いまのしゅんかん -9ページ目

試練

信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。
ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。
食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。
他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。
また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。
日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。
すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。
わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。
なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。
それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。
すなわち、/「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、/すべての舌は、神に賛美をささげるであろう」/と書いてある。
だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。

(ローマ 14:1-12)

 

12月以来、3か月ぶりにビデオチャットでの聖書の学びがあった。

1月も2月も集まらず、直前にキャンセルされたのだが、先月はなんとわたしが骨折した日で、痛みに耐えながら中止になってホッとした記憶がある。

それで、わたしが入院して手術した経緯について話したのだが、前回の学びのときから本当にいろんなことがあったなと振り返るのだった。

 

娘の心臓の手術と療養

トランプのグリーンランド獲得に関するデンマークへの圧力

不法建築の通知

わたしの骨折と入院、骨粗しょう症の診断

イランの戦争とエネルギー代の高騰

姪の経済的困難

 

次から次へと困難がふってくるような、振り回されている感の大きい3か月間で、特に国際情勢にはうんざりし、日米首脳会議ではどっちも嫌いなので悪口を言いまくり、人をジャッジしてはいけない、という基本を完全に忘れていたと思う。

 

でも、おそらく今後よくなることはないので、厳しい状況に振り回されずにどれだけ自分を保つことができるのか、という話になった。

 

ただ、骨折に関しては、病院で診断されたときは、なぜ氷の上で走るなんていう愚かなことをしたのだろうと後悔したが、退院後痛み止めのモルヒネをやめて散歩をしたとき、やっと体が動いているという感覚を得て、自分が生きているという敬虔なきもちになれたし、骨粗鬆症が発覚して生活習慣を変え自分をいたわることができたので、困難が新たな気付きを与える機会になることを体感してもいる。

 

そして、この度の戦争は長引きそうだし、いよいよ腹をくくらないと、、、と思っている。

つまりこれを機に、気候変動を考慮したライフスタイルに変える、ということである。

今までも散々、エネルギー消費を控えなくてはと思いながら、自分の欲に抗えずにずるずると来た感じ。

 

特に軽油が爆上がりしたので、彼はそろそろバンではなく自転車通勤にシフトすると言っていたが、今朝はわたしよりも早く家を出て、なんと走って出勤したのだった。

わたしもいい加減、放置しているロードバイクを出して、もっと自転車を使うようにしなければ。。。理学療法士さんも、走るのはまだダメだけど、自転車はいいと言ってくれているし。

 

旅行も、とりあえず予定しちゃっている夏まではそのまま、以降は頻度を下げたい。

 

でも、困難によって学ぶことも結構あるので、それほど恐れることはないかな、とも思っている。

オーフスで姪と再会

 

ワーホリでデンマークに住んでいる姪に会いに、彼と娘と3人でオーフスまで行ってきた。

 

なかなか仕事が見つからず、経済的に厳しいであろう姪はやれることも限られていることが伺えたので、彼女をアパートの前でピックアップし、すぐにARoSというオーフスの現代美術館へ向かった。

娘と姪の学生チケット二枚買うより、30歳以下の若者対象の年間パスのほうが一人同伴できるし安いと言われて、姪にプレゼントした。友達がデンマークに来る予定もあるそうで、ちょうどよかった。

 

レインボー回廊を歩く娘と姪。

最下階の常時展にあったインスタレーション。アメリカ人の作品で、彼らが90年代に新潟で閉鎖された歯科院に入ったときに、激しい雷雨にあった経験をそのまま作品にしようとしてできたものらしい。

いかにも昭和チックな内装に、窓に激しく流れる雨水とか、雷の音や光、天井から落ちてくる雨漏りとかやたらリアルで、ついついノスタルジーにひたってしまった。

 

美術館の中にあるカフェテリアでお茶したあとは、ストレートフードへ。

 

