いまのしゅんかん -11ページ目

失業中のアクティビティ

イースター直前に解雇されたので、連休後の今週が本格的に失業期間に入った感はあるものの、職探しはそれほど積極的にしてなく、連休前に保存していた17件の募集のうち、もっとも可能性のありそうな一件だけに絞ってカバーレターを書いている。
可能性があるというのは、一番私の経験が活かせそうで、なおかつ通勤可能な距離にあるという意味であって、残念ながらエンジニアポジションではないので給料はあまり期待できないけど、それほど妥協しないとアプライもできないという。。。
カバーレターは生成AIが助けてくれるのでだいぶ楽にはなったけど、それだけに今は逆に重視もされないだろうな、とも。
 
昨日は、朝から娘と一緒にジムに行き、腹筋と背筋と腕の筋肉を鍛えるトレーニングを教えてもらい、いずれもかなり弱くて、ジムに入会しようかなーと興味が。。。ちなみに今も絶賛、筋肉痛中。
ただ仕事を再開できたら通うのが億劫になるだろうし迷う。。。
逆に、失業期間が長引くようであれば、どこか通う場所があるというのは気持ち的にいいよな、という気も。。 
 
現に、昼前に家に帰ってきて、料理と食べる以外、何も生産的なことをせず、ダラダラと過ごし、ものすごく自己嫌悪に陥った。
むしろフルタイムで働いている彼が、家に帰ってからぼちぼち始まった庭仕事をやっていてますます落ち込む。
 
夕方からお茶のお稽古へ。
 
 
解雇されて落ち込んでいるであろう私を慮ってくださり、今回は奥伝ではなく、台天目とのいい比較になるだろうと貴人点のお稽古を提案してくださり、久しぶりに薄茶のお稽古に戸惑いつつも、原点に戻り、いい具合に集中できてとても良かった。
 
5月には野点をすることを考えていて、私が茶箱の花点前を披露しては、と言われ、道具を借りてきたので、家で練習することにした。やっとオランジェリーも暖かくなってきたので、畳を出してお茶をやりたいと思っていたのである。
冬の間ロフトで乾かしていた洗濯物も、オランジェリーに移動しているが。
 
今日は、友達と一緒にコペンヒルの坂練へ。

 

 
私は骨折後初めての坂練で、友達もコペンハーゲンマラソン参加のための長距離トレーニングを控えているとのことだったので、ゆっくりおしゃべりしながらだったが、腰が痛くなってきて4周でギブアップ。
幸い足の痛みは全然ないけど、やっぱり体幹が弱くなってる。。
 
 
ドイツ在住のクリスチャン友達が長いメッセージを送ってくれた。
この3ヶ月間という短い期間に、「家の違法建築通知」「骨折からの骨粗鬆症」「解雇」と続いたが、それはそれぞれ「理想としていた一軒家」「健康」「やりがいのある仕事」という、私が無意識に享受してきた「ギフト」に対する意識を促すきっかけになったのでは、という内容だった。
 
確かに、私は、それらを有することを当然としていて、傲慢だったかもしれない。
 
もっと言えば、この度のイランの戦争でも、いかに化石燃料に依存しているかを痛感している。
トランプを恨みながら同時に、今後は否応なしに化石燃料の消費を控える方向にいかなければ、と思っている。ちなみに、もし、アプライしようとしているポジションで就職できるとしたら、一応自宅から徒歩で通勤可能な職場である。
 
ゆっくり考える期間にしよう。。

コムーネの違法建築チェック訪問

今日、コムーネから我が家の違法建築チェックに二人派遣されてきた。

そのため、もちろん有償で、弁護士と建築エキスパートにも来てもらった。

 

私たちは初見だったのだが、彼らはかなり立派なレポートをコムーネに送ってくれていたので、わざわざチェックしに来ることに驚いたそうだ。

 

コムーネの指摘するポイントは主に二つで、

 

- 地下室が実は住居スペースとして用いられているのではないか

- セカンドハウススペースが規定面積を上回っている

 

