いまのしゅんかん -21ページ目

恩人

今日、前職での元上司で、私がデンマークに移住するきっかけを作ってくれたデンマーク人女性のオフィスを訪ねてきた。
 
彼女は7年前に前職を辞めてしばらくしてから個人でコンサル会社を立ち上げ運営しており、2週間前に大学の准教授の25年レセプションで会ったときに、私も製造業に転職してコラボできるかもということでミーティングのアポを取っていたのだった。
彼女の活動を見聞きしていたが、さすが人脈豊富なだけに、数多くのクライアントを持ち、複数の共同研究開発プロジェクトを持っていて、かなり精力的に活動されているな、という印象を持った。
 
ずっと気になっていた、彼女の退職の理由だが、やはり今の社長が就任して自分の役割を失ったような居心地の悪さでストレスを感じるようになったからだそうで、どうしても立ち止まる時間が必要になったとのこと。
しかし独立して自分でコンサル会社を運営するようになってから、自由だし、楽しいし、結果的にとてもいい決断だったと。
それを聞いて、じーーん、、、としてしまった。。。
 
彼女は最初に会った時から全然変わっていない。
決して環境を憂いたり、誰かのせいにしたりしない。
自ら状況を切り拓いていく彼女がとても眩しく思えた。
 
23年前に、東京で彼女と会った時、妊娠7ヶ月で大きなお腹でありながら、毎日研究室でいろんな実験をし、空き時間には東京に遊びに行き、目一杯日本を楽しんでいた。
同じ29歳の私は、島根で2歳の娘の子育てをしながら、やりたい研究もできず燻っていた。
家庭を持っていてもキャリアを築き、それどころか、私にデンマーク工科大学の博士課程に入るべきだと激励してくれ、デンマークという国に興味を持った。
1996年にツーリストとしてデンマークを訪れた時はそれほど惹かれはしなかったが、その時に初めてデンマークの社会というものに興味を持ったのである。
「子供がいても、研究してもいいの?」
 
今日、改めて、デンマークに移住して本当に良かったと思った。
(なんだったら、デンマークに帰化して良かった、、、、と今日ほど思う日はなかったかもしれない。)
 
 
ミーティングの後、近くに社屋がある彼の会社に訪れ、食堂でお茶。
彼曰く、日本でほぼ専業主婦状態だった私を想像できないらしい。
 
23年前の私は、自分が置かれている状況を呪っていたし、社会に対し批判的だった。
上野千鶴子の本も読み漁ってたし。
デンマークに移住し、苦労もたくさんしたし、何回も泣かされたけど、自分の足で立つことの自信は少しずつついてきたと思う。
 
私を引っ張ってくれた彼女に、心から感謝したい。

娘との週末

心臓の穴は塞がらなかったとはいえ、腰下からカテーテルを挿入して手術はしたのでそれなりのダメージはあり(下腹部から太ももの上まで大きな青タンが。。)、木曜日から今日まで我が家で療養していた娘だったが、夕飯を食べてから車で娘のアパートまで送って行った。
 
せめて美味しいものでも食べさせたいと、木曜日はシチュー、金曜日は揚げ出し豆腐と娘の好物を作り、土曜日はコペンハーゲンまで出て、たこ焼きを食べ、刺身用の魚を買い、スタバでスパイスパンプキンラテを飲んだ。
 
意外に甘すぎず、むしろほのかな苦味があっておいしかった。。。
 
しかし、電車で行ったので、駅付近だけでほとんど移動しなかったのに、カテーテルの挿入部分が痛くなってしまったらしく、日曜日月曜日は一日中我が家で静養した。
ちなみに、市場で買った、サーモンとハマチの刺身はいずれもほんのり甘味があってマジうまだった。
魚は高いので、娘は自分で買わないというが、我が家も地元では魚屋がなくなってしまいなかなか美味しい魚を買えないので滅多に買わない。
 
