大学でランチ
あんなに腹たった家の違法建築騒動だが、弁護士に勧められた、グリーンハウスと物置の撤去は、この状況でちょうど良かったかもしれない。
無職なので、やることがないと、いくらでも怠けてしまう。。。
昨日は、ブログを書いたあと、グリーンハウス撤去の作業に取り掛かり、これが結構ハマってしまい、約束の時間まで没頭してしまった。
約束とは、工科大学でテニュアとして働いていらっしゃる日本人研究者の方と、大学でランチをすることになっていたのだった。
その方とはほとんど面識がなく、一昨年の秋に日本人研究者の交流会で初めてお会いしたのだが、次回の交流会でパネルディスカッションのパネラーとして参加して欲しいとオファーされ、私が長くやってきた産学連携のテーマで快く引き受けたものの、その直後に解雇されてしまい、その旨伝えなくてはと心の片隅に思いながら、正直職探しや家のトラブルのストレスでそれどころではなく失念していたら、その方からメールを送ることができないとラインでメッセージが来て、こちらからランチしませんかと誘ったのだった。
1対1でお話しするのは初めてだったが、その方も登山やキャンプが好きなアウトドア派らしく、仕事の話も含め、話するのがとても楽しかった。
なんでも、デンマークに来てからは長いものの、紆余曲折を経て、大学に就職したのは6年くらい前で、その時には私の会社は大学の建物からキャンパスの端にあるサイエンスパークに引越し、さらにその2年後キャンパス外に引っ越したこともあり、微妙に重なってない。
とはいえ、そもそも誰かの紹介なしで大学の日本人スタッフと知り合うことはないので、もう10年以上大学で日本人に会ってなかったのだが。その方も、補習校を通じて、他の日本人大学職員と知り合い、大学の日本人ネットワークを持つようになったようだが。
暇なので、と、日本人研究者の交流会の幹事グループに参加させてもらうことに。
また、食堂の外で、来月にディフェンスを控えている日本人PhDの学生に会い、声をかけてくれたので、ディフェンスにも行ってみようかな、と。去年ノーベル賞を受賞した、金属有機構造体のテーマらしい。
私は直接関係してないけど、大学の研究室で、これに似たテーマをやってたグループもあったので、全く遠からずというわけでもなく。
島根にいた時に、少しでもアカデミアの空気を吸いたいと躍起になってた頃を思い出す。
研究者に向いているわけではないけど、研究に戻りたいと思う。
初めての家族来デン
案の定、、、
年々時差ボケがひどくなってきている上、無職なので、昨日移動疲れで夕方から横になってたらそのまま何も食べないで寝てしまい、1時半にバッチリ目が覚めてしまい、それから義妹とラインでやり取り、、、
今姪がデンマークにワーホリで滞在しているので、8月に姪が日本に帰る直前のタイミングで、義妹が子供二人同伴でデンマークに来ることを希望し、それに父も便乗することになったという。
父は、パック旅行以外の海外旅行の経験がないうえ、かなりヘタレでやったことのないことをやってみる気概がなく、しかも母は来る気はなかったので、私がデンマークに来て23年間、一人でデンマークに来る勇気がないためにずっと来ることはなかった。
それが義妹たちが行くとなって一緒になら、と腰が上がったのと、もう78歳の父、流石にラストチャンスと思ったからだろう。
しかし、ホルムズ海峡閉鎖に伴う燃料費の高騰と、イランの中東への攻撃で、安全が保証される航路がさらに限られるようになったため、航空券がバカ高い。
久しぶりに航空券サーチのプラットフォームをチェックしたら、安い上位はカタール航空のみ、、、次に安いのが乗り継ぎの悪い中華航空で、それでも3000krも高い。3月にイランが中東のアメリカ基地を攻撃して飛行機が飛べなくなり、旅行者がスタックし大パニックになったので、避ける人が多く、カタール便が安くなっているのだろう。
