あなたの脳と感性、最新バージョンですか? ― 日常をアップデートする視点」
皆様こんにちはいかがお過ごしでしょうか。先日、長年使っていたiPhone11から、最新のiPhone16に機種変更をしました。使ってすぐに感じたのは、「これはもう別物だ」という圧倒的な体感の違いです。画面の美しさ、カメラの精度、動作の速さ……すべてが段違いでした。
それと同時にふと、こんな疑問が浮かびました。
「同じように世界を見ていても、実は人によって感じ方って全然違うんじゃないか?」
スマホの性能差が体感の違いを生むように、人間の“脳”や“感覚”にも差があって当然なのでは?
今回は、この「体感の違い」というテーマを、人の脳・感性・意識の観点から、わかりやすく深掘りしていきます。
人間の脳は、スマホのように“スペック”が違う
スマートフォンには、プロセッサ、カメラ、センサー、OSなどの性能が搭載されています。
そして人間にも、それに似たような“個人ごとの性能”があると考えるとわかりやすくなります。たとえば、脳の処理速度や集中力はプロセッサにあたりますし、五感や直感といった感覚は、カメラやセンサーに相当します。記憶力や思い出の蓄積は、ストレージ容量のようなもの。
そして私たちの価値観や思考パターンは、スマホのOSにあたる“認知の基本システム”といえるでしょう。
つまり、人によって「世界の感じ方」が違うのは、スマホと同じように“性能差”や“設計の違い”があるからです。
感じ方の差は「感覚センサーの感度」によって生まれる
iPhone16に変えてすぐに実感したのは、暗い場所でも驚くほど綺麗に写真が撮れるということでした。
これは、ナイトモードやAIによる処理機能が進化した結果です。
実は人間も、同じように「感じ取れるかどうか」の差を持っています。
ある人にとっては、雨の音がただの雑音である一方、別の人には「癒しの音」として心に染み渡るかもしれません。
また、誰かの言葉に対しても、「ただの言葉」として受け取る人もいれば、「その奥にある感情」や「言葉にされなかった本音」まで感じ取ってしまう人もいます。
このように、体感の差=センサー感度の差とも言えるのです。
思考の“OS”が違えば、現実の意味づけも変わる
スマホのOSが違えば、同じアプリでも使い勝手が変わるように、人の思考のベース(=OS)によって、現実の受け取り方も変わってきます。
たとえば、「失恋した」という出来事があったときに、「早く立ち直ろう」と考える人もいれば、「この経験にはどんな意味があるのか」と内省を深める人もいます。
同じ出来事でも、思考OSが「効率重視型」か「探求型」かで、感じ方や行動がまったく変わるわけです。
他にも、「変化を好むタイプ」と「変化を避けるタイプ」、「論理で考える人」と「感覚で捉える人」など、さまざまな“思考パターン”が存在しています。
だから、他人の行動や反応が自分と違うときは、「この人は違うOSで動いているんだな」と理解することが大切なのです。
人間も“アップデート”できる
ここまでの話で、「感じ方の違いは仕方ない」と思われたかもしれませんが、実は私たち人間もスマホのように“進化”することができます。
たとえば、読書や対話、旅を通して、思考の深さやスピードが磨かれますし、音楽やアート、自然とのふれあいによって、感性のセンサーもどんどん鋭くなっていきます。
また、自分の考えを文章にしたり、話したりすることで、記憶の整理とともに「意識のアップデート」も起きていきます。
つまり、「感じ方」や「捉え方」は、生まれつきだけで決まるものではなく、経験と意識の持ち方次第でいくらでも変えていけるのです。
「体感の差」を知ることは、他者理解の第一歩
iPhone16を使って、「今までと全然違う!」と感じたのは、単なるガジェットの話ではありません。
私たちは誰もが、それぞれ違う“脳のスペック”や“感覚センサー”を持って生きているのだと、改めて気づかされたのです。
つまり、誰かの「分からなさ」や「過敏さ」「無関心さ」も、機種やOSが違うだけ。
優劣ではなく、ただの“違い”として受け止めることが、これからの共生社会には必要なのだと思います。
!感じ方が違うのは、当たり前。それでも私たちは進化できる
スマートフォンが毎年進化しているように、私たち人間も、日々の意識や経験によってアップデートしていくことができます。「自分は何に敏感で、何に鈍感なのか」「どんな考え方のクセ(OS)を持っているのか」「どんな感性をこれから育てていきたいのか」
そんなことを見つめ直すきっかけとして、iPhoneの進化はとても面白い“気づきの装置”なのかもしれません。
私自身の感覚や脳も、明日から少しずつ、バージョンアップしていけますように。
「身軽であることは、人生を豊かにする」
皆様こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。私はようやくiPhoneの機種変更を決意し、新しい相棒との日々に心を弾ませております。