日曜日は、これまた娘のリクエストで抹茶スフレチーズケーキを焼いた。実は、この一軒家に引っ越して初めてケーキを焼いたのだが、幸いうまくいった。

 

 
その後はひたすら庭仕事。

 

 
裏庭の柵に蔦がへばりついていたので、アクセスを妨げていたトゲトゲのブラックベリーをかなり切り除いて、蔦をかなり取り除いた。
ブラックベリーは雑草みたいなものなのに、実が食べられるからと駆除を躊躇していたが、どうせ食べられないくらい成長するので遠慮なく切っていった。
おかげで蔦にアクセスでき、かなり太くなっていた茎も切って大部分取ることができ、金網の周辺がだいぶスッキリした。
 
Bauhausとスーパーに買い物に行き、夜は、これまた娘のリクエストのクリームコロッケを作った。難しいので今までほとんど作ったことがなかったけど、すり身をみじん切りにしてクリームソースに絡めてコロッケに。具がないよりは成形しやすいけど、やっぱり柔らかすぎて難しい。
 
今日は勤務だったので、夕飯は簡単にできる、聖書の学びのメンバーにも好評だったなんちゃってすき焼き。
娘にもかなり好評でよかった。
 
送っていくときに、開胸手術の話になり、娘は全身麻酔は初めてなので怖がっているけど、私は、むしろ手術して心臓の穴が塞がったあとを楽しみにしている、と言った。
もし、今まで登山が苦痛だったのが本当に心臓の穴のせいだったとしたら、手術して完全に治れば、ハイキングすることも可能になるのではないかと。
実際娘は、ハイキングしてみたいと思っていて、特に昨日、スイスでハイキングするときにマーモットに遭遇したと写真と動画を見せたら、俄然興味が湧いたらしい。
 
本当に、いつか一緒にハイキングできたらいいなと思う。
 

生マーモットたんに会えるといいね

歴史を学ぶ

紅葉は見られるようになったもののずっと気温は下がらず、今週はまだ暖かかったけど、流石に昨日あたりからグッと寒くなり、久しぶりに暖炉を使ってみた。

 

 
しかし、暖炉がまだ湿っているのか、薪に水分が多いからなのか、いい感じに点火しても燃焼は長続きせず、時々紙とスターターを投入し騙し騙し火を維持しようとしたが結局薪は燃え残り、暖房としてもイマイチの熱量だった。
半年前に燃え残った灰を放置していたせいもあるかもしれず、今度はきっちり掃除してからつけてみようと思う。
 
また、日もだいぶ短くなってきたので、彼が購入していたジムバイクを地下室に設置。

 

 
ほとんど使ってなかった私のマウンテンバイクが綺麗なので後輪を外してシステムにつけた。
無料のアプリをタブレットにインストールし、早速彼は試している。

 

秋だから読書、、、というわけではないが、戦後80年の石破所感に刺激を受け、近代史を学べる本を片っぱしから読んでみた。

 

 
明治維新から終戦までの間の歴史は、ドラマでもよく取り上げられるので、一連の出来事はそれなりに知っているつもりだったが、実は何もわかってなかったのかもしれないと思った。
石破さんが、なぜ戦争が起きてしまったのか丁寧に説明してくれた時に、そもそも、日本がどのように近代国家を築いたのか、私は全然知らないということを認識したのだった。
普通に考えれば、徳川幕府が倒れ、国民の身分が変わり、遷都し、天皇を元首にし、憲法を制定し、政府と議会を作って三権分立の立憲君主制の近代国家を築く、、、という一連のプロセスを、あんなに短期間に成し遂げることはかなり無謀に近いことなのに、なんの疑問を持ったこともなかった。
言われてみれば軍の統帥権も曖昧になったのは想像にかたくない。今は政府を介さず軍の自発的判断が可能なんて信じられないが、武士が統治していた国が、いきなり近代国家になってそもそも軍のあり方を改めて定義できたかどうか。
 
