義父の命日
昭和55年(1980年)8月17日 日曜日胆管がんのために会津の病院で亡くなった義父の今日は命日。。お墓参りに行ってきました。去年は長男が今年は次男が一緒に来てくれました。長男に日程を言ったつもりが「聞いてないよ」と💦休み届けを出さなかったので今年は長男抜きで、、わたしは旦那のお義父さんにはお会いした事ありません。旦那が高校1年の夏休みに亡くなっているので旦那自身も父親との思い出は少ないみたい、、小さい頃義母が体を壊し旦那だけ2年ほど宮城の義母の実家で暮らしまた中学2〜3年にかけては家庭内で色々あって義父とは離れて暮らしていたそうなので義父と過ごしたのは11年ちょっと、、そのたった11年間もかなりバイオレンスな思い出が多くて大変な幼少期だったみたい、、でも今年3月に旦那の思い出巡りと称して会津に旅行に行った時義父の入院していた病院を探し当てた時旦那は義父と過ごした最期の時を感慨深く思い出してました。↑ すっかり変わっていたけれど義父の亡くなった会津の病院さて今日はお昼前に家を出発旦那方の墓地は隣りの川崎市なんですが我が家からは結構時間がかかる場所にあります。1時間半くらいかかって到着今年のお盆は旦那の兄弟の中で一番乗りだったみたいで着いたらお墓の周りは草ボウボウ💦旦那が湯呑み茶碗を次男が花筒を洗いに行っている間に私は草むしり💦墓石も少し汚れていたので綺麗にして湯呑みに水を入れて供えお花を生ける、、でお線香に火をつけようと新聞紙を燃やしたらこの炎天下に加えて燃え上がった火が尋常じゃない熱さでお線香を近づけられない💦あちちっあちちちっあっつーーーー💢無理ですそのうち新聞紙が燃え尽きてしまったので仕方なくチャッカマンから直接火をつけました💦すみません、、次からは風防式のライターを用意しますまた来年次は4月の義母の命日に合わせてくるからねー。帰りはご飯を食べに寄り道。Hawaiian dining cafeだったせいなのかマウイへの義援金の箱が設置されていました。ラハイナ在住の友達が被災して避難生活をしているのでなんとか直接支援できないものかと同級生たちと模索している最中。。こうした取り組みを見つけると嬉しくなります。夕方帰ってきてからコロナに罹患してしまった叔母の施設に電話。その後熱が再度上がる事もなく叔母はすっかり元気になったそうで施設の他の人もいまのところ誰もうつされてない模様良かったぁ、、