日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ -3ページ目

禁じられた楽園の余韻の中で



― 自分に帰る時間について ―

皆様こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。また、今年もよろしくお願いします。

私は恩田陸さんの 禁じられた楽園 を読み、その世界を感じる時間を、静かに味わっていました。ここ最近、色々とバタバタしていたこともあり、どこかで一度、気持ちをリセットしたかったのかもしれません。極力スマホと向き合わない時間を作りたくて、久しぶりに本のページを開きました。

通知も、ニュースも、短い言葉のやり取りもない時間。ただ文字を追いながら、少しずつ自分の内側に戻っていくような感覚でした。

恩田陸さんの『禁じられた楽園』を読み終えたあと、私はすぐに立ち上がることができませんでした。

衝撃を受けた、というよりも、と身体の速度が合わなくなった、そんな感覚に近かったと思います。読み終えたことは頭ではわかっているのに、感覚だけが、まだ物語の中に留まっている。そのまま、少し時間が必要でした。




物語を読むというより「見学している感覚」

恩田陸さんの『禁じられた楽園』を読み進めるうちに、これは物語を追っているというよりも、ある場所を静かに見学しているような読書体験だと感じました。

細かな説明がなくても、空間の奥行きや、空気の密度、人と人との距離感が、自然と立ち上がってきます。気がつくと私は、登場人物の感情よりも先に、「その場に立っている自分」を想像していました。


恩田陸さんの『禁じられた楽園』に描かれる場所は、一般的に思い浮かべる「解放的な楽園」とは少し違います。整っていて、静かで、どこにも無理がない。

たとえば、

  • 洗練された美術館の展示室

  • 無駄のない高級ホテルのロビー

  • モデルルームのように整えられた空間

最初は心地よいのに、長くいると、なぜか少し疲れてしまう場所です。この楽園は、そうした完成度の高すぎる空間を思い出させました。

何も困らないことへの、わずかな違和感

恩田陸さんの『禁じられた楽園』の中では、困ることがほとんどありません。迷わなくていい。選ばなくていい。頑張らなくていい。

一見すると理想的ですが、

あまりにも整っていると、自分がどうしたいのかを考えなくなる瞬間があります。それが、この物語に流れる静かな違和感の正体なのだと思いました。


インダストリアルデザイナーという存在

恩田陸さんの『禁じられた楽園』を読み進めるうちに、私は「インダストリアルデザイナー」という存在を強く意識するようになりました。椅子の高さ、通路の幅、光の入り方。私たちが普段あまり意識しない「形」は、実は行動や感情に大きな影響を与えています。

あの楽園は、

  • 人が不安にならない形

  • 人が迷わない配置

  • 人が衝突しない距離感

それらを、極限まで突き詰めた結果、生まれた場所なのだと感じました。


見学者だったからこそ、気づけたこと

もし、あの楽園に住んでいたら、私は違和感を覚えなかったかもしれません。でも「見学者」という立場だったからこそ、気づいてしまいました。

ここでは、選ばなくていいように、すべてが設計されているということに。それは安心であり、同時に、少しだけ怖いことでもあります。

想像力を持つ人ほど、深く沈む物語

恩田陸さんの『禁じられた楽園』は、読む人の想像力によって、深さが変わる物語だと思います。

空間の記憶。美しいと感じた形。なぜか落ち着かなかった場所。そうした経験を持つ人ほど、この楽園は、より立体的に立ち上がってくるのではないでしょうか。

なぜ「禁じられた楽園」なのか

恩田陸さんの『禁じられた楽園』を読み終えて、私はこう感じました。

この楽園が禁じられているのは、危険だからではなく、心地よすぎるからなのだと思います。

一度、「考えなくていい安心」「選ばなくていい世界」を知ってしまうと、現実の雑音が、少しだけつらく感じてしまう。

だからこそ、あの楽園は、長く留まる場所ではなかったのでしょう。

本を閉じて、日常に戻ってみて

本を閉じたあと、部屋を見渡しました。少し散らかっていて、音もあって、決して完璧ではありません。

でもその不完全さが、「自分がここにいる」という感覚を、静かに取り戻させてくれました。

今年は、自分に帰る時間を大切にしようと考えています。

忙しさの中で外に向き続けるのではなく、ときどき立ち止まり、自分の感覚に戻る時間。恩田陸さんの『禁じられた楽園』は、

その大切さを、押しつけることなく教えてくれた一冊でした。だからこそ、読み終えたあと、しばらく動けなかったのかもしれません。


心も身体も、不安になると守りに入る。年の終わりに気づいたこと




皆様こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。明日は大晦日ですね。いつもジムで顔を合わせる方たちと「来年もよろしくお願いします」とご挨拶をして、そしてほんの数日後には今年もよろしくお願いします」とまた言葉を交わす。

