キリスト教の聖書は旧約聖書(39巻)と新約聖書(27巻)を正典(せいてん、カノン、Canon)としているが、古来より外典(がいてん)・偽典(ぎてん)と呼ばれる文書も存在する。

 外典は正典から除外された聖書。

 偽典は後世に作成された信憑性の低いと考えられる文書で聖書ではない。

 

 カトリック教会、正教会、プロテスタントなど宗派により正典、外典に対する考え方が違う。

 外典とされている聖書も、神聖な宗教活動により生み出されているので現代まで残った。

 

 旧約聖書の外典は、

「詩編第151篇」、「知恵の書(ソロモンの知恵)」、「ダニエル書補遺」、「マカバイ記」、「エノク書」など多くの文書がある。

 

 プロテスタントの旧約聖書の詩編は第150篇で終わっているが、ダビデがゴリアテを倒した栄光の讃歌が「第151篇」として残っている。 

   

 「エノク書」のエノクはアダムから7代目の子孫で、4,400年程前に生きた。エノクの子はメトセラ、孫はレメク、曾孫が洪水伝説のノアである。

 エノク書は死海文書(アラム語)や、ギリシャ語訳、スラブ語訳、エチオピア語訳などがあり、予言・天使・堕天使・黙示録・救世主(メシア)などが記されており、大変興味深い内容になっている。

 天使が人間の娘と交わって堕天使になると云うのはシュメールのギルガメシュ叙事詩と関連している。

 エノクは生きたまま昇天したと云う。

 

 旧約聖書のアブラハム(4,000年ほど前)以前の記事はシュメール神話だと私は認識している。

 アブラハムはシュメールのウルで生まれたヘブル人(遊牧民)で、妻のサラはシュメール人であった。

 ヘブル人はシュメールの文化・習慣に大きな影響を受けたが、シュメールがアッカドの攻撃で滅んだのでアブラハム一族はアナトリア(トルコ)経由でカナン(イスラエル)に移住した。

 

 新約聖書の外典は、

 ペテロ行伝、パウロ行伝、ペテロの黙示録、パウロの黙示録、ペテロによる福音書、(マグダラの)マリアによる福音書、(イスカリオテの)ユダによる福音書など多くの文書がある。

   

 キリストは磔刑(たっけい)で死亡、復活してから昇天した。

 磔刑では死なずに蘇ったと云う説もある。

 昇天したのは東の国(日本)への長い旅であったと云う説もある。

 青森県の新郷村(しんごうむら)にキリストの墓がある。

 

 

 中近東では、宗教と民族の違いによる長い紛争の歴史が繰り返され、現在でも戦争が続いている。

 しかし、日本など世界の一部ではアセンション(次元上昇)が始まり、宗教・民族主義への依存度が低下している。

 

 日本では古来、文化的にも思想的にも宗教的にも「固執ではなく調和の心」で対応してきた。

 更に近年の次元上昇により「調和の社会」が進んでいる。

 政治的にはアメリカファーストや日本ファーストなど自国の主張をするのは間違えていないが、アメリカ、ロシア、中国、イスラエルのように自国の利益を武力でゴリ押しするのではなく、日本は「調和の心」をもって外交を進めて欲しい。

 

 強大なアメリカとの軍事同盟は大事だが、文化・生活・マインド・精神性などはヨーロッパ諸国との方が上手く付き合える。

 日本は、民度の高さ、技術の高さを生かして世界をリードして欲しい。アメリカの最先端製品でも日本の技術・部品が無ければ成り立たない。

 防衛力強化に加え、技術を武器として世界を調整して欲しい。日本にはできる。

 

印南神吉(いんなみ かんき)

 帝政ローマ支配下のユダヤで、西暦30年頃にイエス・キリストがゴルゴタの丘で磔刑(たっけい)になった時に、「アリマタヤのヨセフ」がイエスの遺体を十字架から降ろし、引き取って岩窟の墓に納めた。

 ヨセフはユダヤ教の祭司で、ユダヤ議会(サンヘドリン)の議員でもあったがイエス・キリストの「隠れ弟子」であった。日本の「隠れキリシタン」のようなものであった。

 ユダヤ議会(サンヘドリン)は「最高法院」、「長老会」などとも云われた。

 