最初は、八王子と成田/羽田空港間のロギスティックも気にして時間を選ぼうとしていた義妹だが、そんなのはどうでもなるので、とりあえず度外視して、安全と値段だけで選んでとお願いしたら、安くはないが、北京乗り継ぎの中華航空が候補になった。
ただ、行きの乗り継ぎで15時間もあり、義妹らはともかく、父は辛いだろうから、父だけやはり直行便か、いやそれはやはり敷居が高いので、北京空港でホテル泊してみては、ということで探したら、4人でも2万弱で泊まれるホテルが出てきたので、4人でホテル泊する、ということに落ち着きそうである。
滞在先は、姪も合流して5人で泊まれるところを姪が探していて、コペンハーゲン近郊のAirBnBでアパート滞在ということになりそう。あまりいい地域ではなく安い方だけど安くはないので、我が家に泊まって欲しかったけど、、、流石に5人は多い。
こんな時勢になって初めての来デン、でもやっと父にデンマークを案内できそうで何よりである。
帰国と課題
ああ、、、、デンマークに戻ってきてしまった。
彼と遠距離だった時以外は、デンマークに戻ることが重荷になることなんてなかったのに、今回だけは戻るのが嫌で嫌で仕方がなかった。
職探しもそうだけど、それ以上に苦痛なのは、家の問題である。
まさに日本の滞在中に起きた問題の二つのうちの一つで、挙げ句には胃腸炎にもなってしまったという。。。
てっきり解決したと思いきや、それは私の勘違いだったことも判明し、戻って早々に対応しなければならないことも認識した。
ちなみに、もう一つのストレスの原因だったことは、解雇になった会社から6月まで約束されていた給料が本当に支払われるか否か、であった。
その会社では、最終木曜日が給料日だったのだが、よりによって4月は給料日が4月30日で、しかもいつもは数日前に給料明細書が電子郵便で来るのに、今回は全く来なく、デンマーク時間で4月30日になった瞬間に銀行口座をチェックしても入金されてなく、ああ〜やっぱり未払いか、、、と落胆したのだった。
一応契約書はもらったけど、よりによって組合にも入ってないから、いざ訴えたくても術はわからず。
そしたら、入金はされてないが給料明細書は送られてきたので、半分安堵し、8時間後に入金も確認し、やっとホッとしたのだった。まだ失業保険にもコンタクトしてないし、収入0になることも覚悟したので、本当にホッとした。
家に関しては、2週間前、盛岡に移動してすぐの頃、なんとコムーネから違法建築で警察に通報したという連絡が来たのである。
すぐさま弁護士に転送したら、弁護士も、コムーネの訪問のフィードバックなしに警告もなくいきなり警察に通報したことにショックを受けたとして、すぐにコムーネにコンタクトしてくれる、とのことだった。
そしたら金曜日に弁護士からメールが来て、我が家訪問のレポートを入手し、それによるとセカンドハウスの許容面積が50m2のところを59m2と9m2分超過しているので、グリーンハウスと物置小屋を壊せば合法の範囲に収まるはずだとあり、今すぐ着手するべきかと聞くと、取り壊してもコムーネが警察への通報を取り下げるかどうかはわからないが、そうするべきだと。
取り下げられなくても実際に警察から連絡が来るまで時間がかかるので、それまでに50m2以下にしておいた方が、多分、起訴される可能性を小さくするからだろうと思われる。いずれにしても、警察から連絡があったら、すぐに弁護士に知らせて欲しいとのこと。
というわけで、明日から早速グリーンハウスと物置小屋取り壊しの作業に着手する。
職探しは、3週間前に5件アプライして、1件お祈りメール、残りは返事がなく、早速苦戦しそうな感じ。
ちなみに、大学でお世話になっている准教授からのプロジェクト参加オファーも結局は経済的事情でなくなった。