そのやりとりの中で、一年という時間の流れの速さに、毎年のことながら驚いています。


私はこの数ヶ月、本格的に身体づくりに向き合ってきました

私はこの数ヶ月、本格的に身体づくりに向き合ってきました。スマートリングやApple Watchを身につけ、日々の活動量や心拍数を確認し、血液検査の結果、体重、体脂肪率、筋肉量の比率などを見ながら、自分の身体をできるだけ客観的に観察してきました。

そうしてデータを積み重ねていく中で、ようやく腑に落ちたことがあります。

それは、若い頃のように闇雲に運動し続けることが、今の自分にとって必ずしも最善ではないということでした。




頑張っているのに、うまくいかない理由

たくさん動いているのに体重が増える日。食事に気をつけているのに、むくみが強く出る日。基礎代謝の数値を見て、「低いのでは?」と不安になる日。

40代後半から50代、60代にかけて、こうした経験をしている女性は、決して少なくないと思います。

以前の私は、

「もっと動かなきゃ」

「代謝を上げなきゃ」

と、どこか焦っていました。

けれど、データと体調を丁寧に照らし合わせていくと、ある共通点が見えてきました。




身体は「不安になると、守りに入る」

身体はとても正直です。

運動量が多く、食事を控え、さらに「もっと頑張らなければ」とプレッシャーをかけると、身体はそれを「危険かもしれない状態」として受け取ります。

すると、

・水分を溜め込む

・脂肪を手放さない

・消費を抑える

といった反応が起こります。

これはサボりでも失敗でもなく、生きるための防御反応です。




実は「心」も同じでした

この数ヶ月で気づいたのは、これは身体だけの話ではない、ということです。

心もまた、不安になると守りに入ります。

・ちゃんとしなきゃ

・結果を出さなきゃ

・このままで大丈夫なのだろうか

そんな思いが強くなると、心は緊張し、縮こまり、余裕を失っていきます。そしてその緊張は、巡り巡って身体にも伝わります。

心が不安なままでは、

身体も安心して緩むことができない。

逆に言えば、心と身体は、安心できたときに初めて流れ始めるのだと感じています。




40〜60代の身体づくりに、本当に大切なこと

この年代の身体は、「攻め」よりも「調和」を求めています。たくさん燃やすことより、少し休ませること。減らすことより、温めて満たすこと。

・無理に運動を増やさない

・食事を極端に減らさない

・きちんと眠る

・身体を冷やさない

こうした一見地味なことこそが、代謝を整え、心を落ち着かせる土台になります。

体重や体脂肪率の数字は、日々変わります。

けれど本当に大切なのは、

・朝、自然に目が覚めるか

・手足が冷えていないか

・お腹がきちんと動いているか

・気持ちに余裕があるか

そうした感覚のほうなのだと思います。




新しい年を迎える前に

年末年始は、

どうしても「太らないように」「崩さないように」と

自分を管理しがちです。

けれど今年は、

心も身体も、安心させて新年を迎える

そんな年末にしてみませんか。

頑張ってきた自分に、

「もう大丈夫だよ」と伝えてあげる。

心が緩めば、

身体も自然と緩み、

必要なものは、ちゃんと巡り始めます。

来年は「もっと頑張る一年」ではなく、

「もっと信頼する一年」に。

今年も一年、ありがとうございました。

どうぞ穏やかな年末年始をお過ごしください。

そして、新しい年もよろしくお願いいたします。


マッチ売りの少女が最後に見た「光」の正体

脳と意識が絶望を「幸福」に書き換えるとき




皆様こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
12月に入り、街はきらびやかなイルミネーションに彩られる季節となりました。クリスマスソングが流れる賑やかな雰囲気の一方で、冷え込みが厳しくなると、ふと心に寂しさや言いようのない不安を感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。
今日は、この時期に誰もが一度は思い出す名作『マッチ売りの少女』をテーマに、私たちの「心と体の不思議な関係」を、サイエンス、量子力学、そしてスピリチュアルという3つの視点から紐解いてみたいと思います。