 
出張で何度か来たが、遊びに来るのは5年半ぶりで、ここは初めてだった。
かつてコペンハーゲンにあった、元工場を改装してできたストリートフードにとても似ている。
逆に、前回遊びに行ったときに飲んだ海岸沿いのバーは見つけられず。
オーフスは今も建築中の建物がたくさんあり、常に変化している様子がうかがえた。
 
仕事を見つけるのに苦戦しながらも、一件フィードバックがあってオファー待ちだという。
もし仕事が得られなかったら、我が家に移るオプションも考えているが、とりあえずはオーフスをとても気に入っているようだった。
美術館もストリートフードも全然混雑していなくて、ルイジアナ美術館やRaffenなどいつも激混みのコペンハーゲンに比べると、とてもリラックスしているところで、居心地がいいのもわかるような気がした。
 
家族の話も面白かったが、印象的だったのは、姪がすでにデンマークと日本の労働文化がかなり違うことを認識していることだった。
彼女が驚いたのが、すべての仕事が「専門職」であり経験を求められていることだったという。
また、IT系に興味をもち、社会系学部の教育を受けながらすでにIT企業の内定をもらっているほどだが、デンマークのデジタル社会でMitIDのデジタル認証システムに感激し、一方で日本の乱立するITシステムについて考えさせられたという。
デンマークは、基本的なシステムは統一されていて、競争は最小限にとどめられているため、1企業の利益が大きくなりやすいが、日本では小さなビジネスが乱立しているので儲けが出にくくなっているのでは、と思ったという。
 
姪の直観はまさにその通りで、彼が日本で最後に携わっていたプロジェクトが、まさにデンマークで既存のシステム開発だったので、なぜすでにあるものを0から作る必要があるの???と、個人的な意義はともかく、社会的な意義を見いだせず、強くデンマークへの就職を勧めたくらいである。
でも、デンマークのように日本でも既存のものを外から買ってしまえばいいという発想にすると、同時に多くの仕事を失うことになるという、姪のロジックもまさにその通りで、だから日本では賃金は上がらないわけだよね、、という結論に。
それでも日本人は安定を好むから、変わることはできないだろうという姪の考察。
 
デンマークのいいところだけを見るのではなく、その弊害もまたあるだろうという彼女の視点は正しいと思う。
仕事探しで難航する経験もまた彼女の糧になることを祈るばかりである。

茶名授与記念茶事

師匠の茶名授与記念茶事に行ってきた。

 

 

難しいお点前の披露だったので社中でただ一人四ヶ伝のお稽古をしている私が主客をつとめることになり、昨日まで動画を見ながら必死に覚え、今日は早めに行って食事の準備を手伝った。

 

 

出汁をとって、味噌汁の具であるレンコン豆腐を少し煮て、椀に入れ辛子をのせたり、、

 

 

お赤飯を花型に型取りしたり、、

 

しかし、この茶事は食事もお菓子も師匠が全て用意したのだからさすがである。

 

 
流石に正式な茶事の形式だと時間がかかるので点心方式で。
お赤飯、お味噌汁、筑前煮、漬物。
お弁当箱が見つからなかったため、御膳を使うことになったが、笹の葉を敷くのが、さすが師匠のセンスである。
あと、レンコン豆腐は、擦ったレンコンと葛で練りレンチンしたものだが、美味しかった。。

 

 
お菓子はなんと7種!
上用まんじゅう、キミしぐれ、桜餅、うさぎ練り切り、菱形菓子、羊羹、メロン。
食事の後だし、量が多いので全部食べなくてもいいと言われたが、ペロッと食べてしまった私って。。。
どれも美味しかった。羊羹とメロン以外全て自作で、よく5種も手作りできるなと思った。
しかし山芋の入った上用饅頭は、大体7種菓子に入っており、しかも中心に置くものであるらしい。
 
