日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ -11ページ目

「成熟世代の香りの選び方:年齢とともに変わる体臭とフレグランスの調和」




  



皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。季節の変わり目は洋服を新しくするように、日常でまとう香りも変えたくなります。女性として思春期を超えて成熟世代に入ってから若い女性特有の甘やかな香りは卒業しました。 



その代わりに、私自身の人生の軌跡や深みを映すような香りをまとうことに、より魅力を感じるようになったのです。

実は、生まれてから死を迎えるまで、私たちの体から発せられる香り——いわゆる「体臭」もまた、年齢やホルモン、生活習慣、そして心理的状態によって変化し続けることが知られています。

生物学的に見れば、体臭はホルモンのバランスと密接に結びついています。

たとえば思春期には、性ホルモンの分泌が増加することで皮脂腺の活動が活発になり、皮膚常在菌との反応によって、いわゆる“若さ”を象徴する甘く官能的な香りが生まれます。これは、無意識のうちに「繁殖」に適した時期を知らせるシグナルでもありました。


ところが、30代後半から40代、そして50代へと進むにつれ、エストロゲンやプロゲステロンなどのホルモン量は徐々に減少し、それに伴って体臭も穏やかで落ち着いたものへと変化していきます。これは老化のサインではなく、「熟成」ともいえる美しさの一形態。木が年輪を重ねてより芳醇な香りを放つように、私たちの香りもまた、人生の物語を帯びたものへと進化していくのです。



科学的には、「ノネナール」という成分が40代以降に増えることが発見されています。


これは加齢臭と呼ばれることもありますが、実際には脂肪酸の酸化によって生まれるこの分子は、洗練された香水と重ねることで、落ち着きや安心感を与える特有の深みとして活かすこともできるのです。香りは「消す」のではなく、「重ねる」「響かせる」ことで、その人の個性として昇華させる。成熟した世代ならではの香水の楽しみ方が、ここにあるといえるでしょう。


また、歴史的に見ても香りと女性の人生の変遷は深く結びついてきました。

古代エジプトでは、権威ある女性たちがミルラやフランキンセンスなどの樹脂香を身にまとい、精神性や神聖さを香りで表現していました。ヨーロッパの貴婦人たちは、白檀やアンバーの香りを身にまとうことで、知性と余裕を感じさせる余香を演出したといわれています。


香りは、私たちの「今」の心と身体を映す鏡であり、同時に「どんな女性でありたいか」という未来のビジョンを導く羅針盤でもあります。

ですからこそ、季節が巡るこの時期には、香りの衣替えを——。

年齢を重ねるごとに香水が似合わなくなった、と思うのではなく、その年代にしかまとうことのできない香りがあるということに、気づいていただけたら幸いです。


生きる歓びを育む、内なるフォルム



皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。風が気持ちいい季節ですね。振り返ればここ数年激動過ぎてゆっくり自分を振り返る事がありませんでした。

2018年たった4.2キロの道のりを電動自転車で走っただけで、息が切れ、太ももは鉛のように重く、全身が悲鳴をあげていた私がいました。

けれど今では、マウンテンバイクで軽やかに10キロを走りきり、なおかつ風や光を楽しむ余裕さえある――。

この変化は、特別な根性論や過酷なトレーニングの結果ではありません。

ボールルームダンス、筋トレ、そしてサウナ。

この三つを、ただ生活の中に“心地よく”取り入れただけのことでした。




からだが変わると、人生の質が変わる

筋トレによって得たのは、単なる筋肉ではありませんでした。

それは、骨格と深層筋によって支えられる、美しく機能的な構造――すなわち、「内なるフォルム」でした。

私たちの身体は、重力に抗う抗重力筋によって姿勢を保ち、インナーマッスルがしなやかな動作を支えています。

こうした身体の“静かな力”が活性化すると、呼吸は深くなり、疲れにくくなり、日々の動きさえ軽やかになるのです。

ボールルームダンスでは、自分の重心を意識しながら他者と調和する感覚を養いました。

それは単なる運動ではなく、感情と身体の統合。

まるで、心の重心も見つけていくような時間だったのです。

そして、サウナ。

自律神経が整い、思考の渦から解放される“静けさの時間”。

ストレスホルモンが穏やかに下がり、免疫系と代謝は目を覚まします。

まさに、内なるリズムを再調律する儀式でした。




身体の奥から燃え始める“生命力”

筋トレや有酸素運動を続けていると、筋細胞の中のミトコンドリアが活性化し、エネルギー産生能力が向上します。

ATP(アデノシン三リン酸)の生成が高まり、身体は「燃やせる状態」へ。

結果として、体温は上がり、脂肪は燃えやすくなり、細胞レベルで若返りが起こるのです。

それは外見の変化以上に、“動ける自分”であることへの誇りを育ててくれました。




姿勢が導く“見えない美しさ”