今日ある人からメッセージがあったので、もしプロジェクトがあればよろしく、という返事を書き、明日はある人に会うので、ボランティアでお手伝いするオファーをすることを考えている。
あとプロジェクトリーダーにメールを書き、元同僚にコンタクトすることも考えている。
まぁ、53歳外国人、、、苦戦するよね、しかもこの時勢に。
だからこそ、家のことは本当にストレスで。
なぜなら、このまま仕事が見つからず現金を得るために家を売りたくても、違法建築問題が解決しないことには売れないからである。
私の予定としては、これから、エンジニア職に関係なく、できる限り選ばずに仕事を得ることを目指すけれど、もし今の給料よりも大幅に収入を減らすようであれば、長くても5年くらいで家を手放すことを考え、もし失業手当金が支給される2年が経っても全く仕事が見つからないようであれば、すぐに家を売り始め、売り次第、経済的状況を見ながら、最悪日本に引き上げることも視野に入れる、と考えている。
実家も、てっきり弟夫妻が引き継ぐと思ってたら、八王子に住むことに興味はないらしく、私が引き継いでもいいかも、、という気持ちも芽生えたり。
もちろん、先のことは全然わからないけど。
でも、日本にいる間、将来のあらゆるオプションについて色々考えてしまった。
というか、こんなにデンマークのことが嫌になったのは初めてかもしれない。
社長が、自分の弟を雇うために私を切ったこともショックだったけど、それ以上に、私たちの過失は全くないのに、警察に通報されたことがあまりにも理不尽で嫌になった。
弁護士も使って正規の手順で家を購入し、コムーネに初めて違法建築であることを認識させられ、すぐに弁護士とプロの建築士を雇って、プロフェッショナルなレポートを提出し、コムーネの訪問もアレンジし、100万円以上のお金もかけて極めて正しく対応してきたのに、警察に通報、、はぁ??である。
そりゃ、あと10年はデンマークにいるよう頑張るけどさ、、、
頑張れないかもしれない。
上野で家族集合
昨日は上野で家族と会ってきた。
韻松亭でランチし、、、
ぼたんの鑑賞をし、、、
旧岩崎邸へ。
小岩井農場に行ったばかりでなんという奇遇。
岩崎久彌は多角化を図り、社長ながら農牧に力を注ぎ、戦後財産を接収されてからは、晩年は千葉の農場で隠居生活を送ったという。
しかも、洋館は明治になって建設されたが、もとは越後高田藩の榊原家の藩邸だったという。洋館からいきなり日本家屋にアクセスした時は混乱したが。
半年前に上越高田に行ったばかりなのでこれまた奇遇。
上野で会ったのは彼の実家からアクセスしやすかったからで、食後の行き先をアレンジしたのも義妹である。
八王子に住む両親には遠方になって申し訳ないが、東京だったら上野が一番いいと思う。
去年いっぱいで仕事を辞め、引きこもりがちになった母が、出かけるのが億劫になったのか今回来なかったので、次回は八王子で集まってもいいかなとも思うが。
まぁ両親も70代後半だし、弟夫妻も子離れしてきているし、集まることも難しくなるか、、
ちなみに、認知症がらみのスタートアップの会社に働くようになって10年たった義妹、事務採用ながらプロジェクトにも関わり、ワークショップにも参加して勉強もしているようで、その話を聞くのが興味深かった。
なんでも北欧は日本に比べて認知症になる率が低いという。子供に頼らないのもひとつの理由だろうが、基本的に北欧は日本に比べてサービスが乏しく、自力で解決を求められる社会だから、と言えるのではないだろうか。
また義妹いわく、言語を耳から認識し理解することが、目から認識するよりも、ずっとプロセスが長いため認知力を高めることに働くらしく、デンマークは特に口でのコミュニケーションが盛んで、口頭試験が小学校からあるし、同僚とのランチはマスト、パーティーは長時間ひたすら喋るだけだし、デンマークの社交文化が認知症を妨げやすくしているのかもしれない。