師匠のお点前は写真撮ったけど、写真のシェアは禁止されているから載せないが、今お稽古していることの集大成を見ることができ、今はこの割稽古をやっているんだと認識できたし、主客をやることによって道具の扱いについて改めて学び、また他の参加者にも教えながらだったのでより覚えることができた。
一昨年スウェーデンの人と話しても思ったが、普通はこんなに体験させてくれることはないらしいが、私の師匠は、社中に色々経験させたいと思うひとで、茶事はもちろん、七事式や野点の企画もしてくれる。
野点は我が家の庭でだが。8月の中旬にやる予定である。
 
師匠は海外在住ながら割と順調に茶名を授与できたと思うのだが、わかるような気がする。
茶道の関わり方が深い。
まず道具を集めることがすでに敷居が高いのに、経済的な制約があっても集めているし、なんだったら自作もしている。
社中も多く付けてイベントも企画している。
すごい、、、私はそこまでできないと思うけど。
 
とにかくいい経験のできた1日だった。

ジゼル

王立劇場に「ジゼル」のバレエ観劇に行ってきた。
 
同伴した友達とは一緒に観に行くのは初めてだったが、ずっとジゼルを観たいと言ってて、私も時々チェックしていたけど、なかなかなく、半年くらい前に友達が見つけてくれてやっと行くことになったのだった。
 
王立劇場も久しぶり、と思っていたら、最後に行ったのは2023年のクリスマスのくるみ割り人形だったらしい。
くるみ割りは最近もいった感覚でいたけど、実は2年以上前だったという。。時間感覚がやばい。。
 

初めて、開演前のインストラクションに。

 
王立劇場には何度も言っているのに、説明を聞くのは初めて。
豪奢な天井を眺めながら、ジゼルのあらすじを聞きながら思い出す。
私にとってのジゼルの見ものといえば、ジゼルが亡くなってからの後半、精霊ウィリの波のように見えるアラベスクの群舞だが、友達は日本で観劇した時にそれに感激し、また観たいと思ったらしい。
 
そして開演。
 
 
後半の印象が強すぎて忘れていたのだが、むしろ結婚式のシーンがメイン。
パドトゥも夫婦になるカップルがメイン。
 
そして、身分を隠しているけど貴族のアルブレヒトはやたら細くて、森番のヒラリオンはマッチョであることが気になり、それが身分の違いを示す意図的な配役なのかな、、と思ったりした。昔見た時はそこまで違いを感じなかったような。

 

休憩を挟んで、楽しみにしていた後半。

一気に背景は暗くなり、墓地の厳かな雰囲気に一変する。

 

アルブレヒトに制裁を下そうとするミルタに赦しを請うジゼル
 
やっぱり、昇天したジゼルの踊りは美しかった。
 
朝に気がついたメッセージで、また「生」と「死」について生々しく感じていたところに、「ジゼル」はタイムリーで刺さる演目だった。

別れ

 

仕事が忙しい。。。

3つのプロジェクトがある上、なんだかんだ分析の仕事の手伝いも結構あったり、社長から分析のお願いをされたり。

そして、先々週と先週と、あるプロジェクトで完全に行き詰まっていたサンプル作りが、今週、これ以外はもう術がないという崖っぷちのアイデア(というか禁じ手に近い)が奇跡的に働き、やっとサンプル作りが成功したので、今日大学まで届けに行ってきた。

 

実は、今朝、14時間前に来ていた見慣れない人からのメールに気がつき、この大学で出会った友達の旦那さんであることを認識し、なんとそれが友達の訃報であることを知って、今日は仕事にもなかなか集中できなかったのだが、サンプルを届けに大学に来たときは、いつもよりもしんみりとした心情になったのだった。

 

彼女は、PhDとしてこの大学に来たのだが、なんと彼女の予算は自身の給料だけしかカバーされておらず、研究費0で研究しなければならないという酷な状況で、誰もがやりたがらなかった、検体採取のためにコムーネと交渉し、そのパスを形成したことによって自然とグループ内で研究のネタをふってもらえることになり、最終的には学術論文12報という見事な業績を残し、博士号を取得したのだった。