ボールルームダンスでは、内臓の配置やリンパの流れにも良い影響が出ていることを感じました。

背筋を伸ばすことで、肺が広がり、横隔膜がしなやかに動き、消化や代謝も向上。

身体の表層だけでなく、内臓の美しい位置関係=内なる整合性が整っていくのを実感しました。




若さに固執しない、美しさのあり方

かつては、若さという「数字」に縛られていた時期もありました。

けれど今は、年齢ではなく、“循環するエネルギー”が私を生かしていることに気づきました。

若さは追いかけるものではなく、満ちては巡る生命のリズム。

そしてその源は、毎日の習慣の中に宿っている。




自転車が教えてくれたこと

10キロを走っても疲れないのは、筋力や持久力の進化だけではありません。

むしろ、「この道のりを楽しめる自分」になったこと――それこそが、人生の質が変わった証なのだと思います。

かつては目的地だけを見て、ただ疲れていた。

今では、風を感じ、坂を越え、地面を踏みしめるその瞬間そのものが歓びです。




「内なるフォルム」は、生きる知恵

かつて憧れていた「エレガントな生き方」は、見た目や装いでは完成しませんでした。

心地よく動ける身体、感情と調和した内面、そして意志ある習慣。

それらが重なり合って生まれた“私だけのフォルム”が、今の私を支えています。

それは若さを超えた美しさ、

そして、誰にでも手に入れられる「生きる歓びを育む、内なるフォルム」。

歳を重ねることを恐れず、むしろ楽しむために――

今日もまた、自分の身体にそっと感謝をこめて、ペダルを踏み出します。





静かなる叡智──ネイティブ・アメリカンと日本人の「心のかたち」とエコデザインの未来


この記事は、2025年春のプレミアム・インセンティブショーで開催されたエコデザインに関するセミナーに参加し、

その講演で語られた内容や、そこから得た気づきをきっかけに執筆したものです。



皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。今日はエコデザインについて深掘りしようと思います。


大量生産・大量消費の時代が終わりを迎えつつある今、私たちは「より良く生きるとはどういうことか」「地球と共に生きるとはどういうことか」を、改めて見直す時期に来ています。

その問いに対するヒントは、最先端の技術の中ではなく、太古から自然と寄り添いながら暮らしてきた人々の知恵の中に隠れているのかもしれません。

今回はその一例として、アメリカ大陸の先住民族であるネイティブ・アメリカンと、日本列島に根ざす日本人の精神文化を取り上げてみました。

一見、まったく異なる歴史や風土を持つように思える両者ですが、自然との向き合い方や、命や死に対する感覚、人と人との距離感といった「心のかたち」には、多くの共通点が見られます。

そしてその中に、現代に求められている持続可能な生き方=エコデザインの核心が潜んでいるのです。




■ 共通点:自然との共生、目に見えないものへの敬意

ネイティブ・アメリカンにとって、大地や川、風や動物はすべて「スピリット(精霊)」を持った存在であり、人間もその一部に過ぎません。自然と自分を分けるという考え方はなく、調和の中に生きています。

一方、日本人の伝統的な精神文化にも「八百万の神(やおよろずのかみ)」という考え方があり、山・森・石・水といったあらゆる自然物に神が宿るとされてきました。

また、両者に共通しているのが、「沈黙」や「気配」といった目に見えないものを感じ取る力を重視する文化です。これは言葉以上に心のつながりや空間の静けさを尊ぶ価値観として表れています。




■ 違い:精神の表現方法と社会構造

ネイティブ・アメリカンの文化は、語り継ぎ(オーラル・トラディション)によって知恵を伝えてきました。歌や儀式、物語によって精神性を共有する文化です。

一方、日本では、書や建築、衣装や型(かた)といった“形”に精神性を込める傾向があり、静的で象徴的な表現を好む文化が形成されてきました。

また、ネイティブ・アメリカンの共同体は水平的で、対話による合意形成が重要とされてきましたが、日本社会は和と秩序を重んじる階層構造の中で成り立っています。この違いは、リーダーシップのあり方や、社会のまとまり方にも影響を与えています。




■ 死と再生へのまなざし

どちらの文化においても、死は終わりではなく、自然や祖先とのつながりの一部として受け止められています。

ネイティブ・アメリカンは、魂が自然界へと還り、再び大地をめぐると信じています。

日本では、死者は「仏」や「祖霊」となり、家の中で今も共に生きている存在として祀られています。

この「循環するいのち」の感覚は、どちらの文化にも共通する、時間の流れの捉え方にも通じているのです。




そして今、私たちが手にすべき「エコデザイン」

こうした文化の中に脈々と流れる「自然と共にある」という精神は、現代のエコデザイン(環境配慮型デザイン)の根底と深く重なります。

エコデザインとは、単に環境に優しいモノづくりをすることではなく、自然と調和し、資源を循環させ、未来を見据えた暮らしをデザインすることです。

素材選びから生産方法、廃棄や再利用のプロセスまで、すべてを“つながり”の中で考える視点が求められています。

これは、自然を単なる「資源」としてではなく、「対話すべき存在」と見なすネイティブ・アメリカンや日本人の感性と、まさに通じ合うものです。




静かなる知恵 × 未来志向の創造力

エコデザインとは、古くて新しい原点へのまなざしです。

私たちが失いつつある「自然との関係性」「感覚としての調和」「目に見えない価値」を、もう一度デザインに取り戻すこと。

それは単なる流行やマーケティングではなく、未来の命に責任を持つという、創造者としての在り方そのものです。

精神性と機能性、伝統と革新。

その両輪が重なったところに、本当に持続可能な未来が拓けていくのではないでしょうか。

いま、私たちが向かうべき未来とは、「新しい発明」ではなく、

自然と共にあるという“人間らしさ”への回帰なのかもしれません。




以上が、講演の内容をきっかけに広がった私自身の思考と気づきのまとめです。

これを読んでくださった方が、自然や暮らし、デザインとの向き合い方を少しでも見つめ直すきっかけになれば幸いです。