そういえば、デンマーク人の小学校教員の知り合いになぜデンマークで口頭試験が多いのか聞いたら、筆記よりも口でのやり取りのほうが理解度を正確に評価出来るから、と聞いたことがある。
姪がいるデンマークに来ることに興味ある義妹、やっぱり遊びに来て欲しいなと思う。
岩手
ついに11日間の岩手滞在を終えて東京に移動する。
昨日、スキーのあとにスキーギアを宅急便で送り、、
そのあとイオンモールのガソリンスタンドで、山スキーで車内を泥だらけにしてしまったレンタカーの掃除をし、
夜はコインランドリーで汗だらけのスキーアンダーウェアを洗濯した。
そして今日は、私が胃腸炎になってしまい、なんとかパッキングし、アスピリンを飲んでゆっくり休んだら具合がマシになったので、彼とレンタカーを返却しにいき、3km弱歩いて戻ってきた。
彼の症状とそっくりなので、彼から感染したのだろうがこんなの初めて。おそらく二つの件でストレスになってたからだと思う。一昨日の晩から昨日の朝にかけてあまり眠れなかったし。追々これについて書こうと思うが、幸いいずれも解決した。
今回は山スキーメインということでこういう日程にしたがとても良かった。メンタルが最低調で、山にいくことでなんとか癒されたこともあり。
また、山スキー以外で岩手がらみで知ることもあった。
一昨日、夕方盛岡を散策し、新渡戸稲造ゆかりの地に行ったが、5000円札の人という認識しかなく、そもそもなぜお札に採用されたの?という疑問が生まれ。
なんでも、国際連盟の事務次長まで務められた方で、フィンランドとスウェーデン間のオーランド諸島領土紛争で仲介役として解決に貢献されたという。マジか。。。
しかし皮肉なことに、新渡戸稲造が逝去された同年に日本は国際連盟を脱退し、戦争の道に進んでいくのだが。
35年前に花巻の宮沢賢治博物館に行ったくせに、これまたよく知っておらず。
裕福な家出身だが、早逝で作品のほとんどが未発表で、原稿料をもらったことはほぼなく、死後に発掘されて刊行されたという。。。
小岩井農場を愛し、長編の詩を残している。
今新幹線の中でグロッキーになってるけど、いい旅行だった。
板仕舞い
彼が月曜日に胃腸炎をおこし、一昨日と昨日は調子が悪くてスキーができなかったが、今日やっと胃腸が落ち着いてきたというので、最後の山スキーをやろうと八幡平に行ってきた。
ずっとやってみたかったアイゼンを使っての壺足登坂をやってみた。
急登だし、両サイド崖のように切り立ってて怖いと思ったが、アイゼンのグリップ力は安心だし意外に大丈夫だった。
むしろ急登の前に踏み抜いて片足股から雪に埋もれて引き抜く方が大変だった。Galdhøpiggenの残雪登山でも雪を踏み抜きまくって体力奪われたっけ。。
写真を撮ってくださった方は盛岡近郊にお住まいで、首の骨を骨折して寝たきりになって、仕事から引退され、今はリハビリがてら、ご夫妻でいろんな山に行きまくっているらしい。岩手に住んでいると常にやることがあって忙しいそうだ。
羨ましい。。。
この後、彼がシールを乾かしたいというので頻繁に使っていた私たちの基地に行くべく、私は滑ったことのない急な斜面を滑走することに。
雪が抵抗ありすぎて滑走はたいしたことがなかったが、休憩してから、戻るにはこの滑走した斜面を登り返すとトラバースの必要性もなくなって楽かも、という発想になり、スキーで登ってみることにしたのだった。
春雪なのでシールのグリップはよくきいてくれたが、油断すると滑るので急登を登るのは怖かった。
なので、板を進めるときに上に浮かせてしまう癖を改め、板は雪面に接したまま進めて摩擦による抵抗を高め、なおかつ一歩ごとに踵を押してシールのグリップを確かにし、決して前屈みにならないよう姿勢は垂直にし、ポールを踵の後方に刺して支えるようにと、かなり慎重にゆっくり登坂していったのだった。