 

研究もバリバリだったが、遊びもバリバリで、演劇プロジェクトに参加し、衣装係と俳優両方の役をこなし、劇を見に行ったのだが、カルチャーギャップをテーマにしたコメディー劇でものすごく面白かった。

近くの競馬場でレディースデーは無料で入れ、しかも帽子コンテストで賞ももらえる、ということで、複数の友達が集まって、彼女の自宅で彼女のコーディネートで服と帽子を決めてもらい、みんなで参加したのは楽しい思い出である。

 

あと、工場見学に行きませんかと声をかけてもらい、行ってみたら私は運転係。笑

大型バンで7人のせてKalundborgまで行ったのもいい思い出。

その時に、たたら製鉄もテーマにしているという研究者の方に会い、話が盛り上がって後に私のいた大学の研究会でプレゼンもしてもらったこともあったり。

 

クリエイティブで、行動力があって、実行力があって、いつも楽しませてくれる、大好きな友達だった。

私よりも一回りほど年下なのに、この別れは早すぎて辛い。。

 

でも、私はクリスチャンなので、いつか天国で再会できることを信じたい。

ワーキングホリデー

ワーホリでデンマークに来た姪、我が家に一泊しただけでわたしが骨折した翌々日に、慌ただしくユランに行き、アパートに入居して住民登録をし、無事IDナンバー付きの保健カードをもらい、本格的な活動開始、、、と思いきや、早速デンマークの洗礼を受けているらしい。

 

すでに20件はCVを送っているにもかかわらず、ほとんどがなしのつぶてで、ワーホリ中に仕事が全く見つからないかもしれない、、という可能性を初めて認識したっぽい。

 

今、特に悪いタイミングで、COVID-19やウクライナの戦争でサバイブしたデンマークも、トランプが大統領になった以降、じわじわと景気の雲行きが怪しくなり、この度のイランの戦争で相当のダメージを受けている。今後はもっと悪く可能性も大きい。

同時に、AIの台頭による人員整理の風も吹き、大企業の大規模なレイオフも巻き起こっている。

 

とはいえ、時勢に関係なく、デンマークは日本に比べると常に仕事が見つかりにくい。

日本は、言っても条件さえ選ばなければ仕事はある。

わたしはバブル崩壊後に大学に入学したが、在学中アルバイトを得るのにそう困らなかったし、景気がガタ落ちした大学4年生のときもなんとかアルバイトにありつけ、学費を稼ぐことはまだ可能だった。

 

しかし、デンマークでは、わりとずっと好景気だったにもかかわらず、デンマーク人にとってもかなり非情である。

18歳未満でアルバイトを見つけても18歳で解雇になるのは普通だが、これまた18歳以降になると、時給が倍くらいになるので、とたんにアルバイトが見つかりにくくなるのである。

娘は高校卒業して、サバティカルでフルタイムで働こうとしたが、5か月間まったく見つからず、高校在学中に細々とやっていた家庭教師バイトを少しやり、やっと見つかったと思ったら、空港のポップアップのお店の仕事で1か月半しか働けず。運よく数週間後にパン屋のアルバイトを得てやっとサバティカル中の稼ぎ元を獲得したのだった。

 

今は大学で学生ジョブをやっているが、ずーっと企業のポジションにも応募していて、100人とか殺到し、面接によばれることはあってもなかなか採用にたどりつかない。

ちなみに、CVを見せてもらうと、社会人になったことがないのに、かなり立派に見える書き方で、相当鍛えられてきているのだな、と。それでも採用されないわけで。

 

対して姪の話を聞くと、中には小学校の理科の実験準備スタッフをやったりとか、アルバイトも多彩で、日本ではいろんなところで人手不足で、アルバイトを得るのに全然困ってないっぽい。

わたしが学生のときは、そこまで選べるような立場では全然なかったのに。

それどころか、まだ最終学年ではないのに、すでに新卒の内定ももらっていて、それでももっといいところで働きたいから就職活動は続けるという。本当に選べる立場なのだな、とつくづく。