であり、エキスパートは、

- 地下室が住居として用いられているのは事実でない上、実際に断熱が不十分なため湿度も高く、住むには不適切な場所である

- セカンドハウススペースの面積を測定したところ、実際には登録されている面積よりも小さく、規定よりもたった1m2しか上回っていないし、その1m2も承認されなければ、物置を潰して規定面積内に収めることも十分可能である

 

という主旨でクレームを書いてくれたのである。

 

とはいえ、イースターの直前に、地下室からはベッドを撤去し、いかにも物置スペースに見えるように変えたが。

まぁこの写真を見ると、内装がそれなりに綺麗で、住居スペースに見えてしまうのはあるかもしれない。

 

コムーネからの派遣者二人は、まず地下室の写真を撮り、その後、外に出て、セカンドハウス(グリーンハウス、物置、ワークショップ、ガレージ、カーポート、オランジェリー)の面積を測定した。

 

建築エキスパートは、グリーンハウスはセカンドハウスの定義には入らないとしてレポートに書かなかったが、その派遣者曰く、グリーンハウスもセカンドハウスだと主張。グリーンハウスも家の所有者がコムーネに通知する義務があるとキッパリ。

弁護士も首を傾げていたが、そのグリーンハウスは、敷地の隣にある学童保育からしょっちゅうボールなどが飛んで来てガラスが割れまくり無断な姿になっていたので、いずれにしても取り壊すつもりだったし、そうせざるを得なくなっても私たちは容易に受け入れると言ったが。

 

測定後、派遣者は帰っていったが、おそらく、そこまで深刻なケースにはならないだろうというのが弁護士の見立てである。

ただ、エアロバイクを置いてしまっているとはいえ、よくありがちな地下室を、今後コムーネ内で本当に住居スペースではないのか否かを審査し直すだとか、明らかな違法とは言えないケースにそこまでじっくり審査するのが不思議だと。

この程度で違法建築の通知をしてくるのであれば、ほとんどの家で再審査が必要になるのでは、という。

そのために50000krは下らないであろう、弁護士と建築エキスパート代の支払いも控えているわけで。失業中の身にはキツイが、違法建築によって罰させる方が嫌なので仕方がない。

 

これでこの件が解決されるのを祈るばかりである。

春スキーで〆


 

イースター最終日。

惜しみつつ常宿を去る。

今回はなんとデンマーク女王も泊まったという部屋を用意してくれ、天候に翻弄されつつ、なんだかんだ毎日山スキーができて満足。

 

オスロへ移動し、、、

 

 

年間パスをもってるスキー場に駆け込みでスキーしに。

17時終了なのに15時前に到着し、急いで着替えてゲレンデへ。

 

なんと10度超えでものすごく暑かった。

ゲレンデ用のスキーウェアは持ってきてなく山スキー用のウェアだったがちょうどよかった。

 

あと雪が湿ってていかにも春雪で、楽しかった。

わたしのウロコ板だと抵抗がありすぎて緩斜面で滑らなくなるという欠点はあったが、逆に斜度があるところでもコントロールがききやすく、気持ちよく滑ることができた。

 

 

たった2時間でも結構スキーできて満足。

ゲレンデスキーは今シーズン最後になるはずで、駆け込みでできてよかった。

山スキー旅行2

4日連続で山スキー。

 

 

2日目は天候もよく、もっと標高が高いところまで行こうとも考えたが、登坂はともかく滑走が無理だと判断し、高低差300mをループすることに。

が、一度滑走して登り返したらバテてしまい、滅茶苦茶キツかったので2度目の滑走で終了。

 

 

結構カロリーも消費しているし、体力が落ちていることを痛感。

たまの20分のエアロバイクではたいした有酸素運動になってなかったんだな、とつくづく。。

彼曰く、きちんと心拍数を測定して、適正な負荷をかけるプログラムを組まないと、とのこと。

 

 

3日目は風が強かったが彼は山に登ってみるということで別行動。

私は様子を見てたが観念して11:30頃出ることに。

 

