に基づいて建築を設計した。それ故に隈研吾はしばしばポストモダンに分類されるのに対して、カーンは独自のスタイルで新たな道を切り開いた極めて格別な存在として評価された。

 

 機能主義であれポストモダンであれカーンであれ、モダニズムという制限の中の自由から派生してきたものとしてモダニズムの一部分に過ぎない。ここまで発展してきた建築は多くの分野と絡み合っている諸概念の集合体となり、まさに大きな物語(Grand narratives)が通用できなくなった時代において、自由と不自由、主観と客観という建築ならではの両義性を着眼点にして近代建築が歩んできた道を弁証法的に見れば、建築をより高度に発展させる最大な要因は自由と制限、或いは矛盾そのものであることが分かった。モダニズムという制限の中の自由は、制限のない自由から無限大の自由に至るまで、不自由さえ許せるような包容力を持つのである。

 

 ヴェンチューリ、コーリン・ロウ、Superstudio,Archigram、ゲーリーやザハ、脱構築主義など、主にポストモダンを学んできた私は、逆にモダニズムを信じるようになるのはまさにその理由による。

 

 ポストモダンへの反発として今はメタモダニズムの時代に突入したようだが、それに関することはまだ詳しく記載されていないので後世の学者たちに任せよう。

 

 もし将来はみんなを満足させることができ、誰からも文句言われないような完璧で理想的な建築様式があったら、それは唯一の正解になり、発展する原動力を一切失った建築学は終焉を迎えたとも言えるだろう。そんな未来を想像するだけで怖くてたまらない。

 

 

 ちょうど一年前、「十月が終わる寸前に思い出したこと」というブログを投稿したことがある。あっという間に一年を経て、ブログ更新も怠らなかった。

 

 シェアハウスで過ごした去年の十月とは違い、一人暮らししてから長い間に私が求めている自治権はようやく手に入れて何より嬉しかった。

 

 思えば子供の頃から何度も引越ししてかなり不安定な生活を送った。15歳になって一人でアメリカに留学に行ってからホストファミリーに住むことになり、なじみのない白人の家族と一緒に暮らして互いに心を開くまでほぼ一年間かかった。その後、コロナのせいでもう一度引越ししてからずっと閉じこもっていた。19歳の頃、東アジア人、韓国人、日本人が混ざり合う格安シェアハウスに移住し、明らかに建築基準法違反の狭い部屋に9か月くらい住んでいたが、幸いなことに無事だった。

 

 多くの人は騎士のように、外で戦い、傷ついたら城に帰る。城から遠く離れても、癒してくれる場所があると分かっているだけで戦える。二年間ごとに引越しせざるを得なく、まるで浮浪者のような生活を送っていた私はここまでの住む場所には愛着が全く無かった。しかし、ここまで味わってきた苦難も含めて、ホストファミリーに閉じこもっていたことも、シェアハウスに住んでいたことも、私は私になるのに不可欠なもの、つまり、かけがえのない貴重な経験であった。

 

 多くの国を訪ねる不安定な生活を送り、全然違う世界観を持つ人と話し合うことで西洋人と東洋人との違いはないことが分かって、自分を見つめることもできた。もし時間が戻れるのなら、私は同じような生き方を選ぶはず。人生に関するすべての答えは旅路にあると、私は信じている。

 

 昨日、お互いの作品を鑑賞して評価・批評を残し、プレゼンしたら作品を提出した。ここまで三週間にわたった芸術の授業がようやく終わった。この後の定番の芸術祭に興味がないのでひとまず休憩を取るつもり。また学校に戻ったら新しい建築設計課題が始まる。

 

 あっという間に過ぎ去った三週間、大きな紙に様々な線を作った後、a4サイズのフレームを持って自分が気に入った部分を紙から切り取る作業に移る。50枚程度集まったらテープで様々な線の断片を繋ぎ、一枚のジャバラ折りパンフレットを作成するという、きわめて美大らしい授業を受けた。

 

 

 建築とは全く関係ないことをやってみることで、将来の建築設計課題に生かせそうなアイデアを発見した。建築巨匠のフィリップ・ジョンソンが言った「現代の文化は互いに関連している連続体であり、ありとあらゆる文化的現象や人間の知識が建築学の一部分である。」言葉の意味は納得できるようになった。

 

 そして、最近は透視学についての研究は結構進んでいる。コンピューターが普及している時代において堅苦しく理解しにくい透視学は時代遅れの知識になり、今透視学を研鑽するというのは、21世紀において蒸気機関車の運転士になるために一生懸命勉強することと同然だ。

 

 にもかかわらず、今の時代にこそ透視学を学ばないとならない理由を、私は見出した。それは大学に入ってから一番大きな発見といっても過言ではない、また新しい文章に展開して論じていきたい。

 

 