 ユダヤ議会(サンヘドリン)はエルサレム神殿内にあり、ユダヤ教の神殿祭儀を行い、律法教育権があり、警察権・裁判権も認められ、刑の執行も行ったが、「死刑宣告」についてはローマが行った。

 ほぼユダヤ人の自治が認められていたのではないか。

 イエス・キリストと他の二人の「死刑(磔刑)宣告」も、ユダヤ議会ではなくローマ総督のポンテオ・ピラトが宣告した。

 

 イエスの教えは、一般のユダヤ教徒の解釈・慣習とはかなり違っていたので、権利・利益の侵害を訴えるなどの事件が発生した。

 イエスを信ずる人々は争いや追放を避けるために、日本の「隠れキリシタン」のように表面上は他のユダヤ教徒と歩調を合わせていた。

 アリマタヤのヨセフのようにユダヤ議会の議員でも密かにイエスを信じていた。ユダヤ駐在のローマ兵の中にも密かな信者がいた。

 

 アリマタヤのヨセフはローマ総督のポンテオ・ピラトと面談できる立場だったので、イエスの遺体を引き取りたいと願い出て許可された。

 十字架に掛けられた犯罪者は、即死ではなく2日から4日間も苦しみながら息を引き取るように施されていた。

 イエス・キリストは金曜日の朝9時ごろに十字架に掛けられ、午後3時頃に大声で叫んだ。その時ある者がやって来て海綿に酸いブドウ酒を含ませてイエスに飲ませた。

 しばらくして、ローマ兵はイエスが死亡したと判断、アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取り、岩窟に納めた。

 

 アメリカ人のエドガー・ケイシー(1877年‐1945年)によると、十字架上のキリストが飲んだブドウ酒には心臓音が聞き取れなくなるほどの効果がある薬草のエキスが入っていたと云う。

 だからアリマタヤのヨセフの計画通りに僅か6時間ほどで死亡したとローマ兵の隊長が誤認し、アリマタヤのヨセフにイエスの遺体を降ろさせた。

 死亡を確認したローマの隊長も密かにイエスを信じていたかもしれない。マルコによる福音書15章39節によると、ローマの隊長が「まことに、この人は神の子であった」と述べた。

 

 イエス・キリストは金曜日の午前9時頃に十字架に掛けられ、早くも午後3時頃に亡くなって3日目の月曜日に蘇り、復活した。

 しかしエドガー・ケイシーは、キリストは亡くなったように見えたが生きていたので洞窟内で蘇り、弟子たちの前に復活、昇天したと云っている。

 

 旧約聖書にメシア(救い主)預言記事は多く、例えば「メシアはユダ族のダビデ王の子孫」、「処女から生まれる」、「ベツレヘムで生まれる」、「メシアは処刑され、エルサレム神殿が破壊され、イスラエルの民は散らされる」などがある。

 キリストに関して多くのメシア預言は現実のものとなるが、「メシアは処刑で死ぬが、復活する」と云う預言は達成するのは不可能に見える。

 本当に死んでしまったら「預言通りに復活」できないので、アリマタヤのヨセフの「死んだふり計画」が成功したと云う。

 

 西暦30年頃にイエス・キリストが復活・昇天した後の西暦66年から73年に勃発したユダヤ戦争でユダヤがローマに敗れ、西暦70年にローマ軍がエルサレム神殿を預言通りに破壊した。

 ユダヤ教徒はそれまで行っていた「エルサレム神殿での信仰」ができなくなり、会堂(シナゴーグ)に集まって祈るようになった。

 更に西暦132年から135年の第2次ユダヤ戦争の結果、イスラエルの民の離散(ディアスポラ)が預言通りに起きた。

 

 アリマタヤのヨセフは、アイルランドのケルト神話の影響を受けた「アーサー王伝説」にも関係付けられている。

 アリマタヤのヨセフがキリストの遺体を引き取った時に、キリストの血を聖杯に入れてブリテン島(イギリス)へ渡ったと云う。

 ヨセフはイギリスに最初の教会を建て、それがグラストンベリー修道院になったと云われている。アーサー王の伝説の墓もある。

 

