いまのしゅんかん -13ページ目

岩手

ついに11日間の岩手滞在を終えて東京に移動する。

昨日、スキーのあとにスキーギアを宅急便で送り、、

 

 

そのあとイオンモールのガソリンスタンドで、山スキーで車内を泥だらけにしてしまったレンタカーの掃除をし、

夜はコインランドリーで汗だらけのスキーアンダーウェアを洗濯した。

 

そして今日は、私が胃腸炎になってしまい、なんとかパッキングし、アスピリンを飲んでゆっくり休んだら具合がマシになったので、彼とレンタカーを返却しにいき、3km弱歩いて戻ってきた。

彼の症状とそっくりなので、彼から感染したのだろうがこんなの初めて。おそらく二つの件でストレスになってたからだと思う。一昨日の晩から昨日の朝にかけてあまり眠れなかったし。追々これについて書こうと思うが、幸いいずれも解決した。

 

今回は山スキーメインということでこういう日程にしたがとても良かった。メンタルが最低調で、山にいくことでなんとか癒されたこともあり。

 

また、山スキー以外で岩手がらみで知ることもあった。

 

 

一昨日、夕方盛岡を散策し、新渡戸稲造ゆかりの地に行ったが、5000円札の人という認識しかなく、そもそもなぜお札に採用されたの?という疑問が生まれ。

なんでも、国際連盟の事務次長まで務められた方で、フィンランドとスウェーデン間のオーランド諸島領土紛争で仲介役として解決に貢献されたという。マジか。。。

しかし皮肉なことに、新渡戸稲造が逝去された同年に日本は国際連盟を脱退し、戦争の道に進んでいくのだが。

 

 

35年前に花巻の宮沢賢治博物館に行ったくせに、これまたよく知っておらず。

裕福な家出身だが、早逝で作品のほとんどが未発表で、原稿料をもらったことはほぼなく、死後に発掘されて刊行されたという。。。

 

小岩井農場を愛し、長編の詩を残している。

 

今新幹線の中でグロッキーになってるけど、いい旅行だった。

板仕舞い


 

彼が月曜日に胃腸炎をおこし、一昨日と昨日は調子が悪くてスキーができなかったが、今日やっと胃腸が落ち着いてきたというので、最後の山スキーをやろうと八幡平に行ってきた。

 

ずっとやってみたかったアイゼンを使っての壺足登坂をやってみた。

 

 

急登だし、両サイド崖のように切り立ってて怖いと思ったが、アイゼンのグリップ力は安心だし意外に大丈夫だった。

むしろ急登の前に踏み抜いて片足股から雪に埋もれて引き抜く方が大変だった。Galdhøpiggenの残雪登山でも雪を踏み抜きまくって体力奪われたっけ。。

 

写真を撮ってくださった方は盛岡近郊にお住まいで、首の骨を骨折して寝たきりになって、仕事から引退され、今はリハビリがてら、ご夫妻でいろんな山に行きまくっているらしい。岩手に住んでいると常にやることがあって忙しいそうだ。

羨ましい。。。

 

この後、彼がシールを乾かしたいというので頻繁に使っていた私たちの基地に行くべく、私は滑ったことのない急な斜面を滑走することに。

 

 

雪が抵抗ありすぎて滑走はたいしたことがなかったが、休憩してから、戻るにはこの滑走した斜面を登り返すとトラバースの必要性もなくなって楽かも、という発想になり、スキーで登ってみることにしたのだった。

 

春雪なのでシールのグリップはよくきいてくれたが、油断すると滑るので急登を登るのは怖かった。

なので、板を進めるときに上に浮かせてしまう癖を改め、板は雪面に接したまま進めて摩擦による抵抗を高め、なおかつ一歩ごとに踵を押してシールのグリップを確かにし、決して前屈みにならないよう姿勢は垂直にし、ポールを踵の後方に刺して支えるようにと、かなり慎重にゆっくり登坂していったのだった。

気持ちを冷静に保つようにしたが、それでもキックターンを避けられない局面になったときは焦った。

八の字になるよう左右板を広げ、ポールで二点支えながら、なんとか方向転換した。

 


やっとのこと登り切ってホッ。。怖かった。。

 

