日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ -6ページ目

2025年の転換期に訪れたい吉方位|算命学で選ぶ香取神社とお水取りの意味とは




皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。今日は、算命学で選んだ吉方位にある香取神社へ「お水取り」に行ってきました。


境内では、ちょうど「茅の輪くぐり」の神事も行われており、心身を整える節目として最適な一日となりました。


算命学とは何か

算命学は、古代中国に起源を持つ東洋思想の一つで、陰陽五行理論を基盤とした高度な人間観・宇宙観に基づく運命学です。

生年月日から導き出される干支の組み合わせをもとに、個々の性質や才能、人生の流れ、タイミング、さらには適した方位までを読み解きます。

その本質は、「個と宇宙のエネルギーバランスを読み解く学問」とも言えるでしょう。

私たちは、単なる肉体ではなく、情報体であり、振動体でもあります。

算命学は、この“人のエネルギーの構造”を、古代の叡智を通じて体系化したものです。

現代の脳科学や統計心理学に通じる面もありながら、それを宇宙の周期や自然界のリズムと統合して読み解くという、ホリスティックな視点を持っています。


「お水取り」は何のために行うのか

お水取りとは、特定の年・月・日・方位に合わせて、湧水や御神水をいただきに行く開運行動です。その方位が“吉”である場合、そこには自分にとって整いやすい地場(磁場)が存在し、水を通じてその気を体内に取り込むことで、エネルギーの偏りや滞りが調整されるとされます。

現代科学的に言えば、水は周囲の情報を記憶しやすい性質を持っています(マサル・エモト博士の水の結晶実験などは有名です)。


また、量子物理学の視点からは、人間の意識や行動が「場」に影響を与える」という仮説があり、こうした儀式的行為は、自分の波動を整え、“未来の現実”をチューニングする働きを持つと考える研究者もいます。つまり、お水取りとは単なる風習ではなく、「意識と自然、そして空間との共鳴行為」として再解釈することも可能です。



茅の輪くぐりとは何か

この日、香取神社では「茅の輪くぐり」も体験することができました。

この神事の起源は、日本神話に登場するスサノオノミコトの逸話にさかのぼります。

ある旅人であったスサノオノミコトが、一夜の宿を求めた際、裕福な兄・巨旦将来はこれを拒み、貧しい弟・蘇民将来は快くもてなしました。後に再訪したスサノオは、「蘇民将来の子孫であると名乗る者には災いを及ぼさない」と告げ、茅で作った輪を与えたとされています。これに由来し、現在では茅の輪をくぐることで、穢れを祓い、心身を清め、厄災から守られると信じられています。この「くぐる」という動作も重要で、意識を変える身体性の儀式でもあります。



2025年という地球の転換期において

私たちが今生きている2025年は、社会的にも、個人的にも、大きな転換点にある時代です。

気候危機、経済格差、AI技術の急速な進展、そして国際情勢の緊張──

世界はかつてないスピードで変化し、バランスを失いながらも、新たな秩序を模索しています。

算命学では、2024年から2025年にかけては「火」と「水」のエネルギーが激しくぶつかり合う年回り。これは、情熱と冷静、創造と破壊、欲望と浄化といった対立的な力が顕在化する象徴でもあります。古い価値観が崩れ、新しいパラダイムが形づくられていく中、私たち一人ひとりもまた、精神的・身体的・環境的な“再構築”を迫られているのです。さらに世界では、アメリカの政局が再び不安定さを増しており、トランプ前大統領の発言や再選への動きが、金融市場・安全保障・国際関係に与える影響は計り知れません。

一人の意志や言葉が世界全体の波動に揺らぎを起こすような時代。それは、同時に私たち一人ひとりの意識の質も、世界に影響を与えていることの裏返しでもあります。



自然と神話の中で、意識を再調律する

こうした時代だからこそ、算命学や神道の中にある「自然との調和」「時空との共鳴」といった考え方が、単なる精神論ではなく、生きるための戦略としての価値を持ちはじめています。

香取神社の静謐な空気の中で、神話に基づいた茅の輪をくぐり、地から湧き出る水をいただき、自らの内側に静かなチューニングを施す。

それは、“見えないけれど確かにあるエネルギー”を自分の中に再統合していく時間でもありました。自分の内側の羅針盤を信じるために。この激動の時代を、他者や情報に振り回されず、自分のリズムと自然の調和の中でしなやかに生きていくために。