 

 

印南神吉(いんなみ かんき)

中国の唐(618年‐907年)の時代に、太宗・李世民(598年‐649年)の命により李淳風(602年‐670年)と袁天罡(えんてんこう、573年‐645年)が予言書の「推背図(すいはいず)」を編纂した。

李淳風は陝西省(せんせいしょう)の出身で、天文学、歴法、陰陽道、予言(占い)などに精通していた。

多くの著作があり、貞観22年(648年)に唐朝の太史令(たいしれい)に昇進した。

袁天罡(えんてんこう)は四川省(しせんしょう)の出身で、天文学、易学、相学(予言、人相、占い)に長けており、随朝・唐朝に仕えた。

 

推背図(すいはいず)は、干支(えと、十干十二支)と陰陽五行(陰と陽、木火土金水)を組み合わせ、儒教思想も取り入れて1,500年以上の長い時代を予言し描写している。

その内容は「漠然とした抽象的な予言」ではなく、「未来の年代と事象を予言」しているので、具体的に或いは比喩的に理解でき、予言に関する絵図も添えられている。

予言は中国だけではなく北方、西方、東方(日本)についても述べられている。

日本でも「推背図(すいはいず)」の書籍が出版されているので購入できる。

 

推背図には、未来の最終段階になると中国が数か国に分裂した後に再び統一され、中国が世界の中心になって民主主義の理想的な「大同の時代」になると記されている。

この部分に限ると「予言」ではなく、中国独特の古代から続く「中華思想」に基づいた考え方で、私見では、中国が世界の中心になって民主主義の理想的な「大同の時代」を実現することはないと考えている。

20世紀後半から繁栄してきた中国は国家運営を誤り、現在は破綻の危機に陥っている。

日本はアメリカとの軍事同盟を維持しながら、対中・対露政策としてヨーロッパ諸国、オセアニア諸国などと集団的経済・防衛計画を進めている。

 

ブルガリアの女性予言者ババ・ヴァンガ(1911年‐1996年)は「史上最高の予言者」と云われるが、視覚障害があり学識もないのに未来を見通せた。

目が見えない分、「霊視能力」が備わったのかもしれない。

ババ・ヴァンガの多くの予言は的中率が8割以上あると云う。

『5079年に人類が別の宇宙に移住するので今の世界は終わる。』

5079年はアダム(4,600年程前)から数えて5079年目と云うことだろうか? それであれば今から500年ほど先に実現するのかもしれない。

 

ババ・ヴァンガ(Baba Vanga)は2025年以降の日本の事も予言している。

『日本が「光の輪」で包まれ、「女性」、「愛」が顕現する。』

「光の輪」に包まれるのは日本が世界の中心になること、「女性」は高市首相(1961年生)など、「愛」は愛子内親王(2001年生)だと考えられる。

『2025年に3人の女性が三位一体となり、太陽の国は新しい形になる。太陽の国は東西の架け橋となって、世界を導く。』

2025年に出現した3人の女性は、高市早苗(1961年)、片山さつき(1959年生)、小野田紀美(1982年生)の3閣僚と考えられる。

「太陽の国」は日本。

日本初の女性首相になった高市首相の出現は「愛子天皇」の前兆かもしれない。

8割の国民は愛子様を次の天皇として希望している。

『その後、もう一人が現れ、協力と調和で日本が世界をリードする。』

2月8日(日)の衆議院総選挙で高市自民党が2/3以上の議席を獲得し、日本が大きく改革、前進していく。

経済成長、責任ある積極財政、憲法改正、法整備、先端技術産業促進、防衛力強化、強い外交などを進め、第二次高度経済成長が期待できる。

『日本では少子高齢化が進むが、(AI・医療・宇宙開発などの)日本の技術が世界をリードする。東の島国(日本)に最後の時が来る。2030年代初めの桜が散る頃に災いが日本を襲う。』

「災い」は地震か、津波か、戦争か?