気持ちを冷静に保つようにしたが、それでもキックターンを避けられない局面になったときは焦った。
八の字になるよう左右板を広げ、ポールで二点支えながら、なんとか方向転換した。
仙台で後輩と再会
昨日の夜、彼同伴で、私の高校と大学の後輩に会いに仙台に行ってきた。
新幹線で盛岡から仙台まで40分、それなりにお金はかかるけど、気軽に行けるところだった。
むしろ後輩に会うためだけに往復し、観光をまったくしないことに驚かれたが。
わたしも彼も仙台にはそれなりに訪れたことがあり、そこまでの食指が動かず、、、
しかし、実は311の震災のとき、彼は仙台で被災しているので、仙台は思い出の場所な上、後輩の会社があるビルで避難生活を送ったことが判明、初対面にも関わらず、話が盛り上がり楽しい時間だった。
なんと後輩のオフィスビルは3日間オフグリッドでも自家発電と水供給されるという素晴らしいビルで、避難場所としてベストなところだったらしい。
ちなみに後輩は単身赴任で東京以西に住んでいたので、仙台で住んでいた妻子をピックアップして、勤務地でしばらく一緒に暮らしたという。
そのときに、後輩とは高校と大学で仲良くしていたのに、同年に私が大学院卒業、後輩が学部を卒業してすぐに仙台で就職し、たまにメールでやり取りしていたけど、私もすぐ結婚で東京から引っ越したし、卒業後はほとんど会ったことはなく、一度大学の自転車部のOB会で会ったのみで、実は互いの状況をあまり把握してなかったことに気づいた。
それだけに、私でもいろいろと知らなかったことも多く新鮮で楽しかった。
後輩は卒業してからもずっと自転車を続けていて、ギアやスポーツサイエンスの発展もよくわかっているが、大学の時から自転車が速かったけど、自分が自転車に合った体質であることを早くから認識していたっぽい。
30年以上前に、大学の施設で、最大酸素摂取量(VO2 max)を測定し、プロのサッカー選手並みという結果が出たそうだ。
乗鞍のヒルクライムレース(20,5km、標高差1260m)で3000人もの参加者のうち20番代に入るほど速かったことも。
ただ、毎年その2週間前まで自転車部の合宿があって、レース向けのトレーニングが直前にできなかったことが問題だったという。
私はヒルクライムは得意だったけど、レースより、ツーリングの方が好きで、プライベートで山陰、北陸、山陽、九州をツーリングで行くことはあっても、一人でヒルクライムに行くことは滅多になく、当時はその話を聞いても興味がなかったかもしれない。
今はツールドフランスも好きだし、彼がスポーツテクの会社にいるし、ウルトラのレースに出るし、ガーミンを使うようになったし、そういう話が興味深いと思えるようになった。
まぁ今も学生のときの嗜好に変わりはなく、レースより自然を楽しみたいと思うほうだけど、体力と筋力が求められることは多く、せっかくヒルクライムが強かったのに、大学4年で研究に嵌り運動をパッタリ辞めてしまったのは勿体なかったなーと思う。
47歳でフェロー諸島でのハイクで初めて筋力不足を自覚するという遅い気づきだった。
まぁ仕事の他にワンオペ育児とデンマーク語習得に忙殺されていたせいと言い訳したり、、、大学で茶道部でずっと興味あったけど、10年前にやっと茶道を再開できたのもしかり。
でも、インフラの会社でバリバリ働く後輩は眩しかったことも事実。
このエネルギー情勢で、気になってた日本の電力事情を聞けたのも面白かった。
さすが製造業の国だけあって思っていたより全然robustな感じ、でも生成AIによるエネルギー消費は莫大であると。やっぱり、、、
全国規模の大企業で仙台に赴任したのは後輩自身の希望によるもので、学生のときに全国を旅して、東北がもっとも住みやすいと判断し、東北で一番大きい都市として仙台を選択したという。