私は文藝春秋が好きで、よく半藤一利さんの記事を読んでいたので、本も買ってたのだが、改めて読んで興味深いと思ったのは、日露戦争の勝利で日本が盛り上がっているときに、夏目漱石だけはやたら冷めていて、「吾輩は猫である」でかなり皮肉っぽく世情を書いたと。イギリスに留学していたせいもあるとかで、やたら納得してしまった。
私も、デンマークに移住しなければ、戦後の日本の高度成長が冷戦のおかげでもあったなんて思いもしなかっただろうし、「失われた××年」と言って、いつかはかつての経済成長を取り戻せると信じていただろう。
 
石破さんの話を聞いて思ったのは、どうして起きてしまったのか、じっくり考えることが大事なんだな、と。
歴史をただ出来事だけを繋げて覚えるだけだと、ものすごく単純に思えてしまうけど、実際には複雑に絡み合っていて、一つ一つが深い。それを忘れると、簡単な解決法があると勘違いしてしまう。
 
これからも学び続けていきたい。

王立病院

今日は色々ついてなかった。。。

先週私が離脱宣言したことも影響したのか、今週はボスニア人のラボテクニシャンがずっと病欠なため、なんだかんだラボ仕事に忙殺されていたら、王立病院から電話があり、嫌な予感どおり、娘の心臓カテーテル手術で心臓の穴を塞ぐことができず、娘がとても落胆してしまったのでできれば早く来て欲しいと言われ、急いで今日の分の分析仕事を終わらせ、車が駐車できるかわからないというのでとりあえず自宅へ。

 

しかし家に帰る途中、彼から電話。

 

 

5月に注文した、この写真のカップボードが、遅れに遅れて今日やっと届くことになっていたので彼に自宅待機してもらっていたのだが、なんとカップボードのガラスが粉々になっていて、二つのオプションがドライバーに提示され、ガラスだけを後日発送してもらうよりも、完成品を別途送ってもらいたいということでとりあえず引き取ってもらうことに。

なんでも、繊細な家具なのに、ほぼ剥き出しで段ボールに入っているだけのお粗末な梱包で、段ボールに傷があり、多分ぶつけて割れてしまったのだろうと。なので、段ボール箱も既にリジット性がなく、きっとトラックから家に運ぶだけでも大変だっただろうとのこと。もちろんそんな粉々になった家具を引き取るのは嫌である。箱を開けた途端ガラスの破片が床に散らばるだろう。

はぁ、これでまた振り出しか??

 

病院からは彼に車で迎えに来てもらおうと、とりあえずバスで王立病院へ。

13時頃行くと言いながら、バスが遅れに遅れて13時15分頃に到着。

 

 
しかし、娘は私は退院できる16時頃来ると思っていたらしい。
なんでも、部分麻酔で手術の一部始終を見てたのだが、カテーテル手術で四苦八苦しながらも最終的に諦めざるを得なくなった時にショックで大泣きしてしまったらしく、それを見た看護師が家族に来てもらったほうがメンタルが落ち着くだろうと私に電話してきたっぽい。
私が病院に着いた時には娘はだいぶ落ち着いているように見えたが。
 
16時までやることないので、滅多に来ることのない王立病院の中をウロウロ。
 

病室の近くの食堂でコーヒーをもらったり、、、

 

地上階には展示もあったので見たり。

 

王立病院の歴史の展示。
知らなかったけど、最初はAmeliegadeにある今のデザイン博物館が病院の建物だったらしい。
1910年に今の所に移転し、60年代に今の建物に建て直しされている。

 

建て直しされる前の王立病院。

 

レゴブロックで作られたロックフェラーコンプレックス研究所
 
セブンイレブンで新聞と軽食を買い、病室に戻ったら、間も無くして看護師が来て、カテーテル挿入部の処置をしてもらい、それほど待たずに医者から呼ばれて説明してもらった。
なんと外国人だったが、外科医のほとんどが外国人っぽい。日本人の外科医もいるそうである。
 
