日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ -9ページ目

「五感を研ぎ澄ませると見える世界:植物も感じて生きていること、知っていましたか?」



皆様こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

日々の暮らしの中で、ふとした音に癒されたり、漂う香りに記憶を呼び起こされたり、

手にしたマグカップのぬくもりに安心したり――。

私たちは、思っている以上に「感覚」に包まれて生きています。

人間の身体は、まさに“感覚の集合体”。

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚、それぞれが精妙なセンサーとなって、

世界と自分を、瞬間ごとに結び直しているのです。




■ 五感は“心と世界の橋”

たとえば視覚。

誰かの笑顔、夕焼けのグラデーション、影のかたち。

それをどう感じるかは、その人の心のレンズによって異なります。

聴覚は、外の音だけでなく、内なる「声」を聴く感覚。

雨音が心を鎮めたり、あるいは無音の中に真実を聴き取ったりすることもあります。

嗅覚と味覚は、記憶と密接につながっています。

幼い頃に食べた料理の匂い、旅先で出会った味。

それらは、私たちの時間軸を飛び越えて、感情をゆさぶります。

そして触覚。

手を握る、肩にそっと触れる。言葉以上の癒しやぬくもりを、私たちは肌で知っています。

この触覚だけは、デジタルでは代替できない、人間の本質的な感覚なのかもしれません。




■ 人類の進化と感覚の深化

人類の進化は、道具を使うことや脳の発達によって説明されがちですが、

実は「感覚の鋭敏化」も進化の大きな柱でした。

危険な匂いを察知する嗅覚、獲物の気配を感じ取る聴覚、

食べられるものを見分ける視覚――。

感覚を高めることは、生き延びるための必須条件だったのです。

そして、感覚の発達によって「感情」や「共感」も進化し、

やがて芸術や宗教、哲学、そして“つながり”という概念が生まれました。

つまり、人間らしさとは、高度な感覚から生まれる心の動きであり、

感覚とは単なる器官の反応ではなく、“魂の通訳”なのかもしれません。




■ 植物にも感覚がある?

この話を、さらに深く掘り下げるなら――

植物にも、私たちと同じように「感じる力」があることに、ぜひ触れておきたいと思います。

植物には目も耳もありません。

しかし、光の強さや方向、温度、重力、音、さらには隣の植物が発する化学信号さえも“感じ取る”能力があります。

近年の植物生理学では、植物が振動に反応して根を伸ばす方向を変えたり、

隣の植物の「悲鳴」に化学的に応答することも確認されています。

たとえば、害虫に襲われた葉が「助けて」と信号を出し、近くの仲間がその葉を苦く変化させて防御する――

そんな現象は、まるで“植物同士の会話”のようです。

さらに面白いのは、植物の根には“感覚中枢に似た構造”があるとも言われており、

ある科学者は「植物の根は地下の脳だ」と表現しています。




■ 感覚の進化は、人間と植物をつなぐ

私たち人間は、目に見えるものだけで世界を判断しがちです。

けれど、**植物のような“非言語的な感覚の生きもの”**が持つ知性を知ることで、

私たちの感性のフィルターはもっと広がります。

人間の五感と、植物の感覚。

一見まったく違うようでいて、**どちらも“生きるために世界を感じ取る力”**という点で、共通しています。

つまり――

人間も植物も、感覚を通じて、この世界と深く結びついて生きているのです。

目に見えない共鳴、言葉を超えた対話。

そんな繊細なつながりに、もう一度耳を澄ませてみたくなる夜です。



息が詰まる暮らしではなく、静かに呼吸できる距離感を探して


皆様こんばんはいかがお過ごしでしょうか。

息子が体調を崩して帰国してからというもの、毎日ヒヤヒヤしながら過ごしていましたが、ようやく快復し、再び出国していきました。ようやく少しずつ、私自身も日常のリズムを取り戻し始めています。



最近、心に引っかかっているのは「人との距離感」のこと。

たとえ身近な存在であっても、感覚の違いをどう伝えるか、どこまで許容するか——それを考え続けるだけで、心がどっと疲れてしまうのです。




 ■ “呼吸ができる暮らし”とは?