斜面の取り付きの近くで、滑走してきた彼と落ち合い、彼は登り返しで一緒に登坂。

彼は、あまりの風の強さに最初のピークのだいぶ手前で引き返すことにしたという。

登っているときに滑走してきた3人組に声をかけられ、彼らもまた似たようなところで断念し引き返したという。

 

200mほど登り、風もますます強くなるとのことで一度の滑走で終了。

 

 

雪はかなりかたくて滑走はそれほど楽しくはなく、谷はほぼ凍っていて移動が大変だった。

 

 

そして今日は雪。

視界も悪かったが、宿に引き篭もるのもなんなので、出かけることに。

 

積雪と視界の悪さで景色が一変、取り付きを見失い、かなり谷の奥まで行ってしまい、いつもの斜面に合流するまで結構時間がかかった。

地形をしっかり把握することの大切さを痛感し、同時にこういう天候の中でルートを探すことが楽しかった。

 

雪は降り続けたが、静寂の中黙々と登るのと、新雪の斜面で滑走するのが楽しかったので、一度登り返して二度滑走した。

二度目は視界が悪くて結構怖かったが。

 

こんな感じで全然見えない。

 

 

悪天候でも楽しかった。

 

なんだかんだ毎日山スキーやって、骨折後のいいリハビリになり大満足である。

それに精神的にもだいぶ癒された。

山スキー旅行

昨日家を出て、オスロのキャンプ場で車中泊し、今日Jotunheimenまで移動してきた。

 

15:45頃宿にチェックインし、バンの中で着替えて16:20にプチ山スキーに出かけた。

Lofotenではほとんどできなかったし、二ヶ月弱前に骨折してから初めての山スキーで興奮。

 

滅茶苦茶いい天気!

 

2年前よりは雪が少ないが、去年よりは多く、暖かく感じたが雪は乾いててかたく、思っていたより春スキーという感じではなかった。

 

 

雪が少ないから平らではないし、わたしの苦手なかたい雪だったけど、意外と大丈夫だった。

これが斜度があればもっと怖いと思ったかもだが、、

 

100mちょっと登ったところで彼が先に滑走し、わたしは休みながらゆっくりトランジションし、彼が登り返してきたところでいざ滑走。

 


 

私は山スキーの滑走がとても苦手で、ボーゲンも入ることも多く、なんだったら立ち往生することもあるが、ここはかなり平らで雪もかたかったので、ほぼゲレンデの感覚で滑走でき、とても楽しかった。

氷河ではないオフピストでこんなに気持ちよく滑れたのは初めて?いや、さすがに初めてではないが、、数回目くらい?

 

楽しかった、、、

それに、解雇されてからずっと心のつかえが取れなかったのが、初めて多幸感も得たほど。

山って、癒しなんだな、、、とつくづく。

 


 

これまたお気に入りの宿での滞在も今の私には必要で。

もう7度目くらいの滞在で、スタッフの人にはいつもいいサービスをしていただいている。

(骨粗鬆症でアルコール断ち?は?何の話?飲まなきゃやってらんねーと飲みまくってます。。)

 

明日はもっと斜度のあるところまでチャレンジする予定。

怖いけど楽しみ。

お祝いディナー

昨日は、彼と私の誕生日の合同お祝いとして、娘と3人で新しくできたポップアップの焼き鳥レストランに食事に行った。

こんな状況でとてもお祝いする心境ではなかったし、食欲も全然なかったけど、結果的に行ってきてとても良かった。

 
 
娘自身、とてもタフなジェネレーションで、住むところも見つかりにくいし、仕事も見つかりにくい状況にあるのに、とてもリラックスしてて、私の解雇にもあまりショックを受けてなくてて、それどころか、失業期間にやりたいことをどんどんやればいいと勧めてくれたのだった。
 