でも、わたしの苦手な斜度のある斜面でのハイクアップもやって、今シーズン終了に未練はない。

去年は少雪で山スキーがあまりできなかったので、今シーズンはいろんな経験ができて満足。

エネルギー代高騰で来シーズンどうなるかわからないだけに、今回八幡平でインテンシブに山スキーをやって本当によかったと思う。

 

しかし、岩手在住の方々が羨ましすぎる。

仙台で後輩と再会


 

昨日の夜、彼同伴で、私の高校と大学の後輩に会いに仙台に行ってきた。

新幹線で盛岡から仙台まで40分、それなりにお金はかかるけど、気軽に行けるところだった。

むしろ後輩に会うためだけに往復し、観光をまったくしないことに驚かれたが。

わたしも彼も仙台にはそれなりに訪れたことがあり、そこまでの食指が動かず、、、

 

しかし、実は311の震災のとき、彼は仙台で被災しているので、仙台は思い出の場所な上、後輩の会社があるビルで避難生活を送ったことが判明、初対面にも関わらず、話が盛り上がり楽しい時間だった。

なんと後輩のオフィスビルは3日間オフグリッドでも自家発電と水供給されるという素晴らしいビルで、避難場所としてベストなところだったらしい。

ちなみに後輩は単身赴任で東京以西に住んでいたので、仙台で住んでいた妻子をピックアップして、勤務地でしばらく一緒に暮らしたという。

 

そのときに、後輩とは高校と大学で仲良くしていたのに、同年に私が大学院卒業、後輩が学部を卒業してすぐに仙台で就職し、たまにメールでやり取りしていたけど、私もすぐ結婚で東京から引っ越したし、卒業後はほとんど会ったことはなく、一度大学の自転車部のOB会で会ったのみで、実は互いの状況をあまり把握してなかったことに気づいた。

それだけに、私でもいろいろと知らなかったことも多く新鮮で楽しかった。

 

後輩は卒業してからもずっと自転車を続けていて、ギアやスポーツサイエンスの発展もよくわかっているが、大学の時から自転車が速かったけど、自分が自転車に合った体質であることを早くから認識していたっぽい。

30年以上前に、大学の施設で、最大酸素摂取量(VO2 max)を測定し、プロのサッカー選手並みという結果が出たそうだ。

乗鞍のヒルクライムレース(20,5km、標高差1260m)で3000人もの参加者のうち20番代に入るほど速かったことも。

ただ、毎年その2週間前まで自転車部の合宿があって、レース向けのトレーニングが直前にできなかったことが問題だったという。

 

私はヒルクライムは得意だったけど、レースより、ツーリングの方が好きで、プライベートで山陰、北陸、山陽、九州をツーリングで行くことはあっても、一人でヒルクライムに行くことは滅多になく、当時はその話を聞いても興味がなかったかもしれない。

今はツールドフランスも好きだし、彼がスポーツテクの会社にいるし、ウルトラのレースに出るし、ガーミンを使うようになったし、そういう話が興味深いと思えるようになった。

まぁ今も学生のときの嗜好に変わりはなく、レースより自然を楽しみたいと思うほうだけど、体力と筋力が求められることは多く、せっかくヒルクライムが強かったのに、大学4年で研究に嵌り運動をパッタリ辞めてしまったのは勿体なかったなーと思う。

47歳でフェロー諸島でのハイクで初めて筋力不足を自覚するという遅い気づきだった。

 

まぁ仕事の他にワンオペ育児とデンマーク語習得に忙殺されていたせいと言い訳したり、、、大学で茶道部でずっと興味あったけど、10年前にやっと茶道を再開できたのもしかり。

でも、インフラの会社でバリバリ働く後輩は眩しかったことも事実。

このエネルギー情勢で、気になってた日本の電力事情を聞けたのも面白かった。

さすが製造業の国だけあって思っていたより全然robustな感じ、でも生成AIによるエネルギー消費は莫大であると。やっぱり、、、

 

全国規模の大企業で仙台に赴任したのは後輩自身の希望によるもので、学生のときに全国を旅して、東北がもっとも住みやすいと判断し、東北で一番大きい都市として仙台を選択したという。

本当にその通りだな、、と。わたしも自転車部の合宿で、北海道、東北、信州、四国、九州のうち、東北合宿が1番楽しかったし、岩手が気に入って、デンマーク在住なのに何度も来ている。

