兵庫県小野市菅田町568   境内に車を停められる。

 播磨国賀茂郡鎮座の延喜式内社。

 

 現地より少し南部に鎮座していたが、12世紀前半に当地に遷座した。

 

 祭神 天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、

    住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命、気長足姫命)、

    大山咋神(おおやまくいのかみ)。

 

 当社は2km北東の垣田神社が兼任している。

 

 

当社は住吉大神を合祀し住吉神社と称したが、日吉神社(大山咋神)を合祀し山王権現とした。

明治以降に菅田神社(すがたじんじゃ)と改称した。

 

奈良県大和郡山市の菅田神社や菅田比売神社と同じく、製鉄族の菅田氏が播磨国賀茂郡に居住し、製鉄の先祖・菅田比古命、製鉄の祖神・天目一箇神(あめのまひとつのかみ、天久斯麻比止都命)を祀ったと考えられる。

播磨国も蹈鞴製鉄の盛んな地域であった。

加古川流域の発展により、当社も住吉大神を合祀するようになった。

 

神社の西方を望む。

 

鳥居、西向き。

 

壊れた鳥居。

 

拝殿

 

 

 

覆い屋に保護された本殿。

 

 

境内の左(北側)に石の祠。

 

境内の右手前(南)に境内社の金毘羅大権現。

 

 

 

印南 神吉(いんなみ かんき)

兵庫県加東市(かとうし)小沢(おざわ)504   車を停められる。

 

祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)

     

当地は後鳥羽院が江州日吉大社に寄進したので、日吉大社神領となった。

分霊が厚利(あつとし)に祀られたが、分かれて当地にも祀られた。 

 

 

立派な梅の木。

 

入口

 

境内

 

社殿

 

拝殿

 

 

 

本殿

 

 

本殿左に秋葉神社と二代目ご神木。

 

境内社の八幡神社。

 

八坂神社(素盞嗚尊、大山咋神の祖父)。

 

金刀比羅神社。

 

弁才天。

 

右から山口神社(大山祇大神)、伊邪奈伎神社(伊邪奈伎大神・伊邪奈美大神)、

大地神社(大地王大神)。

 

 

 

印南 神吉(いんなみ かんき)

兵庫県加東市(かとうし)厚利(あつとし)535  鳥居横に車を停められる。

 

祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)、

   大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命)、

   誉田別尊(ほんだわけのみこと、15代応神天皇)、

   秋葉大神(あきばのおおかみ)。

 

大山咋神は父が大歳神(饒速日命、にぎはやひのみこと)、母が天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)。

大山咋神は鴨玉依姫を妻とし、賀茂別雷神(かもわけいかづちかみ)を産む。

当地は後鳥羽院の寄進により、江州日吉大社の神領であったので分霊を祀った。

 

 

入口の素晴らしい山王鳥居。

 

 

 

畑の中に参道が続いている。

 

灯篭と上り坂が急。

 

 

階段を上ると右手に舞殿。

 

境内

 

拝殿、中央は神輿の間、

右と左に祭神が祀られているのでそれぞれに鈴緒と賽銭箱が設けられている。

向かって右に大山咋神と大己貴命、左に誉田別尊と秋葉大神か。

 

 

拝殿の絵馬。

 

蟇股(かえるまた)。

 

 

 

拝殿と一体型の本殿。

 

 

 

本殿右にご神木。

 

 

境内社

 

拝殿左に境内社。

 

本殿後ろの磐座。

 

昔の井戸と歯車。

 

 

 印南 神吉(いんなみ かんき)

 兵庫県加西市(かさいし)別府町(べふちょう)甲1084-1   

 無料駐車場あります。

 

 大歳神社(おおとしじんじゃ)が正式名称で、通称が大宮妙見宮。

 播磨国には大歳神社が多い。

      

 祭神 大歳神(おおとしのかみ、饒速日命、165年頃‐210年頃)、

 配祀 鴨玉依姫神荒魂(かもたまよりひめのかみのあらみたま)、

    大名持命(おおなもちのみこと、大国主命、160年頃‐220年頃)、

    素盞嗚尊(すさのおのみこと、140年頃‐200年)、

    天兒屋根命(あめのこやねのみこと)。

 

 巨大な杉林に多くの白鷺が飛び交い、鳴き声と羽音に驚く。

 

 