具体的には、娘は会員になっているジムでは月に4回第三者を無料で招待できる特典を使って、来週一緒にジムに行き、腹筋と背筋のトレーニングを教えてもらえることになった。
また、心臓の手術をして、ずっと苦手だったジョギングを娘は興味持っていて、一緒に秋の13,8kmマラソンのイベントに参加しようとも。そのために一緒にジョギングしようとか。
 
娘曰く、経済的に差し迫ってないのなら、下手にストレスを持つより、その期間を自由な時間として楽しむべきだと。
確かに。。。
仕事が好きだったし、デンマークに来てノンストップで23年間働き詰めで、なんだったら定年退職になったら、その後は暇になっちゃうことさえ心配していたくらいだけど、ここらで思い切って休んで、仕事以外にもっと目を向けて、やりたいことを探すのもいいか。。。
 
一つ興味があるのは、ワーホリか留学生の女の子をホストすることである。
今まで負荷の方が大きいような気がして考えたこともなかったけど、今だったら経済的なメリットがあるし、姪と遊んだ時に思ったけど、若い女の子との交流は面白いかもな、と。
 
サービスしてくれてた子が気さくな女の子で聞いてみたら、やはりワーホリで夏までデンマークに滞在するとかで、彼女は運良く住むところはスムーズに見つかったけど、コペンハーゲンと近郊で住まいを探すのは普通に苦労するので、いいと思いますよーとのこと。
 
あと、娘は娘で色々考えていて、もうしばらくしたら、普通のアパートに引っ越し、大学を卒業してしばらく仕事が見つからなかったら、そのアパートを又貸しして日本でワーホリかインターンをすることも考えていると。
とりあえず暗礁してる、彼の会社の学生ジョブの話がどうなっているのか、また聞いてみるつもりらしい。
いざとなったら、私に頼ってくるのかな、と思ってたけど、案外と自分でなんとかしようとしていてホッとした。
娘も心臓の手術で食生活に気を遣っているけど、お金がないなりに工夫していているし、それを楽しんでいるようでもあり頼もしく見えた。

 

万が一の万が一で家を売ることを考えて、アパートをサーチしてみたら、前に私が所有していたアパートの地域で額が軽く1mio(2500万円)高くなってて白目剥いた。

1億円近くするアパートがゴロゴロあって、アパートを買うのも今は一苦労なのか、、と。

娘も、収入のあるパートナーを持つまでは買うことは全然考えられないらしい。

 

アメリカ人のBFは希望していた大学の修士課程に入学許可が降りなかったので、とりあえずアルバイトをしながら半年後に再挑戦するらしいが、お互いに状況があやふやなのに、割とポジティブに見えてすごいなと思った。

そこまでクリティカルではない私の方がワタワタしている。

 

一応誕生日プレゼントとして自作のセーターを娘からもらった。

材料費+労働費は私持ちだったけど、とても良くできてて嬉しかった。

 

元同僚に遭遇

昨日、やり取りしていた元同僚から、前職の会社で、財政問題により金曜日に4人に解雇通知したというメッセージをもらった。

これで前職に戻る希望が完全に断たれたにもかかわらず、正直安堵もした。

やはり私の予測は当たってて、転職は間違ってなかったことを認識し、1年前の決断に対し後悔する必要がなくなったからである。

そのニュースを聞くまで、転職するべきではなかったのかもしれない、とチラっと思わなくもなかったので。。。

もしあのまま前職に留まったとしても、すでにパイプラインが枯渇しつつあった私は、1年後に同じ結末になってたと思われ、だとしたら、違う環境で違う経験をできたことの方が価値があったと思える。

 

身をすり減らしたのも、いい経験といえばいい経験と言えなくもない。。。自分が何をやったか、というよりも、真に会社の利益になる働きをすることの難しさを学んだので。

ぶっちゃけ、実際に会社の収入源となる製品の生産に携わる中卒の現場労働者の方が、やたらコストのかかるエンジニアの私よりも会社にとって利益だった、というわけで。

別に私は、自分の学歴や業績に変なプライドを持ってたわけではないし、マウントもとってなかったし、むしろ言語能力で卑屈になってたくらいで、現場の人たちへのリスペクトも示していたつもりではあるけど、それでもその現実には凹む。