『1981年に生まれた日本の指導者が日本と世界を救う。』

小泉進次郎防衛大臣は1981年生である。

高市首相の次に小泉進次郎防衛大臣か同年令の政治家が2030年代初めに首相として日本や世界の危機を救うのか。

第3次世界大戦を予測する人がいるが・・・「調和の心」や「高い技術力」を持つ日本が精力的に世界を走り回って何としても回避して欲しい。

戦後の日本は「控えめ」を徹底してきたが、今後は自信をもって積極的に活動して欲しい。

 

ソヴィエト連邦の時代、スラヴァ(1982年‐1993年)は11才前に白血病で亡くなるが、人々の病気を治す聖人として知られていた。

スラヴァは予言の能力もあり、ロシア正教会の熱心な信者であったので、「予言者」と云うより宗教的な「預言者」であったのかもしれない。

人の病気を治したスラヴァは自分の病気を治すことができず、自分の死を予言していた。

彼の墓を訪れた病人は、病気が治ったと云う。

スラヴァは、ロシアのウクライナ侵攻を予言していた。

2014年、ロシアはウクライナのクリミア半島に侵攻、2022年にウクライナ全土に侵攻した。

コサックの子孫のウクライナ人は抵抗を続け、戦争は12年も続いている。

 

印南神吉(いんなみ かんき)

 1947年にベドウィン族(遊牧民のアラブ人)の羊飼いが、ヨルダン川西岸のクムラン洞窟で壺に入った多くの古い巻物を発見した。

 死海近くの洞窟で発見されたので「死海文書」と呼ばれ、BC3世紀からAD1世紀の写本で、現在の旧約聖書とほぼ同じ内容であった。

 更に、他の洞窟からも多くの文書が発見された。

 1世紀前後のユダヤはローマ帝国の支配地で、アラム語が話されていたので、死海文書はヘブライ語、アラム語、ギリシャ語などで記されていた。

 

 当地のクムランではユダヤ教エッセネ派のクムラン教団が活動していたので、死海文書はクムラン教団が残した聖書の写本だったと考えられている。

 その内容は、現代の「旧約聖書」に共通するものの他、「外典(がいてん)」や「偽典(ぎてん)」とされているものもあり、クムラン教団の規則や儀式などに関する文書も含まれている。

 

 2,000年前のユダヤ教徒が聖典としていた書物を、後に成立したキリスト教会が「旧約聖書」としてまとめ、教会にとって不都合だと判断した書物は省いて外典、偽典とした。

 キリスト教会はイエス・キリストの教え・記録を「新約聖書」として編纂、「旧約聖書」と合わせて「聖書」としたものがキリスト教の聖書である。

 キリスト教のカトリックとプロテスタントでは外典にたいする対応が違う。

 新約聖書は「イエス・キリストをメシア(救い主)」とするが、ユダヤ教ではメシアと認めていないので、ユダヤ教徒にとってメシア(救い主)はまだ出現していない。

 

 イエスはユダヤ教のエッセネ派クムラン教団に属していたと考えられる。

 エッセネ派は「律法」重視、浄めの「洗礼」、荒野での厳しい「修行」、互いに助け合う「共同生活」をしている宗教集団であった。

 「祈祷」、「聖餐(せいさん)」にも重点を置いていた。「終末戦争」に対する準備もしていた。

 

 新約聖書の福音書にイエスが荒野で修行した様子が記されている。イエスは何もない荒野で長い断食の修行を重ね、サタンの誘惑を退けた。

「クムラン」は死海の北西部にあり、今でも草木も育たない広大な荒れ地が広がる。

 

 

 エッセネ派の指導者である「バプテスマ(洗礼)のヨハネ」が、死海に注ぐヨルダン川で多くの人に洗礼(悔い改め、浄め)を施していた。

 イエスもヨルダン川にやって来てヨハネから「洗礼」を受け、「荒野で修行」してから伝道・説教活動を始めた。

 ヨルダン川では現在でも「キリスト教正教会」の洗礼が行われている。

 

 洗礼者ヨハネによるヨルダン川の洗礼地(Qasr el Yahud、アルマグタス)

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 キリストの時代のユダヤ(イスラエル)はローマ帝国の支配下にあり、地名はパレスティナに変更され、言語はヘブライ語ではなくアラム語であった。

