婆さんが亡くなって2ヶ月を過ぎて、、

もうやることもそんなにないだろうなぁ

なんて思っていたけれど


だらだらと婆さんの死後の手続き関係が続く


また前回の続きになっちゃうかなーー💦



10月17日(月)


身障者手当の未支給分が私の口座に入る


10月26日(水)


中学高校時代の同級生が

ブリザーブドフラワーを持って来訪




前日にいっしょに飲みに行き

婆さんが亡くなったことを話したら


さっそく婆さんに、と持って来てくれた


彼女のお母様が

まだ私たちが中学入学したての頃

保護者会で会った婆さんの事を覚えていると、、

家が近かったので

いっしょに最寄り駅まで帰って来たんだ

というお話しをされたと聞いて


私の知らない婆さんの話を聞けて

ちょっと嬉しい


10月28日(金)


後期高齢者保険の未払金と

介護保険の未払金があると通知が届き


遺族代表者の口座を記入して返送するようにと

書類が届く


即日記入して投函


11月1日(火)


香典返しの発送が完了したとメールが届く


年賀状欠礼ハガキを投函する


11月2日(水)


手渡し分の香典返しが我が家に届く


同日

ケアマネさんから連絡が入り

婆さんを月一で預けていたショートステイの施設が

ティルト式車椅子を寄付の形で引き取ってくれることに決まった


余ったおむつとお尻拭きは

訪問看護師さんが引き取ってくれることに決まった


11月6日(日)


欠礼ハガキを見て婆さんが亡くなったことを知った知り合いから電話、、


その方とは私が中学生の頃、、

40年前に出会い

その後も父の仕事を通じて関わりが続き

父の仕事を引き継いだ後8年間

共に仕事をしてきた仲だったので


思い出話も

40年前まで遡って

薄れていた思い出が懐かしく蘇る


11月8日(火)


一昨日電話した方から

御仏前が書留で届く


すぐに電話で気を使わせてしまったこととお礼をしたが、、


お返しをどうするか

また調べることに、、



水道使用量のお知らせが郵便受けにはいっていた


婆さんが亡くなってからの2ヶ月分、、

5000円近く安くなっている、、


週2回の訪問入浴がなくなり

毎日の洗濯物もかなり減ったので

そーなるかーーー、、


水道代が安くなって嬉しい反面

婆さんがいなくなった事実は

こんな形でも思い知らされるんだなぁ、、

と感じる


11月9日(水)


昨日御仏前をいただいた方に

お返しを送る、、


発送は申込日から10日前後、、ということだったので

ちょうどいいかな。。


11月10日(木)


叔母の施設に介護費用の支払いに行った際に

使わなくなった婆さんの介護用品のリストを持っていって


施設で使ってもらえそうなものがあるか

見てもらう。


事前に電話で話はしておいたので

渡したリストから

使えそうなものをピックアップしてもらい

後日届けることにした。


11月11日(金)


欠礼ハガキを見た別の友人から

御供のお菓子が届く、、


昼間電話したら留守電、、

お仕事だろうと思い

夜にまた電話をかける、、


久しぶりの電話だったので

1時間半もしゃべってしまった💦


彼女とは高校時代同じ部活で

文化祭に向けて作品を仕上げるために

 (ちなみに漫画研究部でしたニヤリ)

何度か彼女の家に泊まりに行ったり

私の家に泊まったりして

朝方まで作品を描いていた思い出とともに

双方の親とも何度もお互い会っていて


彼女のご両親はすでにお二人とも亡くなっているので

そんなこんなの懐かしい思い出話が

ついつい止まらなくなってしまった💦


11月12日(土)


叔母の施設に再び向かう。


先日施設の方にチェックしてもらった

引き取ってもらえそうな物品を車に積んで、、


施設に着いてから

事務所まで車から3往復して運び入れたが

担当の方がお休みだったので

「もし実際見てみて、これはいらないなというのがあったら、次回来た時に引き取るので

置いておいてください。」

と伝える。


でも、早速、持参した体位変換用の三角クッションを

「これ、いま、使いたいです」

と言われ

入居者さんのお一人の部屋に持っていって使ってくれた。


使う人がいなくなった介護用品、、

捨てればゴミになってしまうけれど

またまだ使えるものばかり、、


こうやって必要な方に使ってもらえるのは

とっても嬉しい。


叔母はデイサービスに行っていて留守だったので

次は、、来月になっちゃうかな💦

訪問する予定。。


11月16日(水)


