軻遇突智神(かぐつちのかみ)は愛宕神社(あたごじんじゃ)や秋葉神社(あきばじんじゃ)などで祀られる「火の神」。

 別名は、迦具土神(かぐつちのかみ)、火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)、

火産霊(ほむすび)などがある。

 

 日本書紀の一書(第二)によると、

 『伊弉冉尊(いざなみのみこと)が「火の神」の軻遇突智(かぐつち)を生んだ。そのとき伊弉冉尊は軻遇突智のために火傷(やけど)をして亡くなった。

 その亡くなろうとするときに、伊弉冉尊は横たわったまま「土の神」の埴山姫(はにやまひめ)と「水の神」の罔象女(みつはのめ)を生んだ。

 軻遇突智は埴山姫をめとって稚産霊(わくむすひ)を生んだ。この神の頭の上に蚕と桑が生じた。臍(ほぞ)の中に五穀が生まれた。』

 

 また一書(第六)によると、

 『伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、伊弉冉尊が亡くなったことを恨み、腰にさげた長い剣を抜いて、軻遇突智を斬って三つに断たれた。その各々が神となった。また剣の刃からしたたる血が天の安河のほとりにある沢山の岩群となった。これは経津主神(ふつぬしのかみ)の先祖である。

 また剣のつばからしたたる血がそそいで神となった。名づけて甕速日神(みかはやひのかみ)という。武甕槌神(たけみかづちのかみ)の先祖である。』

 

 経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、西暦201年に「出雲の国譲り」を大国主命に強制した。

 私見ですが、ここで云う「出雲国」は島根県ではなく、北部九州の出雲族支配地(葦原中津国)のことです。出雲族は素戔嗚尊(140年頃-200年頃)系の豪族で、日本列島の多くの地を治めて統合していたので、元の拠点が出雲国だということです。大国主命が国譲りをした葦原中津国は、宗像市、遠賀川沿い、筑後川沿いなどと考えられる。

   

 日本列島を統合した製鉄族の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が亡くなると、大国主命(160年頃-220年頃)が後継者となった。私見ですが、素戔嗚尊は楚系、大国主命は縄文系と見ています。

西暦180年代から発生していた北部九州の倭国大乱が、素戔嗚尊が亡くなったことをきっかけとして西暦201年に収束、卑弥呼(179年-247年)が倭国(北部九州28ヶ国)の女王として即位した。   

 高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が国譲りを迫るために、丈夫(ますらお、頑丈で強い男)の経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)を大国主命に派遣して葦原中津国を強制的に譲らせた。

 

 軻遇突智神(かぐつちのかみ)は、古事記での表記は火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)、別名は火之炫毗古神(ひのかがびこのかみ)、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)となっている。

 伊耶那美神(いざなみのかみ)は火の神である迦具土神(かぐつちのかみ)を生んだときに女陰(ほと)を焼かれたことが原因で亡くなった。

 伊耶那美神は出雲国と伯伎国(ほうきのくに、鳥取県)との境の比婆山に葬られた。すると伊耶那岐命(いざなぎのみこと、125年頃-190年頃)は十拳の剣(とつかのつるぎ)を抜いて、迦具土神の首を斬った。

伊耶那岐命の「十拳の剣」の名は、天之尾羽張(あめのおはばり)又は伊都之尾羽張(いつのおはばり)という。

  

 記紀には出産の状況を蹈鞴製鉄(たたらせいてつ)に擬して表現することが多い。蹈鞴製鉄で純度の高い鉄(鋼)が炉から生み出されるのを出産と同じように貴重な現象と見たのでしょう。古代でも現代でも「鉄は国家なり」というぐらいに貴重であった。

 蹈鞴製鉄の炉にある穴を古代ではホト(女陰)と云った。伊耶那美神(いざなみのかみ)も出雲の製鉄族だったと考えられ、製鉄の最中に炉で火傷をして亡くなったのかもしれない。その時に軻遇突智神(かぐつちのかみ)が生まれたと云うことは、立派な玉鋼(たまはがね)が生産できたと云うことでしょう。

 

 蹈鞴(タタラ)の語源は、タタール人(韃靼人、突厥人)から製鉄が伝わったからと云う説がある。女子フィギュアスケートのザギトワ選手はロシアのタタール人で、日本でYouTubeを出しているロシアのタタール美人もいる。

 軻遇突智(かぐつち)がタタール人(韃靼人)の子孫である可能性はあるでしょうか。

地名、河川名、人名に多々良、多々羅、多田羅などが多い。

 

 揚子江の江南人(倭人)は青銅器生産が盛んであったが蹈鞴製鉄も行っており、タタール人から蹈鞴製鉄を教わった可能性は非常に高い。漢族が蹈鞴製鉄を教わったのはタタール人ではなく、ルートも方法も違っている。

 江南人(倭人)と共にタタール人も日本列島に渡来して弥生人となり、蹈鞴製鉄を生業としたのであれば面白いが・・・

 タタール人(韃靼人、突厥人)はバイカル湖周辺の遊牧民であったが、東に移動しヨーロッパまでの広範囲の地域で活躍した。中国に侵入したタタール人が揚子江の楚系倭人と共に日本列島に渡来したのではないか。

 タタール人は古代から優れた製鉄技術を持っており、数年前にタタルスタン共和国(Tatarstan)の使節団が島根県安来市と雲南市の蹈鞴製鉄を調査に来たことがある。共通点が見つかったと言って帰国した。

 

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp