婆さんのものが片付けられない、、


介護関係の大量の書類

衣類

オムツ

栄養剤

薬、、などなどなど



胸が苦しくなったのは


婆さんの部屋から

レンタルしていたベッドが引き取られた時


婆さんの匂いのついた枕のカバーを洗った時


婆さんがショートステイに行く時に使っていたスーツケースの中身を出した時


婆さんのために撮り溜めていた

時代劇やサスペンスなどの特番のデーターを消す時


結局婆さんが結末まで見ることのできなかった

連続ドラマの続きのデーターを消す時


介護に必要だと買った

いろいろな介護用品や看護用品を

これどうしようと

見ている時



悲しくなるというよりも

胸が苦しくなって息が詰まるような感覚になって

じっとしていられなくなってしまう


まだ

片付ける気持ちになれない



前の記事「記録①〜⑧」の続きになってしまうけど、、


10月3日(月)


ようやく葬儀屋さんから領収書が届く。


早速

役所からもらっておいた葬祭費の請求書に書き込んで

翌日郵送。


支給までには約2ヶ月かかるんだそう、、


10月4日(火)

自動車税減免の更新手続き書類が届く。


忘れてた、、

第1級身体障害者だった婆さんの

障害者特典?はもう一つ


あらかじめ申請してあった車両の

自動車税の減免を受けていた。


我が家の場合は全額免除、、


毎年この時期になると

翌年度の自動車税の減免を受けるかどうかの

書類が送られてくる。


毎年更新していたが

今年はとうとう減免の申請ではなく

該当障害者死亡のため

その資格は無くなりました、、という申請、、


送られてきた更新申立書の

婆さんの欄に「変更あり」

と記載して

変更の理由を書く欄に

「◯年◯月◯日、本人亡くなったため」

と書き込み

死亡診断書のコピーを添付。


郵送して終了。


10月6日(木)


生命保険会社より

生命保険の支払いの通知が届く。


年賀欠礼の喪中のお知らせ用に

ハガキを購入。

毎年年賀状はパソコンで作っていたので

喪中ハガキも自分で作ろうと思っている。

とは言うものの

年賀状のやりとりも昔ほど多くはないので

30枚だけだけど、、


10月11日(火)


介護保険の資格喪失による

介護保険料額の変更通知が届く。


年金から徴収されていたうち

8月の年金から天引きされていた分が

1500円ほど安くなる、、らしいけど

その差額は戻ってくるのか、、な⁉️


10月12日(水)


後期高齢者医療保険料額変更決定通知書が届く。

宛名は婆さんの名前ではなく

◯◯様のご家族様宛て、、


死亡により(保険料額を)変更しました。

と、、


9月以降が空欄になっていることに

寂しさを感じる、、


10月15日(土)


ケアマネさんが婆さんに会いにきてくれた。

婆さんの好きなビールと日本酒とワインを供えてくれる。

いつも月一で翌月のケアプランを持って

訪問してくれていたが


「もうそれも無くなっちゃうんですねぇ」

なんて話したり


思い出話とか雑談とか、、


叔母のケアマネも兼ねているので

これからもお付き合いは続くけれど

訪問は施設に行かれるので

我が家に来ることはもう、、


寂しいですね。


使うことのない

オムツや栄養剤や購入した車椅子やら、、

どこか引き取ってくれるところはないかと相談。


車椅子は

婆さんが利用していたショートステイに聞いてみてくださるとの事。


栄養剤は処方で出てるので

引き取ったとしても処分するしかないと、、


メルカリで売ったらどうかと提案があったのだが、、

サイトを見て

ほかの方が販売しているものの写真や注釈を見ていると

こんなに細かく記載しないとダメなのかーー

と。


お金を出して買ったものも多いので

売って少しでも回収できれば

と思わないことはないが

消費期限があるものが多いので

本当に必要としている方に

無料で差し上げるのがいいんじゃないかな、、


要は単に面倒くさいんだけどね。


10月17日(月)