カテーテル手術だと1週間でほぼ元通りの生活に戻れるのに対し、開胸手術だと5日間の入院と、1ヶ月間の安静期間があるので落胆した娘だったが、症例の多い手術なのでそこまで大変ではなく、安静期間も家に閉じこもらなければならないという意味ではないと言われて、いくらか気持ちは楽になったようだった。
 
仕方がないが、ほぼ100%治る病気だからそこまで落胆することもないと思いたい。
しばらく我が家でゆっくりする予定である。
 
おまけ

 

そういえば2週間前に、50歳以降隔年で来る大腸癌のスクリーニング検査の案内が来たので、直後の土曜日に検体をとって容器に自分のIDが印刷されたシールを貼り、同封されていた封筒に入れて郵便局のポストに送った。

 

1週間で電子郵便で検査結果が送られてきた。


保健アプリで詳細の結果も。


 

医療サービスは無料なので自己責任のところも大きいけど、まぁまぁ満足。

娘は開胸手術にガッカリしているけど、手術も入院も無料である有り難みを認識して欲しいと思う。

娘とTivoli

 

秋休みなので遊ぼうと、娘とTivoliへ行ってきた。

でも娘もわたしも仕事なので15時に待ち合わせしたが、そこまで寒くもなく、ブラブラかぼちゃのデコレーションを眺めながら園の中を歩いたり、パンケーキを食べたり、日本へのお土産を物色したりヒュゲリな時間だった。

(いつのまにか入園料だけで200krもすることに驚いたのはさておき)

 

かわいかったけど、日本に行くのはハロウィンのあとなので、かわいいチボリの紅茶缶を購入した。

 

BFや友達が日本にいることもあって自然と日本の政治の状況について話したが、娘は、移民を多く入れようとする現政権に対し批判が集まっていると聞いていたらしい。友達は新自民党総裁に期待しているという。

 

なぜデンマーク人は、若い時から、支持する政党だけでなく、政策について議論出来るんだろうねと言うと、小学校の時から政治の話があるし、高校にもなると国会議員が訪問してきて、政党それぞれの異なる政策を聞く機会がある、そしてその政策によって自分の生活に直接影響するから関心を持たないではいられない、特に自分はトップ税の境界を上げ、高所得者の課税が軽くなり、同時にSUの給付が削られたことに失望している、と娘は言うのだった。

 

また娘は、13歳のときから仕事をし、未成年のうちは8%の労働者寄与税だけだったとはいえまがりなりにもずっと納税し、21歳で家を出て自力で家計を回してきただけに、社会の仕組みに対しても関心が強いのだと思う。

娘だけでなく、デンマーク人の大半が20歳前後で親元を離れ自立していくのも大きいのかもしれない。

 

娘はアカデミックは強くなく、そもそもデンマークでの教育はそこだけにフォーカスしているわけではなく、民主主義国家を構成する一人の独立した社会人を育てることを重視するような教育になっていると思う。

今のこの混沌とした世界では、より重要なことではないだろうか。

 

 
石破さんの終戦80年談話のおかげで、明治維新以降の日本史を今更学んでいる。
これについては考えるところが多くあり、また別途記事を上げたいと思う。

映画「生きる」

今日からラボ仕事から離れ、本来のエンジニアの仕事に戻ることになったが楽しい。

新しい工場で懸念となっていることをプロジェクトにしてもいいか社長に聞き、ゴーサインが出たのでずっと調べものしたり、月曜日に行った25周年レセプションのホストだった准教授のひとに学生プロジェクトのネタがあるか問い合わせが来たので、プロジェクトの立案をしたり、ある問題のために電子顕微鏡でみる案件も二件あったり。

やっぱりエンジニアの仕事のほうが興味深くていいなと思った。

分析仕事も楽しいけどルーチンだから確実に飽きてくるし、ボスニア人と働くのに神経がすり減ってくるし、そしてその労力のわりには、それほどの意義があるわけでもなく。分析しなくてもなんとかなるし、必要でも外注できるし。