 

一昨日はあるご家庭を訪問させてもらい、昨日は友達に遊びに来てもらったのだが、一昨日会った方は、組織の予算が4割カットになった結果、ご自身の雇用が不安定になってて半年先も状況は不測、昨日会った友達は同じく失業中の身分なため、二日連続でこの度の解雇についてぶちまけさせてもらい、いずれも自分のことのように私の苦しみに共感してもらって、ものすごく嬉しかった。

特に昨日は、友達も同じ失業保険基金に入会していることを知り、かなりプラクティカルな情報も聞けて本当にありがたかった。

なんたって私は、どの基金の会員なのかもはっきり認識してなかったくらいで。。。20年以上会員なのに、手続きやどのようなシステムなのか全く理解してなかったという。。

 

今日は、まずタイヤ交換と年間チェックのためにワークショップに車を持って行き、お昼過ぎに血液検査のアポがあったので、いい天気だし4kmの道のりを徒歩で行こうと歩いていたら、なんと途中で、ジョギングしている元同僚に遭遇した。

 

その元同僚は、年末の頃Linkedinで解雇になったことを知り、その翌日にショッピングセンターでバッタリ会ってちょっと立ち話をしたが、割と近所に住んでいたらしい。

早速この度の解雇について話したら、彼もまた前職のコンサル会社でパイプラインが細ってきていることを案じ、製造業の会社に転職したらわずか半年で解雇通知がきたという。まったく同じ。。。

 

現況についても聞いたら、ビジネスを立ち上げたものの、まだ客がついているわけではなく、しかし子供も小さいので、失業保険がもらえる2年間は、よっぽど条件がよく自分が興味が持てるポジションしかアプライしないとのことだった。

でも、最近、子供が保育園でトラブルがあり、転園してやっと落ち着いたらしいが、子供のことの方が仕事よりもよっぽど大事だという。さすが、、、と感心してしまった。

 

失業中でも、全然こたえてない、リラックスしている元同僚を見て励まされた。

 

 
かかりつけ医に行った後は、道を変えて車をピックアップしにワークショップへ。
行きもそうだが、帰りも徒歩じゃないと通らない道を歩いたので、結構楽しい散歩だった。
 
この状況なので部品交換を拒否したが、強くブレーキ交換を勧められ、脅されもしたので、結局またアポを取ることに。
ブレーキ交換で3500kr。チーン。。
新車で買ってまだ5年だし、今は車を使わなくなったので、延期しようとしたがダメか。。
 
しかしこういうことでいちいち落ち込むのはやめよう。。。
元同僚のようにもっとゆったりと構えたい。
5月になって、骨折から3ヶ月経ったら、私もジョギングを再開しよう。

失業2日目

まずブログを書いて状況を自分の中で整理し、5年前のCVをアップデートし、新しいプロジェクトのリーダーとメールでやり取りした。

彼らの新しいラボは6月中旬まで稼働しないのでラボタスクはできず、しかも無償であっても化学薬品で実験するとなったら保険はかけないといけないので実は結構面倒だが、リモートの仕事だったら、非公式にでもすぐに始められると。とりあえず来週かイースター明けにオンラインミーティングをすることにした。

 

そのプロジェクトリーダーとのやり取りで、この度の解雇について思うところが色々出てきて、お昼に彼の会社に行き、別棟のカフェでお茶をした時にまたまたぶちまけた。

 

家に帰り、Linkedinでジョブサーチにかけてみるが、本当にrelevantな仕事がほとんどなく撃沈。

興味がある会社どころか、そもそも仕事があまりない。

これは、と思ってもユランだったり。

 

かかりつけ医とのアポがあったので、クリニックへ。

看護師さんと、骨粗鬆症専門の医者に、先日総合病院で受けたDXAによる骨密度の評価をしてもらい、大腿骨頸部を骨折した割には骨密度は低くなく、ビタミンDの量も高くなったので、それほどクリティカルではないが、一応薬の処方をし、その前後で血液検査をして骨の形成がされているかを評価するとのこと。