 先週日曜日は日本設計の本社へ足を運び、見学に行った。 建築家たちが働くところを訪ね、30年以上実務経験のある建築家の話を聞いてかなりの勉強になった。ほぼ全員黒いスーツを着ていた来訪者を見て、日本設計に就職したいという気持ちが伝わってきた。私は大学一年生なので就活に困ることがない、ほかの来訪者が相談会で自己アピールに頑張っていると同時に、私は観光客の気持ちであちこちを見回っていただけ。

 

 

 建築を研究するために実務経験は重要なので卒業したら大手企業に(入れるなら)入りたい。三、四年後、私も例外なく就活に立ち向かわないければならない時に、今の彼らの気持ちがようやく分かるようになると思う。

 

 そう考えれば、ある日のことを思い出した。午後いつも通りに大学図書館にいた時、(大学の見学に)一列に並ぶ高校生っぽく見える学生たちが私の隣を通った。私は彼らの目から読み取ったのは好奇心、大学への憧れ、進学したいという熱意、そして将来への不安。彼らに昔の私が見えた。

 

 一年前の私もこの大学を第一志望校にして、受験生として大学図書館の見学に行った時、まさに今彼らのように同じような道を歩んできた。もし大学に入って、この素晴らしい図書館で毎日勉強できれば、これ以上の幸せがないだろうと、昔の私はそう思っていた。一年後、第一志望に進学することができたのに、毎日当たらり前のように図書館に通っていても幸せを一ミリグラムさえ感じていなかった。

 

 第一志望に合格したとしても、ある難関試験に合格したとしても、真の喜びを味わったことが一度もなく、当たり前のようなこととして平然と受け入れた。何かがおかしいと疑ったこともなかった。

 

 もし将来私は世界一の建築事務所に入ったとしても、きっとそれに満足できず、また新しい悩みに付きまとわれる日々を送るかもしれない。

 

 ここで私が気づいたのは、真の幸福は過去と将来にしか存在しないということ。昔の幸せな思い出を吟味することと明るい未来を想像することで、幸せの虚像を現実に映り込む。

 

 こういう人間ならではの考え方を見て、人間は根っからロマンティックな動物であることが分かる。想像することなしの享受は本当の享受ではない。想像力こそが単純で客観なものに精神的価値を付与することができる。それは決して悪いことではないと、私は思う。

 

 そもそも「幸福」とか「喜び」とか、極めて曖昧で主観的な人間の感情を指す言葉なので、それを求めるために目標を設定することが私にはできない。それより実際的なもの、何らかの形を持つ客観的なものを目標にするのは私には納得できる。

 

 ものとはいえ、どのくらいのお金を稼ぐことを目標にするつもりはない。お金は現代社会において不可欠な道具と自分の能力(社会人としての価値)を図る定規のようなもの、そして他人を動かす手段に過ぎないと、私は思う。

 

 お金以外の、何らかの物質的なものを求めつつ生きていく。過去に書いたブログとか描いた絵とか、スケッチで埋め尽くしたスケッチブックが増えるたびに生きていることが実感する。むしろ存在する証拠を残すために生きている。そう思えば建築を作る道を選んだのはこのような私にとって大正解かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前の絵画の授業でやったことはまた建築とは多少の関連性があるが、今週から始まった新しい授業は建築からかけ離れて完全に芸術の分野に突入した。

 

 授業のテーマは「線との対話」で、墨汁を使って紙に色々な線を引くことになった。速い線、ゆっくりとした線、拾った葉っぱや枝を使って引いた線、相手から受けた指示に従って引いた線、なるべく難しい方法で引いた線…小学生の絵画授業にありそうなことばかりやっていたが、美大のゆえに納得できる。

 

 

 このような授業受けて、私は久しぶりに暇を感じると同時にイライラしてきた。大学に入ってから「学問」を最優先している。特に建築学の場合、勉強しなければならないことが多すぎて学部の四年間は足りないと知ったうえで、ありとあらゆる時間は何らかの勉強に当てようとしている。それ故に、常に周りを観察しつつ勉強になりそうなこととして、何らかの意味を見出さなければならないという癖を身につけた。自分が勝手に作り出した「無学」というライオンに追いかけられるように、止まるほど怖いことはない。

 

 このような生き方は体に良いか悪いかはさておき、嫌いではない。

 

 

 大学一年生こそやらなければならないことが、私にはある。この半年間に積み上げた知識はバラバラだが、最近その背後に潜む関連性がようやく掴んだような気がする。それを表現するために私は非常に大胆的な計画を生み出した。同じ学科の先輩の助言によると、二、三年生になってから作った作品の多くはポートフォリオに載せ、一年生の頃は思う存分に自由に建築を楽しんでも良いという。

 

 この計画は今学期最後の設計課題というチャンスで具体化するつもりが、計画通りに進められるかどうかはまだ分からない。私はスケジュール・計画無しで生きていけない人間だと自覚しているのに、ここまで計画通りにうまくいくことがめったになかった。

 

 以前の自分が立てた計画を妨害する最大の要因は今の自分にほかならない。昔の考えを自ら否定することが多く、昔の自分は如何に無知なのかを痛感することも少なくない。楽観的に見れば、それは成長している証かもしれない。