建築は芸術に他ならないと、私は確信する。それを前提にして論じていくつもり。

 

 建築は空間芸術である。絵画や彫刻はただ空間のイメージ、幻想の空間にとどまり、人が実際に体験できるような空間を扱うことは建築にしかできない。

 

 空間をゼロから作り出すというわけではなく、物質的なものや構造体でそもそもそこに存在する空間を人々に意識させることは建築家の仕事。オブジェクトとしての建物が無くても建築は成り立つというポストモダン的な考え方は第二部分で詳しく述べる前に、一般的な認識としての建築、或いは建築デザインに目を向けよう。

 

 建築を設計するプロセスには常に客観的に考えなければならない。絵画や彫刻など、作者のアイデアや美意識によって作られ、極めて主観的なものは芸術という。つまり、自分の問題を解決するための手段は芸術であり、他人の問題を解決するための手段は設計である。

 

 それ故に、建築を作る際に何らかの根拠が必要不可欠。地形や採光などの制限や矛盾している諸問題を客観的な根拠に転換し、それに基づいた設計案でクライアントを納得させるのは建築家に求められる能力。すなわち、客観的な根拠に基づいて解決策を提案するための考え方は「建築的思考」なのである。

 

 歴史に振り返ると、パンテオン、ピラミッド、ゴシック教会など、大昔の建築は「神」のために作ったものであったが、ルネッサンス時代において、かつて神を盲信していた人々のは人間至上主義を注目し、「人」のために「人」にふさわしい建築の在り方を考え始めた。20世紀初頭の「装飾は犯罪である」という思潮の影響で古典建築を全般に否定し、コンクリート、ガラス、鉄鋼などの新材料で前例のない建築様式を模索し始めた建築家たちは、よく誤解されると、私は思う。彼らは古典建築にある装飾そのものを狙うのではなく、その背後にある堅苦しい建築様式を否定しようとすることで建築に自由を与えたのである。

 

 にもかかわらず、速やかに発展していた社会が建築に求めること、つまり社会的需要に満たすために建築に自由を与えたモダニズム時代において、建築が奉仕する対象は「人」から「資本」へ転換した。それ故に「建築的思考」には効率や客観性にしか目を向けなく、最小限のお金で最大限の利益を求めようとし、もともと存在しえない正解に近づくように努力する方向へと発展しつつあった。

 

 社会(macrocosm)的には、建築的思考に基づく合理主義・機能主義は、20世紀世界中のモダニズム建築を味気ないガラスの箱にした。資本主義における多様性や民族性による建築ならではの美しさが価値のないものとなり、廃棄されてしまったのである。

 

 個人(microcosm)的には、建築的思考に囚われて常に客観性を重視する結果、日常生活でさえ常に何らかの根拠に基づいて行動しようとし、意味のないことや目的を達成するのに役に立たないことを全くせず、人間味を失ってしまう。

 

 いずれにしても、私はモダニズム的な建築的思考に対してある種の人間ならではの傲慢さを感じている。その本質は人間の欲望によって生まれた「社会資本」という新たな神を崇めるモダニズムの時代で建築が再び人間の需要からかけ離れていて非人間化されたという。建築的思考を否定しようとは思わないが、建築は「人」のためのものへと還元すべき、そしてどんな考え方でも極端に至らないように注意してほしい。それは自分に言い聞かせることでもある。

 

 

 文章の冒頭に書いてあったように芸術と建築はまた異なっている部分があり、その決定的違いは自由度の問題にあると、私は考える。

 

 建築は鏡のように、ある特定の社会背景において当時の風貌を充実に反映しているものである。戦後の経済回復や社会的需要に応じて誕生したガラスの高層ビル(国際様式建築)は、モダニズム建築のほんのわずかな一部分に過ぎない。四角い箱のような味気ない建築に反発するポストモダンでさえモダニズムの枠組みにあるのである。すなわち、モダニズム建築は「制限の中の自由」であり、ポストモダン建築は「制限のない自由」である。前者は設計だとしたら後者は純粋な芸術、或いは芸術の方に傾いている建築なのである。

