禁じられた楽園の余韻の中で | 日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ

禁じられた楽園の余韻の中で



― 自分に帰る時間について ―

皆様こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。また、今年もよろしくお願いします。

私は恩田陸さんの 禁じられた楽園 を読み、その世界を感じる時間を、静かに味わっていました。ここ最近、色々とバタバタしていたこともあり、どこかで一度、気持ちをリセットしたかったのかもしれません。極力スマホと向き合わない時間を作りたくて、久しぶりに本のページを開きました。

通知も、ニュースも、短い言葉のやり取りもない時間。ただ文字を追いながら、少しずつ自分の内側に戻っていくような感覚でした。

恩田陸さんの『禁じられた楽園』を読み終えたあと、私はすぐに立ち上がることができませんでした。

衝撃を受けた、というよりも、と身体の速度が合わなくなった、そんな感覚に近かったと思います。読み終えたことは頭ではわかっているのに、感覚だけが、まだ物語の中に留まっている。そのまま、少し時間が必要でした。




物語を読むというより「見学している感覚」

恩田陸さんの『禁じられた楽園』を読み進めるうちに、これは物語を追っているというよりも、ある場所を静かに見学しているような読書体験だと感じました。

細かな説明がなくても、空間の奥行きや、空気の密度、人と人との距離感が、自然と立ち上がってきます。気がつくと私は、登場人物の感情よりも先に、「その場に立っている自分」を想像していました。


恩田陸さんの『禁じられた楽園』に描かれる場所は、一般的に思い浮かべる「解放的な楽園」とは少し違います。整っていて、静かで、どこにも無理がない。

たとえば、

  • 洗練された美術館の展示室

  • 無駄のない高級ホテルのロビー

  • モデルルームのように整えられた空間

最初は心地よいのに、長くいると、なぜか少し疲れてしまう場所です。この楽園は、そうした完成度の高すぎる空間を思い出させました。

何も困らないことへの、わずかな違和感

恩田陸さんの『禁じられた楽園』の中では、困ることがほとんどありません。迷わなくていい。選ばなくていい。頑張らなくていい。

一見すると理想的ですが、

あまりにも整っていると、自分がどうしたいのかを考えなくなる瞬間があります。それが、この物語に流れる静かな違和感の正体なのだと思いました。


インダストリアルデザイナーという存在

恩田陸さんの『禁じられた楽園』を読み進めるうちに、私は「インダストリアルデザイナー」という存在を強く意識するようになりました。椅子の高さ、通路の幅、光の入り方。私たちが普段あまり意識しない「形」は、実は行動や感情に大きな影響を与えています。

あの楽園は、

  • 人が不安にならない形

  • 人が迷わない配置

  • 人が衝突しない距離感

それらを、極限まで突き詰めた結果、生まれた場所なのだと感じました。


見学者だったからこそ、気づけたこと

もし、あの楽園に住んでいたら、私は違和感を覚えなかったかもしれません。でも「見学者」という立場だったからこそ、気づいてしまいました。

ここでは、選ばなくていいように、すべてが設計されているということに。それは安心であり、同時に、少しだけ怖いことでもあります。

想像力を持つ人ほど、深く沈む物語

恩田陸さんの『禁じられた楽園』は、読む人の想像力によって、深さが変わる物語だと思います。

空間の記憶。美しいと感じた形。なぜか落ち着かなかった場所。そうした経験を持つ人ほど、この楽園は、より立体的に立ち上がってくるのではないでしょうか。

なぜ「禁じられた楽園」なのか

恩田陸さんの『禁じられた楽園』を読み終えて、私はこう感じました。

この楽園が禁じられているのは、危険だからではなく、心地よすぎるからなのだと思います。

一度、「考えなくていい安心」「選ばなくていい世界」を知ってしまうと、現実の雑音が、少しだけつらく感じてしまう。

だからこそ、あの楽園は、長く留まる場所ではなかったのでしょう。

本を閉じて、日常に戻ってみて

本を閉じたあと、部屋を見渡しました。少し散らかっていて、音もあって、決して完璧ではありません。

でもその不完全さが、「自分がここにいる」という感覚を、静かに取り戻させてくれました。

今年は、自分に帰る時間を大切にしようと考えています。

忙しさの中で外に向き続けるのではなく、ときどき立ち止まり、自分の感覚に戻る時間。恩田陸さんの『禁じられた楽園』は、

その大切さを、押しつけることなく教えてくれた一冊でした。だからこそ、読み終えたあと、しばらく動けなかったのかもしれません。