こうした一日が、今という時代にこそ必要だと、あらためて思いました。感謝します。



「思考を転換すると、人生は深くなる」― 成熟という名の自由へ




皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。ナスが美味しい季節ですね。トマトの苗もずいぶん大きくなってきました。ひらめき電球


昔は、美味しいレストランでの食事に幸せを感じていました。

今は、自分で育てた野菜を庭で収穫し、季節の空気を感じながら食べる一膳のごはんに、深い満足を覚えます。


かつては、人にどう見られるかを気にして、外見を整えることにエネルギーを使っていました。

今は、自分がどう感じるか、心地よくいられるかを大切にして、内面の充実に時間とエネルギーを注いでいます。


ようやく「人の瞳の中で生きない」という選択をできるようになってきました。

誰かの評価に怯えたり、他人の理想に合わせて生きることをやめ、自分の内側に耳を傾けます。

たとえ目立たなくても、たとえ理解されなくても、自分だけが感じる確かな手応えこそが、何よりの贅沢だと感じます。


そして、旅することの意味も変わりました。

旅はただの移動ではなく、地球という星が積み重ねてきた歴史や文化、美しさと痛みを全身で味わう、深い行為なのだと気づきました。

一杯の水のありがたさに感動したり、まったく異なる価値観と出会うことで、自分の小ささと広がりを実感するのです。

その過程で、「日本がすべてではない」という真実にも向き合いました。

この国で当たり前とされていることが、世界では通じない場面が数多くあります。


だからこそ、自分の思考を解き放ち、凝り固まった価値観から自由になるチャンスが、旅の中にはあるのです。

旅の途中で出会うカルチャーショックも、今では喜ばしい経験です。

価値観の違いに戸惑うたびに、自分という人間の枠が広がっていくのを感じます。

心の柔軟性が試されるその瞬間こそが、人としての深みや優しさを育ててくれるのです。

経験を重ねるたびに、生きる意味もまた深まっていきます。

知識や肩書きではなく、感受性や実感として積み上がった体験こそが、自分を支える土台になります。

そして、あるとき気づくのです。

かつては外見の美しさに憧れていたのに、今は誰かの生き様や佇まい、言葉の奥行きに心を惹かれている自分がいることに。

年齢を重ね、変化していくことは「劣化」ではありません。

それは「風格」や「成熟」へと進化する過程だと捉えられるようになりました。

しわや白髪の一本一本に、その人の物語が刻まれているように感じられます。

それこそが、時間をかけて育まれる「美しさ」なのだと思います。

昔は、常に何かを得ようと、成果を求めて走り続けていました。

今は、何も持たない時間や、静けさ、自然の音に耳を澄ませる余白こそが、本当の豊かさなのだと感じています。

思考を転換することで、同じ空の下でも世界の見え方は大きく変わります。

かつての「贅沢」は、外にあるものを手に入れることでした。

今の「贅沢」は、心の内側にあるものに気づき、それを慈しむことです。

誰かの瞳ではなく、自分自身の感覚で生きていくこと。

それが、何よりもしなやかで、自由で、幸せな人生だと思います。口笛


「人生が不安なときこそ、“未来のわたし”に贈る選択を」




皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。数年前に人生をリセットする時期がありました。その時に手元に残る金額に不安を覚えて、保険や投資信託なども処分してしまおうと考えていたところ、踏みとどまるようにと諭されなんとか続けてきたものが今では心の支えになっています。


人生にはいま現在がとても大切ですが、自分の未来に投資をするということも同時にすべき事だと感じています。私が住む日本は災害大国ですので日々の災害に対しての備えも準備しておくように、老後に対する資金準備や健康に対する投資、日々納得の行くお金の使い方など考えておく事があります。


世界情勢を知る事で投資の思考が強化される。

「いま起きていること」が、これからの世界や自分の暮らしにどのような影響を与えるかを考える視点を育ててくれるからです。

たとえば、物価の変動や為替の動き、エネルギーや食料の供給状況、あるいは気候変動や国際紛争など -これらは決して“遠い世界の出来事”ではありません。気づかないうちに、私たちの生活費や老後資金の価値、さらには健康管理の選択肢にまで影響を与えています。