 

そして帰ってきて、再びジョブサーチをし、完全にrelevantではないが、アプライできそうな仕事はいくつか見つけたので、来週そのためのカバーレターを書き、アプライすることにした。

 

また、自治会のFBグループで地域熱供給の導入を今回はしない、というポストを見かけたので、え、すでにその決断をしなければならないわけ?と慌てて調べてみる。

そしたら、すでに地域熱導入の申込期間は過ぎていたことが判明、しかしまぁ、ポストで見る限り、思っていたよりも高そうだし、実際導入されてから問題が浮上する可能性もあるので、様子見もしたいし今回はいいか、と。

それに二人暮らしのせいかガス代も全然かかってなくて、多分倍の値段になってもそれほど痛手はない感じ。

 

、、とあっという間に夕方になっていて、一応専業主婦?なのに、主婦としての仕事は何もやってないのだった。

試練2

このブログを読んでくれているリアル友達にはほとんど知らせたのだが、実は、水曜日、なんと私の53歳の誕生日に解雇されるという憂き目にあったのだった。

 

一番大きな理由は、今の工場長が新しい工場の工場長の兼任はできないとして、社長の実弟を雇うことになり、確実に私よりも人件費が高い人を入れる結果、50代シニアエンジニアとして決して安くはない私のポジションをなくすことにより、そのコストを削減するためである。

社長自身はもちろん、30歳の次期社長の報酬もそれなりのはずで、さらに家族一人を増やし、人件費コストのキャパが超えたのだろうと思われる。

 

私は3つのグラントプロジェクトを持っていたし、ボスニア人のラボテクニシャン並みに分析スキルをつけてきたので、まさか解雇されるとは思ってもなかった。

しかし、社長にとっては、フィードバックをクリティカルに求められないグラントプロジェクトは私が欠けてもお金は自動的に入ってくるし、分析に関しては、私もずっと思っていたけど、実はそこまで重視されていないことを薄々感じていて、それなりにお金のかかる私を持っていることの価値を見出さなくなったのだと思う。

もし、プロジェクトと分析業務のほかに、営業スキルや、工場を動かすスキルを持っていれば話が別だっただろうけど、残念ながら私にはその能力はなかった。

 

社会人になって28年、簡単に解雇されるデンマークでも23年間解雇されたことがなかったので、初めての解雇は大ショックで、体を動かすのに数分かかり、最初にやったことは、元同僚と、新しいプロジェクトのパートナーに電話したこと、別の知り合いにもメールを書いて仕事を探してますアピールをし、荷物を片付け、パソコンのデータをきれいにし、鍵とパソコンを返して会社を出て、彼をピックアップして家に帰ったのだった。

 

とてもじゃないがご飯を作る気力はなく、外食することにし、パソコンを探しにショッピングセンターに行ったが、プライベートで持っていた、ネットを見るためだけに使ってたMacBookを仕事にも使えるようにOSをアップデートすることに決め、外食では食欲はなく、禁断のビールを大量に飲み、誕生日の夜はついぞ寝ることはできなかった。

 

給料は来月から3ヶ月間補償してくれることになったが、実質翌日から無職状態になり、家にいても気持ちが滅入るだけだと思ったので、ちょうど工科大学でジョブメッセのブースに立つ彼につきあって一緒に大学に行くことにしたのだった。なんだったら、知り合いにも会おうと。

 

 
自宅から大学まで3kmちょっと、歩いて行くことにしたのだが、それがとてもよく、あるローカル駅に併設されているベーカリーでお茶もした。
彼と話し、レジャーに制限はかかるものの最悪生活はできるという結論に達し、使ったことのない失業保険組合がどこなのかも確認できたのでそこまで経済的にクリティカルではないが、なんと言っても心配なのは出産前後の1年間を除いて28年間ずっと働いてきた私が、無職という状態に耐えられるかどうかで、歩きながら頭が冴えてきて、ジョブシーキングしながら、同時に、解雇された会社に散々指摘されてきたコミュニケーション能力を伸ばすコースを取ろうとか、時間給でもいいから研究の手伝いをオファーしてみるとか、色々アイデアが湧いてきて、この時勢、職探しは長期戦になるだろうけど、腐らないようにアクティビティを絶やさないようにしようと考えたのだった。
 
