「思い出は、所有しない」 | 日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ

「思い出は、所有しない」



皆さま、こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

まるで梅雨がひと足早く訪れたような、しとしととした空模様。そんな鬱々とした空気を、私は音楽の力でそっと遠ざけています。


今日も、クローゼットの整理をしました。

「これはまだ着るかな」「これはもう手放そうか」ひとつひとつ手に取りながら、まるで過去の自分と静かに対話するような時間。どこかでふっと姿を消しても、誰も困らないくらいの持ち物で生きていたい。そんな思いが、最近少しずつ濃くなってきました。


もちろん、「もういらない」と手放したものが、後になって恋しくなることもあります。

「取っておけばよかったな」なんて、ちょっと悔しい気持ちになることも。でも私はやっぱり、思い出は“モノ”に宿すのではなく、心の奥に静かにしまっておくほうを選びたいのです。


…とはいえ、ふとした拍子に記憶は不意打ちのように現れてきます。「あのシャツ、まだ持っていればよかった」「旅先で買ったあのマグカップ、手にとって眺めたかったな」そんなふうに、思い出が手のひらの温度まで連れてくる瞬間もあります。


けれど、風の音や雨の匂い、誰かのやさしい声や、自分の笑い声。そうした“かたちのない記憶”のほうが、ずっと鮮やかに、長く残ってくれる気がします。だから私のクローゼットは、日を追うごとに軽やかになっていきます。


けれどそのぶん、心の中の“見えないアルバム”には、静かにページが増えていくようで。きっと人生の終わりにそっと開くのは、しまい込んだ服の引き出しではなく、誰かと過ごした時間の、あたたかな断片なのだろうと思います。今夜もそんなことをぼんやりと考えながら、お気に入りの音楽と、静かな夜の空気に身をゆだねています。皆さまも、どうか心穏やかな夜をお過ごしください。