 紀元30年頃にローマ帝国総督のポンテオ・ピラトがイエス・キリストを磔刑(たっけい)にした。

 そして、西暦66年から73年のユダヤ戦争でローマ帝国はユダヤ属州に勝利し、エルサレム神殿は破壊され、ローマに反抗活動をしていたクムラン教団も敗北、聖書(死海文書)などを洞窟に隠した。

 

 日本の中世でも、エッセネ派のように共同生活をする宗教集団があった。

 平安時代には終末思想・末法思想もあった。

 戦国時代になると京都の法華衆の台頭や、浄土真宗本願寺教団が強固な信仰組織により自治を進め、武装して戦国大名と対立、一揆も頻発した。

 織田信長(1534年‐1582年)の天下布武・宗教改革により、天正10年(1582年)に一向一揆が消滅した。

 

 

印南神吉(いんなみ かんき)

 2025年10月、第104代首相に奈良県橿原市出身の高市早苗さん(1961年生、64才)が選ばれた。

 高市首相は神戸大学経営学部を卒業すると、松下政経塾に入り国政参加を決めた。

 1987年に松下政経塾からアメリカへ派遣され、米国連邦議会フェローとなる。

 米国民主党下院議員の事務所で働きながら、日本の首相になることを目指す。

 

 1989年に帰国、大学助手、テレビキャスターを務めた後、1993年の衆議院選挙で奈良県からトップ当選。

 無所属、自由党、自由改革連合、新進党などを経て1996年に自民党に入党した。

 

 落選中の2004年には近畿大学経済学部教授に就任。

 2005年の衆議院選挙に自民党から立候補し当選。

 自民党の重要閣僚を歴任、多くの書籍も出版している。

 イギリス保守党の「鉄の女」サッチャー首相(1925年‐2013年)に憧れている。

 

 古代に戻って、高市皇子(たけちのみこ、654年頃‐696年)の父は40代天武天皇(622年頃‐686年)、母は尼子娘(あまこのいらつめ、宗形徳善の娘)。

 宗形氏(むなかたし、宗像氏、胸形氏)は筑前国宗像郡、玄界灘、響灘(ひびきなだ)を支配した海人豪族で宗像大社を奉斎する。

 大和国にも宗像三女神を勧請、宗像神社(奈良県桜井市外山)を創建した。神官は高市皇子の後裔である高階氏と玉井氏が務めた。

 高階氏は、新撰姓氏録によると「左京 皇別 高階真人 天武皇子浄広壱太政大臣高市王也」とある。

   

 奈良県橿原市(かしはらし)曽我町(そがちょう)の天高市神社(あめのたけちじんじゃ、事代主命)も高市首相人気で話題になっている。

 

 高市皇子(たけちのみこ)の名の由来は、大和国高市郡が出生地だからと考えられる。現在は「たかいちぐん」と読むが、古代は「たけち」であった。

 高市郡は橿原市、飛鳥地方や周辺地域を包含していた。

 672年の壬申の乱では高市皇子が大海人皇子(おおあまのみこ、天武天皇)を補佐して活躍、勝利に導いた。

 翌年、大海人皇子が40代天武天皇として即位した。

 

 高市皇子は41代持統天皇(645年‐703年頃)の太政大臣になり、長男の長屋王(676年頃‐729年)は45代聖武天皇(701年‐756年)の左大臣になった。

 しかし持統天皇と藤原不比等(659年‐720年)の策略により、皇族の暗殺が次々と続き、皇統は持統天皇系に絞られてしまった。

 そして、持統天皇が「勝利宣言」の歌を詠んだ。

  春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

 

 696年に亡くなった高市皇子も病死などではなく、毒殺による暗殺であったかもしれない。

 長男の長屋王も729年に、藤原四兄弟が捏造した「謀反の罪」で追及され、一族共に自決させられた。

 藤原四兄弟は、武智麻呂(むちまろ、藤原南家)、房前(ふささき、藤原北家)、宇合(うまかい、藤原式家)、麻呂(まろ、藤原京家)の4人である。

 ところが藤原四兄弟全員が737年に天然痘で亡くなると、長屋王の祟りだと云う噂が都に広まった。

 