 

働く意思があればすぐに働ける日本から、働きたくても仕事がなかなか見つからないデンマークに来たらそのギャップに驚くかもしれない。

 

とりあえず今週末、家族3人で姪に会いにいくので、いろいろと話したい。

骨密度検査

骨密度検査DXAを受けに総合病院に行ってきた。

最初は脊椎のスキャンをし、その後、骨折してない右足の尾てい骨と足の付け根のスキャンをした。

骨密度は部位によって異なるそうで、最も骨密度の低くなるリスクの高い三箇所を測定するという。

 

結果は1週間後、しかもかかりつけ医経由で、と聞いていたのに、家に帰ってすぐにアプリの通知が来た。

 

 

Tスコアは、

-1以上が正常、-1〜-2,5が骨密度低め、-2,5以下が骨粗鬆症だそうで、私は脊椎は正常、尾てい骨と足の付け根が骨密度低めという結果だった。特に骨折した部位に近い足の付け根が低かった。

特に体重の負荷がかかる大腿骨は閉経後に骨密度が下がるリスクが高いらしい。

 

年齢にしては低めだけど骨粗鬆症のレンジでもないので治療がどうなるか。経口薬の処方ですむか。

もちろん、運動と食事療法は継続だが。

 

*ちなみに、ついでに松葉杖もっていったら、置いて行っていいよとのこと。管理もされてなくて、借りっぱなしでも文句言われない感じ。邪魔だから、借りた病院違うのに引き取ってもらうことを期待してもっていったが。

 


 

今日はお稽古で、土曜日にある師匠の襲名披露茶会の主客の練習をしたが久しぶりに着物が着れて嬉しかった。

Skimo 3200+完走

完走の自信がない彼だったが、実際にはかなりいいペースで進んでいるようだったので、関門時刻19時でも15:30にはコテージを出て、ゴールまで散歩がてら歩いて行った。

 

 

Lofoten Svolværに来るのは5度目だけど、いつ来ても美しいと思う。

5月にも来る予定で、その時には左側に見えるテント山に登るつもり。

 

 

16:30頃ゴール近くに到着。

トラッキングを見ながら彼が来るのを待つ。

 

 

1時間後にやってきて、、、

 

 

17:30にゴールした。

28人参加者のうち23人完走し、彼は14位だった。

去年は1000m+の参加でしかも序盤で中止になってしまい、ほぼ初めての長距離山岳スキーレースの参加だったにもかかわらず、快挙の成績だったと思う。

 

ループするコースは雪はあったが、ほとんど悪天候で視界はなく、やっと最後のループで天気が良くなったが、さんざん耕されて雪はうねりまくってたそうだ。

でもスキーで登るのは楽しく、100milesのような多方面でのトラブル(胃の問題や眠気)はなく、最後のジョギングセクションも軽快な足取りだった。

 

去年は不完全燃焼だったので、今年はやっと山岳スキーができて何よりである。

Lofoten Skimo


 

山岳スキーレースが始まった。

100milesトレランレースに比べると参加者は少ないが、逆に強靭な人しかいない感じ。やっぱりこの競技をやる人って強い人ばかりなのだな、と。

 

9時に4000m+がスタートし、12時に1000m+がスタートしたので12時過ぎに昨日山スキーで登りかけたところを壺足で登ってみたのだった。

 

 

改めて、よくこんなところをスキーで登ろうとしたな、と。

それに、昨日20mアップで引き返して大正解。

さらに登っていくと、、、

 

 

実は雪の下が氷のところが多くあったり、沢が流れているところもあって、スキーどころか壺足でも登るのは怖かった。

山岳スキーの足あとを使ったり、岩に生えてる苔の上にのったり、安全にゆっくり登った。

 

なんとか絶景ポイントに到着。

 

しかしこれだけで怖く、また下山に時間がかかると思ったので、ほぼ休まずに下山した。

 

や、やっぱり怖いよー


真ん中にでかいアイスバーンが。。

 

私は絶対転んではならないのだ。

斜度はあっても雪が厚くついている左側の方が安全と思い、足のトレースをたどりながらゆっくり下山した。

 

そしたらなんと山岳スキーの参加者が!