実は後輩も、八幡平のアスピーテラインは何度も行ったことがあるそうだ。

素晴らしい景観なのに人が少なく素朴な感じが本当に魅力。

 

話は尽きず、あっという間の2時間半だった。

小岩井農場


 

休んでいた彼だったが、やはり行きたいということで昼前にホテルを出て、小岩井農場のゲストパーク、まきば園に行ってきた。

 

 

ソフトクリームを食べることが目的だったが、農場の成り立ちも興味深い。

鉄道事業で自然を犠牲にする償いとして、3人が始めた酪農プロジェクトだったが、岩手山の麓で、気候の厳しさと土壌がやせてるのと水捌けの悪さで全然うまくいかず、始まって7年後に引き継いだ岩崎久彌がいろんな分野の文献を読んで勉強した末にさまざまな問題を改良したことによってビジネスが回りだしたそうである。

 

主に、

- 外国から専門家を招聘

- スイスとイギリスとオランダから牛を輸入し、適した牛種を選定、のちにオランダのホルスタインに絞り込み

- 防風林のための植林

- 水捌け向上のために地下に水路をつくる

- 土壌改良のために石灰をまぜて酸性土壌を中和

 

などを導入したらしい。

試行錯誤はずっと続いたらしいが。

 

昔の冷蔵庫。土中だと年間通して10度くらいに保てるらしい。

電気代節約のために再開してもいいのでは、とも思ったり。。

 


 

創業者の一人、井上勝は酪農事業としてはあまり貢献しなかったが、やはり若いときから勉強家でイギリスに留学して鉄道について学び、日本の鉄道導入に多大な貢献し、鉄道の父と言われているし、自分について考えさせられた。

1年前、新しいプロジェクトに心躍らせていたこと、でも結果として力が及ばなかったこと、でもやっぱりそういう仕事をしたいこと、などなど。。

 

わたしのエンジニア気質に刺激を与えるいいところだった。

山スキーの歩み


 

昨日、天気がよくなかったので、高低差100mほどの、まったりスキー雪原散策をしたが、山小屋に着くなり彼が倒れこむという事態に陥った。

長めに休んで、騙し騙し車に戻り、ちょっと横になってから近くの休憩所で戻したらいくらか気分はよくなって、盛岡まで移動し、ホテルにチェックインしたらバタンキューで熱も出てきたのだった。


おそらく、金曜日から三泊、二つの温泉宿に宿泊し、朝晩の大量の食事と、毎日のように日本酒を飲んでいたのが胃に負担をかけたのだろう。しかも私はあまり飲めなかったので、彼がほとんど飲んでおり。

朝お通じはなく、消化できてないのに、スキーでエネルギーを求められ、貧血を起こしたと思われる。

 

ジュースが欲しいというのでコンビニでミカンジュースを買って飲んでもらったらまた戻してしまい、慌てて調べたら柑橘類と冷たい飲み物は禁忌だと知り、スーパーに行って電解質の粉を買い、お湯を沸かして温かい電解質ドリンクを飲んでもらったらようやく落ち着いた。そのあとヤクルトも飲んだ。

 

今朝も熱はあったので、電解質とアセトアミノフェンを飲み、落ち着いたのでホテルの朝食バイキングに行き、ヨーグルトと卵とお茶漬けを食べ、胃が動くようになったが、今も横になってる。

私も7日連続の山スキーで疲れていたし、夕方は遠出するし、それまで休むのもちょうどいい。

 

山なし国にいると、気軽に山にアクセスできず、たまの機会でインテンシブになってしまうのが難。

でも、今回岩手に長逗留できて、やっと八幡平の地形を把握できるようになったのと、山スキーで課題になってたことに取り組めたことがよかったと思う。それは、

 

- 斜度があり、なおかつターンできない狭いところでの滑降

- スティープな斜面でのトラバース

 

やっぱり山スキーの難しいところは、広くて平らなゲレンデと違って、自然な地形での移動になるので、でこぼこしてて斜度があって狭いところを滑らなければならない局面が多く、斜滑降とトラバースを避けて移動することはほぼ不可能で、恐怖心との戦いというメンタルの強さも求められるだけ、なかなか克服できない課題でもあった。

 

特に今回はうねりも多く、幅が狭くなってて、登りはともかく下りは斜滑降しまくりだった。

 