大学で彼と別れて、まずはプロジェクトパートナーの研究室にサンプルを届けに行き、一応仕事探しをアピール。でも、必要とされるスキルは私にはrelevantではないので言ってみただけ感。プロジェクトの話をして研究室を後にした。
そして、私の古巣へ。
まず、前に住んでいたアパートの下に住んでいたシリア人の奥さんとキッチンで会い、しばらく立ち話。彼女は手首を骨折して病欠していたそうで、私も大腿骨を骨折したのでその話で盛り上がった。4ヶ月後にディフェンスがあるので、今仕事を探しているがやはり見つからないという。
ラボアシスタントの人も来て3人で立ち話し、一番目当てだった准教授の人が来たので、頼み込んで急遽面談してもらった。
彼女は私の失職にショックを受け、お金はないけど、私に大学に来て欲しいと言ってくれ、だいぶ慰められた。私がお金ではなくアクティビティを欲していることを理解してくれ、時間給で雇えないか可能性を探ってみるとまで言ってくれて、自己肯定感だだ下りだっただけにとても嬉しかった。
 
まだお昼まで時間があったので、友達のお墓に。とにかくじっとしてスマホを見るだけなのは避けたかった。
その友達は、私のことを案じてくれていた人だったので、本当にその通りになったね、と。泣きながら、これを機に、今度こそは自分のことをきちんと省みて、この困難を乗り越えるよう頑張るとお墓の前で宣言した。
 
ジョブメッセに行き、2社ほど話し、1社は15年くらい前にクライアントだった会社だったので、今の状況を聞き、感慨に耽った。
もう1社は分析サービスの会社で、もう分析はお腹いっぱいで興味はないけど、とりあえずアプリケーションは送ろうと思った。
 
彼のブースに行って、一緒に食堂にランチしに。
最後の1時間半はずっと学生の相手で忙しかったという。しかし、AIのポジションは、逆に将来ポジションがなくなるのではと考察。
 
家に帰って、全然寝れていなかったのでしばらく寝て、私のCVとカバーレターのドラフトをピックアップし、前日苦戦したOSのアップデートをして、CVを書く作業をする環境を整えた。なんと6年間もアップデートを放置していたので、やたら苦労して彼がやってくれたのだった。ありがたい。。
学生の時はMac使いだったけど、社会人になってからはPCオンリーだったので、システムのアップデートも自動だったし、ちょっとした作業でも骨が折れる。。
 
夕飯を作る前にコミュニケーションコースを調べてみたら、プライベートだと15000krとかから。エンジニア組合のコースは無料だが、まだ会員だと思ってたら会員になってなく、調べてみたら1年間引き落としがなかった。退会申請してからも1年以上引き落とされていたし、メールだけはずっと来ていたのでまだ会員だと思ってた。。。でも失業中の今、年間4300krとか痛い。。
失業保険を受給するようになればコースがあるようなので、その時まで待つか。。
 
あとは、時間給の仕事オファーのメールを書いたり、自分のサブスクをチェックしたり。早速、TV2 Playのサブスクを脱退。娘のサブスクもいい加減移すことを考える。
 
そういう作業をしながら、やっと気持ちが落ち着いてきて、やっぱりあの会社は私には向いていなかったという事実をだんだん認められるようになってきた。
仕事そのもの以外にやたら気を張ったし、くだらないことにエネルギー費やされたし。分析の検量線の標準液を作るのに、少しでも外れると怒られるので、ピペットとスケールを使って正確にやろうとしたら意味がないと怒られ、挙句にManipulateしたりとか、細かいエピソードはてんこ盛り。Manipulateは多かったので、確かに分析そのものの意義は失ってたなとも思う。
彼が仕事で難しい問題解決をしているのを見ると、そこは私のエンジニアとしての成長はできない場所だった。新しいプロジェクトだけは心残りだが。
 