私が求めているのは、完璧な暮らしではありません。

ただ、日々の中で気持ちよく呼吸ができる空間を保ちたいだけ。

たとえば——

  • 使ったコップが所定の場所に戻っていること

  • 脱いだ服が適切なタイミングで洗濯されること

  • テーブルの上が整っていて、穏やかな灯りがともっていること

それだけで、心がふっと落ち着きます。

でも、そんな「整い」が軽く笑われたり、共有されなかったりすると、正直、胸の奥に小さな孤独が生まれてしまうのです。




■ “そもそも感じ取れない”人もいるという現実

相手に悪気があるわけじゃない。

でも、こちらが不快に感じることを、そもそも相手は「不快」として認識していない可能性もあります。

これは、脳の仕組みや遺伝的な違いから生まれる感覚のズレです。




● 遺伝子レベルでの“整頓感覚”の違い

セロトニン受容体の違いや「SLC6A4」といった遺伝子の働きにより、人には「秩序」や「清潔」に敏感なタイプと、そうでないタイプがいます。

  • ある人にとっては、コップが戻っていないことが“警報レベル”のストレスでも、

  • 別の人にとっては、まったく気にならないどころか、「なんでそんなに気にするの?」と思われてしまう。

これは、「感じ方の違い」ではなく、「感じる能力の差」なのかもしれません。




● 脳の構造による見え方の違い

  • 前頭前皮質が活発な人:計画性や共感性が高く、整頓や配慮が自然にできる

  • ドーパミン報酬系が優位な人:今この瞬間の快適さを優先し、秩序や配慮に注意が向きづらい

「片付けができない人」は意識が足りないのではなく、脳のOSが違うのかもしれません。




■ 男性脳・女性脳の違いにもヒントがある

進化心理学的には、

  • 男性脳は「狩猟」=目的に集中する機能に特化し、

  • 女性脳は「空間管理」や「相手の心を読む」能力に優れているとされています。

つまり、自分にとっては“乱れたリビング=心理的侵入”でも、相手にとっては“少しくらい置いておいても支障ない”くらいにしか感じていないことも多いのです。




■ 摩擦を減らす距離感の設計図

ではどうすれば、お互いが摩耗せずに暮らしていけるのでしょうか。

1. 共有ゾーンには“合意されたルール”を

  • 「リビングには私物を置かない」

  • 「使ったコップは当日中に戻す」
  •  鍵を決められた場所におく

  • 「週1回のリセットタイム」など

こうした仕組みは、「正しさ」を押しつけるためではなく、“脳の違い”を前提にしたインターフェース管理として有効です。


2. 個室は“パーソナル自由領域”として割り切る

  • 相手の部屋の乱れには口を出さない

  • 自分の“癒し空間”を確保する(読書・アロマ・無音の時間など)

→ 心のセーフゾーンを確保することが、共に暮らす上での土台になります。




■ 最後に:違う“OS”で生きていることを前提に

自分と生活を共有する人は、同じ空間にいても、まったく異なる感覚のOSで動いているかもしれません。

  • 自分のOS:「整っていること=安心=愛情」

  • 相手のOS:「雑でも問題なければOK」

ここに優劣はありません。

でも、この違いを知らずに「同じOSで動いているはず」と思い込んでしまうと、心は疲れてしまいます。オマケにそのOSを潰さないように生活させて欲しいなんて言われても…。

だからこそ、「共通操作マニュアル」を一緒に作ること。

それが、穏やかに暮らすための、最も科学的で現実的なアプローチなのだと思います。あらためて認識しました。だけど、感情的になりすぎてしまうのです。毎日修行ですね。




「住まいは、もう一つの神経系」



皆様こんばんは♪いかがお過ごしでしょうか。

ようやくGWも終わり、日常が戻ってきましたね。私は相変わらず通常運転でしたが、体調を崩した息子が一時帰国しており、少しハードな日々でした。

またすぐ旅立ってしまうのでしょうけれど、家に一瞬でも灯が戻るのは、やはり嬉しいものです。



さて、最近また物件を探しています。お庭があり、できれば一戸建て。畑ができたらもっといい。そして何より今の私が求めているのは——

自然が豊かで静か、治安が良く、空き家の少ない、暮らしの温度が感じられる土地です。

実は、こうして新しい場所を探したくなるのは、単に「住環境を変えたい」という理由だけではなく、心理的・環境的な要因がいくつも重なって起こるもの。

人は、節目のタイミングや心が揺らいだときに、「引越ししたい」「別の土地で暮らしたい」という欲求を抱きやすくなります。これは心理学では「環境同調性」と呼ばれ、心の状態と暮らす環境の“ズレ”が大きくなると、私たちは無意識にそれを整えようとするのです。


また、自然環境が乏しい場所やストレスの多い都市空間では、交感神経が常に優位になり、心身ともに疲労しやすくなります。そうなると、「もっと静かで自然のある場所に行きたい」「このままじゃ自分らしく生きられない」と感じるようになるのです。

私自身、そうした変化の渦の中にいるのかもしれません。


そしてふと思いました。物件探しは、人生のパートナー探しに似ていると。


完璧な物件がないように、完璧な人もまた存在しません。

でも、どこかに「ここ、なんだか落ち着くな」と思える場所があり、「この人といると、自分らしくいられる」と感じられる相手がいる。

それは数字やスペックでは測れない、“居心地”という名の確かな感覚。


心理学では、そうした感覚を「安全基地」といいます。人は、外で冒険し、挑戦するために、帰れる場所——つまり心を緩められる“基地”を必要とするのです。


また、神経科学の研究でも、「安心できる環境」にいるとき、私たちの脳はオキシトシンを分泌し、ストレスホルモンであるコルチゾールのレベルを下げます。つまり、「居心地がいい」と感じる場所は、脳と身体が“本当にリラックスできる”科学的な根拠のある空間でもあるのです。


さらに生物学的な視点では、人間は進化の過程で「水」「緑」「広がり」「風通し」のある場所を好んできました。つまり、本能的に私たちは自然のある土地を「安全で生きやすい」と感じるようにできているのです。


だから私は今、ただ便利な物件やきれいな家を探しているのではなく、

「ここなら、深く呼吸できる」

「この土地でなら、もう一度、暮らしを大切にできる」

そんなふうに心がささやく“居場所”を探しているのだと思います。

物件も、人も、最初から100点満点でなくていい。

でも、「ここに根を張ってみたい」「この人とならやっていける」

そう感じられる直感は、何よりも大切にしたい。

結局のところ、私たちが本当に求めているのは——

“居心地の良さ”という、目に見えないけれど最も確かな豊かさ。

それは、家でも、人間関係でも、人生そのものでも、きっと同じなのだと思います。