 

社叢から北方を望む。 

 

 

入口の鳥居、扁額は「妙見社」。

参道には大きな枝が落ちてくるので東の入口を利用するようにとある。

 

 

東の入口。

 

境内

 

拝殿、神額は大宮妙見神社。

 

 

 

 

 

本殿、明治15年(1882年)に改築。

 

 

 

手水舎と神庫。

 

境内社、建部大神と大原大神。   

 

一番奥の境内社。

 

境内社、兵主大神と春日大神。

 

大宮妙見神社(大歳神社)の北隣に大将軍神社が鎮座。

陰陽道で方位を司る星神「大将軍」を祀り、厄除け・方除けの神。

祭神 磐長姫神(いわながひめのかみ)、大歳神(おおとしのかみ)。

 

拝殿

 

本殿

 

 

 

印南 神吉(いんなみ かんき)

兵庫県加東市(かとうし)高岡549    駐車場なし。

    

祭神 稲倉魂命(うかのみたまのみこと)

   国常立命(くにのとこたちのみこと)、

   大物主命(おおものぬしのみこと)、

   菅原道真公(すがわらのみちざねこう)、

   少彦名命(すくなひこなのみこと)、

   比津九島命(ひつくしまのみこと)。

     

 

すぐ南に陸上自衛隊青野原駐屯地がある。

10月の秋祭りには壮麗な布団屋台で賑わう。

 

八重桜が満開。

 

当社の創立は享保8年(1723年)、高岡地区開墾の際に御祖神稲荷大神を祀った。

入口の赤い鳥居が目立つ。

 

ご神木の「招霊の木(オガタマノキ)」。

 

境内

 

拝殿、神徳無窮。

 

 

狛狐(神使いの狐)はケージで護られている。

 

本殿、大正2年(1913年)再建。 南東向き。

千木と鰹木は男神仕様になっている。

 

 

本殿の左奥に稲荷大神。 森が深い。

 

 

右奥に境内社、

八坂神社、秋葉神社、金刀比羅神社、天照皇大神宮、廣峯神社、愛宕神社。

 

境内の左角に出雲大社。

 

社務所。

 

当地周辺地域を開発した大久保喜市郎(1668年‐1760年)像。

大久保は青野原(あおのがはら)の開発を幕府に出願、許可を得て享保8年(1723年)に開墾した。

水路を造り新田開発に成功した。

 

2026年は世界が大きく変革する年で、その中心が日本になると考えています。

高市首相に期待していますが、自民党の古い体質が相変わらずで首相の思い通りにはならないことが徐々に判明してきました。

政治に期待できないのであれば、我々国民が力強く前進する必要があります。国民の集合意識が時代を変えていくのです。

そのリーダーは政治家でなくても、名前が知られていなくても可能です。その人がやがて現れると考えています。

 

印南 神吉(いんなみ かんき)

 兵庫県加西市(かさいし)北条町(ほうじょうちょう)北条1293   

    電0790-43-0580   駐車場あります。

 通称は五百羅漢(ごひゃくらかん)、天台宗、播州薬師霊場第十一番札所。

     

 羅漢寺(らかんじ)は酒見寺(さがみじ)塔頭(たっちゅう)の一寺であったが、戦国時代に兵火で焼失、北条御旅町(おたびちょう)の薬師堂を移して復建した。

 住吉神社とも関係が深い。   

 五百羅漢石仏は平成30年に兵庫県指定文化財となった。

 

  

本尊・薬師如来の縁日の8月8日に先祖を供養する「千灯会(せんとうえ)」が開催され、江戸初期に造られた500体の石仏の前にろうそくが灯される。

 

桜が満開。

 

駐車場横に感じの良いトイレ。

 

 

入口

 

 

 

井戸、昔の我が家にもこの形の井戸があったのを思い出す。

 

本堂、本尊は薬師如来。

右の「一隅を照らす」石碑は比叡山延暦寺253世天台座主大僧正恵諦(えたい、1895年‐1994年)による「一隅を照らす運動(6つの約束)」。

 

眷属として日光菩薩、月光菩薩、十二神将を従えている。

 

聖天堂(歓喜天)、家庭円満・商売繫盛の仏様。

観音様とインドの神様が祀られている。

 

 

庚申堂(こうしんどう)、本尊は青面金剛龍王(しょうめんこんごうりゅうおう)。

 