本当にその通りだな、、と。わたしも自転車部の合宿で、北海道、東北、信州、四国、九州のうち、東北合宿が1番楽しかったし、岩手が気に入って、デンマーク在住なのに何度も来ている。
実は後輩も、八幡平のアスピーテラインは何度も行ったことがあるそうだ。
素晴らしい景観なのに人が少なく素朴な感じが本当に魅力。
話は尽きず、あっという間の2時間半だった。
小岩井農場
休んでいた彼だったが、やはり行きたいということで昼前にホテルを出て、小岩井農場のゲストパーク、まきば園に行ってきた。
ソフトクリームを食べることが目的だったが、農場の成り立ちも興味深い。
鉄道事業で自然を犠牲にする償いとして、3人が始めた酪農プロジェクトだったが、岩手山の麓で、気候の厳しさと土壌がやせてるのと水捌けの悪さで全然うまくいかず、始まって7年後に引き継いだ岩崎久彌がいろんな分野の文献を読んで勉強した末にさまざまな問題を改良したことによってビジネスが回りだしたそうである。
主に、
- 外国から専門家を招聘
- スイスとイギリスとオランダから牛を輸入し、適した牛種を選定、のちにオランダのホルスタインに絞り込み
- 防風林のための植林
- 水捌け向上のために地下に水路をつくる
- 土壌改良のために石灰をまぜて酸性土壌を中和
などを導入したらしい。
試行錯誤はずっと続いたらしいが。
昔の冷蔵庫。土中だと年間通して10度くらいに保てるらしい。
電気代節約のために再開してもいいのでは、とも思ったり。。
創業者の一人、井上勝は酪農事業としてはあまり貢献しなかったが、やはり若いときから勉強家でイギリスに留学して鉄道について学び、日本の鉄道導入に多大な貢献し、鉄道の父と言われているし、自分について考えさせられた。
1年前、新しいプロジェクトに心躍らせていたこと、でも結果として力が及ばなかったこと、でもやっぱりそういう仕事をしたいこと、などなど。。
わたしのエンジニア気質に刺激を与えるいいところだった。
山スキーの歩み
昨日、天気がよくなかったので、高低差100mほどの、まったりスキー雪原散策をしたが、山小屋に着くなり彼が倒れこむという事態に陥った。
長めに休んで、騙し騙し車に戻り、ちょっと横になってから近くの休憩所で戻したらいくらか気分はよくなって、盛岡まで移動し、ホテルにチェックインしたらバタンキューで熱も出てきたのだった。
おそらく、金曜日から三泊、二つの温泉宿に宿泊し、朝晩の大量の食事と、毎日のように日本酒を飲んでいたのが胃に負担をかけたのだろう。しかも私はあまり飲めなかったので、彼がほとんど飲んでおり。
朝お通じはなく、消化できてないのに、スキーでエネルギーを求められ、貧血を起こしたと思われる。
ジュースが欲しいというのでコンビニでミカンジュースを買って飲んでもらったらまた戻してしまい、慌てて調べたら柑橘類と冷たい飲み物は禁忌だと知り、スーパーに行って電解質の粉を買い、お湯を沸かして温かい電解質ドリンクを飲んでもらったらようやく落ち着いた。そのあとヤクルトも飲んだ。
今朝も熱はあったので、電解質とアセトアミノフェンを飲み、落ち着いたのでホテルの朝食バイキングに行き、ヨーグルトと卵とお茶漬けを食べ、胃が動くようになったが、今も横になってる。
私も7日連続の山スキーで疲れていたし、夕方は遠出するし、それまで休むのもちょうどいい。
山なし国にいると、気軽に山にアクセスできず、たまの機会でインテンシブになってしまうのが難。
でも、今回岩手に長逗留できて、やっと八幡平の地形を把握できるようになったのと、山スキーで課題になってたことに取り組めたことがよかったと思う。それは、
- 斜度があり、なおかつターンできない狭いところでの滑降
- スティープな斜面でのトラバース