 

 ポストモダンの時代において代表的な二人の建築家の例をあげよう。建築家のコールハースは建築を構成するありとあらゆる事象を部品化して建築の表面や社会的現象を鋭く捉え、ほかの分野と混ざり合わせることで建築学をより複雑で複合的な学科にした。一方、建築学者のアイゼンマンは真逆の方向に、材料、様式、機能さえから削り取ってから建築の本質に目を向け、建築学は独立している学科として存続できるか否かについての試みを行った。

 

 アイゼンマンもダイアグラムを批判的道具として建築学をバラバラにした。コールハースも社会の変容を忠実に記述することにとどまり、自分なりの解釈や結論を出さなかった。彼らをはじめとした前衛的な建築家たちのおかげで1980年代において建築業界は大騒ぎで、「建築学は存在しない、建築学は死んだ」という論争が絶えなかった。

 

 もちろん世界中の建物が一瞬で倒壊し、人の住む場所がなくなってしまうというわけではないが、理論上の建築、学問としての建築は危機を迎えたのは否めない。その本質はポストモダンの時代において物質的「建物」から解放されると共に建築家たちはかつてないほどの自由、ほぼ制限のない自由を手に入れた。建築は建築学を批判する、社会を批判する、資本主義を批判するための道具になったという。

 

 ある特定の社会背景で誕生したポストモダン思潮について一つの論文にもできそうなほど極めて複雑なのでここで展開して論じるつもりはない。その結果や影響を簡単にまとめると、モダニズムを否定しようとするポストモダンは無数の問題を提起しただけで、その解決策を考えずにただただ批判するために批判し続け、個人の自由や表現の多様性を過度に強調した末にカオスを建築学や社会にもたらした。

 

 その同時、古典建築への反発としてのモダニズム時代において古典建築の重要性や価値を再び提示した建築家のルイス・カーンがいた。

 

 平面図を見てすぐ分かると思うが、カーンはまさにポストモダンと真逆の方向へと建築を再考していた。古典建築を重訳する(新古典主義ではない)のに表層構造にとどまった隈研吾とは違い、カーンは深層構造や建築内部に潜む先在性に基づいて建築を設計した。それ故に隈研吾はしばしばポストモダンに分類されるのに対して、カーンは独自のスタイルで新たな道を切り開いた極めて格別な存在として評価された。

 

 機能主義であれポストモダンであれカーンであれ、モダニズムという制限の中の自由から派生してきたものとしてモダニズムの一部分に過ぎない。ここまで発展してきた建築は多くの分野と絡み合っている諸概念の集合体となり、まさに大きな物語(Grand narratives)が通用できなくなった時代において、自由と不自由、主観と客観という建築ならではの両義性を着眼点にして近代建築が歩んできた道を弁証法的に見れば、建築をより高度に発展させる最大な要因は自由と制限、或いは矛盾そのものであることが分かった。モダニズムという制限の中の自由は、制限のない自由から無限大の自由に至るまで、不自由さえ許せるような包容力を持つのである。

 

 ヴェンチューリ、コーリン・ロウ、Superstudio,Archigram、ゲーリーやザハ、脱構築主義など、主にポストモダンを学んできた私は、逆にモダニズムを信じるようになるのはまさにその理由による。

 

 ポストモダンへの反発として今はメタモダニズムの時代に突入したようだが、それに関することはまだ詳しく記載されていないので後世の学者たちに任せよう。

 

 もし将来はみんなを満足させることができ、誰からも文句言われないような完璧で理想的な建築様式があったら、それは唯一の正解になり、発展する原動力を一切失った建築学は終焉を迎えたとも言えるだろう。そんな未来を想像するだけで怖くてたまらない。