先代旧事本紀(せんだいくじほんき)は9世紀前半の平安時代初期に成立した史書で、記紀に準じた内容であるが物部氏の事績が多いので、物部中原宿禰󠄀(788年頃‐849年頃)が記したと考えられる。
古代での名門豪族であった物部氏が政治の中心から外れていることに危機感を持った物部中原宿禰󠄀は物部氏の正当性を訴えるべく先代旧事本紀を編纂したのではないだろうか・・・
伊勢神道と吉田神道では先代旧事本紀を重要視しており、江戸時代には「偽書」とされたが参考になることは多い。
私は本書を何度もよく読み、参考にしている。
先代旧事本紀の神代本紀には、
「昔、自然の氣は混沌として、天と地とはいまだ分かれていなかった。鶏卵の中身のように固まっていなかった中には、ほのかにぼんやりと何かが芽生えを含んでいた。
やがて、そのうちの澄んだ氣は立ち昇ってからたなびいて天となり、浮き濁ったものは重く沈み滞って大地となった。
天がまず出来上がって、大地はその次に出来た。
そして、高天原に生まれた一柱の神の名を天祖「天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊」(あめゆずるひあめのさぎりくにゆずるひくにのさぎりのみこと)と云う。
それ以降、ひとりでに生じる神の他に、共に生じる二代、二柱並んで生じる五代の、あわせて「神世七代」はこの神々である。」とある。
先代旧事本紀の神代本紀では「天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊」が高天原に最初に出現した天祖だと云うが記紀には記されていない。
物部氏の古い伝承なのか・・・
海部氏の椎根津彦(しいねつひこ、185年頃生)は神武東征の水先案内人として活躍し、倭宿禰󠄀として倭国造(やまとのくにのみやつこ)の祖となった。
初代神武天皇(181年‐248年)が九州から大和国(奈良県)に東征を開始した204年に椎根津彦を見出し、おまえは誰かと尋ねた。
椎根津彦は「私は天祖・天譲日天狭霧国禅日国狭霧尊の子孫である海部氏の始祖・天火明命(あめのほあかりのみこと、140年頃生)の曾孫です。」と応えたと云う。
海部氏・尾張氏は皇統の直系ではないので皇孫ではないが高天原系の血統で、皇孫に極めて近い天孫族である。
天火明命は尾張氏・海部氏などの祖神として、極めて重要である。
先代旧事本紀では天火明命(140年頃生)は饒速日命(165年頃生)と同一神として、二人の名を繋ぎ「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」としている。
しかし実際には別神であり物部氏は海部氏・尾張氏と近いが同族ではない。
物部氏を天孫族の子孫として主張したかったのかもしれない。
印南 神吉(いんなみ かんき)





































































