やっぱり山スキーの難しいところは、広くて平らなゲレンデと違って、自然な地形での移動になるので、でこぼこしてて斜度があって狭いところを滑らなければならない局面が多く、斜滑降とトラバースを避けて移動することはほぼ不可能で、恐怖心との戦いというメンタルの強さも求められるだけ、なかなか克服できない課題でもあった。
特に今回はうねりも多く、幅が狭くなってて、登りはともかく下りは斜滑降しまくりだった。
斜度のあるところでのトラバースは下に滑り落ちるのが怖くてなかなかできず、一昨日は勢いで滑って転んでしまったが、彼に借りてるセルフアレスト用ピックを装着したポールを雪に刺して立ち上がる練習をし、対処できることを体感して克服できるようにした。
2019年に彼がデンマークに移住し、すぐに山スキーギアを買ったものの、コロナ禍に突入し、しばらく山スキーができず、2023年にやっと本格的に始め、翌シーズンはさらにインテンシブにやるようになったが、去年は少雪であまりできず、今シーズン再び、、で、ゆっくりながら課題をひとつずつこなしている。
それだけにホルムズ海峡閉鎖で燃料費の高騰は、ノルウェーと日本でスキーをする私たちにとっては痛手である。山スキーそのものはサステンナブルであっても。
山の近くで住みたい。。。
雪山のリスク
山スキー三昧の日々を送っている。
しかし今年は暖かい上、樹海ラインが地滑りで2年以上閉鎖されたままのため、遊べるところが限られるのが悩ましいところ。
昨日は、彼が初心者のときにお世話になったガイドさんのご自宅にお伺いさせてもらった。
先月、その方のご主人が雪崩れに巻き込まれて亡くなり、ご焼香させてくださいとお願いしたのである。
なのにその方のお話が楽しすぎてあっという間の2時間だった。
ご主人は地元の方でバリバリのテレマーカー。
72歳なのにエアロバイクで10kgも減量して、体が軽くなった分さらにスピードアップして山スキーをより楽しんでいたらしい。
今年は、雪が少ないわけではなかったが、降雪の頻度は少ないうえ、気温が高めで、たまにドカ雪が降る、という感じだったという。
ご主人が遭難されたのも、久しぶりに降雪があった翌日で、天気はまぁまぁだった朝に山スキーに行かれたそうである。
奥様は用事があって同伴せず、ビーコンを忘れていったことに嫌な予感を感じ、1時間くらいたったころ、LINEと電話でコンタクトを試みたが連絡がつかず、3時間たったころに探しに行き、友達と4人で探したが見つからず、夕方に警察に通報したという。
翌日はもっと大人数で捜索したが見つからず、夜にスマホの位置情報を検索して場所を特定し、翌朝発見に至ったそうである。
どうも、登坂しているときに、横の崖から突然落ちてきた雪に巻き込まれてしまったらしい。
熟練の方でも遭難する。
雪山にはリスクがあり、それを承知の上でのアクティビティということなのだろう。
奥様は雪崩について勉強熱心で雪氷学会にも入っているし、講習会もひらいて雪崩遭難リスクを低減させる活動もされている。
でもご主人の死に対して、どこか受容しているように見えた。死ぬ間際までスキーと仕事をしてたし、そういう人生もあるのかね、と。
ちなみに、源太ヶ岳で雪崩リスクがないと谷底を登坂したのも大間違いで、春は春で全層雪崩というリスクがあるため、禁忌行動だったのである。
それにしても奥様の山の面白い話を聞いていると羨ましいというか、ホルムズ海峡で今後ますますロギスティックが難しくなってデンマークから山にアクセスしにくくなると思うと考えちゃうというか。
山遊びするのに、化石燃料を消費しまくることに罪悪感があるというか。
今まで考えたこともなかったけど、日本に帰ってくるオプションもチラッと頭をかすめるようになった。
弁護士も驚くほど家のトラブルも深刻になってて、結果家を手放し、山にも行けないとなったら、無職だし、デンマークにいる意味を考えさせられるというか。
とりあえず雪氷学会に入会しようかな、、とも思ったり。