ただ、私が期待していたことの経験はできなかったので、それは素直に私の能力不足としか言いようがなく、この失業期間は反省会を含めた充電期間にしたいと思う。
 
解雇の前に、ドイツ在住のクリスチャン友達が、骨折や不法建築などの一連の出来事は、我が家を小さな教会にしないためのサタンからの嫌がらせで、一応それを神が認めた、私への試練だと言ってて、そのメッセージを送ってくれた翌日に解雇されたので、わーー本当に友達が言ってた通りじゃん!とも思ったのだった。一瞬、家を手放すことも考えたので。
友達に連絡したら、「やっぱり!」とのこと。
彼女は、去年の9月に我が家に泊まりにきてくれたのだが、家の居心地良さだけでなく、私と彼の信頼と尊敬に満ちた愛のある関係を見て、この家は絶対いい教会になる!と思い、その過程で絶対サタンのターゲットになると思っていたら、不法建築の件でやっぱり!で、解雇ときて確信に至ったそうである。
 

 

イースター明けにコムーネが我が家に来るので、弁護士から地下室からベッドや椅子をなくしてして欲しいと言われたので、彼がベッドを解体し、マットレスはロフトに。弁護士に確認したら、ここに置くのは大丈夫だとのこと。

コムーネが来る時に、弁護士と建築スペシャリストも来てくれることになり心強いけど、その時間給も加わって今までのトータルで50000krは超える見込み。ま、しょうがない。

 

ホルムズ海峡は戦争が終わったあとも元通りにならないと言われていて、さらなる経済危機に陥ることは必至、もし彼までも職を失ったら流石に家を手放す以外はなくなるだろうけど、この試練を乗り越え、私と彼のユニットを守り抜きたいと思う。

国政選挙

 

昨日は国政選挙の投票日で、わたしは勤務のあと、投票に行ってきた。

先月告示されたときは迷いに迷ったが、この度のイランの戦争で石油危機に陥ったことで、やはり石油をメインにしたエネルギー政策に限界を感じ、もともと山が好きで気候変動も肌で感じるようになったこともあり、気候変動対策をもっとも重視しているラディケーレに投票することに決めたのだった。

 

ラディケーレは理想主義すぎて、プラクティカルではないと思ってたけど、もういよいよ、目先の利益だけを言っていられなくなってきた時勢になっているわけで。

長期的な視点でみれば、物価高は避けられず、エネルギー消費を抑える姿勢をもたなければならない。

 

そして夜、テレビで選挙結果をみていたのだが、、、、

 

 

投票締め切り時間20時には出口調査の結果が出て、左派ブロックが83席、中道が14席、右派ブロックが78席と出て、開票してすぐ右派と左派の数が逆転したものの、すぐに左派が優勢になり、23時半頃には開票が終了、このような結果になったのだった。

出口調査からの推測がそう遠からずというのもすごいと思った。

 

わたしが投票したラディケーレは全国で9番目だったが、、、

 

 

わたしの選挙区では3番目に多かった。

逆にデンマーク民主党や市民党みたいな極右政党が少ない。

ラディケーレは、中道政党だが、もっとも移民に寛容で多様性を許容する政党で、日本人がイメージする極左政党だと思う。実際名前もラディケーレベンスタで「極左」を意味する政党名なのだが。

コペンハーゲンやフレデリクスベアでも人気で、どうも学生街で人気があるっぽい。

 

 

結局、現首相のMette Frederiksenが政権成立のコーディネーターに指名され、穏健党を含んだ左派政権の成立を目指すという。

穏健党は左派だけ右派だけの政権をヨシとしないので成立するかは不明だが、左派グループは穏健党を政権に含む意思はないので、右派と一緒になる方がまだ現実的である。

 

ラディケーレも政権に入ってくれるのを祈るばかりである。