斜度のあるところでのトラバースは下に滑り落ちるのが怖くてなかなかできず、一昨日は勢いで滑って転んでしまったが、彼に借りてるセルフアレスト用ピックを装着したポールを雪に刺して立ち上がる練習をし、対処できることを体感して克服できるようにした。

 

2019年に彼がデンマークに移住し、すぐに山スキーギアを買ったものの、コロナ禍に突入し、しばらく山スキーができず、2023年にやっと本格的に始め、翌シーズンはさらにインテンシブにやるようになったが、去年は少雪であまりできず、今シーズン再び、、で、ゆっくりながら課題をひとつずつこなしている。

 

それだけにホルムズ海峡閉鎖で燃料費の高騰は、ノルウェーと日本でスキーをする私たちにとっては痛手である。山スキーそのものはサステンナブルであっても。

山の近くで住みたい。。。

雪山のリスク


 

山スキー三昧の日々を送っている。

しかし今年は暖かい上、樹海ラインが地滑りで2年以上閉鎖されたままのため、遊べるところが限られるのが悩ましいところ。

 

昨日は、彼が初心者のときにお世話になったガイドさんのご自宅にお伺いさせてもらった。

先月、その方のご主人が雪崩れに巻き込まれて亡くなり、ご焼香させてくださいとお願いしたのである。

なのにその方のお話が楽しすぎてあっという間の2時間だった。

 

ご主人は地元の方でバリバリのテレマーカー。

72歳なのにエアロバイクで10kgも減量して、体が軽くなった分さらにスピードアップして山スキーをより楽しんでいたらしい。

 

今年は、雪が少ないわけではなかったが、降雪の頻度は少ないうえ、気温が高めで、たまにドカ雪が降る、という感じだったという。

ご主人が遭難されたのも、久しぶりに降雪があった翌日で、天気はまぁまぁだった朝に山スキーに行かれたそうである。

 

奥様は用事があって同伴せず、ビーコンを忘れていったことに嫌な予感を感じ、1時間くらいたったころ、LINEと電話でコンタクトを試みたが連絡がつかず、3時間たったころに探しに行き、友達と4人で探したが見つからず、夕方に警察に通報したという。

翌日はもっと大人数で捜索したが見つからず、夜にスマホの位置情報を検索して場所を特定し、翌朝発見に至ったそうである。

どうも、登坂しているときに、横の崖から突然落ちてきた雪に巻き込まれてしまったらしい。

 

熟練の方でも遭難する。

雪山にはリスクがあり、それを承知の上でのアクティビティということなのだろう。

奥様は雪崩について勉強熱心で雪氷学会にも入っているし、講習会もひらいて雪崩遭難リスクを低減させる活動もされている。

でもご主人の死に対して、どこか受容しているように見えた。死ぬ間際までスキーと仕事をしてたし、そういう人生もあるのかね、と。

 

ちなみに、源太ヶ岳で雪崩リスクがないと谷底を登坂したのも大間違いで、春は春で全層雪崩というリスクがあるため、禁忌行動だったのである。

 

 

それにしても奥様の山の面白い話を聞いていると羨ましいというか、ホルムズ海峡で今後ますますロギスティックが難しくなってデンマークから山にアクセスしにくくなると思うと考えちゃうというか。

山遊びするのに、化石燃料を消費しまくることに罪悪感があるというか。

今まで考えたこともなかったけど、日本に帰ってくるオプションもチラッと頭をかすめるようになった。

弁護士も驚くほど家のトラブルも深刻になってて、結果家を手放し、山にも行けないとなったら、無職だし、デンマークにいる意味を考えさせられるというか。

 

とりあえず雪氷学会に入会しようかな、、とも思ったり。

源太ヶ岳スキー登頂

昨日、ずっとバケットリストに入っていた標高870mから標高1540mの源太ヶ岳スキー登頂に挑戦した。

冬季閉鎖されている樹海ラインが開通すれば、標高1190mから登れるが、あえて標高差が大きいルートで登頂したかった。

ただこの時期、低い標高ではどんどん雪が溶けているので本当にギリギリのタイミングで、昨日が可能な最終日だったとも思う。

 

 

しかも、前日は取り付きは彼にスキーとポールを運んでもらったけど、昨日は彼に頼らずに自力で登ることにこだわった。

少しずつスキーとポールを運びながら自分も登り、、

 

