美大に入って建築を真剣に勉強し始める前に、高校時代は留学生としてニューヨークで暮らしていた私だった。

 

 大学の授業で紹介されたニューヨークの名建築、たまたま私とすれ違った名作が取り上げられる。昔よく行く場所の隣にあるあの変な形をしている建築は、そんなに高く評価された建築巨匠による作品だと聞いて、今の私はびっくりしたこともある。

 

 あの時は建築に対する知識を一切持たず、門外漢の目で名建築から何一つ得ようとしてもどうしょうもない。残念なことに、ニューヨークという素晴らしい場所、名建築に囲まれて過ごした四年間では建築の勉強になることはほぼなかった。

 

 それ故に、大学一年生の頃は空っぽな頭で建築を見るのが怖くて、しっかりと勉強してから外出て建築を見学する癖を身につけた。

 

 

 (去年七月、東京国際フォーラム、初期のコンペ案から出来上がるまでの流れを把握し、資料をいっぱい持って見学に行った。)

 

 大学一年生の私はほとんどの時間を読書に充て、実際に訪ねた建築は数少なかった。

 

 何も知らないままに建築を見学するより、まずは予備知識を増やし、専門家の目で建築を見る方が良い、むしろそれは建築の勉強に唯一の正解だと、昔の私はずっと思い込んでいた。にもかかわらず、それは違うと、最近思うようになった。

 

 建築素人だからこそ、知識や評価などの雑音を一切気にせず、より単純な目で建築を見ることができ、自分の本音を聞こえるのである。ある意味でそれはいいことかもしれない。

 

 一方、知識の勉強には限りがない、世の中の全ての建築の本を読み終えてから実際に建築を見に行くほどのばかばかしいことはない。ここで矛盾が生むのである。事前に準備しなければならない、でもどもまで準備すれば良いのかが分からない。

 

 

 昔、スケッチブックを手にとって外で写生するのは大好きだったが、絵をどんどん描いていくうちに自分の限界を感じて、知識を求めるようになる。構図、コントラスト、配色、バランス…たくさん学んだのに、「今の私はまだ知識不足で準備ができていない」と思い、外で絵を描くのが怖くなったこともあった。

 

 全身の勇気をかき集めて外に出ると、構図のルールや知識で頭がいっぱいになって何を描くべきかがわからなくなってしまう。このような「知識の呪い」には、最近よく悩まされている。

 

 その根本的な原因は、準備しないと行動できない完璧主義に他ならないと、私は自覚している。それをどうやって克服するのか、私に一つ大きな課題になるだろう。