今度は訪問看護師さんが会いにきてくれた。


キレイなお花を持って、、


訪看さんにも

使わなくなったオムツやエンシュア

などなど

引き取り手はないかと相談。


オムツはご自分のお父様用に使いたいと言われたので

後日差し上げることに、、


他のものは

同じ事業所のほかの看護師さんたちに聞いてみてくださるとの事。


10月20日(木)


母の妹たちと付き添いで従姉妹が来訪。

納骨前に婆さんに会いたいと、、


気を使わなくていいのに

御仏前をいただく、、


「これは決まり事だからね」


うん、分かっているよ、

叔母たちはきっと昔ながらの仏教式の決まり事をきちんとしてくれたんだということは、、


こればかりは

それぞれの信仰心の問題だから

いくらそういうのは関係なしで、、と言っても

それは私たちの押し付けでしかないんだなぁと

今回の葬儀を取り仕切ってみて

改めて感じた。


って今これを書いてて

ふっと

昔のことを思い出す。


息子たちがまだ高校生になる前

16才からは働ける年齢になる。

中学を卒業して働くか高校へ行くか

高校へ行きながらバイトをするか

いずれにしても労働できる年齢に達するんだから

我が家では高校生になったらお年玉はあげないと

宣言。


当時は

毎年母方の親族が1月2日に叔母の家に集まって

新年会をしていたのだが


息子たちより年上の従兄弟の子たちにも

私たちからのお年玉は中学生までで打ち切った。

婆さんは叔母として渡していたが、、


お年玉のことも葬儀の形も

慣習とか

決まり事だとか

そーいうのには我が家は倣いません!って

ただぶち破りたかっただけなのか、、


そんな我が家流、、

今思えば

これも押し付けだったのかなぁ、、なんて



10月22日(土)


明日はいよいよ納骨、、

49日なんて過ぎるのが早い、、


婆さんのお骨、、

もっと家に置いておいても良かったな、、


お骨までなくなっちゃったら

余計に寂しくなっちゃうな、、


明日

お墓に納めたら

もう二度と見ることは無くなるなぁ、、

と思って

骨壷の蓋を開けてみる、、


遺骨ペンダントに

お骨の一部と髪の毛を納めた残りを骨壷に戻した時以来

婆さんのお骨を見る、、


厚みのない

ところどころ鬆が入ってしまっているお骨、、


数年間

栄養剤だけで生きてきたんだもん、、


骨も痩せ細るよね、、


蓋をして

木箱ごと抱きしめたら

涙が出てきた、、


もう明日で

いなくなっちゃうんだねー


声にならない音を漏らしながら

ぷぷっと笑う婆さんの気配がするような気がした


ベッドに寝ている婆さんに

覆いかぶさるように抱きつくと

そんな風に笑って


時々

頭をポンポンって叩いてくれたっけ、、


10月23日(日)


今日はいよいよ納骨の日。


骨壷、位牌、写真、お酒、、などなど

必要なものを車に積んで


11時に霊園事務所で手続きをして

12時から納骨

なので


渋滞を避けるために朝早く家族4人で家を出る。

久々の日曜日の遠出、、


高速を使って約1時間半

最寄りのサービスエリアで朝食をとり

時間潰し、、


弟から連絡が入り

霊園近くの道の駅に着いたと言うのでそこまで移動。


弟の嫁と甥っ子姪っ子たちは

姪っ子の発熱で今日は不参加とのこと。


時間通りに事務所に行き

納骨料金の支払いと

墓誌に新たに婆さんの名前入れをするための手続きをして


墓地の場所へ。


すでに霊園の係の人がいて

カロートの蓋も開いていたので

すぐに納骨の準備に、、


骨壷を箱から出して

針金で

墓地番号の書かれた札を結びつけて

爺さんの骨壷と並べて入れらる。


仲悪かった2人、、


「あの世いってまでも喧嘩しないでよ」

と冗談まじりに声をかけて


蓋は閉じられた。


葬儀も納骨も無宗教で行ったので

これで納骨の儀式はおしまい。


そのあと

今日くらいは花も豪華にしようと霊園の売店で買った花を供えて


持参した写真やお酒

お線香も焚いて


ひとりひとり手を合わせる。






あぁ、、

これで本当に葬儀からの一連の儀式?終わっちゃったな。


私の元に残ったのは

ペンダントに納めたわずかな婆さんのお骨と髪の毛、、


ギュッとペンダントを握りしめる、、


帰宅して

祭壇代わりにしていた棚の上に


じいさんと婆さんの写真と

義母の写真を並べる、、




お花、、萎びて来ちゃった、、



10月24日(月)