正直、彼女の機嫌を損ねないためだけにストレスになってもがんばってきたけど、距離を置かれてもこの決断をしてよかったと思う。

 

昨日は、ミーティングでわたしの意思表明をして疲れたけど、夜、タイムリーなことに刺激を受けるような映画をみて、今日精力的に働くことができたといっても過言ではない。

その映画とは、黒沢明の「生きる」である。

 

 

ちょっと早めにいき、ビールを一杯。

 

このシアター、雰囲気があって大好き。
実はコペンハーゲン市がファイナンスしたパブリックスペースである。
デンマークが文化事業にもお金をかけるところがいいなと思う。
 
 
映画を観て、惰性で生きているのは死んでいるのに近しいが、だからと言って「生きている」実感は遊びからではなく、痛みを伴うものであったり、困難を乗り越えて成し遂げることによって得られるものだよな、と思った。
 
ラボ仕事は、飽きてくる一方で、考えなくても毎日やることがあることで安心していたのも否めない。
昨日のミーティングでそういうルーチン仕事を失い、今日の朝はプチ失業気分で、常にやることを自ら探さなければならない前職の時に似ているなーとも思ったけど、出勤途中に何をやろうと考えながらアイデアが出てきて、出社して社長とすぐに今後のタスクについて話し、調べ物を始めたらどんどん楽しくなってきて、心もとないけど、こういうワクワクする気持ちは久しぶりかもしれないとも思った。
映画のおかげで、惰性で働いていたかもしれない我が身を省みることができたような気がする。
 
それにしても、「東京物語」を観た時も思ったけど、1950年代の映画は味があっていい。
火鉢で暖をとったり、日本独特の生活スタイルや文化が見られて郷愁にそそられる。
お葬式にしても、最近は家族葬が増えていて、同僚や近所の人たちがお通夜に行くことも減っているんじゃないかと思ったり。
 
映画が終わったのが21時半で食べるところはないだろうとマクドナルドで済まそうと思っていたら、近くに中国人経営のラーメン屋があり、0時まで営業しているというので入ってみた。

 

 
そんな美味しそうな店構えではないのに、まぁまぁ美味しかった。
むしろコペンハーゲン初のラーメン屋よりも好きな味だった。
最近はラーメン屋がかなり増え競争が激しくなったせいだろうか。期待以上に美味しかったので驚いた。
ちなみに、デュッセルドルフで寿司屋を経営している人の動画を見たが、最近は寿司屋よりもラーメン屋の方が人気らしい。

 

今日、会社で朝食用のチーズを切らしていたので自分のランチを買いに行くついでに近くのスーパーに行ったら、、、

 

 
おにぎりが売ってたので買ってみた。
美味しくないと評判な上、600円とかするので買ったことがなかったけど、ネタとして。
確かに、お酢がきいているし、米はベチョベチョだったけど、意外に不味くはなかった。
ちょっと失敗した海苔巻きという感じ。
多分、塩よりも酢飯の方がはっきりした味で、デンマーク人にはウケるのだと思う。
むしろツナとかだと油っぽいからむしろ酢飯の方が合うのかもしれない。
 
デンマークで、日本映画→ラーメン屋→おにぎりのランチ、と普通に日本文化に触れられる時代になったのだなと感慨に耽った。

考えた末に

今週はすでにいろいろとあった。。。。。

 

- 一昨日月曜日は、ボスニア人のラボラントから2週間の休暇から帰ってきてからの初日、戦々恐々としたが、細かいトラブルがありながらも雰囲気が悪くないまま仕事ができた。

 