 高市首相と高市皇子は繋がっているように思うが、確証は見つけられなかった。

 新撰姓氏録には「左京 神別 天孫 高市連 額田部同祖 天津彦根命三世孫彦伊賀都命之後也」とあり、「和泉国 神別 天孫 高市県主 天津彦根命十二世孫建許呂命之後也」とある。

 高市氏(高市連、高市県主)は天津彦根の曾孫・彦伊賀都の後裔で天孫氏族。

 本拠地は大和国高市県で、首長として治めた。

 

 高市首相の両親が愛媛県から奈良県の高市郡に移住した。愛媛県の今治市にも高市(たかいち)と云う地名がある。

             ***

 2月8日(日)の総選挙を経て、日本の未来は確実に明るくなると期待しています。

 戦後80年を経過した日本の政治、経済、社会が「新たな高み」に次元上昇するように願っています。

 

印南神吉(いんなみ かんき)

兵庫県赤穂市(あこうし)西有年(にしうね)2119   境内に車を停められる。

別名は「野々宮」。

 

祭神 秦河勝(はたのかわかつ)を「大避大神」として祀る。

 

 

 聖徳太子(574年‐622年)が亡くなると、蘇我入鹿(645年没)の迫害を避けるために秦河勝が海路で赤穂の坂越村(さごしむら)に避難した。

 秦河勝は千種川(ちくさがわ)周辺の各地を訪れ、養蚕や灌漑などの技術を住民に教えた。

 秦河勝没後にその徳を慕った住民が坂越村に祀られた「大避神社」を勧請して当地に祀った。

 

 千種川、加古川、市川(いちかわ)、揖保川(いぼがわ)、夢前川(ゆめさきがわ)は「播磨五川」と呼ばれている。

 千種川は宍粟市(しそうし)千種町の中国山地から流れ出し、作用(さよう)、上郡(かみごおり)、有年(うね)、坂越(さごし)を流れ播磨灘に注ぐ。

 アユ釣りと良質の砂鉄で有名な川になっている。

 千種川上流では古代から近世まで蹈鞴製鉄(たたらせいてつ)や鉄穴流し(かんなながし)による宍粟鉄(千種鉄)製造が盛んであった。

 玉鋼(たまはがね)は備前国の作刀(備前刀)に貢献した。

 

入口の灯篭、鳥居、随神(左右の二神)。

 

境内

 

 

 

灯篭の横に大きな御神木。

 

注連柱と銅板葺きの拝殿。 一対の石製砲弾が奉納されている。

南東向き。

 

 

 

 

銅板葺きの本殿。

 

拝殿の左に荒神社(須賀神社)の注連柱と絵馬殿(割拝殿)、

日清日露戦争絵馬や四十七士絵馬などがある。

狛犬は石製ではなく「備前焼」製。

 

 

 

昔の神輿が吊り下げられている。

 

祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと、140年頃‐200年)。

 

 

「一人じゃないよ みんな友だちだよ」の看板と

奥に見えるのは西有年公民館。

 

境内は深い森に包まれている。

 

 

印南神吉(いんなみ かんき)

兵庫県赤穂市有年原(うねはら)1090  電0791-49-3722

管理事務所、トイレ、駐車場があります。

 

 有年原・田中遺跡(うねはら・たなかいせき)は、赤穂市内を南流する千種川(ちくさがわ)と有年盆地を西流する矢野川との合流域の北に位置し、遺跡の北にそびえる奥山の谷から南に広がる緩やかな扇状地上に立地している。

 

 

 

 遺跡は弥生時代から古墳時代、飛鳥時代、奈良時代の大集落跡で、多くの土器、石器、木製品などが発見された。

 3世紀の弥生時代後期の墳丘墓群と、出土した貴重な大型器台、壺、高杯(たかつき)などにより全国的に有名な遺跡となった。

 遺跡の一部は公有化され兵庫県指定文化財となった。

 発見された弥生時代後期の墳丘墓群、木棺墓群、祭祀土坑が復元され、「有年(うね)の王」の墓は「有年原・田中遺跡歴史公園」として整備された。

 

 

 