叔母たちへの香典返しを

小さなお葬式のサイトから手配する。


戴いたお香典の額と供花の金額の合計の半返し。


決まった品物を送り付けるよりも

好きなものを選んでもらえるように

カタログギフトにする。


定型の挨拶状と弔事用の外熨斗がサービスで付くらしい。


相手の名前、TEL No.、住所、ギフトをそれぞれ選んで

差出人の名前、住所、TEL No.を入力して

カードで決済。


数時間後に

「11月1日に発送します」とメールが届く。


なんて簡単、、


あとは

11月1日に届くように

欠礼ハガキを印刷して発送する予定。


原稿はもう作成済み。





あと10年は介護生活だと思っていた矢先の

婆さんの死


60才越えてから自由になっても

何が出来るのかなぁ、、なんて思っていたのに


わたしがまだ50代のうちに

あちらの世界に旅立って行った婆さん


これから10年先の介護生活

覚悟は出来ていたんだよ


それまで正直ジタバタしていた時もあったけど


なんだろう、、

婆さんが生きていてくれているって事が

私自身の心の支えになってる

って感じ始めて


婆さんにとっても私はいなくちゃ困る存在だったかもしれないけど


私にとっても

婆さんの存在自体が

私が生き続ける意味になっていたと言うか

いるのが当たり前、、と言うか


うまく言えないけど

心の拠り所、、だったんだよね、、


それなのに

急転直下、、


それまで何度も死にそうになっては復活して来た婆さんなのに


わずか6日で

旅立っちゃって、、


でもね、、

落ち着いた頃にふっとね


これは婆さんが最後にくれたプレゼントなのでは、、

と思ったのよ。


早めに逝ってあげるから

あんたの残りの人生

どう生きるのか

見てるからね


って言ってくれているような、、、


まだ

自分の、、

婆さんなしの自分だけのこれからの人生を考えられるまで

気持ちが上向きにはなってないんだけど


このまんま

つまんない生き方してたら


せっかく早めに逝ってやったのに

グダグダ生きてるんなら

早々にあんたもこっち呼ぶよ💢


とか言われそう、、


趣味があるわけでもなく

手に職があるわけでもなく

これから何をしたいのかも

何ならできるのかも


分かんない、、いまは。


とりあえず

今までのバイト先で

少しシフトを緩めてもらってバイトさせてもらって

ありがたいことに友達からも飲みの誘いを受ける機会がちょこちょこあるので

友達と会って話して


全国旅行支援も始まったので

利用しよっか

なんて家族で話したり


年内は

このまま少し緩めに過ごしながら

いっぱい考えたいと思ってる。


叔母ちゃんがいるから

何かあった時ある程度動ける状態にはしておかないとならないけど


旦那の定年もあと2年切った事だし

真剣にこれからのこと

考えざるを得ない時期でもあるんだよね。


でも

婆さんからのプレゼント

きっと有効活用できるように

答え出すから


その道を選らんだか、、とか

えぇマジで、、とか

あらあら、結局?、、とか


ただただ現在の延長、、ではなく

変化はつけたいな

と思ってるから


あの世で見守っててよ。


万が一

現在の延長になったとしても

それはダラダラ惰性でそーなったんじゃなく

決断してそーなったと

思ってくれ。



49日って早過ぎるなー、、


年内は緩めにとか言ったけど

あんまりゆるゆると過ごしてると

あっという間に年末

あっという間に一周忌

なんてことになってしまう💦


気、、引き締まるかな、、


うーん、、

まだ難しいかなぁ、、