本尊の前に金の「ふれあい観音」、気になる所をさすると良くなる。

 

北条石仏の五百羅漢(兵庫県指定文化財)。

 

 

 

阿弥陀如来。

 

真ん中の二人はトランプ大統領とプーチン大統領に似ている。

 

当地は針間「鴨国(かものくに)」から播磨国「賀茂郡(かもぐん)」となったので賀茂氏、息長氏、秦氏のペルシャ系が住んでいたと考えられる。後に加東郡(加東市)と加西郡(加西市)に分かれた。

「親が見たけりゃ北条の西の五百羅漢の堂に御座れ」と云われているが、石仏の顔は彫りの深い西アジア系(ペルシャなど)に見える。

 

 

 

 

 

 

 

印南 神吉(いんなみ かんき)

兵庫県加東市(かとうし)山国(やまくに)1445   無料駐車場あります。  

      

祭神 伊弉册命(いざなみのみこと)

      

神社から西を望む。

 

 

 

境内

 

 

入口、後方には百度石と舞殿。

 

舞殿

 

 

境内右(東)に立派なモチノ木。

 

モチノ木から境内を望む。

 

手水舎と神庫。

 

拝殿

 

 

 

「大権現」の神額、元文2年(1738年)奉納。

神仏習合の江戸時代には「熊野大権現」と称していたのでしょう。

 

八坂神社、

祭神は牛頭天王(ごずてんのう)から素盞嗚尊(すさのおのみこと、140年頃‐200年)に変えたか。

 

 

小さな祠。

 

 

境内社、奉献者は「丹羽若狭守家臣 小川藤蔵源義果」。

 

境内の森。

 

 印南 神吉(いんなみ かんき)

 富士王朝(ふじおうちょう)は神武天皇(181年‐248年)より前の時代に富士山麓に存在したと云う王朝で、偽書とされる宮下文書(富士古文献)に9,000年前からの歴史として記されている。

 宮下文書は山梨県富士吉田市の小室浅間神社(おむろせんげんじんじゃ)宮司の宮下家に伝わる古文書で、明治16年(1883年)に宮下家で発見されたと云う。

 小室浅間神社の現在の宮司は宮下重範氏で、主祭神は木花咲耶姫命、ご神体は富士山。

 

 宮下文書には富士山麓の「富士高天原王朝」の伝承があり、秦の始皇帝(BC259年‐BC210年)の命により日本にやってきた徐福が記録したとある。

 日本各地に徐福伝説があるが、私は今でも徐福は日本に来なかったと考えているので、徐福は宮下文書の筆者ではないと考えている。

 宮下家の遠祖に徐福がいるのかもしれない。「応神天皇の時に秦氏が渡来」したので秦氏の先祖に徐福がいるかもしれない。     

 

 宮下文書には富士山の噴火についての記述が多いので、富士山周辺地域の伝承を集めて編纂した可能性がある。

 宮下文書は数千年の長期に亘る歴史書なので、それぞれの時代毎に多くの筆者がいると考えられる。

 神々の系譜については、神代系譜、応神天皇系譜、武内宿禰系譜、秦徐福系譜がある。

 富士高天原の古図なども掲載されている。

 

 第一神朝時代の話がペルシャの北西とトルコの東端との境にあるアララト山(5,137m)で9,000年前から始まり、最初の神の名は「天之峰火雄神(あめのほほおのかみ)」と云うが、旧約聖書のノア(4,300年ほど前)に対応するのかもしれない。

 しかし、両者の時代は全く異なるが「倍年」と見れば9,000年は4,500年だから時代が合っているのかもしれない。

 第一、第二神朝時代が終わりペルシャ北方を去るまでに2,600年ほど(実際には1,300年ほど)が経過したと云う。

 

 6,000年ほど前(実際には3,000年ほど前)に神々は世界中に別れていった。日本の富士山麓にやって来たのは高皇産霊神(たかみむすひのかみ)と皇子の国常立尊(くにのとこたちのみこと)と国狭槌尊(くにのさつちのみこと)で、神国日本の始まりとなる。

 第三神朝時代は神皇7代が国造りをし、7代目の伊弉諾命(いざなぎのみこと、125年頃‐190年頃)で終わる。

 