1号墳丘墓、弥生時代後期築造、直径19mの円形墳丘墓。

東側に墓道の陸橋部がある。

墳丘斜面には千種川(ちくさがわ)の河原石が貼られていた。

 

1号墳丘墓の西側に祭祀の突出部がある。

周溝は幅5m、深さ1mで大型器台、壺、高杯(たかつき)が出土、

木棺も確認され、西側に排水溝がある。

 

 

 

 

3世紀末までの赤穂は吉備国に属していたが、4世紀以降は播磨国となった。

「加古川より西は吉備国」であったが、10代崇神天皇(251年-301年)の時に西海将軍となった吉備津彦(桃太郎のモデル)が吉備を抑え、12代景行天皇(281年‐340年)が播磨国の領地を赤穂まで拡大した。   

 

墳頂から北部の山々を望む。

 

2号墳丘墓、直径15mの円形墳丘墓、周りに幅2m、深さ1mの溝がある。

周溝から大型器台、壺、高杯が出土した。

墳丘の斜面には千種川(ちくさがわ)の河原石が貼られていた。

 

 

 

木棺墓群

 

 

墳丘墓と木棺墓群の間を分ける溝を「祭祀土坑」と呼び、墓への祀りが行われた。

長さ20m、幅3m、深さ1mで、中から100個を超える完全な土器が出土した。

 

 

遺跡公園の前を矢野川が流れる。

 

                                        ***

日本の政治が大きく変わろうとしています。

2月8日(日)の総選挙で今後の方向性が決まりますので、皆さん選挙に行きましょう。

私の孫二人にも投票権がありますので、投票すると思います。

判断基準は「政党」ではなく、立候補者の「イデオロギー」、「日本の国益と国民の生活を護れる人」、「正しい言動」です。

日本の政治家として適性がない立候補者、当選者が多すぎます。それは我々有権者の責任です。

投票に行くだけではなく、まともな人が立候補することが大事です。汚い政治の世界を避けるのではなく、立候補して制度、慣習、永田町の常識などを是正していくことが大切です。

 

印南神吉(いんなみ かんき)

兵庫県赤穂市(あこうし)有年牟礼(うねむれ)1310-2   無料駐車場あります。

 

祭神 品陀和気尊(ほんだわけのみこと、15代応神天皇)、

   仲哀天皇(14代天皇)、

   神功皇后(じんぐうこうごう)。

 

 

兵庫県の「住み続けたい街」ランキングで赤穂市は3位、私も納得!

 

有年(うね)の地名由来は、畑の畝(うね)と同じで土地が小高く連なった山の稜線に因む。

当地は矢野川が東から西へ流れて千種川(ちくさがわ)に注ぐ。

矢野川沿いの山々を畝(うね)に見立て「有年(うね)」と呼んだ。

 

江戸時代以前の当地は、南部の山地・周世郷(すせごう)に属していた。

江戸時代になると、当地の有年牟礼(うねむれ)は有年原(うねはら)と共に幕府領(天領)になった。

 

104代後柏原天皇(ごかしわばらてんのう、1464年‐1526年)の永正元年(1504年)に、大干ばつによる全国的な飢饉が発生。

翌年には農作業も滞り、村人が南部にある周世(すせ)八幡神社に参拝して豊作を祈願していた。

しかし参拝道中の周世坂(現在の県道457号線の峠)の勾配がきつく大変なので、八幡神社本殿の霊代を持ち帰り牟礼東(むれひがし)の矢野川畔に別宮を建て、奉斎した。

 

 周世坂

 

慶長年間(1600年前後)に有年牟礼(うねむれ)の現在地に遷座した。

寛政4年(1792年)に本殿改修、文化10年(1813年)に社殿再建した。

明治42年(1909年)に牟礼東(むれひがし)の須賀神社4社を合祀、横尾の荒神社3社と塞神社1社を合祀した。

大正10年(1921年)幣殿新築。

 

鳥居と灯篭。

 

階段を上る。

 

右手にあるのは農村舞台。 舞台前が観客用の広場になっている。

 

更に上ると絵馬殿。

 

絵馬殿手前に明治天皇聖徳碑。

 

 

 

拝殿

 

 

農耕の四季を表した農耕図絵馬。

 

 

本殿

 

 

本殿右に境内社が3社、

右から大避神社(秦河勝)、荒神社(?)、須賀神社(素盞嗚尊)。

 

        ***

通常国会が1月23日(金)から6月21日まで予定されているが、「冒頭解散」のニュースが飛び出した。

解散1月23日(金)、公示2月3日(火)、投開票2月15日(日)と云うが、真偽はどうか?