- 月曜日の午後は、コラボしようと思っている准教授の25周年レセプション参加のため、久しぶりに馴染みのある大学の建物に行き、元大学スタッフや前職の元同僚など、懐かしい面々と再会し、アカデミアの空気に刺激を受けた。中でもその一人、わたしをデンマークに移住させる契機をつくってくれた元上司には、断面出しをできるかと聞いてきて、ちょうど先週自力でやったばかりという話をし、転職したこととかもっと話したいし今後コラボの可能性も探りたいと、独立している彼女が構えるオフィスに訪問するアポをとった。なんと、私の彼の会社の目と鼻の先にあるところである。

 

- 火曜日は一変してボスニア人の機嫌が超悪くなり、なんとかなだめつつやり過ごしたが、この繰り返しにうんざりした。

 

- その後、比較的入ったばかりの従業員二人と一緒に危険物講習会に参加、最後にみんなで工場に行き、講師がドキュメントを探している間、興味のあった全自動ラインを見学し、オペレーターにそのシステムについて説明してもらい、新しい工場のプロジェクトに関連しているだけにインスパイヤを受け、もっと生産に近い仕事をしたいと思った。

 

- 講師と社長たちと一緒にランチを食べているときに、実は参加者の一人が居眠りしていて、まだ21歳と若い従業員だけど、学校に通い続けることができず教育を受けていないだけでなく、送り迎えがないと会社にも来れない、難しい若者であることを話し、今の子供や若者の教育について話が及んだ。

 

- 昨日帰る直前、たまたまあるラインは納品物がなくパッシブなまま、退屈そうにしているスタッフの一人と少し話した。

 

こういう流れの中で、昨日の夜から今日の朝にかけ、このまま毎日ラボに張り付いてボスニア人と一緒に分析仕事をメインに働くことに疑問を持つようになり、思い切ってボスニア人に、

「やっぱりわたしがラボで一緒に分析の仕事をするとあなたにストレスがかかってて私が望むほどあなたを助けられているように思えないから、社長とも相談してわたしのタスクを考え直したいと思う。」

と言ったところ、いろいろ言われたが、しばらくした後に社長と次期社長と4人でミーティングをしたいと言ってきて、朝食後に話をした。

 

それで、

- あまりディシプリンとは言えない私のアシストは彼女にとって十分ではないが、だからと言って別のフルタイムのラボラントを雇うほどのタスクはないから今の状況を受け入れるしかないこと

- しかし、もしストレスになるほど現状のタスクが多すぎるのであれば、いくらでも減らす術はあること、なので、休暇をとることに躊躇する必要はないこと

- わたしは基本的に分析のタスクから離れ、別のプロジェクトにフルコミットするが、必要であればヘルプはするし、彼女が不在のときには代わりに分析の仕事をすることも可能なこと

 

などなど話した。

 

ボスニア人の彼女にとっては、複雑な気持ちにさせられたかもしれない。

いざとなったら、彼女のタスクを削ってもいい、と言ったので。

それに関してはちょっと心が痛い。

 

でも、7月からラボ仕事にフォーカスしてきたけど、いろんな問題に触れてきて、やっぱりもっと広い視野で仕事したいし、ボスニア人と一緒に仕事してストレスになっている場合じゃないなーーと。

 

日本の円安騒動を見ても、現状維持で止まるのではなく、必要なときにシフトチェンジしなければと思う。

実際、月曜日に再会した懐かしい面々は、転職している人も多かったけど、それぞれ自分の道を歩んでいてとても励みになった。

厳しい世の中だけど、頑張ろう。。。

自民党総裁選

 

わかりやすく高市早苗効果が見られて面白い。

量的緩和、積極財政のアベノミクスを継承するだろうとの予測に基づき、株価が上がり円安がさらに進んだ。

もし本当に、納税の負担減に伴う国債発行となれば、さらに円安になり、高所得者や資産(株や不動産)を有する人はより富むが、物価は上昇し、低所得者の負担はさらに増すだろうと思われる。

個人的にはデンマーククローナ(ユーロの連動通貨)で所得を得ているので、日本に帰った時に割安感が増していいけど、これによってさらに二極化が進むであろう結果を望んでいたわけではない。

