出会ったのは約40年前

あなたは成人したばかりくらいで

私は中学生

あなたと私の関係は、、

最初は同じ劇団員として

その後もろもろバレて

塾長の娘とその塾の生徒になり

直接

顔を合わさない日々を経て

会長の娘とその会員になり

社長とその会社に所属する芸人になり

最後は

友人と言って良かったんでしょうか、、

会社がなくなった後も

あなたは私を社長と呼び

私もあなたをさん付けで呼んでいましたが

共通の話題で盛り上がったり

愚痴を吐き出したり

悩みを吐露したり

私には

友人でした、、

去年11月初め、、ころ

あなたが電話をくれた時に

婆さんが亡くなった事を話したのが最後の会話になってしまいました

あなたは慰めてくれましたよね

婆さんとの思い出話を聞かせてくれましたよね

会いたいと言ってくれましたよね

でも

婆さんの葬儀やら納骨の後で

やる事が山積みだった私は

いろいろ片付いたころ

たぶん年が明けて

暖かくなる頃になってしまうかもしれませんが

そしたらゆっくりお会いしましょう

と言ってしまいました

あなたが

具合が悪くなったのは11月だったと聞きました

あの時の電話口のあなたは

とてもハキハキした口調で

体調を崩しているようには思えませんでした

私との電話の後で

体調に変化があったんでしょうか

もしかしたら

なにかご自分の変化を感じて電話を?

いや

もしかしたらもう病状を知って連絡をして来た?

ご遺族の方から

病院に行ったらもう手遅れで手術もできなかった

と聞きました

2ヶ月だけ入院して

お正月に一旦退院をして家に戻って来て

あなたはきっと

身辺整理をされたんでしょう

あなたが作ったHPが閉じられているのを

さっき気がつきました

「亡くなったら連絡して欲しい人」リスト

の一番最初に私の名前を書いてくれたんですね

ご遺族の方が

教えてくれました

4月30日に亡くなるまで

なぜ

一度も連絡をくれなかったんですか

連絡する余裕がないほど

辛かったんでしょうか

それとも

婆さんを亡くした直後の私に

気遣ってしまったんですか

また同じことの繰り返しです

また後悔です

人とは会える時に会っておかなきゃと

以前も思ったはずなのに

先延ばしにしたが為に

永遠に会えなくなってしまった

喪中のために

年賀状を出せない年に限って

こうやって人の訃報を聞く

「便りのないのは良い便り」

なんて

嘘。

ちっとも

良いこと、ない


高橋令子さん

天国で旦那様と再会してますか

沖縄の空まで飛んで行ってますか

心は軽くなってますか

もう薬を飲まなくてもいいですよ

どうか天国でも

大道芸をやり続けてくださいね

あなたの南京玉すだれ

どの方よりも所作が綺麗だと私は思っています



あ、さて、あ、さて、

さては南京玉すだれ

世にも不思議な玉すだれ

合掌