冒頭解散は過去に4回ある。

解散予想報道を受け、明日13日(火)の株式市場は「暴騰」しそうだ。

 

印南神吉(いんなみ かんき)

兵庫県赤穂市(あこうし)有年原(うねはら)1033-3  

道向かいに車を停めることができます。

 

「北畠の荒神さん」と呼ばれ、有年原(うねはら)全村の荒神を合祀した。

寛政5年(1793年)に牟礼八幡神社(むれはちまんじんじゃ)改築の古材を使って社殿を建てた。

 

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)

   

 当地周辺には素盞嗚尊(140年頃‐200年)を祀る須賀神社、荒神社が多い。

 江戸時代には当地・有年原は幕府領(天領)であった。

   

 有年(うね)の地名由来は、畑の畝(うね)と同じで土地が小高く連なった山の稜線に因む。

 当地は矢野川が東から西へ流れて千種川(ちぐさがわ)に注ぐ。矢野川沿いの山々を畝(うね)に見立て「有年(うね)」と呼んだ。

 

 

 

神社の入口。

 

 

神社前を矢野川が流れる。

 

階段を上る。

 

振り返り、矢野川と山々を望む。

 

拝殿が見えてくる。

 

拝殿前の狛犬。

 

瓦葺きの拝殿。

 

 

 

 

瓦葺きの幣殿、本殿。

 

周辺は山林になっている。

 

 

 

印南神吉(いんなみ かんき)

 

兵庫県赤穂市(あこうし)東有年(ひがしうね)1936   電 0791-49-3993

駐車場、公園事務所、トイレがあります。

 

 

周辺には4,000年前の縄文時代から600年前の室町時代にかけての集落遺跡がある。

 

この遺跡公園では、弥生時代後期の竪穴住居7棟、古墳時代後期の竪穴住居22棟、高床建物1棟が発見され、1992年に兵庫県指定文化財となった。

 

遺跡公園から赤穂市北部の山々を望む。

 

パンフレットの園内案内図

 

 遺跡公園南側に「弥生時代ムラ」の円形住居2棟が復元されており、入口は南、中央に炉があるのは縄文時代と同じ。

 

 2号住居(弥生時代後期)は直径が12mあり非常に大きく、発掘調査でガラス玉などが発見されているので有力者の住居であったと考えられている。

 

 

 

 

 

5号住居(弥生時代後期)は直径5~6mで、一般的な大きさ。

 

 

 遺跡公園の北側に「古墳時代ムラ」の方形住居4棟が復元されており、入口は南、北の奥に竈(かまど)がある。

 その内の1棟は掘立柱(ほったてばしら)を使った高床建物(倉庫)である。

 有力者は離れた場所に大きな高床式住居を建てていた。

 

15号住居(古墳時代後期)

 

 

23号住居(古墳時代後期)

 

 

 

26号住居(古墳時代後期)

 

32号高床建物(古墳時代後期)

 

 遺跡公園の1km北東に有年山(八幡山、201m)が見え、山頂に有年山城跡(八幡山城跡)、山腹に有年八幡神社が鎮座している。

 赤松氏の山城であったが、城主は何度も代わっている。

 

 

 有年山には、千種川(ちぐさがわ)を航行する高瀬舟の灯台として建てられた舟灯台(高瀬舟灯台)がある。

 

 千種川には良質の砂鉄が産出し、上流にある宍粟市(しそうし)千種町(ちくさちょう)は蹈鞴製鉄(たたらせいてつ)が盛んであった。

 宍粟鉄(千種鋼)と呼ばれる良質の玉鋼(たまはがね)は備前長船(びぜんおさふね)の備前刀にも使われた。

 

印南神吉(いんなみ かんき)