さて、また今日から出張です。
海外でも国内でも、私の旅のモットーは変わりません——“荷物は少なく、身軽に”。リュックひとつに、下着、ワンピース、サンダル、バスグッズ、メイク用品、PC、周辺機器までを詰め込みます。それでも、まだ少しスペースが残るのが、私の旅支度の美学です。
ワンピースはシワになりにくく、どんなシーンにも馴染む一枚を。下着は速乾性のあるものを選び、夜洗って朝にはさらりと乾いている安心感。サンダルは街歩きにもリゾートにも対応する万能型で、軽量・コンパクトが基本です。バスグッズは、無印の詰め替えボトルに最小限のアイテムを詰めて。メイク用品は、最低限ながらリップとチークだけは気分で変えられるよう、2パターン用意しています。PCとガジェット類も、仕事の快適さを左右する大切な相棒。
Wi-Fiルーターや変換プラグ、ケーブル類はひとまとめにポーチに収め、バッグの中で迷子にならない工夫を。
結局のところ、「選び抜く」ことこそが、旅を自由にしてくれる。
そして、身軽であることは、心の軽やかさにもつながっていくのだと感じています。
旅を重ねるうちに、私は“自分らしく、シンプルでいること”の心地よさに気づきました。
それはきっと、歳を重ねるごとに「足す」よりも「削ぎ落とす」ことの美しさを知ったから。
かつてはパンパンだったポーチも、今では本当に必要なものだけ。
“これさえあれば私は大丈夫”と、自分で選び取れるようになったのは、小さな旅の経験と、自分自身との静かな対話の積み重ねの賜物です。
必要最低限が定まると、旅先での視線も変わります。
荷物が少ないからこそ、風景に目が向き、人に心が開き、思いがけない出来事さえ楽しめる。
それは、荷を下ろしたぶんだけ、感性が自由になるということ。
どこにいても、自分をきちんと持っていられる。
そんな旅のスタイルを、これからも大切に育てていきたいと思っています。
さて、次の目的地でも、きっと素敵な何かが待っているはず。
小さなバッグに、大きな期待を込めて——また、新しい扉を開けに行ってきます。
年貢と税の構造は同じ?今こそ知りたい“国民が搾取される仕組み”の正体
皆様こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
梅雨空が戻ってきましたね。じめじめとした空気に、気分も少し憂鬱です。こんな時は読書がいいですね。
こんなときこそ、ゆったりと歴史を振り返ってみるのも悪くありません。今回は「国家の衰退と徴税の腐敗」についてお話ししてみたいと思います。
■崩壊の兆しは、目に見えにくいところに
国家が衰退するとき、戦争や災害のような劇的な出来事ばかりが原因ではありません。
もっと静かに、制度の根幹が崩れていくこともあります。
その一つが、「徴税の腐敗」です。
たとえば古代エジプト。地方の徴税役人が利権を独占し、庶民から過剰な税を取り立てるようになると、中央は財政の実態を把握できなくなり、国の統治力は弱体化していきました。
これはローマ帝国や中国の唐・明でも見られた現象です。民の信頼を失った国家は、内側から静かに崩れていきます。
■日本でも繰り返された「声なき不満」
日本でも同じような構図が繰り返されてきました。とくに江戸時代、年貢の負担は農民の生活を直撃し、不作でも容赦なく課されました。
こうした過酷な制度の中で生まれたのが「百姓一揆」です。
代表例として、信濃の磔茂左衛門の一揆(1738年)や、備中の大原騒動(1866年)などがありました。
一揆は単なる反乱ではなく、「生きるための嘆願」でもありました。多くは暴力ではなく、嘆願書という形で抗議を行い、日本人が古くから重んじてきた「和」の精神が根底にありました。
■名君・水戸光圀の裏の顔
「黄門様」で知られる水戸光圀も、その時代の矛盾と向き合っていた一人です。表向きは幕府に忠誠を尽くしつつ、藩内では一揆が頻発するほど年貢の圧政が続いていました。
光圀公が編纂を進めた『大日本史』は、天皇を中心とする国家観を掲げるものであり、これは後の「水戸学」へとつながります。
■水戸から始まった「思想の炎」
やがて、民の不満や矛盾を受け止めた水戸藩士たちの間に、「この国のあり方は本当にこれで良いのか」という問いが広がっていきます。
そして、水戸学から「尊王攘夷」という思想が生まれ、藤田東湖や会沢正志斎、さらには水戸浪士たちが登場。幕末の歴史を大きく動かす原動力となっていきました。
■そして現代へ――歴史が問いかけること
現代の日本では、年貢の代わりに私たちは税を納めています。SNSや報道を通じて、「少子化対策は十分か?」「増税の前に政治改革をすべきでは?」といった声が広がっています。
こうした不満や疑問は、単なる愚痴ではありません。制度への信頼が揺らぎ始めているサインです。かつての農民一揆と根底ではつながっているとも言えるでしょう。
歴史は語ります――
声を上げることを恐れるな。声が届かなくなる社会こそが危機だと。
過去を学び、今を問い、未来を選ぶ。
今がその時なんじゃないかな…。