えっ、まだ4時間も経ってないのに?

私が恐る恐る降りている横で、アイスバーンも気にせずに駆け降りているのを見て呆然、、、

ま、マジか、、、

(今チェックしたら、その人は4時間15分でゴールしたらしい。)

 

これから雪渓を降りる練習もしよう、、

というか、やっぱり雪山登山の練習もしようと思った。

 

 

たったこれだけでも怖かった。。

でも転ばずに無事に帰ってこられてよかった。

だけど雪山プチ練習になってよかったかも。スキーだけでなく壺足で雪渓の上り下りの練習をこれからもしよう。

 

 

彼は今3週目で、一応カットオフ前にゴールできる予定になっている。

しばらくしたら歩いて街のゴール地点に行くつもりだが、完走出来ることを祈っている。

下見とブリーフィング

明日の山岳スキーレースのスタート地点がキャンプ場の近くに変更されたので、とりあえず徒歩でコースの下見に行ったのだが、、、

 

 

ゆ、雪がない、、、グラベルの脇にあることはあるが、難儀な感じ、、

グラベル道から山道への取り付けの少し手前に車をとめるスペースがあったので、そこまで車で行くことに。

 

 

車をとめてスキーで入ってみるが、、、雪の層が薄くて凹凸大きく嫌な予感、、、

 

 

山道ってこれ??うげーー

ただでさえまぁまぁな斜度なのに、岩が出てるし、所々雪が途切れているところあるし、これをスキーで登るの?

で、滑走もここなんだよね?ありえん、、

 

騙し騙し登ったが、斜度のキツイところで立ち往生。

彼は一人で先に行き、私はシートラで壺足で登ろうとスキー板を外してバックパックにつけていたら、彼が滑り降りてきて、これ以上登っても下りが滑走できそうもないと言う。こんな感じが続くならそもそも滑走する気はなかったが。

スキーを運んでまで登る意味はないと悟り、そのまま壺足で引き返すことに。

まぁスキーブーツで雪山を下山する練習にはなったかもしれない。アイゼンなしだし、ちょっとしたコツはいる。

 

獲得標高20m。ぶっ。

 

 

湖の向こう側のスキー場はゆきがありそうだったのでそちらに行こうとすると、道路は通行止め。

多分、グラベルだし、雪がなくなると道が痛むために車の通行を禁止するのかもしれない。

スキーを担いでスキーブーツで1km以上グラベルを歩くのもかったるく断念。

 

なので、去年3度も行ったところに見にいくと、、、

 

やっぱり雪が少ない。沢も多くて、ルートを取るのに難儀する感じ。

何より大雨が降ってて、スキーのやる気は皆無だった。

 

なので私は山スキーを諦め、彼だけ一人でコースをまた下見に行ったのだった。

すると主催者に会い、私たちが登ったところは壺足セクションに変更されたという。

 

夜のブリーフィングで。

 

黄色は壺足セクションなのだが、私が引き返したのは青矢印のあたり。

雪がなさすぎて、もっと標高の高いところで4回ループするコースに変更したそうである。

オリジナルはループのないコースだったのが、この狭い範囲での3度ループのコースに変更され、さらに1ループが短くなって4度ループに変更。

4000m獲得標高が3200mになったので制限時間も2時間短縮。彼はカットオフに間に合わないのではと戦々恐々としている。

 

今日登った先の湖のほとりは景色がいいそうで、明日、スキーの取り付けポイントまで登山靴で登ってみようと思っている。雪山登山の練習もしたかったし、それはそれでいいか。

 

彼にとって実質初めての山岳スキーレース。

ドキドキしている。