訪看さんが

オムツとお尻拭き

そして

胃瘻の滴下ボトルで使用するシリンジを

引き取りに来てくれる。


ほかに使えそうなものはないか、、

と残ったものを見てもらったら

個包装の眼の洗浄綿や

アルコール消毒綿を引き取ってくれた。


我が家で使えないわけではないけれど

使用期限までに使い切れないほどの量が余ってしまったので

使用頻度の高い方に消費していただくのが

ベストだと思ったので

引き取ってもらえてよかった。


11月17日(木)


月一利用していたショートステイの施設の方が

ティルト式車椅子の引き取りに来てくれた。


譲渡するために必要な書類にサインして受渡し。


運転して来た方が

いつも婆さんがショートに行く時に

送迎してくれていた方だったので

いままでのお礼を直にする事ができた


これで

ほとんどの介護用品が引き取ってもらえた


あと手元に残ったのは

経管栄養剤のエンシュアHが24本と

胃瘻用の経管ボトル8個とカテーテル8本

PEGカテーテル8本

ボトルの滅菌用に買った赤ちゃん用の哺乳瓶を漬ける「つけるだけ」2本

パンツ式オムツMサイズ2個

それにネックピロー数個


さすがに特殊なものばかりが残ったので

もうこれ以上は引き取ってもらえるところは

見つからないかなぁ、、


そーいえば

先日ちょこっと荷物の整理をしていた時に

以前婆さんにまだ中心静脈カテーテルが入っていた頃

家で点滴をするために使っていた備品が

ゴソッと出てきた。


もうすべて使用期限が過ぎているものばかりだったけれど

中に針なんかも入っていたので

これは医療ゴミとして薬局に持って行かなきゃならないヤツだな、、と。


ケアマネさんに連絡すると

いままで婆さんの薬を届けにきてくれていた薬局さんで引き取ってもらえる事に、、


後日持っていきます、と返信


まだ婆さんの枕も捨てられないし

箪笥の中の衣服には全く手をつけていないので

それもおいおいやってかなきゃなーーと、、




先々週くらいから

暇があると食べてばかりいる、、


飲みに行く事も増えた、、


ひとつひとつ

婆さんのものが片付いていくにつれ


空虚、、?

虚無感に襲われて


イライラ、、なのか

ワサワサ、、なのか

なんだか気持ちがざわついてくるように、、


何をしても

してる時は楽しんでいるのに

終わるとスーーーっと波が引くように

つまらなくなる


婆さんを看取るまでは倒れられない

婆さんがいる限り元気でいなきゃいけない


私がしっかりしてないと

誰も婆さんの面倒は見られない、、


責任感というか

義務感というか


婆さんがいるから

私の存在価値を確認出来ていたような、、


家族にご飯を作って

全部ではないけれど家族の洗濯物をして

共有部分の掃除をして

バイトに行って、、


やってることに変わりはないのだけれど


息子2人とも成人してる今


別に私がいなくても

たぶん生活は回っていくんだろうなぁ、、と。


時間的にも

物理的にも

もしかしたら精神的にも

いたら便利だけれども

絶対いなきゃならない状況ではない


婆さんにとっては

私がいなければこの家で生きていく事ができなくなる存在、、だったんだと私は勝手に思ってて、、


そこに絶対的な存在価値があるような気がしてたんだけど


婆さんが死んだ今、、


この先やりたい事もあるわけでなく


いや、

あったんだけど


現実問題、、それはとても叶わない事だと

人に話せば話すほど

思い知らされて


少し意気消沈気味になってしまったら


今度は

虚無感が襲ってきて


食が増え

酒が増え

タバコも増える、、という


なんとも情けない状態、、


婆さんに私が必要だったように

私にも婆さんが必要だったんだと

思い知らされてる、、


婆さんの写真をじっくり見ていると

婆さんの手の皺から

手の感触が蘇る


婆さんの枕の匂いを嗅ぐと

婆さんの髪をとかしている感覚と

婆さんに抱きついた時の感触が蘇る


あんなに必要としてくれた人が

今ここにいないことが

もう婆さんの知らない時間の流れの中で

余計に

身につまされる


いまの世界情勢も

このクールのドラマも

こんな事件も

婆さんは知らない、、


婆さんがいなくなってから起きた出来事は

日に日に多くなっていく


父が亡くなった時も

同じことを思ったけれど


今回はやけに

胸にズンと来るなぁ、、と思ってしまう


婆さんが恋しい、、


ようやく生活が落ち着いてきたから

なんだろうな、、


今になって

婆さんロスに陥ってる私、、


婆さんに使ってた時間を

丸々持て余している毎日、、


じゃぁ、何かやればいいじゃん

って思っても

何やる?