しばらく壺足で登る。

これだけでかなり体力を消耗した。

 

さらにうねりが大きくなっていたし、強風で枝もたくさん落ちてて登りにくかったが、前日にも登っているので、休憩を挟みながらスムーズに1200mあたりまで登った。

 

しかし大雪原で前日強風で恐怖だったので、風が避けられる、もしくはメンタルで安心感が得られる谷底に降りることにし、普段は雪崩リスクで禁忌行為だけど、長く新雪がない今は雪崩もないし谷底で登ることにしたが、裏目にでた。

一部急登な上、幅も狭く、ほぼ直登しなければならず、急斜面で板も外れたりして詰みかけた。こういう状況でビンディングをつけるの苦手。

しかしオスロのスキー場の直登ハイクアップの経験を活かし、なんとか登り切ることができた。

 

 

頂上まで標高差200m弱であと一息。

しかし、大きなクラックを見て、予定していた緩斜面から巻くように頂上を目指すのではなく、急斜面からアタックすることになり、これもかなりキツかった。

急斜面だし、強風で転びもした。

 

しかもクラックがあるので、残り100m弱でスキー板をデポして、薮の合間を壺足登山したが、体力的にタフだった。キツイので頂上までいかなくてもいいと思ったくらい。でもせめて頂上を見てから引き返そうと思っていたら、藪に遮られてなかなか見えず、、、

 

 

頂上に到着!

 

 

初めてこのルートで山スキーしてから4年でやっと頂上まで登れたので感動ひとしおだった。

 

これで体力限界だったので絶対滑走は無理だと思ったが、、、

 

 

意外に滑る足は残ってた。

ザラメで滑りやすかったおかげもあるが。

森の中も斜滑降を駆使してスムーズに下山出来た。

 

最後は壺足で。

 

大満足。

 

今シーズン、Hemsedalのスキー登山で下山の課題を見出し、斜滑降とキックターンを練習し、オスロのスキー場の直登ハイクで壺足登山と下山を経験し、Lofotenで壺足登山の練習し、Jotunheimenで山スキーのハイクアップと滑走のトレーニングをした集大成として、源太ヶ岳スキー登山を成し遂げられ、このプロセスの意義が見られて本当に嬉しい。

 

しかも骨折したことも忘れたほど。

2月に病院で緊急入院することになって泣いたことさえ懐かしく思い返される。

八幡平で山スキー

一番の目的、春の山スキーのため、東京に二泊だけして新幹線で岩手に移動した。

 

 

2年前にハイエースを売ったので初めて新幹線で盛岡に移動したが、速くて快適。

ただレンタカーは、スタットレスタイヤを選びたかったので駅近にはなく、駅から離れている業者で、タクシーで行かなければならなかったが。

 

まずはショッピングモールで買い物と美容院。

デンマークで行きそびれてしまったので盛岡で。

予約時間までカフェで時間を潰していたら、なんと震度5の地震があった。

長い揺れで怖かったが、幸いたいしたことはなく、しかし新幹線は21時まで運転を見合わせたそうで、その前に移動しておいてよかったと思った。

 

居酒屋で夕飯。大好物のレバニラ炒め。

しかし焼酎を飲みすぎた。。

 

今日は朝から雨だったので、ゆっくり出て、登りたい山の偵察だけ行くことに。

 

しかし雪が少ない。。。

 

山への取り付きポイント。

マジか。。

 

先月行ったLofotenのことを思い出す。

とりあえず壺足で登り、彼が先を見に行ってきてくれ、すぐ先から雪が繋がってるというので山行続行することに。

しかし雪のところは踏み抜くからと雪がないところを壺足で登ったが、薮がすごくて骨が折れた。

 

 

それに雪が薄くてうねりも大きく、ルートファインディングも大変。一部壺足で登ることも。

 

しかし、2月のオスロのスキー場での直登ハイクアップで壺足で下山と登りをやったのと、3月のLofotenで壺足ハイクをやったのと、今月Jotunheimenで薄い雪層での山スキーをやったおかげで、だいぶメンタルが強くなり、今回はこういう山スキーも楽しむ余裕ができた。

 

 

森から出ると景色が開けて気が大きくなり、このあたりで引き返すつもりだったのにさらに上に登ることに。

が、強風だったのと、思ったより斜度があり、怖くなってしまい、最後の木があるところでトランジションして滑走することに。

 