今回、移民政策も取り沙汰されていたけど、インバウンドもかえって増えるような気が。。。

 

けど、経済政策はあまり重要ではなく、リベラル、反リベラルのイデオロギー対決だったんだろうな、と思う。

どう考えても、高市早苗支持者がアベノミクスの恩恵を受けられるような富裕層には到底思えず、それよりも、フェミニズムや多様性受容への嫌悪感が彼女を推す動機になったとしか思えない。

対して小泉進次郎は選択制夫婦別姓に賛成の立場だったし、ミソジニーには受け入れ難いタイプだったろう。彼の知性がよく取り上げられるけど、私は政策としてはむしろ石破さんよりも小泉進次郎の方が好ましいと思ってた。権力に執着するトップの方が全然怖いので、インテリジェンスはイマイチでも小泉の方が全然いいじゃんと思ってた。

 

まぁ夫婦別姓はいいとして、、、私としては、安倍が望んでいた憲法96条改正(憲法の改正手続きに関する項)を、高市早苗が進めることがより恐怖である。

確か彼女は96条改正に興味を持っていたような気がする。

国家主権と言っちゃってる参政党は96条を絶対変えたいと思っているだろうし、やろうと思えばできそうで怖い。

 

しかしこう言ったらなんだが、皮肉なことにこの選挙で、日本国籍への未練がますます無くなった。

ススキ練り切り

 
車庫で、隣の敷地から生えてきているススキもどきが生えてきていたので、取って、時季はずれながら、ずっと作ってみたかったススキをモチーフにした練り切りをこの週末に作ってみることにした。

 

せっかくなので、今スーパーで普通に買える緑のカボチャから餡を作った。

 

 
そして、冷凍庫に保管している市販の白餡と砂糖と餅粉を混ぜて電子レンジで練り切りを作り、、、、

 

 
イマイチだった。。。
久しぶりのせいもあるけど、ベトつきがなくなるまで電子レンジで加熱を繰り返したら、やりすぎてしまってかえってパサついてしまい、硬くて成形しにくく、本当は黄色の月の部分が緑のベースの上に一体になるはずだったのに、乾いて伸ばせず段差ができてしまい、ススキの模様が浮いてしまってわかりにくくなった。
もっと加熱を抑え、しかも柔らかいうちに成形するべきだった。。
初めてトライした時は、逆に加熱が足りなくてベトつきがある時に成形しようとして失敗したので、それを恐れるあまりにやりすぎてしまったのかもしれない。悔しい〜〜。
 
練り切りはやっぱり難しい。。。
近々リベンジするかもしれない。

コペンヒルで坂練

今週は、デンマークで60カ国のトップを招待してのヨーロッパ首脳会議があったり、ハイブリッド戦争の脅威レベルが上げられたりと緊張が走る1週間だったが、私もラボで一人だったので業務はたくさんあってバタバタだった。
 
そして、私のLinkedInのフィードに、Novoに解雇されたというポストも上がってくるように。。。
たった600万人しかいないデンマークで5000人も解雇なんてやっぱりすごい。
というか、34000人も従業員がいたというのがすごいが。。
本当に何が起きてもおかしくない今日このころ。
 
せっかくの半ドンの金曜日に何もしないのはもったいないとコペンヒルへ。
彼も一緒に行きたいと、早退けして二人で行った。
 
 
なんとガーミンを使うのもツールドモンブラン以来で、2ヶ月間全く充電してなかったのでケーブルを繋いでスイッチを入れてもしばらくウンともスンともいわずご臨終したのかと思った。
休日は混んでいるので避けたいが平日はなかなか行けず久しぶりの坂練で、ものすごく遅いタイムだったが、気持ちよかった。
全身血行が巡っていくような感覚。
実は登りよりも下りの方が筋肉を使うのでとても辛かったが、もっと頻繁に坂練をしようと思った。