何がやりたい?


特にない、、


ひさびさに本を読む。

読んでる時は夢中で読む。

その世界にどっぷりハマる。


読み終わると

再び虚無感が頭をもたげる。


…で

また違う本を読む。

漫画も読む。


葬儀後はバタバタして

感傷に耽っている暇はないけど

落ち着いてくる頃に

じわじわ来るよー


と友達に言われたことを思い出した。


父の時に経験したはずなんだけど

すっかり忘れてた、、


もう26年も前の事だからなぁ、、


実は最初の一ヶ月くらいの頃

この婆さんを恋しく思う気持ちに

私はならないんじゃないかと思っていた


在宅介護をすると決めたからには

覚悟を持って看取りまで

やり遂げる、、


それだけが

いままでの私の目標、、


それを

成し遂げた、、


慌てる事なく

取り乱す事なく

最期の瞬間もそばに寄り添えた


言い方は変だけど

ある種の達成感、、なようなものがあったのかもしれない、、


婆さんが亡くなってから

淡々と葬儀に向かって割と冷静に物事を進めてきて

葬儀の次はこれ

その次はこれ、、

時々涙が出ることはあったけれど

ダメダメ

深く考えない

目の前のことをこなす事に集中集中


と言い聞かせるように

やって来て、、


って言うと

から元気を装ってたんじゃないかと思われがちだけど


ふと

私は婆さんが死んでも

悲しんでないんじゃないか?


周りが心配するほど

自分が想像していたほど


私はショックを受けてないんじゃないか?


もしかして

もういい加減この辺りで解放してくれないかなーー

なんて

実は婆さんの死を望んでいたんじゃないか?


実は

わたし親の介護してるんです

って言いたかっただけなんじゃないか?


ホントはすっごく冷たい人間だったんじゃないか?


婆さんが死んで

ホッとすると共に

解放感で満ち溢れてるんじゃないか?


じゃなかったら

婆さんがいなくなった事に

慣れるの早すぎるだろうと

思ってしまうくらい


この2ヶ月

割りと普通に生きてこられちゃっていたような、、



そしたら

ここへ来て

いきなり婆さんロスが

胸を締め付けるように襲ってくるようになって来て


胸が苦しくなるたびに

少しホッとしてたりして、、


あ、、


なんだ、、


やっぱり

ショックだったのかな、、


悲しかったのかな、、


冷徹な人間な訳ではなかったのかな、、


なんて

思ったりして、、



気がつくと

目が涙で濡れている


婆さんの事を特に考えていた訳ではない時でも

なぜか

涙がチョチョ切れている、、


ついこの間まで

なんて事なかったのに

なんで今こーなのかなーと思うほど

わたし

ヤバい💦💦


そんな自分が笑えてくる、、


基本

婆さんがいなくなっても

家に引きこもりがちな私が


家族が出払った家でひとり

真っ昼間から

泣きながら

笑ってる


なんてシュール、、



時が解決してくれるだろうと

誰もが言うだろうし

わたしもそう思う


葬儀からしばらくの間

淡々と過ごして来た日々も必要だったんだろうし


いま

この情緒不安定な時間も


きっとこれから私が生きていくためには必要な時間なんだろうなと


思う事にする


家に引きこもらないようにするために

外に出る口実を次から次に入れている

来月からは仕事の量も増やす


一人でいてはダメだ

暇な時間を少なくしなくちゃいけない

じゃないと

自分で自分をどんどん深いところに落としていきそうだ


それでもやっぱり

いま思ってしまうのは


婆さんの温もりがもう一度欲しい

婆さんの匂いがもう一度欲しい

婆さんの気配がもう一度欲しい

婆さんに触れたい

顔が見たい


婆さんが恋しい


そんな事ばかり、、、