木のおかげで風をしのぐことができ、ゆっくり休んで滑走。

 

私の苦手な滑走だが、森に入るまではスムーズに滑走し、3年前にスタックしたトラバースのところでまた怖くなって詰みそうになったが、斜滑降で高度を下げることに成功し、以降は斜度のあるところは斜滑降で下りるということにしたら、止まらずに下山することができたのだった。

オスロのスキー場の上級コースで斜滑降の練習をした甲斐があった。。本番で出来てなおのこと嬉しい。

 

最後の取り付きポイントは壺足で下りて、雪の上は尻で滑る。これもオスロで直登ハイクコースの脇を森林めがけて尻で下りる経験がなかったら、出来なかったかもしれない。

 

頂上まで行ってないけど、いくつかの課題をクリアできたので大満足。

免許証の更新と本屋巡り

日本に来ている。

もともと、娘が12月に行くはずだった日本行きを心臓の手術のために4月に延期することになり、BFは大学卒業でアメリカに帰国するので、それが最後の娘のBFとうちの家族が会えるチャンスになるということで、急遽私たちも同じタイミングで日本に行くことを決めたのだった。

せっかくなので、春の山スキーをやりたいと、家族と会う以外は岩手で過ごすことに決め、宿やレンタカーも予約した。

 

成田空港からスキーギアを盛岡のホテルに発送

 

しかし、ホルムズ海峡の閉鎖でしばらく日本に行けなくなりそう、、、ということで、、、

 

 

期限が1年も残っているのに、岩手に行く前に彼の運転免許証を更新しに行った。

 

流石に2022年のときに比べればアナログのプロセスは減り、機械も導入されていたが、お世話してくれる人が多い!

ただでさえオンラインでの手続きメインで、電話でさえなかなかアクセスできず、対面で助けてもらえることがレアなデンマークから来ると、その違いに戸惑う。。

正直、日本にいると甘やかされるな、、と思った。

 

今朝の新聞。

社会保障とちょっと違うけど、日本は意外に個人が享受されているのだ。。

 

待たされると思って朝早く行ったが、2時間弱で終わって10時前には免許センターを出れたので東京に行くことに。

 

 

お気に入りの神保町でブックフェアがあり、嬉々としてテントを回ったが、人が多くてなかなか本が見れない上、なんと東京は25度も気温が上がり、暑くてほぼ流すのみ。。

淡交社のテントで、茶道の本がまったくないのも残念だった。

 

店頭でこれらの本を購入。

 

グリーンランドのレジェンド日本人である大島さんの本は、30年くらい前の本だけど新しくできた書店で買ったが、正直古本屋のほうが楽しい。

最近の新書って、なんで参考書っぽい本が多いのだろう。深めるより概要を掴むことのほうが需要が大きいだからだろうか。

 

なんとなく日本の文化的な質の変化に切なく感じるのだった。

ステップファミリー

日本の京都府で起きた事件について、個人的に関心をもってニュースを追ってる。

何故なら、二度目と今の結婚でステップファミリーを経験しているからである。

二度目の離婚に至ったもっとも大きなきっかけが、私と前夫の息子との間でケミストリーが合わなかったことなので特に心が痛い。

 

 

昨日、空港で娘と落ち合ったのだが、すでに娘はいつものラーメン屋で私たちを待ってて、彼が注文するときにちゃっかり便乗して奢られにいく図々しさを持ち合わせるほどには、彼と娘の関係がいいと言える。

しかし娘はタフな人生だったと言うし、彼は娘に気を遣ってきたと言い、その原因を作った当事者として罪悪感はあるし、仲良くしてくれて有難いとも思う。私が二度目の結婚で、連れ子との関係に苦労しただけに、彼の寛容さには感謝しかない。

なので、娘がわたしとだけでなく、彼と一緒に3人で遊びたがるのも嬉しい。そもそもこの旅行に行くことを決めたのも娘の声かけがきっかけになった。

 

ステップファミリーは本当に難しいと思う。

配偶者とも血の繋がりのない人と家族になるのは大変なのに、自分の意志ではなく家族にならざるを得ないことを受容するのは難しい。

それだけに、最悪の結果になってしまった事件に対し、複雑な気持ちでもってニュースを追ってる。