実は、あの物語で少女が見た幻影は、単なる悲しいファンタジーではありません。そこには、私たちが現代社会を生き抜くための重要なヒントが隠されているのです。

1. サイエンスの視点:脳が放つ「最後の慈悲」
飢えと寒さの中でマッチを擦り続けた少女の脳内では、生存のための防衛反応が段階的に起きていました。
最初に見えた暖かいストーブの幻は、激しい低血糖と低体温にさらされた脳が、生存のために熱を求めた強烈な生存衝動によるものです。
次に見えたごちそうの幻は、エネルギーが枯渇し、脳が糖を求めて狂おしく叫んでいる状態を指します。これは聖書でイエスが受けた「石をパンに変えよ」という誘惑と同じ、生命維持の渇望といえるでしょう。
そして最後に見えた祖母と光の幻。飢餓が極限に達し、エネルギー源がケトン体へと切り替わったとき、脳内には多幸感をもたらす物質が放出されます。これは、生命が肉体の死を目前にしたとき、恐怖を和らげるために備わった生物学的な慈悲のシステムなのです。


2. 量子力学の視点:意識による「世界の選択」
量子力学の世界では、この世界は観測するまで確定しない、無限の可能性の重ね合わせであると考えられています。
少女がマッチの火を見つめ、強烈に温かなイメージを描いた瞬間、彼女の意識は凍える現実を離れ、別の暖かい可能性を観測しました。私たちの意識がどの周波数、つまりどの感情にチューニングを合わせるかで、現れる現実は変わります。
彼女は極限状態で、ついに愛と光の周波数へと意識をテレポートさせたとも言えるのです。


3. スピリチュアルの視点:魂の「ワンネス」への帰還
スピリチュアルな視点では、マッチの火は内なる神性、すなわちハイヤーセルフとの対話です。
外側の世界にある寒さや孤独、空腹という刺激が完全に遮断されたとき、人は初めて自分の内側にある無限の光に気づきます。
最愛の祖母が現れたのは、肉体の境界が消え、魂が時間も空間も超えたワンネス、すべては一つであるという領域へ戻ろうとしていたサインです。彼女は決して孤独の中で終わったのではなく、自らの内なる宇宙と統合されたのです。


私たちの日常に潜む「マッチの火」
マッチ売りの少女の体験は極端に思えるかもしれませんが、現代を生きる私たちも、無意識にマッチを擦って一時的な安心を得ようとしていることがあります。

忙しさで食事を抜き、コーヒーやエナジードリンクで脳を無理やり覚醒させること。孤独感や不安を埋めるために、SNSの反応という刹那的な光に依存すること。これらは、脳がエネルギー不足に陥り、現実を正しく認識できなくなっている心の揺れのサインかもしれません。


自分という少女を抱きしめるために
物語の中の少女には、温かいスープを与えてくれる大人が必要でした。現代の私たちにとって、そのスープにあたるのは、今の自分の状態を多角的に知る知識です。
サイエンスという肉体の視点を知り、血糖値を安定させ、適切に栄養と休息をとること。

量子力学という意識の視点を知り、不安の中でも心地よい未来を意図すること。

スピリチュアルという魂の視点を信じ、自分は大きな存在に守られていると感じること。


血糖値の乱れによる心の揺れは、あなたを苦しめる敵ではなく、今、あなた自身のケアが必要ですよという魂からの大切なサインなのです。

今年の冬、もし心が揺れ動くことがあったら、そっと胸に手を当ててみてください。そこにはマッチの火よりもずっと強く、消えることのないあなた自身の光が灯っています。

その光を大切に育むために、まずは今日、頑張っている自分に温かい一杯の飲み物をプレゼントしてあげてくださいね。
寒暖差の激しい折、どうぞご自愛ください。