 第四神朝時代は天照大神(140年頃生)が即位したので、月夜見尊(つくよみのみこと)は富士南麓に退いた。

 月夜見尊の子が大山祇尊(おおやまづみのみこと)、その子が木花咲耶媛尊(このはなさくやひめのみこと)で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の皇后となる。

 瓊瓊杵尊が崩御すると、富士高天原(阿祖山太神宮)は分列し、九州王朝は鵜茅葦不合尊(うがやふきあえずのみこと)が神皇となった。

 

 九州王朝の皇太子は大和橿原で神武天皇として即位(211年)、その後富士高天原の勢いは衰えていった。

 11代垂仁天皇、12代景行天皇、日本武尊(やまとたけるのみこと、302年‐332年)の時代に富士高天原は滅んだ。

    

 15代応神天皇(363年‐403年)の第一皇子・大山守皇子(おおやまもりのみこ)は名前を「宮下」と変えて阿祖山太神宮の宮司となり、富士高天原の復活を願った。     

 しかし、延暦19年(800年)の富士山大噴火で阿祖山太神宮などは焼失・埋没で壊滅してしまった。

 富士山の噴火で富士高天原は無くなったが、征夷大将軍の坂上田村麻呂(758年‐811年)が相模(さがみ、神奈川県)の寒川(さむかわ)に寒川神社を建立させた。  

 南朝(吉野朝廷)の後裔関係も富士高天原の復活を願って暗躍していた。

 

 関東武士(坂東武士)は富士高天原の復活を願っていた可能性がある。

 戦国武将の武田信玄(1521年‐1573年)や徳川家康(1543年‐1616年)は南朝系で、明確に富士高天原の復活を願っていたかは分からないが、薩長土肥による明治維新の結果として首都は京都から東京(江戸)へ遷都、明治天皇(1852年‐1912年)は江戸城を皇居とした。

 東京遷都は富士高天原の復活と見て良いのかもしれない。「高天原」は富士山麓→九州→大和・山城→関東(東京)へと変遷していった。    

 

 富士山の高天原としての霊力は今も続いており、伊勢神宮、出雲大社と共に日本を護っている。

 

 印南 神吉(いんなみ かんき)

兵庫県三田市(さんだし)加茂(かも)411   電079-567-1062  

無料駐車場あります。

     

祭神 賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)

   天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、

   菅原道真公。

  

 志摩国鳥羽より当地の摂津国三田へ寛永10年(1633年)に転入した領主九鬼久隆(くきひさたか、1617年‐1649年)が天満天神を信仰していたので、当社も京都北野天満宮から勧請し、天満神社を称するようになった。   

 昭和26年に旧社名の加茂神社に改称した。  

 

 

10月の秋祭りには家内安全・豊作祈願の「稲引・樽引神事」が行われ、市指定無形民俗文化財の「ホーホー踊り」が奉納される。

 

鳥居

 

入口

 

境内右に稲荷神社。

 

 

境内社の皇大神宮。

 

後方は加茂金毘羅宮(金刀比羅大権現)。

 

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)。

 

拝殿

 

 

 

 

神額は「天満神社」になっている。

 

 

菅原道真公の「神使いの牛像」。

 

本殿、覆い屋に保護されている。

 

 

 

拝殿右の境内社、八幡神社ほか。

 

拝殿左の境内社、大歳神社か(?)。

 

境内社の戎神社、テープが張られていた。

 

 

印南 神吉(いんなみ かんき)

兵庫県三田市(さんだし)中内神(なかうちがみ)723   無料駐車場あります。

 

祭神 素盞嗚大神(すさのおのおおかみ) 

   

  創建は不明であるが、天徳年間(957年‐960年)に疫病が流行したので、「廣峯神社」より牛頭天王を勧請し、天徳大明神と称した。

 祭神を素盞嗚尊(すさのおのみこと)と改め、感神社と改称した。

 明治30年(1897年)に社殿を改築。

 

 

入口の鳥居。

 

参道を上ると境内へ。

 

 

 

 

寒緋桜

 

舞殿

 

 

拝殿

 

 

 

本殿

 

境内社、猿田彦大神、橿原大神、天照皇大神、八幡大神。

 

 

本殿の左に戎宮総本社西宮神社。

 

 

右は庚申堂、左は金刀比羅宮。

 

 

 

 

 

印南 神吉(いんなみ かんき)