また、今日のスポーツした成果は未来の自分への健康投資になります。具体的に週に3回ほど10kから20kクロスバイクで走行すると血流が良くなり、心肺機能が高まり、筋力や持久力も自然とついてきます。年齢を重ねるごとに感じる体力の衰えや代謝の低下に対して、こうした運動習慣が「抗う力」となってくれます。

クロスバイクは、膝や腰に負担が少ない有酸素運動であると同時に、風景の変化を楽しみながらストレスを軽減する効果もあります。週3回のペースで10km〜20kmを走ることで、1ヶ月では約100km以上、年間では1,200kmを超える“自己ケア”の積み重ねになります。

この習慣が、将来の医療費や介護リスクの軽減にもつながっていくと考えると、まさに「見えない資産」を築いているようなものです。

また、ほぼ毎日行くジムで入るサウナと温泉は私にとって心と身体のリセットボタンのような存在です。汗を流し、身体を芯から温め、じんわりと疲れが抜けていく感覚は、何ものにも代えがたい癒しです。サウナと温泉に入ることで血行が促進され、筋肉のこわばりや日常のストレスがゆるんでいきます。

特にサウナでは、短時間でも深いリラックス効果が得られるうえ、「ととのう」と言われるあの感覚が、私にとって明日への活力の源になります。温冷交代浴を取り入れることで、自律神経のバランスも整い、睡眠の質がぐっと上がるのを実感しています。

そして、湯船に身を預けているとき、不思議と頭の中が整理されていくのです。仕事や人間関係で抱えていたモヤモヤが、湯気とともにふわりと軽くなっていく。ジムでのサウナ・温泉のセットは、まさに「自分を整える時間」となっています。

また、自分のしている行動に対してどんな意味があるのか考えることで、日々の行動が「ただの習慣」から「価値ある選択」へと変わっていくのだと思います。たとえば、運動や入浴、食事や睡眠といった一つひとつの行為に、「これは未来の自分への投資」「これは心を整える時間」「これは自分自身との対話の場」といった意味を持たせることで、日常の質そのものが深まりました。 


また、記憶に残るお金の使い方をすることで「お金」と「時間」が単なる消費で終わらず、自分の中に豊かな体験として積み重なっていくのを感じるようになりました。

たとえば、ただ物を買うのではなく、誰かと過ごす時間に投資したり、自分を高める学びや趣味にお金を使ったりする。あるいは、日常を少し心地よくする道具や空間づくりにお金を使う。そういった使い方は、記憶の中に「幸せの種」として残り続け、後から振り返ったときに心を温かくしてくれます。


思い返せば、節約だけに意識を向けていた時期には、お金を使うことにどこか罪悪感がつきまとっていました。しかし今では、「未来につながる消費」「意味のある支出」という視点を持つことで、たとえ小さな出費であっても、それが人生を丁寧に編んでいく一糸になっているように感じられるのです。

お金は生きた感情と深く結びついています。

だからこそ、感情が動く場面に意識的にお金を使うと、人生そのものが彩り豊かになっていくのだと思います。 

私が20代の頃からお金のこと保険の事を人生のターニングポイントでアドバイスしてくれた方が今では人生の伴奏者のような存在になっています。

わからないなりにやり始めたことが少しずつ形になり、自信へと変わっていったのは、その方の存在があったからだと思います。的確な知識だけでなく、いつも私の人生に寄り添った言葉をくれました。「正解を探すよりも、“あなたにとっての納得”を大切にして」と言われたとき、その一言がどれほど心強かったか、今でも覚えています。

わからないなりに始めた小さな積み立てや、仕組みのよく分からないまま始めた投資信託。将来が不安だったあの頃には、それらが本当に意味のあることなのか疑心暗鬼になる日もありました。けれど、数年経って振り返ってみると、それらは確実に「私自身を守るための土台」になっていました。

そして何よりも、そうやって“自分で選んで、続けてきた”という積み重ねが、私の中に「私にもできる」という感覚を育ててくれたのです。人生における“わからなさ”や“不安”に向き合いながらも、自分で選び、自分で責任を持つという姿勢は、あらゆる局面での支えになります。

人生はつねに選択の連続です。大きな決断もあれば、小さな日常の選択もある。そのどれもが、自分という人間をつくっていく。だからこそ、「わからないなりに始めたこと」が、実は一番大きな一歩だったのかもしれません。